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補佐官は待っている[番外編]

私はリリス。街組合総司令官補佐官をやっている。
私が使えるべき主、総司令官殿が行方をくらまされてからもう5年が経った。総司令官殿がいなくなられてから、補佐官である私は空席となっている街組合の仮トップとして、組合をまとめている。
2年前に、攫われた先の家を発見し、中にいた2人を罰した。吐き出させれば、いつもより少しだけ早い時刻に部屋を覗きに行ったら、すでにそこに総司令官殿の姿はなかったのだという。
親衛隊の中でも、曖昧だが人影を見た、という風に言うやつもいた。
全てが手遅れだった。あの時、私はトップがいなくなったことにより生まれた仕事の処理に追われていた。
だから前線に出る事は出来なかった。もちろん出ようとしたら、街の管理人たちに止められていただろうが、それでも悔しかった。
すぐに指示を出すことが出来ず、私は総司令官殿を保護することが出来なかった。結局、総司令官殿はご自身の力でお逃げになったようで、どこかへと行ってしまわれ、それから目撃情報さえ入ってこない。

そんな私にやっと朗報が入ってきた。
「ナギと名乗る者がロヴェルの関門を通過していた」という報せだ。その報せが届く頃には、もうすでにロヴェルの街を出ていたようだが、それでも私は嬉しかった。
ロヴェルの管理人、ラウアは実際に接触したそうだ。
その話を聞けば、変わらず素っ気ない接し方で、旅人として立派に生きておられる、とのことだ。
ラウアはその時、唇をギュッと噛みながら、泣きそうになるのをこらえて私に話してくれたが、ラウアは総司令官殿の帰りを心から待っていたようだ。
ラウアと総司令官殿はたしか会ったことはないはずだが、それでも一管理人をここまで従わせるほどの力があるのだと私は改めて感じた。

目の前の書類とにらめっこをしながら、私は総司令官殿がいた頃のことを思い出していた。

□■□■□■□

「……リリス」

「はい、なんでしょう、総司令官殿?」

書類の山をナギ様と私で手分けして1枚1枚処理をしていた最中に、声をかけられた。手元は変わらずの速度で処理を進めながら、ナギ様はおっしゃられた。

「その1束が終わったら、今日はやめよう」

「承知いたしました。……でしたら、ナギ様の残りは私がやっておきますから、先にお休みになってください」

あと数刻もすれば日の出という時間だ。別に明日、特段の事情があるわけでもないが、毎日がこんな書類漬けの日々では気が参ってしまう。1枚1枚、着実にゴールへと近づいていっているが、そのスピードは遅い。ナギ様をちらりと見たが、あの方の顔には疲労の文字がない。
いや、隠しているだけなのかもしれないが、それでも上に立つ者としての威厳は保ちながら、ただ執務室でふんぞり返っているようなお方ではない。私と一緒に仕事をこなす様は、部下想いと言うべきである。
だからなのだろう、私があんな事を言っても、最後まで一緒にやり遂げようとする。

「いや、僕もやるよ」

また静かな仕事場が戻ってくる。紙をめくる音と、ハンコを押す音。どちらも自然で心地よい音が、部屋をまた満たしていく。会話で若干崩れ静寂の均衡を、部屋自らが復元していっている。
そうして1束が終われば、その静寂は真の静寂へと進化を遂げる。

「それでは、ナギ様また明日ですね」

「あぁ」

「ごゆっくりとお休みください」

ガチャリと扉が閉まるまで頭を下げ続け、閉まったあとも少しだけ下げ続ける。これは日頃の感謝の意を込めて、そして「お疲れさま」という意味も含めているものだ。そんな私を扉が閉まるまで見送ってくれる辺りも、ナギ様らしい。
お城に住んでいるわけではないので、特別に広いわけでもないこの廊下を足音控えめに歩いて、私は寝室へと向かう。ベッドに潜り込めば、すぐ夢の中だ。
眠気からか、執務室の部屋が扉の閉まった後も灯りが付いているのを、私は気づかなかった。



日の出とともに起きた私は、メイドたちの控室に顔を出す。すでに1日の始まりを迎えていたその部屋は毎度のことながら忙しそうな様子だ。
邪魔をするわけには行かず、自分で飲み物を取りに行く。
半透明のコップに冷たい紅茶をそそぎ、目を覚まさせる。すっかり覚醒した身体は動きを求め始め、私は自然と執務室の方へ歩き出していた。
私に気づいたメイドが、私の後ろを紅茶を載せたお盆を持ちながら、トコトコと付いてくる。

扉の前に立ち、いつも時刻を待つ。あと半刻ほどだ。
誰も通らない廊下に私と2人のメイドが立ち続けている。

まっすぐ扉をみつめていると、その扉が開いた。……まだ起床時刻ではない。
扉の動きを止めぬよう、2歩ほど下がり、正体を待つ。

「おはよう、リリス」

いつもと変わらない、自然なお顔で現れたナギ様は私を見てそう言った。

「おはようございます、ナギ様。朝食は1刻後となりますが……」

ナギ様の手に目が留まる。握られていたのは書類だ。
その視線に察したのか、ナギ様は変わらぬ口調で驚きのことを言われた。

「書類は片づけておいたから、これで最後」

「は、はぁ……はっ!?」

「街政略班に渡しに行こ」

私とメイドの間を抜けて、颯爽と歩き出すナギ様に、状況を未だに呑み込めていない私は遅れながらも付いていく。メイドには部屋の掃除を命じ、右へ左へ上へ、歩みを進めていく。時間もかかりはせず、街政略班の部署にたどり着く。
顔が出る程度のボードで仕切られた区画にはまだ誰もいない。おそらく夜中に何度も往復したのだろう、記憶に新しい書類の束も積まれている。

情けなく感じた。
自分は自分の主の行動さえ読めず、ただ寝ていた事実が。自分が引き受けると言わず、ナギ様に仕事をさせてしまったことが。
私には情けなく感じられた。

「申し訳……ありませんでした」

「どうした?」

「ナギ様に……、ナギ様が夜中、ずっと。……作業をしていらっしゃったのに……私は……っ」

判決を待ち続ける罪人のようだった。不安と焦燥が煽る。小刻みに震える私の身体は、小鹿なんて可愛らしいものではない。
手を上げたナギ様を見て、心臓が止まりそうになる。
しかしその手は私の頭に軽くのせられ、優しく二度、撫でる。背丈の違いから、その手はピンと伸ばし切って、ただ私の頭を撫でるためだけに、つま先立ちになられて。
まだ子供であり、その姿は確かに子供の雰囲気をまとわせているが、その手は誰よりも大人びて感じられた。

「リリスの仕事取って、ごめんね」

「……い、いえっ! そんな、ナギ様が謝られることは」

「でもさ」

「そのですね……、はい……?」

「リリスが頑張っているなら、僕も頑張りたいんだよね」

少し顔を赤らめて、その言葉は部屋を温かく紡ぐ。

「リリスは働きすぎ」

「も、申し訳ありません……」

「だから今日は、僕もリリスもお休みにしよう」

「でも、お仕事が……!」

「……言わなかった? この書類で最後って」

最後の書類を机に置けば、私を少し追い抜いてから、ナギ様は振り向かずおっしゃった。

「街組合総司令官として命ずる。リリスと僕は、今日必ず休むこと。……リリスは一番の腹心、だからね」

「……」

ただ茫然と立っている私は、一瞬の静けささえ長く感じられる。しかしそこに不安はない。
働きすぎな私は、ナギ様のためにあるのだ。
だから、ナギ様のもとにいつでも仕えられるよう、私には万全の準備が必要だ。働かないことに嫌悪感を抱いていた私は馬鹿だった。
そう気づかされた日。

「……返事は?」

若干、不機嫌そうな声で訪ねてきたナギ様に、顔は見えずとも笑顔で、元気よく答える。

「はいっ!」

□■□■□■□

思い出は尽きない。
目の間に積まれた書類を見て、一番に思いついたのが、あの日のことだった。
その記憶もまた、静かなこの部屋を温かく紡いでいく。

「リリス様ぁ~!! レウア様のご用命によりご報告を致します!」

「述べなさい」

「はっ! 3日前ほどの情報ですが、総司令官殿がレウアを発たれたようです。目的地はリカルットの方だそうです」

「ご苦労、すぐに親衛隊で追わせるわ」

「その件なのですが……、レウア様からのご提案で、しばらくは旅人として行動させてはどうか、とのことです」

「……どういうこと?」

「ナギ様は何も思いだされていない様子です。しかし無理に思い出させてしまうと、あの家でもことがありますから、何が起きるかわかりません」

「つまり……、ナギ様が思い出されるのを待とう、と」

「はい、そうレウア様から進言がございました」

「……そうしましょう。レウアには感謝を伝えておいてください。親衛隊には遠くから優しく見守るように、と」

私は補佐官なのだ。
ただ仕事をするロボットではなく、総司令官殿に直接使って頂ける従順な人間なのだ。

だから、私は待っている。
補佐官として、仕える人間に戻れる日を。
またこの部屋に、山積みの書類と、淡い蒼髪の御方が、熱心に執務を取られる日を。

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