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第17話

––––ギリッ!

歯ぎしりの音が響く。
音もなくあらわれて、手下を一刀で撃ち倒したアバズレンを林太郎(りんたろう)はにらむ。
その顔には怒りと焦りの色がありありと浮かんでいた。
林太郎は無言で成行(しげゆき)の胸元を左手で掴む––––と、軽々と頭の上まで持ちあげた。
(のぼる)より背も厚みも重みも倍近くある成行のからだを林太郎は小石のように軽々あつかう。

「くらえっ!」
人間のものとは思えない腕力で持ち上げた成行を、アバズレンに向かって投げつける。
大砲から放たれた弾丸と化し、風を裂いてアバズレンへと向かう。
迫る成行の巨体––––このままでは直撃する。
「……」
が、アバズレンは避ける素ぶりすら見せない。
両足を肩幅にかまえ、腰に刀を収めて手のあいた両腕を開く––––完全に抱きとめる姿勢であった。

––––トンッ!

濁音(だくおん)もあがらないほど、吸い寄せられるかのようにすうっと成行を受け止める。
すぐさまアバズレンはくるり、くるりと靴音鳴らせつつ後方へ回転して衝撃を殺した。
それはまるで、西洋の舞踏(ダンス)ような体さばき、足運びである。

井上馨(いのうえかおる)外務大臣ら政府高官たちが西欧列国との交流の場として建設し、夜な夜な舞踏会を催している「鹿鳴館(ろくめいかん)」に集う紳士淑女たちの中にも、これほど(たく)みな動きを見せる者はいないであろう。
さもあらん、この男––––アバズレンこと「本物」の明石元二郎(あかしもとじろう)は、のちに「日露戦争前夜」情報収集のために密偵(スパイ)として潜入したパリの社交界でも、東洋人とは思えぬ演舞(ステップ)を見せて話題をさらった。
 
もとより素質があったところへ、陸軍諜報部にてダンスを「武器」にすべく鍛錬を重ねていたのだ。岩盤から切り出したような無骨な成行も、元二郎にかかれば貴婦人(レディ)のような扱われようである。

––––キュッ、キュッ!

男ふたりのダンスも終盤、靴が床を鳴らす響きと、

––––シュッ、シュッ!

空気の攪拌音(かくはんおん)が短くなり、小さくなり、いよいよ収まろうとしたその時、

––––ムギュッッ!

元二郎の足が床以外のもにのった。
「ふ、ふにぃ! 」
猫の鳴き声のような音が足下からあがる。
 
元二郎の軍靴のかかとが床に寝ているふさのほおをしっかり踏みつけていた。
「うわっ!」
驚いたアバズレンは体勢を崩す。
背中を大きく反らし、抱きかかえていた成行を後方に放り投げた。まるで力士の「うっちゃり」のように……

「……えっ⁉」
ふたたび肉砲弾となった成行が、入口の壁を必死に背中で押さえている金之助(きんのすけ)に迫る。
「あわわわわっ!!!」
つるつるに剃り上げられた頭頂部が、金之助の視野を急速に覆う。咄嗟(とっさ)のことすぎて足が動かない。数瞬後にくるであろう衝撃と苦痛に対し、両目をきつくつむり、腕を交差して頭をかばうことしかできなかった。

––––ドゴーン!!!

爆音が金之助のすぐそばで鳴る。
身体をくっつけていた扉が激しく波打ち、弾かれそうなった。
「あ、開いたらマズイ!!!」
慌てて背を扉に押しつけつつ、金之助は音をたてた方を見る。
「……」
本日二回め、ほんの一時(にじかん)前にも同じように頭部をしたたか打った成行が、まったく同じように白眼をむいていた。
アバズレンの懐からすっぽ抜けた露伴は、扉やや右上、金之助のそば近くへ豪快にぶちあたったのだ。

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