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第百五十七話

「な、なんじゃこりゃああああ――――――――――――っ!?」

 俺は思わずそう叫んでいた。決して自分についた血を見て叫んだわけじゃない。
 家だ。ただひたすらに燃え盛る家だ。それは我が家だ。
 いやホントこれどういうことなの!? なんでいきなり燃えてんの!?

 しかもすごい勢いである。ほぼ全焼確実だろ。

 隣家とは庭と塀を挟んであるので燃え移る心配はないが……っていやそんなこと心配してる場合じゃないし!
 俺は即座に魔力を高める。すぐに消火せねば!

「《アイシクルエッジ》!」

 放った魔法は、大量の氷だ。これで少しでも消火を――って!?
 氷は大量に燃え盛る家に降り注ぐが、すぐに溶け、そして爆発した。
 なんかもっと燃え始めた────っ!?

「水蒸気爆発ってヤツだね」
「氷を一瞬にして蒸発させるってどんだけキツい炎なんですか!?」

 冷静に分析するハインリッヒに、俺は思いっきりツッコミを叩き入れると、苦笑が返ってくる。

「どれだけテンパってるの? この炎から何も感じない?」

 たしなめられて、俺は魔力を感知する。
 気付いたのは少ししてからだ。これ、ただの炎じゃねぇ。
 動揺が消し飛び、俺は真顔になりながら考え込む。この炎の奥に潜む、賤しいとまで言える不快な気配。

 間違いない。魔族だ。

 俺は顔をしかめた。
 どういうことだ。なんでこのタイミングで、ピンポイントに俺の家を燃やすんだ?
 思い当たる節があるとすれば、エキドナとのやり取りぐらいだが──まさか、エキドナがもう復活したのか?
 ぞっと背筋を凍らせていると、俺はあることに気付いた。

 ──これだけの火事が起きているのに、どうして誰も気付いていないんだ?

 フツー、大騒ぎになるはずで、消火とまではいかずとも野次馬根性の塊である人集りが出来ていたり、騎士団の連中や、それこそ消火のために魔法使いがやってきていたりするはずだ。
 それが一切なく、むしろ静かだ。
 確かに時間は夜と言えば夜なのだが、明らかにおかしい。

「《ヴォルフ・ヤクト》」

 そして、そんな環境でさも当然のように振る舞っているハインリッヒはもっとおかしい。俺は容赦なくスキルを発動させて刃を襲わせる。
 音を超えた一撃は次々とハインリッヒを切り刻む。ハインリッヒは紙切れのように刻まれ、血を出すこともなくバラバラになっていった。

「おや、ひどいね?」
「人の寝首かこうとしたヤツのセリフじゃねぇな」

 バラバラになりながらも笑顔で言うハインリッヒに、俺は冷たく言い放つ。同時に《アクティブ・ソナー》を撃って周囲の確認をした。
 やはり、結界か。
 俺の周囲だけに展開されていて、おそらく見ているものも幻覚の類だろう。だったら遠慮は要らない。強引にぶち破るまでだ。
 俺は即座に魔力を高めた。

「《神威》っ!」

 ──ばぢばぢばぢばぢばぢばぢばぢっ!

 耳元で空気が引き裂かれた金切声をあげ、空間を焼き払っていく。それは、俺を囲うように展開されていた結界さえも破壊し、ガラスのように砕け散らせた。
 露になったそこは、見慣れた静かな住宅街だった。
 俺の家ももちろん無事だ。しかし、一緒にいたハインリッヒの気配がない。
 周囲を探るが、反応そのものが感知できない。

「ハインリッヒなら、もう一人のボクと遊んでるよ」

 声は真上からした。
 見上げると、そこには羽先が黒に染まった、藍色の天使の翼を携えた痩身の男がいた。淡い紫の体躯に、灰色の肌。
 病的なまでに出来た目の隈は深く、かなりヤバめの人相になっている。

 間違いない、こいつ、魔族だ。

 ディレイから解放された俺はすかさず身構える。
 戦意を昂らせると、魔族はニヤりと嗤う。

「そんな熱意をもって見つめてこないでよ。欲情しちゃうじゃないか」
「何いきなり気持ち悪いこと言ってんだ、テメェは」
「事実と本音を言ったまでなんだけどなぁ。それにしても、随分と強引だね? 見た感じ弱そうなのに、そんな奥の手持ってるんだ。あ、でもステータスを感じると納得かなぁ?」

 いちいち首を傾げながら、男は挑発的に言ってくる。

「まぁそういうことで、初めまして。上級魔族のアザゼルでーす。よろしくね? それとー」

 言いながらアザゼルは見上げる。同時に空間に亀裂が走り、何かが飛び出してきた。真っ赤な煙を上げながらそれは落ちてきて、アザゼルは片手でキャッチしてぶら下げる。
 それは、異様な風体だった。
 紫の髪に灰色の肌、羽先が黒い、深い藍色の翼までは同じ。だが、そこからが違う。
 両目は太い糸で縫われ、両手両足も、途中がない。腕は肘から手首まで。足は太ももから膝まで。その間は糸で繋がれていて、実に奇怪だ。

「コイツはアズラエル。僕の双子の弟」

 頭を掴みながらアザゼルはボロボロになった弟、アズラエルを揺らす。
 弟とかいう割には随分とぞんざいな扱いだなオイ。
 ジト目になりつつ、内心でツッコミを入れていると、割れた空間からハインリッヒが姿を見せた。七つの七色の剣を周囲に纏わせ、飛び降りてくる。

「! グラナダくん、無事だったか!」
「ハインリッヒさん。はい、無事でした」

 家が燃えてる幻覚を見せられた時は動揺しまくったけどな。
 ちらりと無事な我が家を見つつ、俺は小さく息を吐く。

「ッガァァァアアァァッ! コロス、コロス!!」

 呼応するように叫び出したのは、アズラエルだった。血の混じった唾液を所構わず飛ばしつつ叫ぶ。

「あーあ。随分と手酷くやられちゃったんだね? まぁ相手が悪かったんだし、仕方ないよ」

 そんなアズラエルを軽薄に慰めつつ、アザゼルは俺とハインリッヒを物理的に見下してきた。
 すかさずハインリッヒが仕掛けようとするが、アザゼルは先手をうって上昇する。

「あー無理無理。今の僕たちじゃあ君には勝てないから。今日は挨拶に来ただけ」
「挨拶……?」
「そうだよー。今までコソコソと動いてたけど、ようやくベリアル様の許しが出たからね」

 訝るハインリッヒに、アザゼルは饒舌に語る。語り過ぎて両手を広げ、アズラエルを一瞬手放してしまうくらいだ。すぐにキャッチした辺り、わざとなんだろうけど。
 それより気になる言葉がある。ベリアルだ。確か――水の魔神。
 まさかの大物の名に、俺は嫌な予感にかられていた。

「僕たちの組織、ガルヴァルニアが表舞台に立つ時だよ」

 ……やっぱりか。
 俺は辟易してため息を漏らす。

「お前たちニンゲンが頑張って考えだした知識を使って、精一杯ニンゲンを殺すね? うん、殺すね?」
「それを僕が容認するとでも?」
「容認するとかしないとかじゃないなぁ。これは決定事項なんだよ」

 アザゼルは嬉しそうに語る。

「これから王都はメッチャクチャになる。僕たちが動くということは、ベリアル様が動くということ他にならないからね。今回はその手始めってこと。ハインリッヒ。お前にも死んでもらうよ?」
「……僕に勝てない君たちが、僕を殺すの?」
「殺すのは僕たちじゃないからね」

 ハインリッヒの挑発を、アザゼルはあっさりと躱して見せた。その飄々とした態度は食えない。

「お前を殺せば、王都の守りは薄くなる。そうすれば、王都も、ヴァータも殺せる」

 嘲笑いながら、アザゼルは口にしていく。

「王都が、ヴァータが死ねば、もう世界は滅びる。そう時間のかからない内にベリアル様は帝国を手中に収めるからね。そうすれば、全面戦争が始まる。お前たちの世界は終わりだなぁ?」
「そんなこと聞いて、僕がさせると思うの?」
「思うね」

 ハインリッヒの言葉に、アザゼルはあっさりと言い返す。

「君は死ぬからね」
「だったら、君もここで死ぬと良い」

 ハインリッヒの姿が消える。時空間転移魔法だ。
 刹那にしてアザゼルの背後を取った。寸前でアザゼルも気付くが、ハインリッヒの方が早い。
 七つの刃が閃き、アザゼルは問答無用で切り裂かれる!

 ――だが。

 致命傷を負ったはずのアザゼルは、笑顔を崩さない。そればかりか、すぐに再生をしてみせた。
 ってオイ、マジか今の!

「滅びるくらいの威力を籠めたはずだけど?」
「籠められたと思うけど、ちょっと僕には届かないかな?」

 ハインリッヒと距離を取りながら、アザゼルは嘲笑う。
 これは何かカラクリがあるな。
 疑いながらも、アザゼルはそれを見せようとはしない。かといって、攻撃してくる様子もない。

「……手応えはあったはずだけどね」
「それを教えてあげる必要はないかな?」

 鈍い音を立てて、空間がねじ曲がっていく。逃げる気か!

「まぁそういうことだから、これからせいぜい眠れない日々を送ってね。じゃあね」

 アザゼルはあっさりと姿を消す。
 残ったのは、静かな空気だけだ。

「……これは、とんでもないことになりそうだね」

 そして、ハインリッヒはそう不吉に呟いた。

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