文化祭とクリアリーブル事件⑦
数日後 放課後 沙楽学園1年5組
人のいない教室に、綺麗な夕日が差しかかっている。 それも異常な程に真っすぐで、少しの迷いも感じさせないくらいの力強い夕日が差しかかっていた。
熱くて情熱的な赤と、それに負けないくらいの元気さを感じられる橙が、見事に調和してより新鮮な色を映し出している。
誰もいない教室はとても綺麗だった。 日中は生徒がたくさんいて楽しい時間が、今はそんなことを微塵も感じさせないくらい静かなため、この時間はとても貴重だ。
だって夕日が落ちるのは、あっという間のように思えるから。 それも、儚い人生のように。
そんな一学年の教室で二人、残っている者がいた。 今日も彼は、練習に励んでいる。
「お、俺は強い、へ、兵士だ・・・。 だから今日も、俺は一人練習をする・・・」
教室で頑張って練習をし、それがクラス中に響くこの声の持ち主――――櫻井和樹は、台本から目をそらさずに、ゆっくりと丁寧に台詞を読み上げていた。
彼は少しずつだが、台詞を言うのが上達している。 すらすらとまでは言えないが、あまり噛むこともなくなった。 それに、発した言葉も聞きやすくなった。
その理由は、結人が彼との会話を積極的にしてきたからだろうか。 それとも、彼自身が頑張ったからだろうか。 とにかく結人は今日、櫻井にたくさん話しかけていた。
朝や授業の間の休み時間、そして昼休み。 できるだけ、彼に一人の時間を与えないよう。 彼と一緒にたくさん色んな話をして、慣れさせようと思ったのだ。
発声をすることに。
「ちゃんと言えるようになったな。 こんな短期間で凄いぞ」
結人は邪魔にならないよう櫻井が言う台詞の区切りがいいところで、そう口を挟んだ。 結人も今、教室にいる。 つまり今は彼と二人きり。
部活をやっている生徒以外はもう既に下校をしていて、教室に残っているのは結人たちくらいだ。
彼が放課後一人で練習をするというから、その練習に付き合った。 『一人でいいよ』とも言われたが、一人で残って練習は何か寂しいと思ったため、自ら残ったのだ。
他の結黄賊のみんなはというと、今頃だといつもの公園へ行ってダンスの練習をしているだろう。
だが――――『俺は今日は行けない』と言ったら『夜でもいいから一緒に練習をしよう』と言われた。 だから18時に、公園に集合することになっている。
藍梨は丁度廊下ですれ違った夜月に任せておいた。 最近はクリアリーブル事件が気になるところだが、そんなことに構っている暇もなくみんなとは夜に集合することにしている。
文化祭までのカウントダウンは刻々と進んでいるし、その事件がもしクリアリーブル内での抗争であるのなら、結黄賊には被害は出ないと思ったからだ。
「ありがとう、色折くん。 こんな、時間まで・・・付き合わせ、ちゃって」
「いいっていいって。 頑張っている櫻井を、一人にしておくわけがねぇだろ」
櫻井も結人と会話をすることに少し慣れてきたようで、ゆっくりだが噛まずに自分の思っていることを口に出せるようになっていた。
まぁ、いつもからかわれている男子から急に声をかけられると、相変わらずおどおどした態度に戻ってしまうが。 時計を見ると17時を過ぎていた。
いつの間にか二時間くらい練習をしていたということになる。 櫻井を見ると丁度区切りがいいようなので、そんな彼に向かって優しい口調で口を開いた。
「もう遅いから今日はそろそろ帰ろうか。 最近の立川は物騒で危ねぇから、俺が家の近くまで送ってやるよ」
その言葉に迷いながらも彼は了承し、一緒に帰ることに決定する。 これも人とコミュニケーションを取るための練習だ。 そして二人は教室を出て、昇降口へと向かった。
次に内履きから外履きに履き替え、正門へ向かう。 この流れはいつもとは変わらないが、一つだけ違うことがあった。 それは当然、隣にいる者だ。
いつもなら結黄賊メンバーや藍梨がいるはずだが、今日はいつもと違って櫻井がいる。 そんなことに違和感を少しだけ感じつつ、結人は空を見上げた。
空の色は薄暗くなっていて、夕日もほとんど落ちかけている。 できれば日が全て落ちてしまう前に、彼を家に帰したい。 また、帰宅中は櫻井自ら口を開くことはなかった。
だがそれは仕方ないと思っている。 まだ結人が、彼に対して努力し切れていないということなのだから。
「櫻井はさ、どうして主役を引き受けようと思ったんだ?」
ずっと黙り続ける彼に、結人からそっと口を開いた。 話す内容でいいものが思い付かなかったため、彼に合わせて劇の話題を振ってみる。
すると彼は、ゆっくりとした口調でこう口にしたのだ。 結人はその返事が来るとは思ってもみなく、思わず返しに詰まってしまった。
「・・・俺、ってさ。 ・・・いつも、こんな感じじゃん? 人と、あまり上手く話せなくて・・・。 自分の思っていることも、上手く、相手に伝えられなくて・・・」
「・・・え?」
「いつも俺は、そんな、感じだから・・・。 だから、周りの男子にたくさんからかわれたりして・・・」
「・・・」
―――櫻井は、自分でも自覚していたんだ。
いつもならここで『そんなことないよ』などと言うのだが、この時の結人は否定することができなかった。 その理由は、自分でもよく分からない。
本当はここで何か言わないと、相手に悪いということは分かっているというのに。 だがきっとこの時の結人は、こう考えていたのだ。
ここで櫻井の発言を否定してしまうと、自分は彼のこと全てを否定してしまうような気がしたから。 だから結人は、そう答えることができなかったのだ。
こんな時にまともな返事ができない自分に、腹が立った。
だが櫻井は、結人が勝手に自分に対して苛立っているのをよそに、自分のことについてゆっくりと語り続ける。
「・・・俺、いつもそうなんだ。 小さい頃から・・・そうだった。 いつも周りからからかわれて、でも俺は、ちゃんと自分の意見が言えなくて・・・。
そのせいで、彼らはまた俺をからかってくるっていうことは、分かっていた・・・。 だけど、俺・・・こんなん、だから・・・。
頑張って自分の意見を言おうとしても、いざ人を目の前にすると・・・言えなく、なっちゃって・・・」
「・・・」
「そんな自分が、嫌だった・・・。 せめて人とちゃんと話せるように、頑張ったりしたけ、ど・・・。 やっぱり、無理で・・・。
だからもう、諦めようと思ったんだ・・・。 俺はもうずっとこのまま、こうなんだなって・・・。 だけど・・・文化祭が近付いた時に、俺は思ったんだ。
『主役をやれよ』って、周りから言われて・・・。 本当はそんなことできるわけないって、自分では分かっていたけど・・・。
だけど、もう一度頑張ってみようかなって・・・。 これで、最後にしようって・・・。 俺のせいで、劇が失敗したら、もう本当に諦めようって・・・。
だから、この主役が、最後のチャンスだと思った、んだ・・・」
「・・・そっか」
「何か・・・ごめんね。 色折くんに、こんなどうでもいい話を、しちゃって・・・。 迷惑、だったよね・・・」
「そんなことねぇよ」
「え・・・?」
自虐的に笑う彼に、やっと否定の言葉を返すことができた。 その発言には迷いもなく、結人も彼に言う言葉をちゃんと考えることができたから。
「め、迷惑・・・だった、でしょ・・・? ほ、本当に・・・ごめ、ん・・・」
結人が無表情で急に否定をしたからか、櫻井はそんな結人に怖気付いて再びおどおどとした口調に戻ってしまった。
そんな彼をフォローするように、無表情から優しい表情に変え丁寧な口調で言葉を発する。
「そんなことねぇよ。 だって・・・櫻井は今、俺に向かって思っていることをちゃんと言えたじゃないか」
「・・・え?」
「櫻井は、お前が思っている以上に上達してきているんだ。 話す言葉も聞きやすくなったし、自分の意志も今みたいに言えるようにもなった。
櫻井は頑張っているんだよ。 自分じゃそうは思っていないかもだけど、俺は今日一日櫻井をずっと見てきた。 昨日だって、その前からだって。 俺はお前の頑張りを知っている。
だから、櫻井はもう十分なんだ。 十分頑張って、その結果がちゃんと出ているよ」
「色折・・・くん」
「だから。 これからも俺と一緒に、頑張っていこうな。 櫻井なら、絶対主役をやり切れるからさ」
そう言って、櫻井に笑顔を見せた。 今までの発言に不安を一切与えないよう、とびっきりな笑顔を。
「う、ん・・・。 ありがとう、色折くん」
そう言うと、彼も結人と同じように笑ってくれた。 少しずつだが、彼の笑顔も本物に近付いている。
そして櫻井の家付近まで着くがまだ心配だったため『家まで送る』と言ったが『ここまでで大丈夫』と言われたので、ここで別れることになった。
「じゃあ、また明日。 今日は最後まで、俺に付き合ってくれて・・・ありがとう」
「おう。 また明日な」
櫻井と別れ、このままの足でみんなと待ち合わせの公園へ向かう。 そんな中、再び櫻井について考えていた。 彼は確実に上達している。
結人に対しても気持ちを打ち明けてくれるようになり、とても嬉しく感じた。 それと同時に彼は結人の中で、特別な存在になっているような気もした。
これからもこのまま、櫻井をからかう奴らに負けないくらい、強くなれたらいいのだけれど。
時間を見ると17時50分。 公園に着くには丁度いい時間だ。 そしてダンス曲を聴こうと、携帯をポケットから取り出した。
その瞬間、着信音が静かなこの場に大きく鳴り響く。 電話の相手は――――コウ。
―――コウから電話?
―――珍しいな。
結人はコウから連絡が来たことに素直に嬉しく思った。 だってあの彼が、自ら自分に助けを求めてくれたような気がしたから。
「もしもし? コウか? どうしたんだよ」
櫻井とも少し打ち解けることができたし、コウ自身から連絡が来たということによって、機嫌がいいまま電話に出る。
だが次に彼が口にした言葉は、結人のこの幸せな気持ちを一瞬にして消し去るようなものだった。 だが確かに、コウから結人に助けを求めるような内容ではあった。
だけどその助けを求めるような内容は、結人の想像をはるかに超えていたのだ。 そして――――コウは電話越しから普段よりも低いトーンで、静かな口調でこう口にした。
『・・・椎野が、やられた』