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第三十二話

『ゴルアアァァアアァァアアァッ!!!!』

 豪快な雄叫び。空気が震え、恐怖に全身が総毛だつ。
 だが、フィルニーアは果敢だった。体内で練り上げていた魔力を一気に解き放つ。

「《バースト・ブレイブ》! 《ガールティア・フレア》! 《ウィンディアム・ブルームマキシマ》! 《ベフィルリナ・ベフィモス》!」

 解放したのは、極大魔法の数々だ。
 その一発のそれぞれがとんでもない威力を誇る魔術だ。かつて、スフィリトリアの城に攻め入ってきた魔物の大群を面白いように薙ぎ払った術たちでもある。

 それだけの破壊が一つに収束して巨狼に襲い掛かる。

 爆裂が重なり、周囲へ怒号のような戦慄きを轟かせた。光、風、炎、土、水、全てが巨狼を殺そうと仕掛けてくる。しかし、巨狼はそれらを嘶きの一つで弾いて見せた。

 な、術が炸裂してから弾いた!?

 ありえない現象に俺は驚愕しつつも、魔力を高める。裏技(ミキシング)で威力を最大限高める。

「《フレアアロー》っ!」
「火剣っ!」
「ワォンっ!」

 マグマ色の火矢が飛び、メイが火の斬撃を飛ばし、ポチが突撃する。
 だが、火矢も斬撃も、皮膚一枚傷付けることは叶わず、ポチの突撃もまるでボールのように弾かれた。

 なんて防御力だ!

 そこへドラゴンが上空から強襲を仕掛ける。けたたましい雄叫びと共に口からレーザーを放つ!
 ゴォン、と衝撃の音が響き、巨狼の背中を焼き払う。――はずだった。
 一瞬の後、巨狼がまた嘶き、レーザーの破壊を弾いて見せる。

「まるで何も受け付けねぇなっ……!」
「身体は《神獣》そのものだからね、けどそれはまやかしだよ!」

 上空へ舞い上がったフィルニーアは両手に抱えきれない程の炎を宿す。

「《フレアボム・レイン》っ!」

 おそらく裏技(ミキシング)が施されたのであろう魔法は強く輝いていて、分裂した。複数の光球はそれぞれ巨狼に襲いかかっていく。
 あの一発だけでもとてつもない威力を誇るだろう。
 証明するかのように着弾と同時に強烈な光が放たれ、熱風を送り込んでくる。

 くっ、息をするのも辛いくらいだな!

 冗談抜きでフィルニーアが本気を出しているせいだろう。
 だが、それでも巨狼はけろっとしている。

「いいかい、汚染された《神獣》は徹底的にダメージを与えるんだよ。攻撃した分は、確実に纏う闇の力を消していくからね!」

 フィルニーアが叫ぶ合間に、ドラゴンがその爪と牙で襲い掛かる。
 巨体同士の衝突は、それだけで衝撃波を生む。
 しかしドラゴンはあっさりと弾き飛ばされていく。マジかよ。ドラゴンが力負けするとこなんて初めて見たぞ。

「……――信じるぞ、その言葉っ! 《エアロ》っ!」
「風剣!」
「ゥゥウワォンっ!」

 俺とメイは巨狼の目に向けて攻撃を放ち、ポチは足元を狙う。
 上級魔法レベルの威力のはずの魔法が炸裂する――が、相手は瞬きさえしない。

「くそっ、魔力が尽きる前に心が折れそうだなっ……!」

 愚痴った瞬間、巨狼が動く。
 おそらく俺たちのことを鬱陶しいコバエのようなものだと思ったのか、振り返りながら尻尾ではたいてくる。それは俺たちからすれば、黒い壁そのものだ。
 今からの回避は間に合わない! だったら!

「《エアロ》っ!」

 俺は即座に魔法を放ち、メイとポチを抱えて大きく跳躍した。着地のことはまるで考えず、ただただ高く飛んだ。
 それなのに、すぐ真下を尻尾が過ぎ去る。
 直後、シャボン玉のような膜が俺たちを包んだ。フィルニーアだ。

「そう何度も助けてやれないよ、もっと周囲へ気を配りな!」

 厳しい口調で言ってから、フィルニーアが箒を駆って接近を試みる。挟撃するように、ドラゴンも特攻を開始していた。
 ゆっくりと着地し、膜が破裂する。
 俺はその間に意識を高めていた。少しでもダメージを与えられる術があるとすれば、これしかない。

「ポチ、周囲の警戒を頼む。メイ、魔力水の準備」

 俺は最低限の指示だけを出して、スキルを放つ。ごっそりと魔力が削られる。

「――《神威》っ!」

 放たれたのは、稲妻の破壊。
 凄まじく空気が切り裂かれ、刹那の雷轟が巨狼の全身を叩く!

『ゴォァッ!?』

 巨狼が初めて、姿勢を傾けた。

 って、効いた!?

 もしかして雷は特攻属性か!?
 目眩を覚える中、俺は膝をつく。すぐにメイから水が差しだされ、俺は飲み干す。
 ちょっと希望が見えてきたか? よし、これを連発して――。

 ――光。

 ――――風。

 ―――――――――衝撃。



 ――――――――――――――――暗転。



 ――――――――――――――――流転。


 …………どうした、んだ? 今、何が、あった?
 気が付けば、景色は土煙で塗れていた。いや、違う。これは、灰だ。

 どうしてか、耳の調子が悪い。声が、すごく遠い。

 いや、耳だけじゃあない。五感の全てが遠い。
 だから、どこか気持がいい。
 このまま、眠れたらなんて幸せだろう――。

 って、待て!

 俺は覚醒的に意識の全部を手繰り寄せる。
 ついさっきまで、俺は、俺たちは、巨狼と戦っていたはずだ。それなのに、どうして!

「っ……!?」

 俺は起き上がろうとして、仰向けに寝ていることを気付いた。腕を動かそうとして、反応がない。
 どういうことだ、と反応の鈍い首を動かして右を見ると、腕がなかった。

 …………は?

 思考が空白に染められる。
 その時だ。ぽた、ぽた、と俺の頬に水滴が落ちてくる。雨か何かかと思ったら、ぼやけた顔があった。

「ああ、どうして、どういうことだい……ワシの、ワシの愛しい息子……」

 声で分かる。フィルニーアだ。

「ワシのせいだ。ワシの術が間に合わなかったから……ああ」

 やっと焦点があってくる。フィルニーアの泣き顔もハッキリしてきた。
 初めてだった。
 あのフィルニーアが、ぼろぼろと泣いている。どうして? ああ、俺が、こうなってるからか?
 俺はちらりと左を見る。やっぱり腕はない。
 どういうことか、たぶん巨狼の攻撃を受けてだろうけれど、俺は両腕を損失しているらしい。
 慌てまくるところなんだろうけど、どうしてか他人事のようだった。

「今、今、なんとかしてやるからね……」

 フィルニーアの全身が光る。

「思わなかったよ。偉いね。あの巨狼の闇の咆哮を受け止めて、みんなを守るなんて」

 ――はい?
 俺はまた思考が空白する。どういうことだよ、何も覚えてないんだけど。
 問いかけたくても、俺の口は上手く動いてくれない。
 その代わりに、俺の目の前にステータスウィンドウが開いた。

 ――《神破》の使用条件をクリアしました。体力を犠牲に発動するスキル。拳に神の力を宿す。《神威》を使用し、且つ、両手をクロスさせて構えることで発動する。

 なるほど。
 俺は合点がいった。
 俺はこの技でもって、巨狼の《闇の咆哮》とかいう技を受け止めたのだろう。記憶がないけど。けどおそらく間違いないはずだ。使用回数に「1」って数字があるし。
 そして、受け止めきれなくて、両腕を失ってぶっ飛ばされたってことか。
 けど、そのおかげでメイやポチ、みんなを守れたってとこだろう。

「全てはワシの責任だよ。ワシがアイツの力を図り損ねた。だから、アンタを、愛する息子をこんな目に遭わせちまった。だから、アンタはワシが護る。アンタの仲間も、護る」

 気が付けば、フィルニーアを纏う光が消えていた。

「ワシの命に代えても」

 その言葉の覚悟に、俺はぎょっとした。
 ちょっと待て、それってまるで――死ににいくようなもんじゃねぇか。

 フィルニーアは微笑みながら立ち上がる。どうしてか両腕がない。
 まさか、と思って視線を動かすと、俺の両腕が復活していた。

「意識がしっかり戻ったら、全力で逃げるんだよ。それまでの時間稼ぎくらいはするさね」

 おい、待てよ、何をするつもりだよ、待て、待てよ、待ってくれよ!!
 俺は必死にもがく。でも、動かない。イライラする。なんで動かないんだよ!

「《インフェルノ・フェンリル》」

 フィルニーアは、穏やかな声で魔法を放った。
 遠くで、重い音がした。
 同時に、フィルニーアの全身が薄くなっていく。

「……一〇年と少し。ああ、もうすぐ十一年かね。グラナダ。あんたと過ごした時間は、何よりも幸せで温かかったよ。だから、さようならとは言わないね」

 淡い光に包まれながら、フィルニーアが言う。

「ありがとう」

 やめろ、やめろよ! そんなこと言うなよ! ついさっき、ついさっき、約束しただろ!!!!

 俺は声にならない叫びでフィルニーアを睨む。繋ぎとめようとする。
 だが、駄目だった。
 淡い軌跡を残して、フィルニーアの姿は消えた。

「ニーア……フィルニーアぁぁぁああぁぁあっ!!!!!」

 絶叫が、やっと出る。
 同時に俺の身体が自由になり、軽くなった。俺の身体に、フィルニーアの魔力が循環しているのを感じる。両腕もそうだけど、力も分け与えてくれたらしい。
 すぐ傍には、眠っているメイと、こちらを見てくるポチがいる。

「くそ、くそっ、くそぉぉ……!」

 俺は情けなく涙を流して、拳を地面に打ち据えた。何度も、何度も。
 どうして、どうしてフィルニーアが。

 俺の、母さんっ……!!

 許せない。自分も、あの巨狼も、何もかも。

『……逃げないのか? 主』

 かけられた声は、初めて聞くのにどうしてか耳に馴染むものだった。
 俺は周囲を見渡す。だが、声の主はいない。

『私だ。……ポチだ、主』

 視線を落とすと、座った状態のポチがこっちをずっと見てきていた。
 どうやらテレパシーを飛ばしてきているらしい。

「……ポチ?」
『ようやく話が出来るな、主。アレが弱くなって、主が強くなったからようやく通じるようになった』
「どういう、ことだよ」

 怪訝になりながら訊くと、ポチはちらりと視線を動かし、俺を誘導する。
 そこには、黒い帳に封じられている巨狼がいた。

『あれは、私の肉体だ』

 一瞬、理解が追いつかなかった。いや、あれは《神獣》だろ? どうして、って、あ、いや、そういうことなのか。ポチはまさか、《神獣》なのか。

『魔族に封印される間際、私は最後の力の欠片を使って転生した。それがこの姿だ。だが、力が全くなくてな。ボロボロになって行き倒れになったところを、主に助けられたのだ』

 なるほど。それで俺が《ビーストマスター》の能力を駆使して主従させたのか。
 実に分かりやすい説明だ。

『主よ。もう一度問う。逃げないのか?』

 その一言は、俺に突きつける刃に等しかった。

『主の親、フィルニーアが命を賭して稼いだ時間だ。使わないのか? 彼女の意思に背くのか? 言っておくが、今でこそ封印されているが、すぐにでも破られる。今、ハインリッヒとかいう英雄がこちらへ向かってきているが、間に合わないだろう』
「……っ!」
『封印を破られれば、今度こそ主は殺される。私の身体だ。どれだけ強いのか、私が一番知っている』

 そうだ。フィルニーアが稼いでくれた、時間。
 俺はぐっと歯噛みする。

「逃げるなんて……悔しい。俺は、アイツが憎い。村を焼いて、村人を殺して、フィルニーアまでっ」
『だったら』

 俺の思いの吐露を遮って、ポチは言ってくる。

『強くなってみないか?』

 その提案は、分かりやすく単純に、俺の心を刺激した。

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