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第16話

金之助(きんのすけ)は膝を曲げ、腰を落とし、瞬発力を高める。
––––その時、
「コホン!」
せき払いがひとつ鳴った。
誰がしたのか? 金之助は探す。
「……え?」
それは目の前の床に倒れていた看護婦––––景山(かげやま)ふさであった。
 
ふさは片目をつぶる。英語でいうところの目配(ウィンク)
「……⁉」
金之助が足ではなく首を前に出すと、ふさは右手の人差し指を立てて数度上をさした。
天井を見上げた金之助は 、
「……いっ!?」
奇声をあげる。
慌てて両の手のひらで口をおおう。言葉を発さない分、両眼くわっと見開き「それ」を凝視。
視線の先に––––人が釣り下がっていた。足の裏だけを天井につけ、腕は胸の前に組んでいる。
黒の衣装に身を包み、頭もすっぽり頭巾をかぶり、出ているところは両目のみ。
講談や芝居にでてくる「忍者」––––そのもののいでたちであった。

唖然としている金之助の前にその忍者は降り立つ。
重力という概念を無視するかのように、まるで木の葉が揺られながら地に落ちるよりもまだ静かに床に着地した。
驚いた金之助は突き出した顔を引っ込め、後頭部を扉にしたたかぶつける。
「我が名はアバズレン。以後、お見知りおきを」
近づく忍びの者は金之助の耳もとに口を寄せて囁く。
両目以外はすべて黒い布に覆われている。もちろん口もともである。布ごしのつぶやきではあったが(りん)とした声韻(こえ)だった。

「……アバ……ズレン?」
謎の人物の名前を口に出す金之助。
しかし、その時その人物はすでにかたわらから消えていた。彼もまた林太郎(りんたろう)と同じく人とは思えぬ速さで首なし将校へと迫り、

––––シャン!

腰に差した刀を抜いた––––と同時に、
 
––––ズシャッ!

背後から明石元二郎(あかしもとじろう)に斬りかかる。
頭––––はないので首のつけ根から股下まで、一気に白刃(はくじん)を走らせた。

––––ドスッ、ドスッ!

元二郎の身体が真っぷたつに割れ、左右に分かれて床に落ちる。
アバズレンとみずからを名のった黒装束の男は、両断したにもかかわらず内臓も血もぶちまけない元二郎の死体を一顧(いっこ)だにせず、足音も立てず、床に転がる首の前に立つ。

(のぼる)に突撃され、手からはじけ飛んだ元二郎の頭部にはすでに軍帽なく、それどころか髪も皮膚も肉すらなく、白い骨が露出。どこぞへか飛んでいったのか顔には目玉はなく、黒い穴だけがそこにあった。
「首ぬけ……デュラハンか……人の名をかたるなら、しっかり本物と同じく男前にしあげろ」
アバズレンはつぶやく。布で覆われているのでその声は誰にも聞こえない。

––––グシャリ。

明石元二郎と思われていた(あやかし)の頭を踏みつぶす。
骨が砕ける感触と異音は一瞬だけで、すぐにサラサラと砂に変わった。
頭部に続き、ふたつにわかれた身体も間をおかずに砂化(さか)した。

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