––––山田美妙が、まだ武太郎で、神田須田町に住んでいた三歳の時から「彼ら」のことが見えていた記憶がある。
六歳で烏森学校に通い、尾崎徳太郎(のちの紅葉)と遊ぶころにも彼らはいた、すぐ近くに。
一度、徳太郎に見えるか? とたずねたことがあった。
「タケには見えるのか?」
見えないものが見える憧れと、それ以上の薄気味悪さをたたえた視線に耐え切れず、
「……み、見えん!」
と、強く返す。
以後、どんなに親しい仲でも、そのことは口にしないようにした。
そのうち、意識しなければ、目の端にも写らないようになり、十歳で完全に見えなくなった。
だが、幼児期の体験––––それが、霊的なものであればあるほどに、潜在意識に強くすり込まれるらしい。
そのころすでに美妙は本の虫になっていたが、彼が読む書の多くは滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、上田秋成の「雨月物語」に代表される妖異怪談もの。
はては中国清代の「聊斎志異」を原文で読み出した。
美妙の処女作「竪琴草紙」は伝奇ものであり、世の絶賛を得た「武蔵野」も、蘇峰に依頼され書いた「胡蝶」も、図らずもすべて「この世ならざる者」の存在が描かれている。
それらの作品こそ、筆鋒冴え渡り、圧倒的な魅力を現出した美妙の真骨頂であった。
「妖はたしかにいる……と、しよう。だが、ヤツらに人間をみな殺しにしてこの日本を牛耳ろうなんて、そんな不貞なヤツらなのかよ?」
パトロンであるはずの蘇峰に対し、ついぞんざいな口調になった。
それは––––
自分に霊感があるという心の奥底に秘していたことを、こうもあっさり見抜かれていたことに対する羞恥、それを会う前から自分の作品からにじみ出たものにより解したことによる驚愕と、他人に感づかれるほど妖異について書いていたことに対する後悔、それらの感情をないまぜにし、蘇峰に対抗する頑強な盾を素早く構築したためであった。
そして、
「それに……俺が会ってきた妖はそんな邪心はなかった」
美妙は唇をとがらせる。
「俺がときどき会った、座敷童や枕返には、人を殺めてやろうなんて気迫はさらさら感じられなかったし、犬夜叉や天狗のようないかつい身なりの者たちも、こっちに気がついたら、さっさと姿を隠した……妖とは本来、臆病なものじゃないのか? 人を喰らったり、とり殺しするのは物語の中だけの話じゃないのか?」
土御門が微苦笑を浮かべ、
「座敷童に、枕返、犬夜叉、天狗……か。たしかに、その気性、穏やかな種ばかりだ」
と言うと蘇峰は小さく、ほんの小さくほほえみ、
「つまり、美妙先生のご性格が清く美しいから、そのような者たちが近寄ってきたのでしょう」
と、続けた。
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