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第二百二十九話

 って、おい、これマズくねぇか!?

 俺は疲労感を押し殺し、慌てて駆け寄って倒れた王子の状態を確認する。
 ひどく衰弱していて、時々手足が透明になっている。本体を維持することさえ難しい状態か。

「思ったより魔力を消費してたみたいだね……私としたことが」
「魔力をすぐに補充しないと……」

 王子に手をかざし、俺はゆっくりと魔力を注ぎ込む。幽霊は魔力に対する親和性が人間よりも遥かに高く、効率良く吸収する。それでも無駄になる魔力の方が多いのだが。
 そこは魔力量でカバーだ。
 これで持ち直してくれれば良いが……。

「あれだけ魔力を消費しながら、まだ余力があるのかい? ずいぶんと疲れてるように見えるけど」

 低い声で、黒の魔女帽子は言う。

「確かに一度に魔力使って疲れたけど、魔力そのものはまだ残ってるからな」
「なんだいそれ、規格外だねぇ」
「それ、あんたに言われたくない台詞の上位だわ」

 俺は思わず苦笑した。規格外はむしろフィルニーアだ。
 特に魔法に関しては、未だに足元にも及ばないだろう。

「はん、確かに私の本体も規格外だったけどねぇ」

 どこか拗ねるように、フィルニーアは鼻を鳴らした。

「ご主人さま!」

 足音を隠さずに走ってきたのはメイだ。ようやく追い付いてきたらしい。たぶん、探したのと、角を曲がる度に印を丁寧につけていたからだろう。
 メイは俺の様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。

「無事のようですね?」

 そして向けられたのは怒りだった。
 当然か。いきなり何も言わずに飛び出したしな。しかも全力で。付いてこれたのはポチだけだ。

「あー、そ、その、飛び出して悪かった、ごめん」
「本当ですよ! ポチもすぐに後を追いかけていっちゃいますし、オルカナさんがいなかったらどうなってたか!」

 ぷりぷりと頬を膨らませながらメイは苦情を申し立ててくる。いちいちごもっともだ。

「もう、もしはぐれて迷ってしまったら、メイはどうしたら良いか……!」
「え、あ、うん、ほんとに悪かった」

 涙目になるメイの頭を俺は慌てて撫でた。しまった、本気で心配させて不安にさせてしまった。
 フィルニーアの声を聞いて、つい我を失っちまったな、これは反省しないと。

「なんだいなんだい、随分と喧しいねぇ」

 そんな俺たちを揶揄するように黒の魔女帽子は言葉を放ち、メイがまともに硬直した。
 まぶたを何回もしばたいて、じっと黒の魔女帽子を見る。

「え……今の、声は……フィルニーアさま?」

 信じられないといった様子のメイを見ながら、黒の魔女帽子はため息をつき、ふわふわと王子の頭から離れた。
 漂うように浮き上がり(クラゲみたいだ)、メイの目の前までやってくる。

「なんだいなんだい。アンタまで私の……」
「フィルニーアさまぁぁぁぁぁぁっ!!」
「にぎゃ――――っ!?」

 一瞬で抱きしめあげられ、黒の魔女帽子は悲鳴を上げた。
 だが、メイがそれ以上の声をあげる。

「うわぁぁぁあんっ! フィルニーアさま、フィルニーアさまぁぁぁぁっ!」
「ちょ、いたっ、なんだいどういうコトさね何この力っ!? っていうか痛い痛い痛い! もげる千切れる潰される――――っ!?」

 たちまちにあがった悲鳴を聞いて、俺は我に返った。

「メイっ!?」
「ご主人さまっ! この帽子さん、フィルニーアさまですよね!?」
「お、おう、落ち着け」

 凄まじい形相で訊いてくるメイに俺は落ち着くよう促す。

「っていうか、離してあげよう? な? そのままじゃあ死ぬぞ?」

 メイは怪力と言って差し支えない力の持ち主だ。本気で帽子を潰しかねないからな。
 俺が指摘すると、メイがようやくハッとなった。

「あ、ごめんなさい」
「し、死ぬかと思ったさね……」

 ようやく解放された黒の魔女帽子は、ヨロヨロと飛んで王子のところへ戻る。
 さもありなん。

「で、でも、どうしてフィルニーア様が帽子に?」
「それは俺も訊きたいところだな」

 戸惑うメイの疑問に俺は同調する。
 疑問を投げかけると、黒の魔女帽子は大きくため息をついた。

「仕方ないねぇ。まぁ大体は想像ついてるとは思うけど、私は厳密にいうとフィルニーアじゃないさね。魔石を核にして、私の本体を元にして作り上げた防衛機構(ガーディアン)――まぁ、ゴーレムみたいなもんさね」

 分かりやすい例えだが、ゴーレムにしては知的指数が高すぎる。
 間違いなくフィルニーアのオリジナル魔法だろう。見るだけで頭痛がしそうなくらい複雑な術式を組んでいるに違いない。
 フィルニーアは本気で息をするようにオリジナル魔法作ってたからな。

「つまり、フィルニーアが王子を守るために作ったってコトか」
「そうさね。この子にかけられた呪いが強力で、解呪が不可能だったからね」

 どこか悔しそうに言うのは、フィルニーアの思考回路をトレースしているからだろう。
 あのフィルニーアでも解呪できない呪いって、どこまで強力なんだか。
 それだけで俺は絶望感さえ覚えるが、それを気にしないのが一人いる。

『ふむ。それえならば吾が輩に見せてもらおうではないか』

 自信満々に言い放ったのは、他でもないオルカナだ。
 オルカナはメイの影から黒い手を何本か生み出すと、王子の肩を掴んだ。

「この波動……とんでもないね、夜の王かい、アンタ」

 僅かな動揺を見せる黒の魔女帽子を無視し、オルカナは続ける。

『なるほど、確かに中々に強力な呪いだ。それこそ儀式魔法で、何十人もの魔法使いが一か月以上も時間をかけて作り上げたものだな。簡単には解呪出来まい。実に美しい』
「呪いに美しいとかあんのかよ。それで、なんとかなるのか?」
『なる。吾が輩にかかれば、どうということはない』
「本当かい?」

 黒い手が離れ、くまのぬいぐるみであるオルカナは自信満々に言った。
 オルカナは黒い手を収束させ、パァン! と一度大きく拍手する。
 黒い魔力の波動が波紋のように広がり、水面をわずかにさざめかせる。

『少し待ってろ、もうすぐ我が眷属がやってくる』
「眷属?」
『……む?』

 おうむ返しに訊くと、ポチが何かに反応して顔を上げる。
 しばらく待っていると、やってきたのはのっぺりとした浮遊霊だった。会話すら成立しなさそうなくらい弱い幽霊だが、オルカナは魔力を伝えて意思疎通させる。

 すると、浮遊霊が王子の前に立ち、オルカナがメイの影から再び踏み出した黒い手を重ね合わせ、王子と浮遊霊とをつなぐ。
 流れ出したのは、穏やかな魔力だ。

『呪転身の儀』

 オルカナが静かに言い放った瞬間、王子に異変が起こる。
 王子の全身から、墨汁のような、粘り気のある黒い何かが滲み出て、少しずつ浮遊霊へと移動していく。

 ――これはっ。

 俺は固唾をのんだ。

「呪いが……移っていく?」

 声さえ掠れさせて、黒の魔女帽子は驚愕を露わにする。
 当然だ。受けたものの根幹にまで関わっているだろう呪いを、受けたものに負担一つ与えずに移動させているのである。それがどれだけ繊細で、絶妙で、とんでもないことか。

 時間にして数分間くらいだろうか。

 呪いは、完全に浮遊霊へと移った。
 浮遊霊は悟ったように、ふらふらと水路の奥へと去っていく。

『詳しく話すと難解極まりないから端折るが……解呪は確かに難しい。だから手っ取り早く移すことにしたのだ。呪いは複雑だが、中身はそこまで害はない。あの屋敷に決して戻れないようにするものだからな。そしてあの浮遊霊は水路をうろつくだけの無害の存在。あの屋敷に縁もゆかりもない。呪いを受けたところで問題はどこにあるまい?』

 喜々として語るその内容は、完璧だった。
 まるで何でもないというように言っているが、誰もが唖然とする内容だ。
 その中で、魔女の黒帽子が口を開く。

「このレベルの呪いをなんの後遺症もなく映すなんて、とんでもないことさね」
『そこは夜の王たる所以と言う事だ』

 しれっと言い放つオルカナに、黒の魔女帽子は苦笑する。

「そんな夜の王が、なんで人間と行動を共にしているのかね?」

 その問いかけに、オルカナは嘲るように鼻を鳴らす。

『人形風情が、勘繰って良いものではないぞ?』
「あ?」
『グラナダ殿助けて。何この圧力。バケモノじゃないか。吾が輩ちょっと泣きそう』
「あっさり負けるなら最初から言うなよ! っていうか相手はゴーレムとはいえ、元がフィルニーアだぞ。助けられるはずねぇだろ。諦めろ、ムリムリ」
「あんたらヒドい言い様だね!」

 フィルニーアらしいツッコミが飛んできて、俺たちは少し笑った。

「まぁまぁ、とりあえず呪いも解除できたことだし、屋敷へ戻ろうぜ」
「そうですね、戻りましょう。募る話もあるでしょうし」

 俺の提案に乗ったのはメイだ。

「帰るっていったって、どうするつもりだい。ここは迷宮の水路だよ? 私たちもアイツから逃げ回ってたから、道なんてすっかり分かりやしないさね」
「大丈夫。そのために角を曲がる度に印をつけて来たから」
「はい。ご主人さまを追いかける時でもしっかりとつけてきましたよ」

 言ってメイは曲がり角を指さす。そこには、しっかりと数字と矢印が描かれていた。

「これを辿っていくだけで良いんだよ」
「なるほど、考えたさね。番号を辿れば道順も分かるって寸法かい」
「その通り。サァ行こうぜ」

 俺の提案に、全員が頷く。
 とはいえ、王子はまだ目を覚ましていないので、俺が背負うことになった。まぁ、軽いけど。
 しばらく談笑しながら角を何回か曲がる。

「……ん?」

 そこで、全員が気付いた。異変に。
 素早く《ライト》を何個か展開して周囲を明るく照らし――絶句した。

「なっ……」
『これはスライムの群れだな』

 ポチが気味悪そうに言う。というか気味悪い。
 何せ、

「壁一面どころか、天井にまでギッシリと……!?」
「そこら中スライムだらけさね!」
『――くるぞっ!』

 一斉にスライムたちから敵意が芽生える。
 マジか、こんなエンカウントかよ!
 俺は内心で毒づきながら、魔力を高めた。

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