第七十九話
赤魚人たちが襲ってくる。
地上で戦った時とは桁違いの速さと力強さだ。
確かにこれは力を取り戻す前の俺で挑んでいたら、相当な苦戦を強いられていただろう。
水の中をジェット噴射のごとく勢いで縦横無尽に泳ぎながら、赤魚人たちが攻め込んでくる。
だが、今の俺の敵ではない。
素早く再生させた二十一もの刃が閃き、間合いに入った赤魚人から切り刻んでいく。
水の世界で、赤が迸る。
次々と鮮血が舞い、水が濁っていく。
ものの十数秒で、俺は赤魚人たちを片付けた。
全滅させたのはメイのためだ。メイは水中呼吸の魔法で生存は出来るが、戦うなんて不可能である。
俺は身体を風船のように膨らませ、歪な形でのけ反ったままのレスタへ向かう。
「あひっへひっ、ぐひひひいっひいいっ」
レスタは完全に精神が逝っているのか、何を言っているのか分からない状態だった。
人の力を継承でも引き受けるでもなく勝手に奪ったのだから当然の報いと言えば報いだ。
とはいえ、このままトドメを刺すのは難しい。
何故なら、レスタを拒絶するあの電撃によるダメージがもうなくなっている様子だからだ。
強靭極まりない生命力に加え、超速再生でも保持しているのだろうか? 元々種族としての耐久値がバカに高いというのもあるのだろうけれど。
それに、もう一つ懸念があった。それは呪いだ。
自然の摂理とまで謳われる《神獣》を仕留めると、呪いにかけられる。どのような呪いかは知らないが、ロクでもないことは事実だ。
レスタはその《神獣》ではないにしろ、眷属ではある。何かしらのペナルティがある可能性があった。
ポチの時は飼い主としての責任があったので呪いを被る覚悟ではあったが、こんなレスタには何の義理立てもない。だからといってこのまま放置して、地上に上がって暴れられても困る。
『主、どうやらレスタは《魔導の真理》を行使して身体を作り替えようとして失敗したようだな』
「失敗?」
『不老不死の存在になろうとしたようだな』
アホか。
俺は即座に辟易した。
不老不死の方法は、確かに真理として存在する。無数の魔法の智識の一つとして。だがそれは、魂の循環、輪廻転生という世界法則からの逸脱を意味する。そしてそのためには現世のあらゆる物質の否定と等しく、肉体が拒絶反応を起こすのは当然だ。
つまり、この外道の法を行おうとすれば、肉体が滅ぶのである。
ってことは、まさかその滅びる肉体を強制的に再生させるように仕向けたのか?
おそらく俺の考えは間違っていない。
肉体の強制超速再生は、幾つか方法があるが、どれも難解だ。種族としての壁もあるし。その点はクリアしているのだろうが、滅びていく肉体よりも早く再生させようとするのは無謀だ。
それで膨大な知識に溺れ、精神崩壊も起こしたのか。
ん、っていうことは……。
『ヤツは中途半端に理から外れた半端者だ。もはや眷属でも何でもない。《神獣》の加護も外れているようだからな。呪いの心配はいらなさそうだ』
ポチの言葉に俺は少しだけ安堵したが、超速再生の問題が解決したワケではない。
「《真・神撃》」
俺は《クリエイション・ブレード》で武器を生み出してから瞬足で移動し、レスタを真っ二つに斬る。
「あぎゃひひいひひっひひいいいいいいいっ!?」
今まで聞いた中で一番不細工な悲鳴が上がる。
切断されたレスタは、だが傷口から炭化しながらも強制的に再生していく。その破壊と再生がせめぎ合っている間、レスタは悲鳴を上げ続ける。
痛覚はバッチリ生きているようだな。
「やっぱりダメか」
俺は舌打ちした。
まさかこんな方法で耐えるヤツが出てくるとはな。とはいえ、かなりのダメージは与えているので、レスタの生命力が途切れるまでやるのも一つの手ではあるが、俺の魔力が持つかどうか、だな。
それかいっそ、
《天雷》は《神威》《神撃》《神破》の三つを
とはいえ、アレは一度ぶっぱすると俺の魔力は完全に消し飛んでしまう。
そうなると、この水の中だ。俺は溺れる。確実に。
だが、この術を使うしかないのであれば――どこか安全な地上にまで連れて行ってぶっぱするか?
などと考えていると、空間が急激に歪んだ。
驚愕する間もなく、その空間から、二対の翼をもつ、白髭を携えた魚人が現れた。
『ヴァータ!』
ポチが姿を認めて名を呼んだ。
って、マジか。コイツが水を司るとまで言われる《神獣》のヴァータか!
ヴァータは穏やかな動きで手を左右に一薙ぎした。
瞬間、怯えるように水が一斉に引いていく。それは奔流となって俺たちも巻き込まれそうになったが、ヴァータだろう、保護膜に包まれて事なきを得る。
そして、ヴァータは手を翳しただけでセリナとポチを包んでいた膜を割った。
「グラナダ様っ!」
解放されると同時に、セリナが俺へ走ってくる。
その勢いはかなりのもので、俺は身構えてキャッチしなければならなかった。
「良かったです、グラナダ様! 一時はどうなるかと思いましたねぇ」
「あー、ああ、ちょっとヤバかったかも」
まさか力を奪われるとは思わなかった。
とはいえ、良い経験にもなったけど。今の俺の力は、もう俺のものだってことが分かったからな。
「グラナダ様、頭撫でて欲しいですねぇ。私、怖かったです」
「ん、分かった」
俺はゆっくりとセリナの頭を撫でてやる。
まぁ怖い思いをしたのはセリナだしな。
「……久しぶりだな、《シラカミ》の」
「うわんっ」
「ふふ。壮健で喜ばしいことだ。魔族にしてやられた時は気を揉んだが、無事だったようだな」
「わんっ、わんわんわんっ」
「ああ、そうだな。積もる話はまたにしよう。今は、レスタのことだ」
ポチが尻尾を振りながら鳴き、ヴァータは微笑みを引き締めた。
ヴァータが俺へ視線を移してくる。
「我が眷属がとんでもないことをしたな。迷惑をかけた。詫びを入れよう」
「ホントだぞ。地上だってメチャクチャになってる」
「ああ。既に私が指示を出して強制的に撤退させているよ。本当に済まなかった」
ヴァータは本当に申し訳なさそうに言う。
ということは、これで地上もひと段落つくってことか。まぁすぐに戦闘が終わるとは思えないけど。
「地上へ向かったのはレスタに賛同した一派でな。私の力が及ばなかった。今はレスタが長ではなくなったから、私の強制力で抑え込んでいるが、いずれ彼らにも処分を下さねばなるまいな」
強制的に連れていかれたのであれば処分の保留もあるだろうが、賛同したのなら救いの道はないな。
俺は妥当だと判断して頷く。
こっちの犠牲がどれだけあったのか分からないが、許されることではないからな。
「その後で王都へは、公式ではないが訪問せねばなるまいな」
「あら、湖の主様がですか? それはどれくらいぶりですかねぇ」
王都は位置的な関係上、湖の主とは切っては切れない関係にあるのだろう。
それはフィルニーアからも教わっていたが、まさか交流までしているとは思わなかった。
この王都の歴史をもう一度深く知っても面白いかもしれないな。
「損害賠償や謝罪の件はその時に話し合おう。今はレスタの処分だ」
ヴァータが視線を移動させ、未だに苦しむレスタを見た。その目つきは鋭く、憐憫の欠片も見せない厳しいものだった。もはや眷属としても見ていないのだろう。
ヴァータの身体から、僅かだが魔力が放たれる。レスタの状態を探っているのか。
「まったく。理を捻じ曲げようとするからそうなるのだ。私の加護を外しておいて正解だったな」
「それは良いけど、再生能力が高すぎて困ってるんだよ」
「だろうな。アレはもうこの世界の理から半分外れているようなものだ。例え我らの力でも滅ぼすのは困難だろう」
おいおい。《神獣》でもダメってどうすりゃいいんだよ、まったく。
だが、ヴァータからは困った様子は見られない。ってことは、何か方法があるのか。
「自我は僅かだがある様子だな。ならば、方法はある」
「どうするんだよ」
言っとくが、コイツへは恨みつらみあるぞ。失敗作呼ばわりされたからな。
「僅かに残った自我を繋ぎとめる。絶望という感情で、この世界の理に。そうすることで、肉体は再生し続ける間は永遠に苦しむことになる」
言いながら、ヴァータは魔力を高めていく。
おお、それってアレか、永久の呪いってヤツか。
「さぁ、グラナダ、といったな。君の最大限の力でアイツに一撃を見舞ってやれ。その苦痛を絶望に変換して、永劫に繋ぎとめる」
「……分かった」
俺は頷いて意識を高める。この技を使うのは本当に久しぶりだが、最大限の力と言われればこれしかない。
限界まで魔力を研ぎ澄ませる。
その威圧はプラズマとなって俺の周囲の空気をささくれ立たせた。
《神威》と《神撃》と《神破》の三つを
「――《天雷》っ!!!」
一瞬で超高エネルギーが収束し、一条の稲妻となって俺の両手から放たれる。
それは視界を真っ白に染める程の眩い光を放ち、空気さえ蒸発させながら突き進む。
空白の衝撃波がやってきて、追いかけるように音がやってきた。
音の圧力も風になる中、凄まじい破壊だけがレスタを打ち据えていく!
あの《黒狼》さえ一撃で屠る威力のそれだが、レスタの身体は再生を始めていく。
「――かの者に永劫の宿業を」
その瞬間、ヴァータの魔法が発動した。
淡い水のような膜が出現し、レスタを包む。同時に、破壊の力も包まれていった。
「あひっ、ひや、あはは、あひっぎゃああああああああああぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」
その膜が震え、絶命の絶叫が轟く。
だが、それでも肉体は再生し、また破壊の力が苦痛を与えていく。
「永劫に苦しめ。同胞だったものよ」
ヴァータはそう冷たくしめくくった。