5.青玉の剣士
「見て見てペルル! この子ったらもうこんなに高い所まで飛んでるわ!」
「あ、あまりにも危険な高さまでの上昇はおやめ下さい! 自分、意識まで飛んでしまいそうです……‼︎」
私達の眼下に広がる豊かな緑。
見渡す限りの青空と、気持ち良さそうに風に流れる白い雲。
私とペルルは今、空を飛んでいる。
そう、あの白竜の背に乗りながら──!
私が持つ『王の魔眼』は、あらゆる魔族や魔物の心を掌握する支配の力だ。
魔王であるお父様はその力をもって魔族同士のいさかいを止めたり、時々やって来る命知らずの反逆者を追い返している。
けれども私は、まだまだ未熟な魔王のタマゴ。例えば、ペルルのような幹部クラスの高位魔族の支配なんて、自分の思い通りになるか分からない。
高位魔族は、他者の魔力に対する抵抗力が高い。
ちょっとした呪いを掛けられても効果は出ないし、催眠魔法や魅了魔法なんかも怖く無いのだ。
『王の魔眼』の力もそれらに似た系統の能力だから、私がもっと魔王に相応しい力を身に付けなければ、お父様のようにはなれないだろう。国の平和を維持する為に、これは必須の能力なのだから。
そして今の私が持つ魔眼による支配権は、中位の竜種にまで及ぶらしい。
魔眼の力で私に従うようになったドラゴンは、出会った当初とは打って変わって大人しくなった。
山の中を闇雲に歩き回るより、こうして背に乗って空から花を探した方がきっと楽が出来るはず。そう思った私はドラゴンに私達を乗せて飛ぶように命じて、今に至る訳なのだけれど……。
私の肩にしがみつくペルルの手は震えていた。
ぴったりと背中にくっつくようにしている彼女に、私は言う。
「貴女、こういうのは苦手だったの?」
「ひ……姫様が居て下さるので、辛うじて意識を保っておりますがっ……! 高所は、昔からどうにも苦手でして……!」
気力を振り絞るように言ったペルルの声は、明らかに恐怖を滲ませていた。
まさか彼女にこんな弱点があっただなんて知らなかったわ。この先ジャッドと新婚旅行に出掛ける時には、なるべく空路は使わないようにした方が良いみたいね。
「そんなに怖いのなら、もう降りましょうか? 貴女に無理をさせるのは不本意だもの」
彼女にそう声を掛けると、ペルルは私の背中に額を寄せた。
「まだ……問題ありません。上空からエリューナの花を見付けるまでは、根性でどうにか……堪えてみせます……!」
「ほ、本当に大丈夫?」
「平気です……。問題ありませんので、自分が目を瞑っている間に、どうか……!」
微かに震える彼女の手。
歩いて探し回る手間を省けると思ってペルルを同乗させたけれど、こんなになる程の思いをさせてまで自分の考えを押し通したいとは思えない。
「……やっぱり降りましょう。さあ、ホワイトドラゴン。手頃な場所に私達を降ろして頂戴」
私の指示に従い、ドラゴンは着陸出来そうなポイントを探してくれた。
降下を始めた竜の背の上で、ペルルは戸惑いの声を上げる。
「お、お待ち下さい姫様! 自分の事はお気になさらず、このまま空からの捜索を……」
「良いのよ。私だって、自分が嫌な事を我慢するのは苦痛だもの。だからこうして花婿探しを始めた訳だし……。それに付き合ってくれている長い付き合いの貴女に、精神的苦痛を与えたくはないの」
「……っ! 姫様が、自分などの為に……」
しばらくして拓けた場所に降り立った私達は、ドラゴンに一言お礼を言ってから、徒歩での探索を再開した。
ドラゴンから降りた後、ペルルが嬉しそうにしていたんだけど……そんなに高い所が怖かったのかしら。
そのまま二人でエリューナの花を探していると、茂みの方から物音が聞こえた。
私とペルルは顔を見合わせる。私は念の為に邪剣を鞘から抜き、ペルルも防御魔法を準備した。
ガサガサと枝葉が揺れる音。
その音を発生させている何かが近付いて来る方へと顔を向けると、そこから人影が現れた。
「よっと……! ああ良かった、やっと人に会えたよ!」
そう言ってこちらに笑顔を向けたのは、深い青色の眼が印象的な人間の美青年だった。
麦わらのような優しい金色の髪をしたその青年は言う。
「初めまして! 僕はサフィール。この山の中でドラゴンに追い掛けられていたんだけど、今さっきどうにか
言われてみれば、サフィールと名乗った彼の身なりは完璧とは言い難かった。
なりふり構わずドラゴンから逃げていたからか、せっかくの美しい金髪は乱れているし、途中で転んだのか顔には土が付いている。
見たところ腰には剣を挿しているから、彼も旅人か何かなのだろう。あまり戦闘は得意ではなさそうだけれど。
けれども、きっとお風呂を済ませてきちんと髪をセットすれば、彼もジャッドに負けず劣らずのイケメンとして輝くのは間違いないはずだ。
……一応、彼とは友好的な関係を築いた方が良さそうね。
私はふっと優雅に微笑みつつ、さっと片手で黒髪を撫でて口を開いた。
「あら、それは大変だったわね。サフィール……と言ったかしら。貴方はどうして一人でこの山へ?」
どうかしら? この魅力溢れる美少女魔剣士の立ち居振る舞いは!
きっと貴方も私にメロメロになるはずよ。……まあ、ジャッドにはあまり効果は無かったようだけれど、街の人達の目は惹きつけていたもの。
すると、サフィールは
「僕はこの前故郷の村を出て来たばかりなんだ。途中で大雨に降られて地図を駄目にしてしまって、勘を頼りにここまで歩いてきたんだけど……どうやら道に迷ったみたいなんだ」
と、私のアピールに一切反応を示す事無く真面目な答えを返して来た。
何故かしら。今のところ、出会うイケメンのガードが固い気がするわ。もしかして、人類界の男って恋愛に積極的ではないのかしら?
そんな疑問が出て来る程に、彼の瞳は真っ直ぐで煌めいていた。
「誰かに会えたら最寄りの町か村の場所を教えてもらえないかと思っていたところに、丁度君達に出会えたんだ。あ、そうだ! まだ君達の名前を聞いていなかったね。もし良かったら教えてくれると嬉しいな」
そう言って、サフィールは私に向けて握手の手を差し出して来た。
彼の邪念が無さすぎて、私の方が辛くなる。
子供の頃の純真な気持ちを忘れないまま成長しているわ、サフィール。私なんて全力で花婿探しをして、好みの男性を見付けたらすぐさま距離を縮めようとする狩人のような女なのに……!
そんな私にまで天使のような笑顔で語り掛けてくれるだなんて、何だか自分の中の汚い感情が浄化されていくような気分になる。これは最早、一種のセラピーと言っても良いかもしれないわ。
私は気を取り直して彼の手を握る。
「私はリュビよ。この子はペルル。私達はこの山に咲いているエリューナという花を探しにやって来たの」
「宜しくリュビ、ペルル。そうか、君達はその花を探しているんだね」
簡単な自己紹介をしながら、サフィールはペルルとも握手を交わした。
「二人が探しているのはどんな花なんだい?」
「可愛らしい白い花よ。このブラン山のどこかに咲いているみたいなのだけれど、実物は目にした事が無いの」
「サフィール殿は、ここまでの道中でそれらしい花を目にしてはいないでしょうか?」
「白い花……? ああ、あれがそうだったのか!」
「見たの⁉︎ 本当に⁉︎」
思わず詰め寄った私に、サフィールはとびきりの笑顔で頷いた。
「うん! 昨日の晩に寝床にしていた洞穴の前が、一面の白い花畑だったんだ。場所なら覚えているから、そこまで僕が案内するよ!」
「ありがとうサフィール! 花が見付かったら、今度は私達が街まで案内させてもらうわ」
「ああ、約束だ!」
色恋沙汰には疎いらしいサフィールだけれど、こうして少し言葉を交わしただけで一気に距離が縮まった。多分、友人としての距離が。
それでも良いのよ。私は次期魔王の身の上。こんな風に魔族でも人類と仲良くなれるというのを世界に証明して、いつか両者が理解し合える世の中を作ってやるんだから。
「それじゃあ僕について来て!」
「ええ!」
「目的地までの道案内、宜しくお願い致します」