うそつきピエロ⑤
そして――――優は今、自分の家へと続く薄暗い路地を歩いている。
流石にもう時間が遅いせいか、ここを歩いている者なんてほとんどいなく、誰ともすれ違わなかった。 人がいないことにより、肌寒くも感じる。
それと同時に、この暗さはとても不気味で、今にでも何かが起こりそうな予兆が感じられた。 そんな中、冷たい風は容赦なく優の全身を突き抜けていく。
―――日中は暖かいのに、夜になるとやっぱり寒いな。
―――長袖着ておいてよかった。
そんなことを思いつつ、家まで残り少しといったところまで来た。 だけど――――そこで優は、再び彼らに遭遇することになる。 また見てしまったのだ。
あの――――酷くて残酷な、光景を。
「あー、うぜぇ。 マジうぜぇ。 キモい、調子乗んな。 マジで腹が立つんだよ・・・ッ!」
―――え・・・何?
―――そこに誰かいるの?
今回は、この前とは違い相手の発言がちゃんと優の耳に届いてきた。 だけどこれは普通に話す会話ではなく、相手をけなしている発言だ。
「いつになったら、俺の前から消えてくれるんだよ! 偽善者のくせに! アイツのどこがいいって言うんだ!」
―――これは・・・いじめか?
―――こうなったら止めるしかない。
そう決意し、躊躇うことなく足を一歩前へと踏み出す。 だが――――そのいじめを目の当たりにした瞬間、優は言葉を失った。 だって、だって――――アイツは――――
―――どうして、日向がコウを・・・?
優の目の前には――――御子紫と同じクラスである日向が、コウに罵声を浴びせながら殴ったり蹴ったりしている光景が、一瞬にして広がったのだ。
「・・・ちッ。 今日もかよ」
日向は優の足音に気付いたのか、こちらへ一瞬振り向いてそう呟く。 それと同時に、彼はこの場から去ろうとした。
―――あ・・・ヤバい、追いかけなきゃ。
―――このままだと逃げられる!
「おい、待てよ日向!」
呼び止めながら、日向を追いかけようとした――――その時。
「優、行くな」
―――悪いけど、今はコウに構ってはいられないんだ。
「コウはここで待ってて!」
「だから行くなッ!」
「ッ・・・」
その一言により――――動いていた足が、嫌でも強制的に止まる。 また優はコウの大きな声に驚いて、身体の動きが自然と止まってしまったのだ。
そしてそのまま、彼の方へと身体を向ける。
「・・・コウ、どうして」
―――どうして、コウは俺を止めたの?
―――どうしてコウは日向にやられていたの?
―――ねぇ、コウ・・・どうしてなんだよ。
優が混乱しているのに対し、彼は少し怒った口調でこう言ってきた。
「それはこっちの台詞だよ。 どうしてこんなに遅くまで、外を出歩いているんだ」
「え・・・。 みんなと話してから、そのまま本屋へ行って・・・。 だから、帰りが遅くなって・・・」
怒っているコウが怖かった。 というより、彼が怒った口調で優にそう言ってきたのは今日が初めてで、少し驚いてしまった。 だから――――とても怖かったのだ。
今の空気がピリピリしていることは、優にでも分かっていた。 だからそんな空気には耐えられず、コウに対しても反論できずに、ただただ弱々しい言葉しか出なかった。
「・・・早めに帰れって、言ったのに」
「どうしてコウは日向にいじめられていたんだよ。 放課後にコウが言った『俺みたいになるぞ』っていう発言は、日向に俺もやられるっていう意味なの?」
コウが放ったその言葉は気にしてはいたが、考えてもよく意味が分からなかったため、あまり深くは考えないようにしていた。 だけど今の光景を見て、そう理解する。
「・・・そうだよ。 もし日向が、優をいじめの標的にしたらどうする? ・・・今さっきの光景を見られたから、優は本当に日向の標的にされるかもしれないんだぞ!」
「ねぇ・・・コウ。 そろそろ教えてよ。 もういいでしょ? ・・・ここまで、俺は全部見たんだ」
彼の発言は、よく分からなかった。 一体何を言っているのだろう、コウは。
―――俺が標的にされるって何?
―――どういうことなんだよ。
―――・・・教えて、くれよ。
そう強く思った瞬間――――コウは口を開き、優の望み通りの言葉を発してくれた。
「・・・いいよ。 もうバレたし、隠していてもしゃーないから話してやる」
「・・・」
そして覚悟を決めて、彼から出る次の発言を待った。 コウは先刻まで倒れ込んでいたが、自力でその場にゆっくりと立ち上がり、淡々とした口調で言葉を紡ぎ出す。
「御子紫の件、憶えているだろ。 一度解決したようには思えたけど、まだ日向は諦めていなかったんだ。 ・・・だから、御子紫から標的を変えて俺に仕返しがきた。
それだけのことだ」
―――嘘・・・でしょ?
―――だからって、どうしてコウが標的にされるんだよ。
―――どうして、どうして今回に限って・・・コウなんだよ・・・ッ!
「いつからやられていたんだ」
「んー・・・。 レアタイとの抗争があったろ、その日の少し前くらいからかな」
―――ッ、そんな前から!?
―――レアタイとの抗争からって、もう二週間は経っているじゃないか。
―――この期間コウはやられていて、それにずっと耐えていたの!?
そしてこの時、もう一つ思い出したことがあった。 それは丁度、二週間くらい前のコウのこと。 確かあの時から、彼の顔にはいくつかの傷ができていた。
何度か『何かあったの?』と聞いたが『転んだ』とか『ただ擦っただけ』とか言って、全て笑って誤魔化されていた。 だとしたらあの傷は、ずっと日向から――――
「コウなら簡単に、日向にやり返せるだろ!」
「ユイからの命令もなしじゃ、動けるわけがねぇだろ」
「じゃあどうしてユイに言わなんだ! ユイに、日向からやられたって」
そう尋ねると――――彼は自分を犠牲にするような発言を、またもや自然な口調でこう言ってきたのだ。
「言ったらユイにも優にも、他のみんなにも迷惑がかかる。 日向の苛立ちやストレスを全て俺が受け入れればいい。 そしたら、みんなには被害が出ない」
「そんなことは俺が許さない!」
その言葉に、真っすぐコウを見据えてそう言い放つ。 この発言には偽りがないことを――――証明するために。 だが彼は、その発言に対してすぐに反抗してきた。
「逆に、みんなに危害を加えることは俺が許さない」
「ッ・・・」
―――どうして、どうしてコウはいつもそうなんだよ。
―――どうしていつも、自分一人で全部抱え込んじまうんだよ・・・ッ!
「・・・どうして、俺たちに相談してくれないんだよ」
「・・・優にもユイにも、いじめの対象にはなってほしくないから」
「・・・」
優はコウが発した今の言葉を聞いて、自然と目から涙がこぼれ落ちていた。
―――コウは・・・どうしていつもそうなんだ。
―――どうして俺たちに頼ってくれないんだ。
―――・・・どうして、どうしてそんなに、みんなのことを・・・!
「・・・でも、日向はコウ以外の人にも手を出すかもしれない」
「それは大丈夫だ。 そのことについては、俺が日向と約束した。 暴力とかは全て俺が受け入れるから、他の奴には手を出すなって。
・・・でもさっき、優にこの光景を見られたから分からない。 もう一度日向に、優には手を出さないよう言ってみる」
「・・・」
その言葉を聞いて、優の目からは更に涙がこぼれた。 もう、コウのことを見られなかった。 いや、見れなかったのだ。 あまりにも、こぼれる涙の量が――――多過ぎて。
「コウ、は・・・どうしてそこまで、するの・・・?」
そう聞くと、彼はいつも優に話しかけてくれような優しい口調で、言葉を紡いでいった。
「これが、俺の選んだ道だから。 みんなが笑っていられるなら、それでいい。 俺は今のみんなとの関係が好きなんだ。 ・・・だから、今のこの俺たちの日常を壊したくない」
コウはいつもそうだ。 そうやって、人の幸せばかりを願う馬鹿な奴。 自分だけ被害を受けて、それでみんなは幸せだとか勝手に思っている、自己中な奴。
―――そんな、そんなコウなんて・・・!
優は固く目を瞑って拳を強く握り、思い切り息を吸い込んだ。 そして――――
「・・・この、自己犠牲野郎ッ!!」
―――・・・ッ!
この言葉を発してしまった後、慌ててコウの顔を見る。
「いや・・・。 ごめ、今のは・・・違・・・ッ!」
謝るのは既に遅い。 どうして自分は、こんな言葉を言ってしまったのだろう。
―――違・・・違うんだ、コウ・・・。
―――俺はそんなこと、思ってなんか・・・!
―――今の言葉は間違いだ、コウ、コウ・・・!
コウは――――その発言を聞いて少し驚いた表情を見せるが、一瞬にして優を睨むような目付きに変え――――静かにこう呟く。
「・・・優に、そんなことを言われるなんて思ってもみなかった」
「ち、違うんだ、コウ・・・! 今のは、嘘、で・・・」
「優」
今優の名を呼んだその声は――――今まで聞いたことのないくらい、とても冷たく何も感情がこもっていないものだった。
そして――――コウはこの言葉を静かに言い捨て、この場から去ってしまった。
「・・・俺たち、しばらくは関わらない方がいいのかもしれないな」
「コウ・・・」
彼の名を小さく呟いたが、それは惜しくもコウには届かなかった。
どうして――――どうして、あんな発言をしてしまったのだろう。 この時優は、罪悪感しか感じられなかった。 だって、あの言葉“自己犠牲野郎”というのは――――
そう――――“自己犠牲野郎”という言葉は、今ではたまに仲間から言われたりもするが、主にコウが小学生の頃周りの人からよく言われていた言葉だった。
それを言われては、ずっとからかわれていた。 だけどそんな発言をしている奴らに、優はいつもこう返している。
『コウは自己犠牲野郎なんかじゃない! コウは優しい奴なんだ!』と――――
なのに、なのに優は今――――コウに向かって、自分の口でそれを言ってしまったのだ。