第2話
原稿料60円(現在の60万円)という破格の待遇。貧乏学生であった彼は、一気に人並み以上になった。
そして何より、
歴史に話材を取りつつ、主題を男女の恋愛模様にすえ、さらに若者、特に女性にも理解できるよう簡潔な文章で書くよう導いたのは、蘇峰である。
「胡蝶」掲載号は、2万部増刷するほど好評を
これに自信をつけた美妙は以後、つねに庶民の立場に立ち、より身近な題材を、より読みやすい文章で作品を書き続ける。
そのどれもが好評を得て、二十歳にして人気作家としての地位を不動のものとした。
「あなたが徳富蘇峰……先生」
恩人ではあるが、会うのは初めてである。
「胡蝶」の原稿のやり取りは、蘇峰の指示を受けた「国民之友」の担当編集者とだけであった。
「はじめまして……山田美妙先生」
蘇峰は目を開き、声を発した。
(……ッ!)
美妙の背中に、得体の知れない冷たい何かが走る。
蘇峰の
そして、その声には抑揚も無く、何の感情も含まれていない。
その顔、その手は、まるで
そこはかとなく、作り物めいた妖しさを漂わす人物。それが徳富蘇峰であった。
近寄りがたい雰囲気ではあったが、ともかく恩人には違いない。
「ご依頼を頂き、ありがとうございます」
美妙は突き出た髪をさげた。
「ようこそ、『こちらの世界へ』」
「……え?」
蘇峰の言った意味がわからず顔をあげると、ずいぶんと間の抜けた声を出す。
(『こちらの世界』って……? 文壇のことか?)
さ尋ねる前に、蘇峰はその白く透き通った手を動かし、美妙が握っている物を指さす。
「ん? あ、これ……」
手にしていたのは、異国人から渡された
「あぁ、さっきの異人に、持っていろって……」
美妙が刀を蘇峰に見せようとした。と、
––––キーンッ! キーンッ!
突然、高い金属音が響いた。
「な、な、な、なんだ!」
驚いて、放り投げる美妙。
それを蘇峰は素早く宙でとらえた。
馬車の底板に尻もちをつく美妙。
蘇峰は動く。席から離れ、美妙に覆いかぶさるように近づき、白いスーツの胸に燭台切光忠を押しつけた。
「ぼくは嬉しいよ。君のような才能のある人間に来てもらえて」
蘇峰はほほえむ––––息も触れ合うほどに、その白面を近づけて。
着物に炊き込まれた、
「……うっ!」
美妙はぞくりとして、身を硬くした。
「ようこそ、『こちらの世界へ』」
蘇峰は耳もとでささやき、ゆっくりと身を起こして席に戻る。
狩衣の男も、
「ようこそ、『こちらの世界へ』」
少女ふたりも、
「「ようこそ、『こちらの世界へ』」」
車内にいる者たちは笑みを浮かべ、そう美妙に言った。