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6、拒絶

 無意識に一歩踏み出した玉城の足の下で、乾いた小枝がパキッと小さな音を立てた。まるで銃声に驚いた小動物のようにピクリと反応してリクは真っ直ぐ玉城の方を見た。その目は見開かれ、顔は天候のせいだろうか、ひどく青白い。

 玉城は構わずゆっくりとリクの方へ歩み寄った。
 自分でも驚くほど冷静だった。怒りが頂点に来ると人は逆に冷静になれるのかも知れない。そう思った。

「手、そんなに使っても痛くないのか? いや、それだって嘘だったのかもな」
 トーンの低い、冷ややかな声をリクに向けた。
「でもね、許される嘘とそうじゃない嘘がある」
 玉城が一歩、また一歩と近づくに連れ、リクも少しずつ後ろに下がる。

「俺はあんたのせいで人を信用出来なくなるかも知れない」
 リクの方に近づくに従い、穴の中の物は嫌でも目に飛び込んでくる。堪えようのない嫌悪感、吐き気が目の前の青年への怒りとなって押し寄せた。

「あんたがこんな酷いことする人間だとは思わなかった。見抜けなかった自分にもがっかりだ」
 玉城がそう言うとリクは後ずさりしながらゆっくりと首を横に振った。怯えた目。顔色はますます青ざめていった。
「……ちがう、僕じゃない。ちがう」
 リクはか細く小さな声で反論した。

「もういいよ。もうあんたの嘘は何一つ聞きたくない。よくもあんな嘘をつけたもんだよね。長谷川さんはちゃんと実在する女性だったよ。幽霊だ? ほんと、笑うよ。信じた俺も相当マヌケだけど。ねえ。後で笑ってたんだろ。あいつはすぐに騙されるバカな奴だって」
 怒りがまた別の方向に沸き立ってきた。けれどももう、止まらなかった。リクは小さな子供がするように、今にも泣き出しそうに顔を歪ませた。

「ごめん。……悪気はなかったんだ。でも……」
「でも、何? 悪気が無かったら何してもいいわけ? 人を殺して埋めて、嘘で誤魔化してもいいわけ?」
「違う! この子は違うんだ。信じて! ぼくじゃない!」
「もう信じない。あんたの言うことは、何も信じない!」
「玉ちゃん……」
 消え入りそうな声でつぶやくと、リクは一歩、また後ろに下がる。

―――通じると思ったのに。
玉城はもう近寄るのをやめてじっとリクを見据えた。

―――うち解けてもいい奴かもしれないと思ったのに。
裏切られた想いが玉城の心にどす黒い渦を巻いた。

「あんたみたいに平気で人を騙す奴は大嫌いなんだよ!」
 大声を出したとたん、近くにいたらしいキジバトが驚いてバサバサと羽音を立てて飛び去った。
 玉城の顔をじっと見つめた後、一瞬辛そうに視線を伏せ、リクはくるりと背を向けて走り出した。
 勾配の急な斜面を駆け下り、その姿はあっという間に見えなくなってしまった。玉城は追うでもなく、ただじっとその方向を見つめた。

 その穴はすぐ足元にあったが、二度と見ることは出来なかった。普通の状態ならきっと叫び声を上げて逃げ出していたに違いない。けれども今はまだ怖さより、怒りの方が勝っていた。

 ゆっくりとその場を離れながら、玉城は携帯を取り出した。そして小宮の番号を押す。すぐに老人は出てきた。
「連絡が遅くなってすみません。……ええ、見つけました。あの絵を描いた男を」

  ***

 やけに気持ちが落ち着かない。スッキリしないまま玉城は来た道を倍の時間をかけてだらだらと戻った。
 老人は泣いて礼を言ってきた。あの子が見つかるかもしれないと喜んで。玉城はリクの所在地を教え『彼に会うなら警察と一緒に』とだけ付け加えた。
 どうしてかと聞く小宮に玉城は何も答えられず、電話を切った。電源もオフにする。

 もうこの事件には一切関わりたくなかった。警察が介入すればいずれ少女の体も発見されるだろう。全て終わった。この数日間は、記憶から消そう。

“いいよ、別に。信じてくれなくても”
 不意にリクの子供のような、拗ねた声が頭をよぎった。けれどうち消すように頭をブンと振る。
 このまま来た道を辿れば必然とあの家の前に辿り着く。老人はあの後どうしただろう。電話をしてからもう40分以上経っている。警察を呼んだのだろうか。それなら家の周りは騒然としているはずだ。

 緩い勾配のカーブした坂道を下る。次第にあの家が見えてきた。予想に反してその家の周りはシンと静まりかえっていた。
 リクは何処かに逃げてしまったのだろうか。それとも老人はまだのんびり準備しているのだろうか。
あまりにも静かだ。異様なまでに。世の中から音が消えてしまったかのように。

 ドアの前まで来てしまった玉城は、その異様な静けさに恐怖すら感じた
 いや、恐怖は静けさのせいでは無かった。静寂の中に微かに聞こえる声。すすり泣くような声。リクのではない。

 誰か居るのか?
 窓から覗くことも忘れ、引き込まれるように玉城はドアノブを引いた。鍵など掛かっていない。いつものように。

 けれどそこで見た光景は今まで見たことのない、異様なものだった。
 床にひっくり返ったバケツ、散らばった絵の具と白いままのキャンバス、引き倒された椅子、割れたコップ、皿、ナイフ、床に付いた幾つもの靴痕、転がった角材。まるで部屋に迷い込んだ一匹の野ウサギを捕まえるために、大捕物をした後のような惨状だった。

 そして、その部屋の隅に白くぼうっと浮かび上がり、うずくまっている人影があった。あるはずはないのに、『あった』としか形容ができない。
微かな声を出して泣いているのはその人影だった。
「……」

 玉城は“それ”が何か、すぐに分かった。けれど頭は全力を挙げて否定しようとしている。そんなバカなものが、目の前にあるわけがない。
 恐怖と混乱が相まって、心が悲鳴を上げそうになる。

 混乱の波動が漏れたのか、その少女はゆっくりと玉城の方を向いた。もう、否定のしようがない。それは何度も何度も見てきた、あの絵の少女だった。

 少女は青ざめて固まっている玉城の目をじっと見て口を開いた。
「……どうして?」
 涙を流しているその頬も、白く細い手も体も首も、光の残像のようにぼんやり向こう側が透けている。
少女はさらに繰り返す。

「どうして信じてあげなかったの? リクはあなたを信じたのに」

 ―――リク。
 玉城はハッと我に返る。けれど声が出てこない。

「わたし、わがまま言った。リクはすごく怖かったと思う。でも、優しいから、お願い聞いて探しに行ってくれたのよ。わたしの体を」
「……」
 やはり声が出ない。だが少女の声はとてもクリアに聞こえる。

「リクはね、恐がりなの。何度私が来たってその度に怖がる。でも受け入れてくれた。
やさしいから。だから彼の周りには寂しい魂が集まる……」
 玉城の脳内は相変わらず混乱していた。

「私のせいよね。ごめんね……リク」

 けれどもただ一つ、はっきりと分かることがあった。

「あの男に見つかっちゃった……。私を殺して埋めた、あの男に……」

 ―――自分は、取り返しのつかない間違いを犯した。

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