湧水の道③
部屋に戻り、荷物を置く。
軽く身だしなみを整えてから宿を出て、今度は朝食を取るために酒屋へと向かう。
「リリック」という名のその酒屋は賑わっている雰囲気はない。店に置かれたテーブルの半分も埋まっておらず、かつ4人席を1人で使っているところもあり、人の姿は極端に少ない。酒屋であれば、特にこの朝の時間帯は混み合うはずなのに、寂れてしまったみたいだ。
どうにも不穏な空気が流れている気がするが、この店が潰れたところで、僕には関係のないことだ。
手をあげ、店員を呼び出す。
「ご注文は?」
「ルロ肉サンドと茶水」
「少々お待ちを!」
メモを取った店員はそのまま厨房へと消えていき、その後泣き叫ぶような声で僕の注文を読み上げた。
「てんじょぉ~! サンドどぉ、うあわぁぁん! 茶水でずぅぅ~。お客様がぁぁ、きでぐれまじだぁぁ……!!」
客一人来るだけで、少し感動しすぎな気がする。どうやらこの店は訳ありなようだ。
料理も少し気を付けておこう……。
思いのほか、出された料理は普通なものだった。
食べてみても、特に変な感じはしなかったし、見た目も普通だ。
料理が普通なら、どうしてこの店は客が来るだけで、泣き叫んだりするのだろうか。この料理だけみれば、評判が良くてもおかしくはない。
「おい」
近くにいた店員を呼び止める。見れば、さきほど僕の注文を取った人だ。
「な、なんでしょう?」
「なんでこの店は寂れてる?」
「さ、寂れてる……、ドストレートでございますね……。少し返答に困るのですが……」
「じゃ、いいや」
「いやいやいや、そこは『待って、私ならあなたを助けてあげられる。素直に話してくれないか? 愛しのベイビー……』って答えるところでしょう! なーんで、スルーしちゃうんですかっ! もっと引っ張ってくださいよ!!」
「それは面倒くさい」
「あー! 店長ぉぉ~、このお客様が冷たいですぅ~!!」
この馬鹿が大声で話すから、店内にいた客からすでに注目を集めている。この馬鹿が呼び出した店長が慌てたように、厨房から飛び出して、僕の席へと駆けてきた。
おそらくこの馬鹿を連れ戻すのだろう。
しかし、そう考えた僕は甘かったようだ。世の中には、阿保な考えを持つ人もいるんだと、知ってはいたが目の前で見るのは初めてだ。
「おい、小僧? てめぇか、うちのルサたんを冷たく扱ったのは……あぁ?」
「……は?」
「口答えしてんじゃねぇよ!! あんただろう? こちとら、てめぇなんざために、料理つくっとんじゃいっ! それでいて、話しかければそんなもんで返すんか!? あぁ?」
大衆は「うわ、またかよ」という冷たい視線で店長とその店員を見ている。まぁ見ているだけで、僕を助けるつもりはないらしい。
ちなみに元凶の馬鹿は、店長の腕に縋って、完全にトロンとした女の目を店長に向けている。正直、気持ちが悪い。反吐が出る。
一方の店長は怒り心頭の様子で、マシンガンのように怒号を浴びせてくる。
そろそろ僕の限界値を超えそうだ。
「なんとか、話せやぁぁぁ!!」
「……おい」
「なんだ? あぁ? はよ、謝らんかいっ!! そろそろやぞ、ピークはそろそろ、やぞ?」
「馬鹿ごときが……、調子に乗るな」
「馬鹿、だと……?てっ、てめぇ……!」
「恩を仇で返している、とでも言いたいのか? お前の言動を振り返ってみろ。どう考えても、お前らが突っかかってきただけだろう? そんなことも考えらないような馬鹿とは話にならない」
「言わせておけば……!」
「たぶん、今までもそうやって客に喧嘩を売ってきたんだよな? ……少しは成長したらどうなんだ? この馬鹿を正当化するなんて、子供のやることだ。お遊びに付き合っている暇はない」
「てめぇごときの子供がなに言ってんだ? あぁ? 客みたいな養われることしか出来ん弱者は、黙ってればいいんだよぉ!!」
拳が飛んでくる。席についたままの僕の頭を狙っているようだ。
さっと椅子をひき、その拳をよける。そして腰にさしていたサバイバルナイフで腕に1本の細い切り傷をつける。
「ぐっ……! いまのは、まぐれだ! 次は……、仕留めてやる……ふは、ふははは!!」
実につまらない。面白くもない戦いだ。
いや、これを戦いと呼ぶのは、戦闘人に大変失礼だ。そうだ、これはお遊びだ。
整っていない雑な体裁きは、美しくない。ただ力を我儘にふるっているだけだ。そんな屑の力が、僕にあたるわけがない。
突き出された腕につけた切り傷からは、赤い液体が染み出し、床にポタポタと垂らしている。しかしこの愚か者は気づかない。
目の前の標的にしか視線を向けず、己を顧みず、蹴りと拳を繰り出してくる。
バラバラになったテーブルや椅子が店に散乱し、客は急いで外へ避難している。
ずっとかわし続けているが、そろそろ終わらせた方がいい。管理人の直属の警護部隊などに来られては、ここで足止めをくらってしまう。
一心不乱にふるう隙だらけな相手の身体を見極める。
腹部めがけて蹴りが飛んでくる。それをしゃがんで避ければ、すぐに胸元へ飛び込む。
腕をつかみ、体重をを腰にのせ、がっしりと構えた足で床をつかみながら、相手を床へと叩きつける。
建物自体が揺れるほどの振動と音を確認し、隙もなく、うつ伏せになった身体へ飛び乗る。顔をつかみ、床から離し、首元にナイフをあてる。
虫けらを見下すような光のない目と、感情のなくなった低いトーンの声で語りかける。
「死にたいか?」
「い、いや……」
「このことは、ギルドに報告する」
「それだけは、それだけはぁ……ご勘弁を……!」
「店長の言う通りよ! それは卑怯でしょう!!」
この馬鹿2人は揃いも揃って屑だ。
「……なにが卑怯だ。それだったら、お前も死ぬか?」
「そ、それとこれとは、話が!!」
「違うか? なら死ね」
飛び乗っていた店長の身体から離れ、一気にルサという名の店員に詰め寄る。首元に一発手刀をいれ気絶させれば、今度は立ち上がろうとしている店長にドスをきかせた声で命令する。
「誰が立ち上がっていいと言った? 伏せろ、屑」
「……は、はひぃ!」
そうしてまたうつ伏せになった店長に足をのせ、問う。
「選択肢をやる。ここで死ぬか、あとで死ぬか」
「い、いやだぁ!! 死にたくなんかっ、死にた……ウグッ」
喚く声が耳障りで、間違えて蹴りをいれてしまった。その痛さに気を失ったようで、ぐったりと床に倒れこんでいた。
「……あーあ、つまらない」
血の付いたサバイバルナイフを床に落ちていた布巾でふき取り、腰に戻す。
唖然としている野次馬と客の視線に追われながら、宿の下の桟橋へと向かう。
「ギルド」
「どうしたんでっせ? 機嫌が悪いんですか?」
「……」
「……まぁ、あまり怒るのも心臓に悪いっすよ。ちゃんと証言はするんで、ギルド行きましょか~」
まだ腹の虫は収まらないが、この舵手は出来たやつだ。
疲れ果ててしまった僕は、ギルドまでの道でうたた寝をしてしまった。