峠の暗殺者[番外編]
寝坊した。
日の出の時刻などとっくに過ぎ、起きてみれば陽はもうすっかり顔を出しきり、遅い朝を示している。
急いで朝食を取り、荷物を片付け、すぐに出発する。
道に戻ればチラホラと峠を越える人の背中が見える。さすがに下りてくる人はまだいなかったが、昼頃になれば混み合うだろう。
ただでさえ広くないのだから、行き交う人が増えれば、それだけ峠を越えるのに時間がかかってしまう。
馬に跨り、人を避けながら全速力で峠の頂を目指す。
追い抜かれた人々はみんな唖然としていたが、それに構う暇はない。まぁ、そもそも構う気すらないのだが。
途中馬のために休息をはさんだとはいえ、頂上まで歩けば3刻の道を、1刻で済ますことが出来た。
かなりの時間短縮に驚きつつ、久しぶりに全速を出し、バテている馬を自由に休ませながら、僕は1人頂上を眺めまわることにした。
晴れているからか、眺めは最高だ。
今まで走り飛ばしてきた道も、ルルの住む麓の村も小さいが見える。そして道を辿る人が点に見える様は、まるで人がゴミ……群れからはぐれたアリのようだ。
今度はさっきとは反対方向へときた。レウアの方面だが、肝心のレウアは一本道のある草原の高低があるようで見えない。
あの草原へと下りる道は今いるところから少し左に寄った所にある。
正面にない理由はその光景を見れば明らかだ。
いま自分が立っているのは切り立った崖の上。
柵などなく、落ちれば即死。
死ぬ人が絶えない不幸なスポットだが、対策はされていない。誰の所有物でも、どこかの街の領有地でもない。
観光スポットとしては人気がありそうだが、いくら景色がよかろうと、死ぬ人が絶えないスポットは持っているだけで不名誉なことなのだろう。
究極の不幸スポットだ。
昼頃になり混み合い始めれば、事故も起きやすくなる。
早々に馬のもとへ戻った僕は、草原へと下りる道を急ぐ。
僕が道を下ろうとした時、不幸スポットでは、また新たに3人が亡くなった。
その顔は見覚えのあるものだった。そう、ヨナで娼館を営む男性と、その取り巻き2人だ。
諦めきれずに僕を追ってきたのだろう。
残念ながらこれ以上ストーカーを続けられていたら、僕が殺していたかもしれない。
人に殺されるかよりは、事故として天に逝く方がよほどいいだろう。
様々な子供を駒として扱ってきたはずなのだから、事件になればそれも公になる。
もう他界したであろう、その茶房の店主に、僕は一言放った。
「殺されなくて、良かったね」
いや自然に殺さたとも言えるかもしれない。どちらにせよ、僕は僕自身が死に対してなんの興味がないことを初めて知った。
ポジティブに言えば、死を恐れず、果敢に困難を対処していけるということ。
しかしそれは世界から見ればあまりにも悲しい勇敢さであることを、僕には理解できない。
死体の片付けなど行われない。モノになった身体は無様に、人々に痴態を晒される。
誰もそれを止めようとしない。死は怖くても、あくまで自分の死に怖がっているだけなのだ。
もちろん他人の死を怖がる人や同情する人もいるだろう。しかしそれは日々襲われる恐怖に包まれている旅人や商人からすれば、己の危険に拍車をかける行為なのだ。
他人に気を取られ、己が疎かになる。
暗殺者はそのタイミングをいつも陰から伺っている。
もしかしたら、この峠を越えるものはみな感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。しかしそれが己を守っていることは明らかだ。
その日の夜、人もいなくなった峠を2人組の商人が越えようとしていた。
2人は異臭のするあの不幸スポットを興味本位で見に行き、その惨状に心を抉られた。
虫のたかる死体の前で声にもならない叫びをあげた。
翌日、そのスポットには虫のたかっている事故死した死体が3体と丸裸にされた新たな死体が2つ転がっていた。