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第3話

––––ガガガガガッ!

鉄の輪が地を穿(うが)ち続ける音が響く。窓の外の景色は形を失い、色だけとなって後ろに流れた。
美妙(びみょう)を乗せた馬車はぐんぐんとその速度をあげる。
だが、車内は時が止まったかのように静まりかえっていた。

さきほどまで声を荒げていがみ合っていた栄子(えいこ)(きん)は、馬車が走り出した途端、まるで意識を失うように深い眠りに落ちた。
ふたりの間から抜け出した和装の男––––蘇峰(そほう)狩衣姿(かりぎぬすがた)の中年男の横に座っている。

「美妙先生、挨拶はまだだったね。この方は土御門晴榮(つちみかどはれなが)子爵」
「どうも〜」
蘇峰から紹介された土御門晴榮は、人指し指と中指を立てた拳を美妙に向けた––––いわゆる「Vサイン」である。明治二十ニ年のこの時、すでに日本にも伝わっていた。
「……あ、ど、ど、どうも」
美妙らしからぬ蚊の鳴くような声をたて、いまは力なくたれ下がる髪を揺らす。
神主のような白い狩衣に、黒い烏帽子(えぼうし)、そして「土御門家」……さきほどから終始笑みをたたえているこの中年男が、「陰陽師(おんみょうじ)」であることは、古典に詳しい美妙にもわかった。
たが、狂言や歌舞伎に出てくる陰陽師と違い、目の前の人物は白い紙のさわさわした「(ぬき)」でも、木べらのような「(しゃく)」でもなく、算盤(そろばん)を持って、それを終始(はじ)いている。
その姿が彼には不思議でならなかった。

「芝居の影響で、『陰陽道』とは占卜(うらない)のような摩訶不思議な術に思われているけど、実際のところは確率論なんだよね」
タハハ、と笑いながら算盤で、かなり後退した頭を軽くこずく。
「確率論……ですか?」
「そうそう、過去の事例……英語で言う『データ』だね。これを元にこれから起こることを予測する方法。未来を予測する手段のこと。ナムナムピーンって天からお告げが降ってくるものではないのよね。長州や薩摩のお偉いさんはそれがわからんのだよ」
土御門家が統括していた「陰陽寮」は、「長州や薩摩のお偉いさん」––––明治政府によって明治三年に廃止され、おためごかしに土御門は子爵(ししゃく)の位を与えられて貴族に列せられていた。

さらに愚痴が続きそうなところを(さえ)り、蘇峰が口を開く。
「陰陽寮は無くなっても、陰陽道は途絶えることはなく、いまもこの国を支えている。何十人も、何百人も」
男性なのに、少女のように澄んだ高い声音(こわね)
「その陰陽師たちが時を同じく告げた。まったく同じことを予見した」
淡々とした言葉の運びであったし、表情は相変わらず何も(うつ)しだされていなかった。
だが、明らかに恐怖の色がにじんでいるのを美妙は感じとる。口内にたまった生暖かいものを嚥下(えんか)し、蘇峰の次の言葉を待った。
そして、蘇峰は言う。
「……陰陽師たちは一斉に告げた。『日本が滅ぶ』と」

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