第二百九十話
――焔――
消炭になる。
砂漠と荒地の境目で、ソイツは灰になって散っていった。それを見送ってから、俺は隣で膝をつく青年を見下ろす。本来の力があれば、ここまで苦戦することはなかっただろう。だが、完全に追い詰められていたのは、他でもない、疲弊していたからだ。
なんでそこまで疲弊していたかは知らん。
敵の策略にはまったのか、急いで駆け付けたからなのか。まぁ、どちらにせよ。
「実に見事なやられっぷりだったな? ハインリッヒ」
「……言わないでください、
苦笑しながらハインリッヒが返してくる。その反応で分かった。
コイツ、《神託》で俺が駆け付けるような未来になるように立ち回ったな?
「相手はあの魔神、ベリアルの破片。ヤツが何をするつもりかまでは知らんが……どうせお前ら人間にとって不利益をもたらそうとしていたんだろう」
「人間にとって、だけではありませんけどね。特に今回は、焔ほむら様にも影響があったはずです」
「……けっ。だからってこの俺様をつり出そうとするとはな、大した役者じゃねぇか」
「確実に消し去る方法を選んだまでです」
不覚にも、ぞっとしてしまった。
自分への治癒魔法をかけ終えたハインリッヒは、ゆっくりと起き上がる。そのなんでもない、当然のような仕草一つに無駄がない。
コイツは全て計算でやっていたのか。
だが、そうならない可能性だってある。特にコイツの《神託》は完全じゃあない。かなり低いとはいえ、失敗する確率も残されている。そもそも《神託》は未来の一つの提示でしかない。
負ければ死ぬ。
それでも、コイツ――ハインリッヒは選んだのだ。何よりも、ベリアルを滅ぼすために。
自分の身さえ厭わないその姿勢に、恐れを抱かないヤツは愚かだ。
「随分と冷徹だな」
「世界を救う。それが僕の使命ですからね」
日常会話のノリで言い返され、俺は辟易する。
それぐらいハインリッヒにとっては当然のことなのだろう。その言葉がどれだけ重い意味を持っているのか、知らないはずがないのに。
「お前、しんどくないのか?」
思わず問いかけると、ハインリッヒはにこやかに笑った。
「しんどいですよ? ぶっちゃけて今すぐにでも投げ出して嫁のところに帰りたいです」
笑顔によく似合う声音で認める。
がくっとコケそうになった。いや、ハインリッヒの見た目や行動からして、「そんなことないです」とか言ってから色々と理由をぶちまけそうだろう。
「でも、魔神を倒せる機会はそうそう巡ってくるものじゃあないですからね」
正論だ。
世界の宿敵である魔族の頂点、《魔神》は、俺でも正面から対峙するのは厳しい相手だ。負けるつもりはないが、絶対に勝てる保証もない。無論、それは相手にも言えるので攻められることはないのだが。
とはいえ、ここ最近、魔族は劣勢だ。
凋落の始まりはエキドナが消滅寸前にまで追い込まれたことだ。
アイツは人間を舐め切ってる。それに憑依するに相応しくない器に敢えて入り込み、ダメージを負いながら戦うのを好むっていうワケの分からない趣向もある。それが祟った。
そして、水の魔神ベリアル。
何を考えているのか。力を失ったのは事実のようだが、その状況でさらに自分を分割し、各地で何かを企んでいる。
察知した人間側も色々と動いているようだ。
ベリアルの性格からして、ろくでも無い何かだろう。
「首尾は?」
「上手くいっていると思います。少し前にもライゴウさんたちが一人仕留めたそうなので」
つまり人間側優勢ってところか。
となると、他の魔神が動く可能性がある。警戒は強めておいた方が良い。ここ最近、精霊の数も減っているし。
「そうか。よぉ、疲れたんなら俺んトコに寄るか?」
「いえ、大丈夫です。だってそちらには今、僕の愛弟子がお邪魔していますし」
「愛弟子……? あの小僧、グラナダのことか」
言い当てると、ハインリッヒは満足そうに頷いた。爽やかだが、奥に潜むこのいやらしい笑顔は。
「まさかお前、グラナダがああなることまで……」
「それはどうでしょう。他人の未来まで決めることは出来ませんからね、僕の力は」
「だが、それを示唆することはできる。グラナダを強くさせて何を企んでいる? お前は人間としては世界最強だろう?」
確かにグラナダは面白い。
器として見るのであれば魅力はないが、強くなる可能性はかなり秘めている。雷のが既に加護をつけているし、ヴァータも加護を与えている。持っているスキルは確かにかなりのものだ。
それに、バカ息子の影響か、さらに強くなっているし。
だがそれでも、ハインリッヒには届かない。
絶対的な壁が存在するのだ。この二人には。
「企んでるなんて、ヒドいですね」
ハインリッヒの表情が苦笑に変わる。
「じゃあ訂正しよう。ハインリッヒ。お前は何を考えている?」
「決まっているじゃないですか。世界を救う。そのためだけです」
「グラナダはそのための戦力になる、と?」
「ええ。そうでしょう?」
これを否定する理由はない。
事実として、グラナダはもう
「彼にはこれから頑張って頂かないといけませんから」
「ハインリッヒ。一つ確認するが、お前はどこまで《視》えている?」
一瞬だけ沈黙が落ちる。
ごまかしは許さないつもりで威圧を放つと、ハインリッヒは対抗するように威圧を高めた。
「恐らく、予想通りだと思います」
俺は遠慮なくため息をついた。
この手の搦め手を得意とするヤツとのやり取りは苦手だ。
「ならば突っ込んで訊くぞ。止めるつもりはあるのか?」
「あるからこそ、今ここで頑張っているのですよ」
当然の返答だ。
俺はさっさと断念して肩を竦めた。どうせ何を言っても通用しない。
「分かった。だったらこれをくれてやる」
指を鳴らし、火精霊を召喚する。数は、そうだな、十匹いれば十分だろう。
戦闘能力はない。その代わり、ある特殊機能を付けて置いた。
ハインリッヒにやると、すぐに理解したようだ。さすがURウルトラレアだけはある。
「良いのですか?」
「元々俺らにとっても魔族は敵だ。多少お前らに肩入れしても問題はない」
「ありがとうございます」
「上手く使えよ」
そう伝えて、俺は移動した。
向かうべき場所は一つ。グラナダの所だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――グラナダ――
微睡みから自覚して、俺はゆっくりと目を覚ましていく。何か夢でも見ていたかのようだ。
目を開けると、白いレースがあった。
天幕のようだな。
全身を包む温かくて柔らかい感触は、布団だろう。めっちゃ気持ち良い。肌ざわりからして高級品だな、これは。
「む……」
眠っていたい衝動を抑え込んで、俺は起き上がる。
随分と広い部屋だ。ベッド以外には何もないが、それだけに高級感がある。
ベッドに腰かけながら、しばらく呆けて見渡していると、扉が開かれた。
「ご主人さま!」
メイだ。
もう目尻に涙が溜まっている。ってこれはかなり心配かけたパターンか。もしかしなくても俺、ヤバかったりした?
一瞬背筋が凍る。こういう時、メイは確実に怒るからだ。
覚悟して目を瞑り、肩を竦める。……が、何もこない。
「メイ?」
気になって目を開けると、ぽろぽろと大粒の涙を零すメイが立っていた。って、うぇええ!?
「ちょ、え、あの、え?」
「良かった……良かったぁ……」
「メイ……おいで」
両手を広げながら言うと、メイが飛び込んで来た。とす、と軽い衝撃がして、俺はそっと背中に手を回す。すると、メイはわんわん泣いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「っていきなり何を謝ってるんだよ」
「分かるから……私、ここ最近の記憶があいまいで……何かをしてたっていうのは分かるんですけど、でも、きっとそれは何かに巻き込まれたからで、だから、ご主人さまは頑張って戦ってくれたんだって」
おい
内心で俺はツッコミを入れていた。テキトーに記憶が補完されるんじゃなかったのかよ。
本人が現れたら後でこっそり指摘しておこう。そう誓いつつ、俺はメイの背中をゆっくりと撫でてあやす。そう言えば昔、メイが夜に怖がってないてた頃、よくこうして落ち着かせてあげてたっけ。
特にフィルニーアがいなくなってしばらくの間はずっとこうだったなぁ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「メイ」
俺は穏やかに名前を呼んだ。
「確かに俺はメイのために戦った。でも、それはメイが悪いわけじゃあない」
「ご主人さま……」
「だから気にするな。それよりも、俺は喜んで欲しいな。だって、奴隷紋消えただろ?」
「えっ……?」
指摘して初めてメイは気付いたらしい。
慌てて俺から離れ、ゆっくりとお腹の辺りを何度も何度も確認する。それから俺とお腹を交互に見て、いきなり顔をくしゃくしゃにした。
「ご、ご、ご主人さまぁぁぁぁああぁあ……!」
「あーはいはい、泣くな泣くな」
「良かった! これで、これで、私、私!」
頭を撫でると、メイの涙は全然止まりそうになかった。
「私、本当にご主人様の付き人になれたんですね……!」
――ああ、そっか。ずっと気にしてたんだ。
メイは奴隷紋に悩まされてきた。そのせいで、暴走したこともある。今回もそうだ。だから、ずっと気にしてたんだ。
「ああ、そうだよ」
「嬉しい、私、嬉しいです、ご主人さまぁぁぁあああ……」
「うん、うん」
泣きじゃくるメイの頭を、俺は落ち着くまで撫でてあげることにした。