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第13話

––––のそり、ゆらりと「明石元二郎(あかしもとじろう)」と呼ばれた首なし将校は立ち上がる。
「なっ!!!」
「えっ!!!」
「へっ!!!」
声と色を失う成行(しげゆき)金之助(きんのすけ)(のぼる)をしり目に、首なし将校は床に転がっているおのれの首を拾いあげ、小脇に抱えた。

「わわわわわわわっ!」
言葉にならない声をあげて升はのけぞる。
刀を振るう小鬼や尾が蛇の巨大な雄鶏(おんどり)など、この世のものとは思えない異形の生きものを見ては仰天していた彼であったが、いま目の前にいる首なし軍人––––いや、正確には頭を脇に抱えている––––ほど、心臓が止まるかと思うほどの驚異はないし、背筋に氷水をぶっかけられたかのような恐怖も抱かなかった。

首なし陸士(りくし)がゆらゆらと動き出し、升に迫る。脇にはさまれている元二郎の、軍帽の陰からのぞかせた口が歯列むき出してニタリと笑いのかたちに変わった時、升の戦慄(せんりつ)は頂点に達した。
「……くるな……くるな……くるなぁぁぁ!」
あとずさるたびに声の音量と音階は上がっていき、最後は絶叫。

––––と、その時、升の足が天を蹴った。
「えっ⁉」
と、口に出した時には背中に衝撃が走る。

––––ドズン!

床の何かを踏んで足を滑らせ、升は仰向けに倒れた。かつてこれほどまでに日に何度も転倒する日があったろうか……などと彼は考えなかった。
痛みも感じない。
ただひたすら、近づく首なし男から逃げることだけが頭の中を支配している。
 
くるり、うつぶせに身を回すと両手をついて起き上がろうとした。が、

––––ズルリ。

ふたつの手のひらが床にこぼれた液状のものに触れてよこ滑る。

––––ガッツン!

支えを失って升はあごから落ち、衝撃で上下の歯がかちあい、響く。

––––ビチャリ!

顔に何かがかかった。
生臭ささが鼻腔(はな)を突く。
「……!」
絶叫したかったが声帯が麻痺して空気のかたまりだけが口から飛び出る。
顔を濡らしたものが人の血であることがわかったのだ。
目の前におのれが流す血で顔を真っ赤に染めぬいた男女––––いや、年端もいかない男の子と女の子が倒れており、その身体から流れた血が大きな赤い池を作っていた。

視界いっぱいに広がる惨状を見て嘔吐(おうと)しそうになる升。
––––と、その血の池の中に抜身の短刀が沈んでいるのを見て、

––––ビチャ、ビチャ、ビチャ!

床の血をはね飛ばしながら匍匐(ほふく)して取りに行く。
腹ばい、手を伸ばし、その刀の柄を掴むと、すぐさま身体をまわした。

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