5、嘘
とにかく玉城は混乱していた。
捕まえた「真実」は、いきなりとんでもない化け物に変化した。けれどそれがどんな化け物でも依頼者である人物に届けなければ仕事として終了しない。
『あなたの友人のお孫さんは死んでいました。その絵に描かれてるのはそのお孫さんの幽霊です』
……ありえない、あの坊主頭の窓口従業員に袋だたきにされそうだ。
では依頼通りリクの居場所を小宮に教えるだけにしたほうがいいのか。でもリクは何と思うだろう。玉城を信頼して話してくれたのに。
小宮は結局自分でリクに少女の話を聞き出し、その幽霊話を信じても信じていなくても、彼を疑うだろう。そんな話をする青年の精神をも疑うかもしれない。悪くすればイカレタ画家がすでに少女に何らかの危害を加えたのかもしれないと勘ぐるかもしれない。
じゃあやっぱりリクの話は内緒にするべきなのか。けれどそうすれば玉城のバイトは終わらず、少女の真実は永遠に家族に知られぬまま……。
考えても考えても堂々巡りで全く出口が見つからない。思い悩みながら玉城は無意識に来た道を戻り、また画廊の向かいのコーヒーショップのテラスに腰掛けた。
取りあえず小宮に電話を入れてみる。待ちわびていたのか、小宮はすぐに電話に出た。
「ああ、玉城さん。連絡が無いので心配していました。どうですか?」
不安そうな小宮の声に罪悪感を覚える。
「すみません。画廊にはまだ彼は現れなくて」
嘘はついていない。
「そうですか。申し訳ないが、もう少しがんばってください」
「はい。……あの」
「はい?」
「あの絵の作者が見つかったらどうするんですか?」
「それは前にお話したように、あの絵の女の子と私たちが捜す女の子とが同じ人物かを確かめて、もしそうならば居場所を知っているか尋ねるだけです。それだけです」
「そうですよね。……その娘さん、元気だといいですね」
言った後、自分は大バカだと激しく後悔した。
「そうですね。それを願うばかりです」
心なしか、小宮の声が少し震えているような気がして玉城は居たたまれなくなった。
「あ、玉城さん!」
「はい?」
「どうか、その人物に会っても話しかけたりしないでくださいね。絶対に。もし危険な人物だったら何をされるか分かりませんから」
玉城はその気遣いにジンとした。同時に自分はすべて知っているという罪悪感が胸を締め付ける。
八方塞がりだった。いったい、どうするのが最善なのだろう。電話を切り、途方に暮れる。ただ椅子にもたれてボーッと向かいの画廊を見つめ、ひとつ大きくため息を吐く。
と、その時。見覚えのあるスーツ姿を玉城の目は捉えた。
「ん?」
ベージュのスーツ。黒く長い髪を後ろで束ねたキャリアウーマン風の気の強そうな女性。見覚えがあるというものではない。
―――あの女は……。
「ああああああっーーー!」
真っ昼間の人通りの多い大通りで玉城は道を挟んだ向かい側のその女性を指して大声を出した。玉城の頭の中は大パニックだ。
驚いたことに、それに気付いた女の表情も見る見る変わり、眉と目をつり上げながら車道を突っ切り、こちらにズンズンと歩いてきた。
―――どういうこと?
女は更に怖い顔つきで玉城のすぐ側まで靴音を響かせながら近づくと、仁王立ちしたまま言った。
「あんた、弁護士なの?」
「は?」
女の質問が理解できない。
「べ……弁護士って何です?」
しどろもどろになりながら玉城は女を見上げた。近づくと更に、その背の高さに気圧される。威圧感がすごい。殴り合いをしたら確実に負けそうだと思った。
「やっぱり全部嘘なのね。 まあ、そんなことだろうと思ったけど。……で? なんであんたはグルになったの。リクに私のこと何て紹介されたわけ?」
凄まじい迫力に、玉城は小さな子供のように縮こまって答えた。バカ正直に。
「しつこく追いかけてくる……幽霊」
仁王立ちしたまま女は見る見る顔を赤らめ、しまいにはダンダンダンと足を踏みならした。
「今度会ったらブッ殺す!!」
もう玉城は今すぐにでも逃げ出したい気分だった。
「い、いや……そんな、物騒な。落ち着いてください」
「落ち着いて下さいじゃ無いわよ!あんたもバカじゃない? なんでそんな嘘を簡単に信じちゃうのさ。あいつの目を見たら分かるでしょ? 人を小馬鹿にして世間を舐めて、本当の事なんて何一つしゃべろうとしない。それともあんたの目は節穴なの? そんなんじゃ、いつか詐欺にでも引っかかるわよ」
初対面でこんなに罵倒されたのは初めてだった。玉城は泣けてきた。そして、かなり的を得ている。詐欺にはもう、引っかかった。
「あ……。嘘……なんですね?」
「当たり前じゃない。どこの世界にこんなハッキリした幽霊がいるのよ。あの男はね、嘘しか言えないの。根性ねじ曲がってるんだから。だからまともに人と接することも交わることもできない。自業自得よ。
いい? あいつがしゃべることは何一つ信用しちゃだめよ。信用して痛い目に合った人間は山ほどいるんだから」
「あの……あなたは?」
「私?」
女はやっと少し我に返ったように一つ深呼吸すると、ゴソゴソとバッグの中を探り、一枚の名刺を取りだした。
「私は美術誌『グリッド』の編集部部長、長谷川と言います」
「グリッド? グリッドって言ったら大東和出版の? 僕、グルメ誌でお世話になったことあるんです」
玉城も慌てて名刺を取り出す。
「へえ、ライターさんなんだ」
長谷川は興味深そうに玉城を上から下まで見回した。
「あの……長谷川さん、なんで僕を弁護士だと思ったんですか?」
「リクが言ったのよ。あまりしつこく追い回すなら知り合いの有能な弁護士に介入して貰う。あなたをストーカーに仕立て上げるのなんて簡単だって。ふざけんなってのよ、まったく」
「まさか……そんな酷いことを?」
「私はただ密着取材させてくれって言っただけなのよ。それも、あいつは一回OKして契約くれた。こっちだってそのつもりで計画してんのに。その時の記者が気に入らなかったのか知らないけど、いきなり白紙に戻されちゃってさ。穴を開けられて訴えたいのはこっちだわよ」
長谷川は鼻息を荒げて玉城に詰め寄った。
「いい? あいつは大嘘つきなの。少しでも信用したらバカを見るわよ」
それだけ言うと気が晴れたのか、長谷川はくるりと向きを変え、また車道を無理矢理突っ切ってドスドスと反対側へ渡り、あの画廊の中に消えていった。
「確かに……。馬鹿を見た気がします。 ほんと……」
玉城はぽつりと独り言を言ってみた。そして、何か決心したようにゆっくり立ち上がる。
さっきまでの迷いや狼狽えはその表情には無かった。少し怒りを含んだその目は、真っ直ぐあの路地に向けられた。
思えば『騙される』事から始まったように思う彼のこのところの不運。自分の都合や私欲のために平気で人を騙す人間に辟易していた。そんな人間は心にきっと闇を持っている。
小さな嘘を平気で重ねる人間は、大きな嘘も平気で通そうとする。
玉城はあの家に向かった。
空は次第に雲に覆われ初めていた。まだ日没にはほど遠い時間だというのに、どんより薄暗い。ケヤキの木がザワザワと、陰口を言うように乾いた葉音を立てた。
もう一度真実を聞いてみよう。その一心であの家を目指した。
進む道の先にあの小さな一件家が見えてきた。けれど急く足をいったん止め、その遙か手前で玉城は慌てて傍にあった太いケヤキの影に隠れた。ちょうどリクが家の中から出てきたのだ。
薄地のウインドブレーカーを羽織り、手には白い手袋をしただけで、何も持っていない。気乗りのしないお使いを頼まれた子供ような表情をして、リクは玉城が来たのとは反対方向へ向かって歩き出したのだ。
ふと、負の興味が沸いてきた。玉城は充分距離を取り、気付かれないようにそっと後をつけた。
***
―――どこまで行く気だろう。もう随分歩いた。
玉城は雑草と木々の間の小道を縫うように歩きながら、少し不安になってきた。自分はただこいつの気まぐれな散歩に付き合わされているだけなのだろうか、と。
たぶん、開発計画が途中で止まってしまっている場所なのだろう。繁華街からそんなに離れていないと言うのに、その一帯は広範囲に渡って人の手が入っていない雑木林だった。
しかし、この景色は何処かで見た覚えがある。
玉城は、遙か前方を何の躊躇いもなく道を選択して歩くリクの背中を見つめながら考えた。
もう、新緑の季節だというのにここの白茶けた木々はまるで冬の林のように葉を付けていない。病気か害虫のせいで枯れてしまっているのだろう。
一見何処にでもある雑木林。けれど、街から遠く離れていないために、鉄塔やビルの一部が、その枯れ木の間に見え隠れする。
そのアングルも見覚えがある。―――この景色は……。
柔らかそうな土が微かに盛り上がっている一角でリクは足を止めた。
―――そうだ、思い出した。
玉城は静かに太めの枯れ木に身を隠した。
―――あの絵の背景の雑木林だ。
一つパズルのピースがはまったような気がしたが、玉城にはその先が読めない。何か意味のある絵が浮かんでくるのだろうか。
リクは少し警戒するように辺りをキョロキョロ見渡した後、すぐ近くの木にそっと立てかけてあった、錆びの浮いた小さなショベルを手に取った。前回来たときに置いて帰った、と言う感じだ。ショベルを持ったまま彼は足元の少し盛り上がったやわらかい腐葉土を見おろした。
何をするつもりだろう。玉城は息を殺してじっと見据える。リクは玉城に気づく様子もなく、ゆっくりとショベルでその土を掘り始めた。
そこは以前に深く堀進められていたのだろう。朽ちた枯れ葉が乗せてあるだけで、青年の手によって難なく50センチくらいはすぐに掘り返された。けれど更に掘り進めようとしたショベルの先で、土がガッと硬い音を立てた。
ビクリと一瞬動きを止めたが、リクはそのまま更に勢いをつけて土を掘り返し始めた。穴を掘るのが目的というよりも、その先にあるものを求めているという感じだ。
―――いったい何を掘り起こすつもりなんだろう。
そう心の中で自問してみるが、玉城の本心はすでにある妄想に取り付かれて身動き出来なくなっていた。
行方不明の少女の絵。少女はもうこの世に居ないと仄めかし、少女の背景に描かれた景色と酷似した場所を掘り返す男。
不気味な音を立ててピースがはめ込まれていく。それはゆっくり完成系に近づきつつあった。
気温が急に下がった気がした。
リクは次の瞬間、大きな土の塊をガバッと掻き上げ少し足を取られそうになった。土と一緒に白い木の根のようなものが立ち上がる。何とか体制を整えた彼は、その穴の中を静かに見おろした。そしてそのまま、固まったように動かなくなった。
手にしていたショベルをぽとりと落とし、ただじっと項垂れてその穴の中を見ている。
玉城の位置からではその表情までは分からない。
思わず体を前のめりにして、後方からリクの掘り起こした土の中を覗き込んだ。薄暗い上に遠くて見えづらかったが、先ほど掘り起こされ、穴の中に見えた白い物体は、木の枝や根っこではなかった。
変色した布切れが、申し訳なさそうにその棒状の物質に絡まっている。
本物など玉城にしても見たことは無かったが、けれどもそれが何なのかは分かる。
人の手だ。
よく肥えた大地に取り込まれ、すっかり露わにされてしまった人間の手の骨だった。