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再会10

 翌朝目を覚ますと、毎度の様に横で寝ているプラタと朝の挨拶を交わしてから、抱き着いたままのシトリーを剥がしにかかる。しかし、これも直ぐにシトリーが目を覚ましたので、シトリーとも朝の挨拶を交わして離れてもらう。
 起床後は、寝床にしていた集めた空気を霧散させて、朝の準備を行う。準備と言っても着替えたり顔を洗ったりなので、特段珍しい事は必要ない。
 それらを済ませてから、一度自分に目を落として身だしなみを確認した後、プラタとシトリーの声を背に自室を出ていく。
 今日も教室で座学らしいが、内容については聞いていない。特に変わった事はしないと思うので、わざわざ聞く必要も無いのだが。
 自室の在る寮を出ると、そのまま教室へは直行せずに、まずは食堂を経由する。
 上級生寮側の学舎に併設されている食堂は、木製の長机と椅子が整然と並ぶ地味な内装の場所だ。
 その食堂は、上級生寮が近い事もあり、主に二年生以上が使用する食堂である。別に一年生が使用してもいいのだが、二年生以上が主に使用するので使いづらいという雰囲気があり、余程のことがないとこちら側の食堂に一年生が顔を出す事はない。
 では、一年生はどこで食事を摂るのかと言うと、反対側とでも言えばいいのか、少々離れた場所にここよりも大きく立派な食堂が併設されており、数の多い一年生は主にそちらを利用している。こちらの食堂と区別するために、大きい方の食堂を大食堂と呼ぶのが一般的だ。
 大食堂を二年生以上が使用する事も出来るが、朝は寮に近い食堂を利用している。それに、二年生以上は学園に居る事が少ないので、食堂内が結構静かなのも気に入っている。
 ボクはその食堂で一口大のパンを一つと水を少し貰って、手近な席に腰を下ろしてそれを食す。
 貰った朝食の量が少ないので、直ぐに朝食を食べ終える。これぐらいでも十分なので楽でいい。食べ終えると、使った食器を返却して食堂を後にした。
 食堂を出て学舎に入ると、廊下を進み目的の教室を目指す。
 似たような配置で並ぶ教室を横目に廊下を進んでいると、暫くして目的地に到着する。食堂の反対側の三階部分に在るその教室は、前面の壁際中央に在る教壇を囲むように曲線を描く階段状の床が在り、その床には長椅子と椅子が置かれている。
 五六十人は入れそうな広いその教室には、誰の姿も無い。ただ、窓だけは開いているようで、外から涼やかな風が入ってきている。
 ボクは教室に入って扉を閉めると、最上段の扉近くに腰掛けて窓の外に視線を投げた。

「ここは長閑なものだな」

 今の平原も安定はしているが、各所で戦闘は勃発しているので、ここほど平穏という訳ではない。ま、防壁の内側なのだから、平和なのは当然ではあるが。
 それでも、魔物の姿をみないというのは、駐屯地に長く居るから少し不思議な気分だな。
 揺れている木の葉を呆然と眺めながら、時間が来るのを待つ。そうして待っていると複数人がやって来るのを捉えたが、どうやら隣の教室に用があったようで、こちらには入ってこなかった。
 それから程なくして、教諭が教室に入ってくる。それは髪を短めに切り揃えたふくよかな中年の女性で、親しみやすそうな笑みを浮かべている。

「それじゃあ始めるわよ」

 女性にしては少し低い声ではあるが、安心させるような響きがある声だ。

「今回は平原に築かれている砦の話と、五年生で向かう南の平原に出没する敵性生物の話をするわね」

 教諭はそう切り出してから話を始める。
 しかし、内容に目新しいものは無く、防衛としての砦やその配置についてと、生徒手帳に書いてある敵性生物の話だけであったが、それでも懇切丁寧に説明されれば結構な時間を必要とするので、説明が終わった頃には昼になっていた。
 久しぶりに教室から一番近い大食堂に移動すると、もうすぐ昼過ぎだというのに、そこには一年生が大勢残っていた。時期的には大分減ってきたはずだが、今回の一年生は優秀なのか、それとも進級できない一年生が多かったのか。
 その辺りは不明ではあるが、よく見れば二年生と三年生の姿が見受けられる。しかし、四年生以上となると、誰も居なかった。
 それでも、おしゃべりや食事に夢中なようで、変に注目されるような事はない。制服に入っている線以外は同じ制服だからな。線もそんなに目立つモノでもないので、よかった。
 大食堂内はそこそこ賑わっては居るが、昼が過ぎているので食事を取りに行く人数は少ない。なので、食事の受け取りは直ぐに終わる。
 食事を受け取った後は、適当な席に腰掛けて、さっさと食事を終わらせてから食器を返却して、自室のある寮へと移動を開始する。今日はこの後クリスタロスさんのところへ転移して、訓練所で研究の続きを行う予定なのだ。
 授業が終わり、今日やるべきことは済んでいるので、足取りも軽い。早く自室に戻ってクリスタロスさんのところに転移したいな。研究の続きを早く始めたくて、ここで転移装置を起動したい気分だが、流石にそれは色々と不味いので、ここは早歩き程度で我慢するとしよう。
 早歩きで寮の自室に戻ると、プラタとシトリーに迎えられて室内に入る。
 室内に入り一息吐くと、お守りのような形の転移装置を取り出す。今回はプラタとシトリーも一緒に向かうので、二人が効果範囲内に居るのを確認してから転移装置を起動させた。

「いらっしゃいませ。ジュライさん」

 転移すると、いつもの様にクリスタロスさんに出迎えられる。その際、袖に隠れて見えないはずの右の手首に付けた腕輪へと視線を向けたクリスタロスさんが嬉しそうに僅かに笑った気がした。
 そのまま軽く挨拶を交わすと、四人揃って移動する。それにしても、相変わらずクリスタロスさんはプラタとシトリーのことを避けているのだな。天使と妖精と魔物の間に一体何があったのかは知らないが、仲良くして欲しいものだ。とはいえ、これはボクが口出しする事ではないからな。
 そう思いつつ移動する。とはいえ、プラタとシトリーが来ることを拒んでいる訳ではないので、これは気長に待つしかないのかな。
 岩肌がむき出しの殺風景な廊下を移動して、クリスタロスさんが普段過ごしている少し広い空間に出る。
 プラタとシトリーと三人それぞれ椅子に腰かけて、お茶を淹れてくれる為に奥へと下がったクリスタロスさんを大人しく待つ。
 少しして、クリスタロスさんがお盆に載せて湯呑を三つ持ってきた。
 その湯呑をボク、シトリー、クリスタロスさん自身の前に置く。
 プラタは身体が人形なので飲食が不要ということで、お茶は必要ないことを事前に伝えている。なので、プラタの分は用意されない。シトリーは飲食は必要ないが出来ない訳ではないので、用意されていた。それに、シトリーは毎回ちゃんと出されたお茶を飲み干している。
 そんな用意されたお茶を飲んで口を潤すと、雑談を始める。とはいえ、昨日様々な話をしたので、本当にお茶を片手に軽く言葉を交わす程度だ。
 それを見越して用意されたお茶もぬるいので、直ぐに飲める。これは事前にお湯を冷ましていたのかな? 来る時間帯は大体決まっているとはいえ確実ではないのだが、気を配るというのはこういうことなのかもしれない。
 雑談を終えて、残ったお茶を一気に飲み干すと、クリスタロスさんに許可を貰って、クリスタロスさんの案内で訓練所へと移動する。
 さて、今日も少しは進展があるかな? シトリーに新しい情報を訊いてみるか。そういえば、忘れないうちに彫刻の為にプラタの姿も確認しておこう。





「くくっ」

 月の無い夜よりも、深い森よりも、ダンジョンの中よりもなお暗いそこに、少年の小さな笑い声が響く。
 静寂が支配するそこには、他の音は何も無い。

「くくくくく。感情というものは実に愉快なモノだな」

 少年は暗闇で楽しそうに笑い声を零すも、その顔にはほとんど感情らしいモノは浮かんでいない。唯一口角が僅かに釣り上がっているも、笑っている様には欠片も思えない。

「なるほど、なるほど。あの激情以外にもこういったモノを皆は味わっているのか。知識としては知っていたが、怒りばかりではないのだな」

 自分の身体を確かめるようにしながら少年は幾度も頷くと、そのまま目を闇の奥へと向ける。

「それにしても、大分これも制御できるようになってきたな。まだ完全ではないが、ここまで制御できれば問題はないだろう」

 少年は闇へと向かって火の魔法を放つ。闇を赤い光が照らしていくも、そこには払いきれない闇が溜まっているだけで、他には何も確認出来ない。

「この状態でも魔法の方は問題ない。他のも試してみるか」

 そう少年が呟くと、足下の闇から石で出来た椅子が現れる。

「ふむ・・・まぁ、問題ないか」

 少年はその椅子に腰かけ、思案するように腕を組むと、瞑目して黙考する。

「・・・・・・あとは・・・いや、その前に、星幽界へと干渉出来るかも試してみないといけないな。それが出来ないのであれば、これは不要なモノになるのだから」

 暫く思案していた少年は、そう口にしながら目を開けると、組んでいた腕を解いて、徐に右手を虚空へと伸ばす。その伸ばした手の先が闇の中に溶けていくように姿が消えていく。

「ふむ。どうやら問題はないようだな。これぐらいの感情なら影響はしないと。それならば、このままでも大丈夫だな」

 納得した少年が椅子から立ち上がると、それに呼応するように椅子は闇の中に沈んでいく。

「もう少しこの感情を制御出来るようになったら、外に出てみるのもいいか。それとも、完全に制御出来るようになってからの方がいいだろうか? ふむ。まだあれが自分の肉体を所望するには時間が掛かるだろうから、制御に集中して問題なく行えるようにしておくか。もう少ししたら、めいに会いに行くのもいいな。どうやら色々と動いているようだから、大分成長もしただろう」

 少年は小さく笑うと、軽く目を瞑り、己が内にうねる激情を少し開放していく。それだけで今すぐにでも暴れたいような衝動が内より湧き起ってくる。

「ああ、やはりこれは完全に制御してしまわないといけないな。この感情に身を任せてしまっては人間界を、いや世界を消し飛ばしてしまいそうだな」

 少年は思わずといった様子でくつくつと笑うと、先程よりも感情が表れている表情を浮かべる。それは確かに笑みではあるが、寒気のする黒さが滲む笑みであった。





 夜中に研究を終えて訓練所を出ると、クリスタロスさんにお礼を述べてから自室に戻る。
 自室に戻った後はお風呂にでも入ろうかと思い、シトリーをプラタに預けて一人浴室に移動する。
 浴室は、玄関から簡易台所を通る途中の廊下を曲がると、直ぐに両側に扉がある突き当りに行き着く。その両扉の片方が浴室で、その反対側が手洗い場だ。
 その浴室の方に入るが、自室には浴室は在っても脱衣所は無いので、浴室で服を脱いで魔法で清潔にしてから情報体に変換して収納していく。脱ぐ必要は無いのだが、こういう時にこの収納法の有難さが身に染みる。
 ジーニアス魔法学園の寮だけあって、ここの浴室ではお湯が出るのだが、魔法の訓練も兼ねているので、魔法を使ってお湯は自分で用意する。
 まずは浴槽に水系統と火系統を併用して創ったお湯を張って用意すると、同じように用意したお湯で身体を洗い流していく。
 それが済むと、浴槽に張ったお湯に身を沈める。

「うーん。とりあえずプラタの現在の姿は観察できたから、彫刻の方は問題ないとして、研究の方はイマイチ進展しなかったな」

 ナン大公国の研究所の方は少し変化があったようだが、それでもそこまで大きなものではなく、更に少し人が増えたぐらいのもの。研究の役に立ちそうな情報はなかった。
 研究自体も、絵を除いて縮小した状態で描く模様というのは上手くいっていない。何か噛み合わない感じがするんだよな。それが何かは分からないが、もしかして増幅記号みたいなモノが他にも存在しているのかもしれない。もしそうだとしたら、そちらを探す事から始めるべきなのだろうか? そう思うも、手掛かりが何も無い状態で探すのはかなりの労力と時間を要するので、あまりやる気にはなれないが。

「何か切っ掛けでもあればいいんだがな」

 増幅記号の時のような、何か進展するきっかけがあれば楽なのだが、そうそうそんなモノが転がっている訳もない。運がよければ、研究していたらどこかで偶然見つかるものなのだろう。

「・・・難しいものだ」

 だからやりがいもあるのだが、それでも長いこと進展がないというのは思うところがある。今はまあ問題ないが、それでもいつかはそうなりそうだな。
 こうなったら別の系統の魔法を試してみるべきだろうか? それもひとつの手ではあるが、どうしよう。

「うーーーん」

 お湯に浸かりながら、漫然と天井を眺める。湯気が薄っすらと視界を塞ぐが、遮るほどではない。

「判っている事は、関連性というか、発現魔法に対する統一性が大事な事。効率のいい大きさが決まっている事。配置も決まっている事。総じて何かしらの形が既に存在している事かな。その形が判れば一番いいのだが、それはほぼ不可能だろう」

 それこそ手探りも手探りで探して最後に辿り着く場所だろう。決まった形とは、つまりは完成形なのだから。

「むぅ。解ってはいたが、実際にやるとかなり難しいな。その分楽しいからいいのだが」

 あれでもないこれでもないと思考を重ねていく様は、一歩一歩果てなき道を進むような感じがする。終点がみえないというのは中々に辛いものがあるが、その分挑みがいがあるというものだ。

「さて、そろそろお風呂からあがろうかな」

 十分以上に温まったので、のぼせない内に上がるとしよう。
 浴槽に張ったお湯を捨てて、浴室を洗った後に乾燥させる。ついでに自分の身体も乾燥させてから、服を構築と同時に身に纏えば完成だ。あとはそのまま浴室を出ればいい。
 浴室を出て部屋に戻れば、部屋には座ったまま待っていたプラタとシトリーの姿があった。シトリーはプラタに肩を掴まれていたが、ボクが部屋に入ると、プラタはその手を離してシトリーを開放する。
 それで自由になったシトリーは、立ち上がりこちらへと駆けてくると、勢いよく抱き着いてきた。
 抱き着いてきたシトリーの頭を撫でつつプラタにお礼を述べると、その後は就寝準備をして寝る事にする。窓の外へと向けた視線の先では、夜空に浮かぶ三日月が地平へ向けて降りていく最中であった。





 太陽が昇り、人々が活発に動き出した頃。昼になるには今少し時間があるその頃に、来訪者があった。

「はーい。どなたですか?」

 扉越しに誰何の声を上げた女性に、扉の先からきびきびとした男性の声が返ってくる。

「こちらは、ウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様の御実家でしょうか?」

 その言葉に、一瞬女性ははてと首を傾げたものの、直ぐに自分の娘が現在名乗っている名だと思い至り、その声に返事を返した。

「どちら様でしょうか?」
「申し遅れました! 私クロック王国所属、ウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様直下の部隊所属の者です。こちらにウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様よりの書状をお持ちいたしました!」

 大声という訳ではないが、はっきりとした声だから、扉越しにでもやけにしっかりと聞こえるその声に、女性は意を決して扉を開く。
 扉の先では、深い青色の帽子を被り、同色の制服を少しの油断もなくきっちりと身に纏った、年若い青年が立っていた。年の頃は二十そこそこだろうか。
 女性が顔を出すと、青年は脱帽して、そのごま粒の様に刈り上げた頭を下げてから、改めて自分の所属と目的を伝えた。

「それで、その書状というのは?」

 青年の勢いに少々気圧されながらも、女性は自分の方の素性を伝えてから、青年にそう問い掛ける。すると、青年は懐から丁重に便箋を取り出し、両手に持って女性へと差し出す。
 その大仰ともとれる所作に多少困惑しつつも、相手に合わせて丁寧に便箋を受け取った女性は、青年に一言断ってから中身を確認する。それは確かに娘の字で書かれた手紙であった。

「確かに娘の手紙ですね。では、『分かりました』 と伝えてくださいますか?」
「責任をもってお伝えいたします! それでは、私はこれにて失礼いたします!」

 女性の言葉に青年はしっかりと頷くと、一礼してから着帽して、踵を返して帰っていった。
 暫く玄関先でそのきびきびとした背を見送った女性は、家の中に入り扉を閉めると、確認の為に手元の手紙を改めて読み返す。

「近いうちに一度帰ると言ってもね。どうもてなせばいいのやら」

 現在の娘の身分を思い、女性は困った様に息を吐き出した。





 翌日もいつものようにプラタと挨拶を行い、シトリーを剥がして挨拶を済ませてから朝の支度を済ませていく。その後に二人に見送られながら寮を出た。
 寮から食堂を経由して教室に移動して、教室で独りきりで時間まで待った後、昨日と同じ女性教諭の授業を受けてから自室に戻る。そこまでくれば、後は三人でクリスタロスさんのところに転移するだけだ。

「いらっしゃいませ。ジュライさん」

 聞き慣れた声と言葉でクリスタロスさんに出迎えてもらい、場所を移す。
 そのまま昨日と同じ様にお茶を片手に雑談。という訳ではなく、今日は直ぐに訓練所を貸してもらう。
 クリスタロスさんの先導で転移した場所から直接訓練所へと赴き、クリスタロスさんが訓練所を出ていったのを確認してから、研究の準備に入る。
 準備と言っても、空気の層を敷いて座るだけだが。彫刻だったら小刀や素体となる串刺しウサギの角を用意する必要があるが、研究は土の上に魔力を込めて線を書いていくだけなので、特に用意らしい用意が必要ない。強いてあげるなら、腕輪に時間を設定するぐらいか。
 薄く敷いた空気の層の上に座ると、早速魔力を込めた指を土の上に滑らせていく。
 今回はいつもの火系統の魔法ではなく、水系統の魔法の模様を描いていくことにする。系統によって関連する文字や記号・絵なんかが変わってくるからな。もっと言えば、同じ系統でも、発現を目指す魔法で変わってくる。同じ水系統の魔法でも、発現させる魔法の種類が変われば、使えない文字や記号・絵なんかが存在するのを確認している。
 その辺りの調査もしたいが、如何せん調べることが多すぎて、現状その辺りまで手が回っていない。
 この模様による魔法の発現に関する研究は始めて日が浅い。最近やっと自分なりの模様で魔法が発現出来たばかりだ。それも元々魔法が発現していた模様を手直ししただけという、とてもではないが胸を張って自分が見つけたとは言えない代物なので、ほとんど何も成せていない訳だ。
 そんな状態でありながら、付加や付与の代替となり得る方法を模索したり、新たな記号なり絵なりを探していたりとしているのだから、それに加えて特定の魔法に対して使える文字や記号に絵、使えない文字や記号に絵を調べるなど、正気の沙汰ではないだろう。
 なので、今は偶然の発見に期待するしかない。それか同じモノを研究しているナン大公国の研究成果が手に入るのを期待するぐらいか。
 他人の研究を盗み見なければならないとは何とも情けない話ではあるが、そうでもしなければ手が回らない。研究とは、多大な労力と時間が必要になってくるからな。あまり公表しないので、それで許してほしいものだ。
 そんな利己的な言い訳を内心でしつつ、思い立った組み合わせで模様を描いていく。

「うーん、ここはちょっと反応が鈍いな・・・もう少し強く反応してくれないと、上手く繋がらないか」

 腕を組んで思考するも、そう簡単に答えなど出る訳もなく。
 昼頃から思案を続け、何の進展もなく既に夕方。そろそろ日も完全に暮れようかという時間になって、一息吐いた。

「ああ、そうだ」

 設定した時間まではまだ余裕があるが、それでも念の為に腕輪の設定を切っておく。
 それが済むと、気分転換に串刺しウサギの角を束ねたモノを構築する。

「少しぐらい切り出しておくか」

 小刀では彫らず、風の刃で大雑把に削っていく。そこまで大きくなくてもいいので、余裕を持って余白部分を切り取っていく作業を数秒で終わらせると、それを観察する。

「こんなものか」

 周囲の切り出した際に出たくずを掃除して、手元の素体を情報体に変換して収納した。

「さて、今日はそろそろ終わろうかな」

 特に閃きも無いようなので、今日はもう切り上げることにする。自室に戻って彫刻・・・をするならここでしても同じか。そう考えれば、別に今ここで彫刻をしてもいいか。帰ってもお風呂に入って寝るぐらいだからな。
 そう思い至り、腕輪に時刻を再設定してから、再度先程収納した串刺しウサギの角を構築していく。その後に小刀を構築してから、そんなに時間も無いので、早速作業を開始した。





「さて、今日も研究をするかな」

 ジーニアス魔法学園に来て四日目。三回目の授業も終えて、四年生での授業をすべて無事に終える事が出来た。
 後は明日の早朝に列車に乗って帰るだけだが、その前日の今日の午後はまだ自由時間なので、今日も今日とてクリスタロスさんのところで訓練所を借りて、模様の研究をしていた。

「たまには配置も変えてみるか」

 配置がほぼ固定となっていた記号などを配置転換してみる。しかし、それでは逆に形が崩れてしまい、上手く機能してくれない。

「うーん、反応が鈍くなるんだよな・・・」

 元々、試した中で最も反応がいい配置であったので、それを崩してしまうと連鎖反応が弱くなってしまうのは、当然といえば当然の結果ではある。しかし、もしかしたらと多少の期待が在ったのも事実だ。他の記号などとの関係全てを調べた訳ではないから。

「小さくするには、この状態でもそれなりに強い反応が必要なのだが」

 直径一メートルほどの模様に目を向けながら、あーでもないこーでもないと試してみてはやり直していく。
 そんなことを何度も何度も繰り返していくうちに時間が経過して腕輪が振動する。
 それで区切りとして立ち上がると、片付けを済ませて訓練所を後にする。結局、今日も大した進展もなく、研究を終えることとなった。





 翌朝は早朝から列車に揺られて東側駐屯地に戻っていく。
 久しぶりに列車への乗客はボク一人だったので、列車内ではプラタやシトリー、フェンにセルパンの四人と一緒に情報交換や雑談を交わしながら過ごした。
 それから三日掛けて東側駐屯地の最寄りの駅舎に到着すると、そのまま駐屯地に移動し、宿舎には寄らずに直接東門へと移動する。
 今日からは五年生に進級するまでずっと平原での討伐任務なので、楽といえば楽だ。規定討伐数は既に達成しているし。
 東門前に平原に出る生徒や兵士達が続々と集合してくる。
 程なくして時間となり重々しい音と共に東門が開かれると、集まった大勢の生徒や兵士達と共にその門を潜り、大結界を通る為の指輪で平原との道が開かれ、そこを通って平原へと出ていく。
 平原に出ると、各自好きなように移動を開始する。ボクも他の者と同じように移動を始め、南側を目指す。

「さてと、どうしたものか」

 現在の東側平原は安定している。魔物は活発に動いているものの、それに対する人間の数が多いのだ。それに大結界は強固なものに変えたので、破られる心配はかなり少ない。
 それでいて時々強い人間、クロック王国とハンバーグ公国の最強位や、オクトとノヴェルの二人などが混ざっているので、危なげなく対処している。つい先日ペリド姫達がユラン帝国へと戻ったが、その程度であれば、今の東の平原では問題にならないようだ。少し前だったら大変なことになっただろうが。
 なので、正直やることがない。ボクが居なくともここの安定は変わらないし、魔物もそんなに襲ってくる訳でもない。勿論、東の奥へと進んでいけばその限りではないし、魔力を垂れ流しても魔物は反応する。
 しかし、わざわざそんな事をする必要性も無いので、大結界近くをこそこそ通って、のんびり散歩をする予定だ。
 とはいえ、何もしないというのも気が引けるので、時折近くに居る魔物をこっそりおびき寄せて狩っておく。

「うーん。折角独りなのだし、東の森に行ってみるというのもありか?」

 散歩しながらそんな事を思う。もう監督役が付いていないので、好き放題しようと思えばできる。人の目ぐらいはどうにか隙を衝けば何とかなると思うし。
 しかし、東の森は八年生からだし、何よりボクが行ったからといって何か解決する訳でもない。なので、ここは大人しくしているとしようか。

「ふぁ。っ! ・・・しかし、暇だ」

 思わず欠伸が出てしまい、慌てて口を閉じる。流石に欠伸をしているところを見られるのは何かとよろしくない。大結界近くなので、防壁上からも視線が在る訳だからな。
 まぁ、変わり映えのしない防壁と平和な平原を、温かな陽の光の下でのんびりと歩いているのだから眠くもなるというもの。ここの光景も、割と見慣れた光景だしな。

「・・・・・・んーー・・・ん?」

 そう思いつつ、漫然と周囲を眺めていると、少し東門から離れていた内に少々配置が変わったのか、見慣れない制服に身を包んだ学生がやたらと目に入るよになった気がする。
 その制服も様々な種類があるが、どれも真新しい感じがする。制服に身を包んでいる生徒もまだ幼い気がするので、入学したての学生に経験を積ませているのだろうか? よくよく見てみると、集団の中や少し離れたところに複数名の生徒か兵士が見守っているのが確認できた。

「・・・育成かな? ということは、あれらは全てハンバーグ公国の学生なのかな?」

 まあ多分そうなのだろう。今回の騒動を受けて、急遽若手育成を強化したといったところか。それも従来の段階を踏んだ育成法ではなく、実戦経験を重視した早期育成が目的かもしれない。
 大結界近くはそこまで魔物は多くはないし、大結界が頑丈になったので、見逃したところで痛痒はない。それでいてお守り付きなのだから、楽なものだろう。何なら事前に間引いて魔物の数を減らしてしまえばいい訳だし。

「ジーニアス魔法学園のダンジョンよりは優しいな」

 お守りもなしにいきなり魔物蔓延るダンジョンに放り込むのだから、あれは割と鬼畜の所業だろう。いくら安全装置として死ぬ前に入り口まで転移させるようになっていようとも、不完全な為に毎回少なからず死者を出している。それも二つ目、三つ目と進むにつれ生存率は落ちていくのだからたまったものではない。

「まぁ、おかげであそこの学生は優秀な部類に入るのだが」

 死の猛威を掻い潜ってきた者達なのだから、それなりの強さや技術、胆力があった。ただし、それでも少数ながら平原で死者を出してはいる。そういえば、森に入るようになったら半分以上が死ぬという話を聞いたことがあるが、それも今は関係ないだろうな。

「・・・・・・だからこそ、兄さんは異常なんだよな」

 本当に微かにだが記憶に残る兄さんの幼少期、それは異常の一言に尽きる。何せ、齢一桁で既に森の先にまで出ているのだから。それに、多分この霞む記憶の相手が正しいのであれば、ドラゴンとも対峙している事になる。

「はは。今のボクでも勝てるかどうか微妙な相手だよな」

 前にロロ・ロウ・ジーン殿との戦闘では、消耗していたとはいえ自力では勝てなかった。しかし、今なら危なげなく勝てるだろう。それでも、おそらくロロ・ロウ・ジーン殿はドラゴンの中でも下の方に位置する、所謂低級のドラゴンだと思うので、兄さんが戦ったと思われるドラゴンの質如何によっては、今のボクでもなんとかいけるだろう。
 それでも、今の兄さんであれば、ドラゴンの王ですら相手にならないのだろうという確信があるので、いくら半ば諦めているとはいえ、改めてその高さに目眩がしそうだ。本当に、遠いものだ。

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