第三十一話
メイが落ち着くのを待っていると、どこかで絶叫が響いた。どうやら向こうも決着がついたらしい。
少しの間を置いてから、フィルニーアは箒に乗ってやってきた。
速度が遅いのは、気配か何かでこっちも終わったことを悟ったからだろう。
「なんだ、死なないとは思ってたけど、まさか倒しちゃうなんてねぇ。ちょっと意外だった」
ふわふわと高度を下げながら、フィルニーアは感心したように言ってくる。
「ギリギリの戦いだったけどな」
これは本当だ。もし《神撃》に目覚めていなかったら負けてただろう。最後の四人に分身するとか、ぶっちゃけ負けを覚悟したからな。
メイやポチがいなかったらダメだった。ポチは命令違反をしたわけだが、これを咎めることはできないな。むしろご褒美を上げるレベルだ。
「ま、それは様子を見れば分かるさね。さすがに魔族相手に余裕を保てるヤツなんていないさね」
「……あんたは余裕そうだけど?」
「ワシは例外」
しれっと自慢しながら、フィルニーアは着地した。
さすがに少し疲れているのか、ため息を漏らし、肩をコキコキと鳴らした。いつもならこれで帰るのだろうが、そんなはずがない。
俺たちには、まだやることがあるのだ。
フィルニーアも当然承知していて、こくりと頷いた。
「さて。まずは鎮火して、そこから墓の準備だね」
墓、と言われて、俺は胸を刺されたような思いをした。
「生存者は?」
「いない」
「……一人も?」
「一人も」
俺の問いかけにフィルニーアは目を閉じながら即答した。
たまらず俺は顔を反らす。くそ。助けられなかったか。
「ごしゅじんさま……?」
俺の様子が変わったからだろうか、目を赤くさせ、眉を寄せて不安そうにするメイが見上げて来た。
「あ、ああ、大丈夫。メイは大丈夫か?」
「……うん。かなしいけど」
「そうだ、メイ。ここでお姉ちゃんのお墓を作ろう」
「え?」
メイがきょとんと首を傾げる。
「遺体も何もないけど、でも、弔うことはできるだろう? お祈りしよう」
「そうさね。墓を作ることで、魂の還る場所と出立点を作ってやることは大事なことだね」
その言葉に、メイは目を潤ませた。
「お墓を作って、少しでも楽にしてあげよう」
「…………うんっ!」
そして、メイは笑った。
「ぅーわんっ! わんわんっ!! わんわんっ!!」
そんな空気を邪魔するように、ポチが姿勢を低くしながら吠えたくった。
何事か、と思うより早く、空気が異常に重たくなるのを自覚した。まるで重力が加算されたかのような。
「これはっ……!?」
周囲を見渡しながら、フィルニーアは焦った表情で言う。
ぼこり。
音がしたのは、地面からだ。
何かが、盛り上がってきている。直後だった。俺たちはシャボン玉のような膜に包まれ、強制的にその場から弾き飛ばされる!
言うまでもない、フィルニーアの仕業だ。
フィルニーアは自分も膜で覆いながら加速していた。
「フィルニーア!?」
「来るよっ! どでかいのだ!」
それだけ言った直後、視界が暗転した。否。眩しすぎて暗く見えたのだ。
「きゃあああっ!」
凄まじい衝撃は次の一秒後で、あらゆる瓦礫が膜を叩いてくる。
外は吹き荒れる暴風のようで、俺たちは何も出来ずにただ翻弄された。
う、これ、は、目が回るっ……!
三半規管が撹拌されて、俺は吐きそうになる。メイも同じ様子なのか、若干顔色を青くさせていた。
最終的には地面に叩きつけられ、俺たちは衝撃に呻いた。
暴風と、光が終わる。
膜が破裂し、やけに埃っぽい空気が入ってくる。周囲に立ち込める土煙のせいだ。
「大丈夫か、メイ」
「うん、なんとか……」
「クゥーン……」
すぐ足元で、ポチが伸びていた。
あー、犬とかの方が酔いやすいってきくもんな。
俺はポチを抱き上げて撫でてやる。
「呑気なことしてる暇はないさね」
そんな俺たちの前に、緊迫感を漂わせたフィルニーアが着地する。
咎められて俺も気付く。この土煙の向こうに何かがいることを。それも、尋常じゃあない。
まるで心臓が掴まれたかのように苦しい。それでいて頭を押さえつけられているかのようで、今にも屈服してしまいそうだ。
これってまさか――《ビーストマスター》の《屈服》か!?
俺は慌てて口を塞ぎ、魔力を全身に巡らせて対抗する。
「なるほど、《神獣の権威》さね」
「《神獣の権威》……?」
違和感のままおうむ返しに訊くと、フィルニーアは振り返ることなく頷いた。
「まったく、やってくれるさね。アイツら魔族の狙いは、これだったのかい」
「どういうことだよ」
「ワシとアンタが戦った魔族は、単なる時間稼ぎだったってことさね。今、あそこにいるバケモノこそが連中の真なる狙い。ワシを倒すでも、村を殲滅して喜ぶでもない。いや、むしろそれらは、あのバケモノを目覚めさせるための生贄」
生贄?
分からないで眉を寄せると、フィルニーアは杖を構える。ブン、と虫の羽音のような音を立てて見えない結界を展開した。
「この世界に棲む《神獣》を長期間かけて穢し、斃し、封印。そしてその身体を乗っ取る」
また風が起こる。
荒々しい風は土煙を弾き飛ばし、視界をクリアにさせる。
「うげっ……」
姿を見せたのは、大木よりも巨大な黒い狼だった。禍々しいしい気配を感じさせる鎖で地面に繋がられているが、次々と引きちぎられていっている。
とたん、ポチが唸りをあげて威嚇を始める。
なんだ、あれ。
ざわざわと全身が強張る。
「座学でも言ったさね。《神獣》は魔獣の中でも最強。神に等しいとも言われる存在。この世界の大自然の摂理そのものとも言われる」
「そんな存在を穢したってのかよ……」
「途方もない犠牲を重ねて倒し、封印。そして途方もない時間をかけて穢して汚染していく。成功するかどうか分からないコトだけどね。けど、今回は上手くやったようじゃないか」
言うフィルニーアの声に余裕はない。
当然だ。相手が相手である。今すぐにでも逃げ出すべきなのだろうが、恐らく無理だ。
俺の本能が告げている。
ヤツからは逃げられない。いずれ、世界を巻き込む災厄となる。それはフィルニーアも分かっているようで、魔力を既に高めていた。俺なんかじゃあ辿り着けそうにないくらいの量と濃度だが、あのバケモノの前では霞みそうだ。
あの魔物を笑いながら屠るチート級のバケモノ魔女が、だ。
「けど、どうするつもりだよ。あんなバケモノ……!」
「まともに戦って勝てる道理はどこにもないさね。存在がそもそも違うだからね。なんとかして封印を施して、長い時間かけて浄化してやるしかない」
それをやるってのかよ。
「けど、そんなこと出来るとしたらハインリッヒ坊やたちしかいないさね」
ハインリッヒ、と言われて、あの天然英雄が頭に浮かぶ。
「どこにいるかも分からないだろ?」
「一応呼んだことは呼んだけどね。だから、ワシに出来ることは一つ。それまであのバケモノを釘付けにして時間を稼ぐことくらいさね」
どうやらフィルニーアとハインリッヒの間には強いつながりがあるようだ。
とはいえ、ハインリッヒがどこにいるか分からないが、そう簡単には駆け付けてくれないはずだ。
「そんなこと出来るのかよ」
俺は思わず口にしてしまう。それは、フィルニーアの能力を疑う言葉であるにも関わらず。
だが、フィルニーアは苦笑して少しだけ振り返った。
今まで見せたことのない表情に、俺は少し戸惑う。絶対勝気の傲慢にも思える、フィルニーアが。
「難しいさね。でも、アンタがいれば出来るかもね」
「……俺を頼るのかよ」
「アンタはワシの自慢の息子だからね。それに今は、頼りがいのある仲間が二人もいるだろう」
言われて、俺はメイとポチを見た。
「俺は《
「いいや、立派に強いさね」
「けど……」
「それとも、アンタはワシを助けてくれないのかい?」
その問いかけは卑怯だった。
俺はウダウダと頭に浮かんでいた子供の言い訳を全部斬り捨てた。
助けてくれない?
んなワケねぇだろ。
転生してきた俺を拾ってくれて、育ててくれて、今の今までずっと守ってくれて。
そんな恩人を助けないとか、ありえねぇだろ。
俺は覚悟を決めて、フィルニーアを睨んだ。
「んなワケねぇだろ……」
「さすが愛する息子さね」
「これが終わったら、美味いメシ食わせろよ。あと、温泉にもつれていけ。後、もっともっといろんなこと教えろ」
素直に、ずっといてくれ、とは言えなかった。
けど、フィルニーアは分かってくれている。
「ああ、当然さね」
ぽん、と俺の頭に手を置いて、フィルニーアは微笑んだ。
「さぁ、戦うよ」
それを合図に、俺は構える。
「メイ、ポチ」
「はい。ご主人さまについていきます」
「わんっ」
名前を言うだけで、メイとポチは分かったように返事をしてくれた。
ああ、いつの間に俺には、こんな良い仲間が出来たんだろう。少し嬉しかった。
ふと上空に気配を感じた。見上げると、フィルニーアがテイムしたドラゴンが降下してきていた。
「さぁ、総力戦さね」
その言葉の直後、黒い巨狼は最後の鎖を引きちぎった。