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栗色の髪の悪戯っ子そうな顔の男の子が、棒立ちのままの私の手をぐいぐい引っ張っる。
「ほら、早く。風邪引いちゃうよ」
いつもなら例え子供相手でも、誰かについていくなんて事はしない。
けれど、この時は思考停止していたのだろう。あるいは、何もかもどうでもいいと思っていたのかもしれない。
男の子に手を引かれるまま、促されるまま、気づいたらその子の家の湯舟に浸かっていた。
「あったかい……」
ほぅっと溜息が出た。凍えた身体と心に熱めのお湯が染みこんで、止まっていた時間が動き出したような気がする。
「……恥ずかしい」
あんな小さな子に、心配されて、手を引かれて。
泣いていた気もする。絶対に、見られたよね?
「お姉さん、まだ出ないよねー?」
突然、扉越しに声をかけられて飛び上がりそうになった。
「着替え出したんだけど、さすがに下着の替えはないから、乾燥機回すねー。乾くまでゆっくり入っててー」
「えっ!? 下着洗ってくれてるの? やだ、恥ずかしいっ!」
思わず大声が出てしまった。自分からこんな大きな声が出るなんて、初めて知って自分でも驚いた。
どうしよう? 出ていくべきなのかな?
確かに、男の子の声と共に、ゴウンゴウンと洗濯機が回る音がする。
「大丈夫、気にしない気にしない。それだけ大きな声出せるなら、もう大丈夫かな。風邪ひかないようにねー」
一体どうしてこんな事になっているのだろう?
気恥ずかしさと申し訳なさに居たたまれなくなりながらもゆっくり温まってお風呂から出ると、乾きたてのホカホカした下着がしっかり畳んで服と一緒に置いてあった。
その服に着替えて、見知らぬ他人の家を男の子を探して歩き回る。
シューシューと物音のする扉をそっと開けると、青いエプロン姿の男の子が私の制服にアイロンをかけてくれていた。
「あの、ごめんなさい。色々してもらって」
「そこは、ごめんなさいよりもありがとうが良いなぁ」
アイロンをかける手を止めて、男の子は言う。
「あ、ごめんなさ……ありがとう」
「ん。ちょっと待ってて」
満足そうににっこり笑った男の子はトテトテとどこかに行ってしまった。
しばらく待つと、温かいココアを淹れて戻ってきた。
部屋の中央、灰色の毛の長いカーペットが敷かれた上にあるガラスのテーブルに置くと、座るよう促す。
「制服、洗濯の仕方がわからなかったからアイロンだけだけど良いよね?もうちょっとで乾くからそこでそれでも飲んで待っててよ」
そういうとまたアイロン台の前に座り、制服に布を当ててアイロンをかけ始める。
「慣れてるのね」
「まぁね。小学生にだって、色々あるんですぅ」
手持ち無沙汰になってしまって話しかけると、顔も上げずに男の子が答えた。
色々。
洗濯やアイロン。こんな年齢から家事をこなしているなんて、うちと同じ環境なのかもしれない。
そう思うと掘り下げて聞けなくなってしまった。
会話が、続けられない。
間がもたなくて、話題にできそうなものは何かないかと部屋を見回す。
八畳ほどの部屋は片付いていて、置いてあるのはテーブルと大型のテレビ、本棚くらいだ。
テレビは今は点いてはいない。
青いカーテンがかかる窓際のカーテンレールに私の制服のブレザーとシャツがそれぞれかけられていた。
あまりにも片付いていて、何もない。
「で、どうしてあんな所に突っ立ってたの?」
困ってしまったタイミングで男の子が聞いてきた。
「……それは……」
言えない。言えるわけがない。こんな、小さな男の子に。
自分の悩みが他の誰にも理解されないであろう事は分かるし、同情されたいわけでもない。
「……まぁ、こんな子供に話したってしょうがないよね。良いよ、無理に話さなくても」
言い淀んだ私に、自嘲気味に男の子が言うので申し訳なさがまた溢れてきた。
「お姉さん、あ、まだ名前も名乗ってなかった。僕は香月だよ。お姉さんは?」
「……夏樹。周夏樹です。」
「ハハッ、こんな子供に敬語なんて使わないでよ。……なつきとかつきなんて、僕ら姉弟みたいだね。宜しく、夏樹」
乾いたスカートが皺にならないようハンガーにかけながら、香月君が無邪気に笑う。
「夏樹は中学生?」
「……高校生。十六歳。高一」
向かい側に座った香月君が聞いてくる。
「そう。僕は十一歳。小学五年生だよ」
呼び捨てでいきなり距離を詰めてきた事に戸惑いつつ、同時に、子供ってこんなものだとも思う。
「でね、夏樹。動けなくなるくらい辛いことは、誰かに話したほうが楽になると僕は思うの」
「!」
ハッとした。いきなり、真剣な顔になったから。とても年下とは思えないような事を言うから。
「誰か話せる人はいる?」
首を横に振る。梨花にはもう頼らないと決めた。誰も、いない。
「そう。……なら、『配達人』に頼ってみたら?」