癒し潺③
「…………さん?」
視界は真っ暗だ。
「……にーさん……」
パチパチという音が聞こえる。焚火をしているのだろうか。
「おにーさん?」
誰かが誰かの兄を呼ぶ声がする。可愛らしい女の子の声だ。
そういえば、さっきから呼んでいる気がする。
徐々に覚醒し、うっすらと目に暗い空がうつり始めれば、僕を覗き込む2つの瞳が横から入ってきた。
「やっと起きた! お兄さん!」
「んぅ……、誰?」
身体を起こし、周りを見渡す。どこにも男らしき姿はなく、いまこの場にいるのは僕と銀髪の少女だ。この状況からして明らかに「お兄さん」とは僕のことを言っているのだと思うが、そもそもココはどこなんだ?
天空を見れば、寝始めてから随分と時間が経ってしまったことは分かる。
今自分が座っているのは、シートの上だ。隣には移動してきたのだろうか、馬が静かに寝ている。潺……いや、それ以上に激しい音が聞こえる。
整理すれば、きっと僕は移動していない。寝始めたところにいるのだろう。
キョロキョロしていたのが不思議だったのか、少女は話し始めた。
「あのお馬さん、お兄さんのだよね?」
「……ぁ、うん」
「この川ね、雨が降るとすぐ嵩が増すの。危なかったからね、私、お馬さんをお兄さんの近くに移動したの」
さっき激しい音が聞こえたように、川を見れば、暗くて分かりにくいが、それでも確実に嵩が増し、流れも急になっている。
僕は理解した。少女に助けられたんだな、と。
僕には人を疑う傾向がある。だけど、この少女は不思議と信用できそうだ。あの時の変な女の人と同じように面白くも思えた。ただ違うのは、あの変な奴のように裏の顔を感じさせる瞳ではなく、純粋そうな瞳を持っていることだ。
だからなのかもしれない。僕はたった一言を言えた。
「……ありがとう」
「うんっ! お兄さんの役に立てて、嬉しいの!」
感謝をしただけなのに、この少女は本当に嬉しがっている。やっぱり面白そうだ。
「私はね、ユユ! 峠の麓の村に住んでるの」
「ナギ、旅人だよ」
「やっぱりそうだぁ! 荷物多いから、私そうだと思ってたの」
「ふふっ……」
自然と笑みが漏れる。このユユという少女は癒される気がした。それだけ僕は信用しきっているのかもしれない。
「ユユ、僕をなんでお兄さんと呼ぶ?」
「うーんとね、お兄さんはお兄さんだから!」
正直に言おう。全く意味が分からない。
ただ、これ以上追及しても意味はないだろう。水掛け論になることは間違いない。
思考から離脱し、ユユを見る。ユユの身体の隣には竹で作られた籠が置かれている。中はなにも入っていないようだ。そいてその身なりからするに、食料も一泊するような道具も持ってきていない。
ほぼ捨てたに等しい計画では、たしかこの森は夜になると多少の獣が湧くらしい。攻撃されれば最悪死に至るレベルだが、ある程度痛めつければ、獣側が自主的に撤退する。
だから旅人は最低限の技を身につけているが、この少女は旅人でも冒険者でも商人でもなさそうだ。そんな少女が出歩くのは危険すぎる。
いつの間にか僕の中に「ルルを守りたい」という庇護欲が生まれていた。こんな感情は初めてだ。それなのに僕は驚きもせず、淡々と考えてしまっている。
しかし普段ならそんな僕を僕は嫌うだろうが、この少女に関しては全くそんな想いは浮かばない。むしろ、それが最善の方法であると自分に暗示をかけているようだ。
「ルル、今日は泊まる?」
「うーん、そうしたい……けど、荷物ないの」
「貸してあげる」
「ホントッ!? やったぁ!」
はしゃぐルルを横目に僕は荷物を漁る。おそらく今晩は降らないだろう。テントは出さず、寝袋を用意する。
しかし、一人旅なのだ。寝袋が2つあるわけがない。つまりたった一つの寝袋を二人で使うことになる。
幸い、ルルのように小柄な少女が入る分の余裕はある。
シートの上に寝袋を敷き、それから今度は調理器具と食材を出していく。
「お兄さん、たくさん持ってるの?」
「うん、旅だから」
「へぇ……」
感心したように頷きながらルルは調理器具を眺めている。しばらく眺めて、僕が食材を切っていると、ルルが話しかけてきた。
「お兄さん、私山菜取ってくるの!」
少し迷ったが、僕が言葉を発する前にルルが笑顔で言ってきた。
「この近くだけだから、大丈夫なの! お兄さんと一緒に作りたいの」
「……うん、危ない目にあったら大声で呼んで」
「分かったのっ!」
そう言って、ルルは走って森の中へと入っていった。茂みが深く、すぐ姿は見えなくなったが、この地域に住んでいるルルのことだ。あまり遠くに行ったり、迷子になったりすることはないだろう。
少しの不安はあるものの、僕は夕食の準備にせっせと取り掛かった。
月明かりに照らされ囁く木々が、僕と焚火を囲んでいる。
相変わらの川の音が静寂を台無しにしているが、僕の心はいつになく穏やかだ。