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第百十三話

 一言で言い表して、グレゴリウスという男は厄介だった。

 とりあえずパレードが始まるまで近寄らせないように立ち回っていたが、それをかいくぐるように手紙をしたためてきたのである。所謂恋文ってやつだ。
 しかもご丁寧に家紋の蝋印までしてきていて、本気の文書だった。

 これは正式な求婚であり、セリナとしても正式な返事をしなければならない。

 内容としては、正妻と同等の立場での結婚、子は後継ぎ候補とする、その他生活の条件は保障する、といった実務的なものから、熱い熱いメッセージまで刻まれていた。まさに目が泳ぐとはこのことだ。
 セリナは完全に顔を青くさせてしまっていて、それを慰めるにも一苦労した。

 そしてパレードを迎える。 

 辛うじてセリナの化粧直しが間に合って、住民たちが迎える中、大通りを歩く。

 わーわーと大通りの民衆が旗を振りながら歓声を上げ、手を振ってくる。
 俺はそんな行列に向かって笑顔を向けながら手を振り返す。そんな作業だけだ。

「……それで、これからどうするつもりだよ」

 笑顔を向けながら訊いてきたのはエッジだった。意外にも真面目に笑顔を向けて返している。

「それなんだけど、正々堂々、正面から断るって出来ないのか?」

 セリナがあまりに泣くので気付けなかったが、そもそも相手が正面切ってやってきているのなら、正面から断ることも可能なはずだ。
 だが、その問いかけには、後ろで手を振っていたフィリオが答えてくる。

「難しいと思うよ。セリナの立場を思い出してほしい」
「そうなのよね、セリナは王族のカテゴリだけど、スフィリトリア領主の姫なのよ。際どいけど、城の中では王族の扱いだけど、対外的には大貴族の姫ってことになるのよ」

 アリアスが捕捉を入れてくる。
 その辺りはパレードの前にも聞いた。だから理解しているが、俺は頷く。

「そして、グレゴリウスも王族の一人だ。血筋的にな。だから婚約することそのものに不思議はない。王族同士で血を強くするのは割と普通のことだし。それに、本妻と同等の扱いにするというのであれば、待遇からしても文句は出しにくい」
「いや、それでも断れるんじゃないのか?」
「ああ、そうか、グラナダはあまり詳しくないんだよな、貴族事情」

 俺の疑問に、エッジが答える。そこでアリアスとフィリオも納得したような気配を見せる。笑顔を崩さないあたり、こいつら手慣れ過ぎてる。
 俺なんて笑顔を保つので精いっぱい、というか、時折崩れてるのに。

「グレゴリウス――つまりアーヴァニア家は、スフィリトリア領主の後見人なんだ。つまり、立場的に言って、アーヴァニアの方が上になるんだよ」
「実際、スフィリトリアの内乱以後、復興資金を結構渡しているしね。もし断るとなると、貴族的に考えてかなりマズいのよね」
「恩を返さない不届きものってことになるからな。いくら大貴族……っていうか、大貴族だからこそ、そういうことしたら不興を買いまくるもんでさ。そうなったら、後々に影響してくるんだよなァ」

 フィリオの言葉に、アリアスとエッジが続く。そして最後にアマンダが頷いた。
 ちなみにセリナは俺たちの会話が聞こえない距離で、メイと一緒に歩いている。精神安定剤的な役割としてポチも抱かせている。あのもふもふには癒し効果があるらしい。
 ともあれ、そういうしがらみがあるのか。
 俺は唸りそうになった。

 セリナはその立場を理解していて、断れないと判断しているのだ。

 まったく、グレゴリウスは本気で厄介なヤツだ。
 そういう部分を見抜いた上でセリナを狙ってきたってことか。

「というか、スフィリトリアはまだ復興の途中だったはずよ。それで重要な資金源であるアーヴァニアの不興を買ったらどうなるか……」
「財政破綻まではいかないだろうが、財政的に困窮するのは間違いないな」

 フィリオの懸念にアマンダが続く。
 つまるところ、そういう部分でも首を絞められてるってことだ。なるほど、ますます正面から断るのは難しい状況ってことか。
 ってことは、ハインリッヒが助けたって結構際どく不味いんじゃ?
 まぁ、ハインリッヒだし大丈夫か。

「それでも何とかしてあげるつもりなんだよね?」

 そのハインリッヒが完璧なイケメンスマイルを披露しながら言う。

「ああ言ってしまった以上は、なんとかしてやらないとダメでしょうね」

 俺はなんとか営業スマイルを維持しながら答えた。
 とはいえ、どうすれば良いかは八方塞がりな現状だ。スフィリトリアの現状を見て、グレゴリウスの機嫌を損ねないようにして婚姻を断らなければならないのである。

 でもそんなこと困難極まりない。

 相手は明らかにセリナに発情していて、狙ってきている。色々な搦め手を即座に使ってくるあたり、頭も悪くなければ諦めも悪い方だと思う。というか、もはや手にしたと思ってるかもしれない。
 そんな好色家をどうやって円満に諦めさせれば良いのか……。

「一応言っておくけど、貴族同士での妨害は厳しいと思ってね。出来なくはないけど、軽い嫌がらせ程度にしかならないし、ぶっちゃけて相手の方が上手だから」

 アリアスがしっかり釘を刺してくる。

「分かってるよ。そんなことしても、相手に分があるんだろ」
「まぁ、婚約を妨害するのは貴族としても、よっぽどの理由がないとダメだしなぁ……」
「んー、なんならぶっこみかけて殴り飛ばして破棄させるってのはどうなんだ?」

 アマンダの唸りに、エッジが爽やかに見えなくもない笑顔のまま暴力的発言をする。というか、短絡的思考の極みだな。
 俺がお前たちをぶん殴ったのとは状況が全然違うんだぞ。

「それをしたところで、スフィリトリアへの嫌がらせが確実だろうね」

 ハインリッヒがすかさず注意する。

「いや、そんな生ぬるいもんじゃなくて、性格が変わるぐらいにいっそ」

 なんでそこで俺とフィリオを交互に見るんだ? エッジ。殴るぞ。
 思いながら睨むと、エッジの笑顔が凍り付いたのでやめた。そうだった、まだ俺に対する根本的な恐怖感が残ってるんだった。
 言っとくけど、フィリオの場合は人格矯正とかじゃなくて、元に戻しただけだぞ。

「さすがにそれをすると色々と怪しまれるね」
「そうね、周囲を探らせたけど、今はまだ周囲にセリナを狙ったって言ってないみたいだし」

 いったいいつの間に調べたんだ、そんなもん。
 さすが三大貴族の情報網である。

「公にしたら危険だね。さすがにパレードが終わった直後にするとは思えないけど……それこそパレードの祝賀ムードに水を差すって批判受けるからね。だから、少しほとぼりが冷めてからになると思うけど」
「ってことは、あの気持ち悪い怪文書は公にするために、まずは確約が欲しいってことなのね」

 気持ち悪い怪文書ってエラい言いようだなオイ。
 まぁ分かるけど。
 爽やかに笑みを浮かべ続けるアリアスの毒舌に顔を引きつらせつつ、俺は考えを巡らせる。
 今の状況はある程度把握できた。相手の狙いや今後の作戦なんてどうでもいい。とりあえずのタイムリミットが分かればそれで十分だ。

 そしてそのタイミングはパレードのほとぼりが冷めるまで。

 だとしたら、そのほとぼりがどの程度なのかを決める匙加減は全て向こうが握っている。タイムリミットは最短だと考えるべきで、動くとしたら今夜がベストだろう。それまでに何か考えないといけないな。

「しかし、大人しく相手を引かせる方法、かぁ、難しいな」

 アマンダの悩むような声に俺も頷く。

「つまり相手がセリナを諦めればいいってことじゃねぇの?」
「平たく言えばそうだが、難しいぞ」

 エッジの言葉にアマンダが言う。
 確かにそうだ。難しい。うん、難しい。なまじセリナは綺麗で可愛いだけに、ごまかしがきかないのだ。

 ……ん?

 つまり……諦めさせればいいってことか。

 俺の頭に一つのアイデアが浮かんだ。実行するにはちょっと情報が足りなさそうだが、不可能でもなさそうである。俺は早速考えを纏める。そういえば、王城には大きい図書館があったな。

「なぁ、王城の書庫に入りたいんだけど、どうやればいける?」
「書庫? 何か調べたいってこと?」

 訊いてくるアリアスに、俺は小さく頷いた。

「ああ。出来れば魔法関連の本がたくさんあるところがいい」
「それなら図書館でも最深部になるね。特別な許可がないとダメだけど……」

 ハインリッヒは手を振りながら、あえて指を開いたり閉じたりする。その仕草だけで俺も理解した。
 指輪だ。国の認めた、重要な貴賓の証である、あの指輪だ。
 あれがあれば簡単に入れるだろうな。

「それなら心当たりあるから大丈夫。悪いけど、協力してくれるか?」
「ええ、構わないわよ」

 アリアスの返事を皮切りに、みんなは頷いてくれた。
 よし、後は時間との勝負だな。

 俺は営業スマイルの奥に密かな笑みを浮かべた。

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