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最終話

「もっと早く出てこい!」
栄子は八雲に不満をぶつけた。
「そうですよ。すぐ飛び出でていくからって言ったじゃないですか!」
(きん)も不平を鳴らす。
槍でバシリスクを全力で押さえ込んでいた少女ふたりは、相手が消滅したことで力の行き場を失い、廊下にへたり込んでしまった。

「スイマセン! でも、あなたちふたり、息が合っててとても良かったデス!仲良しになれるネ」
八雲の言葉に、少女ふたりは顔を見合わせ、お互いにっこりと微笑む––––ようなことはなく、
「こんにゃろ!」
「こんちくしょう!」
同時に相手に飛びかかる。髪をひっぱり、頬をかっちゃき、口をつねる。やがて殴る蹴るの本気の乱闘となった。

突如はじまった少女ふたりの取っ組み合いを、唖然(あぜん)と見ていた林太郎(りんたろう)に、
「センセー、早くあの薬を!」
八雲(やくも)は声を飛ばす。
「……え、あ、そうだ、そうだった」
はっとして白衣のポケットをまさぐる。
「……徳富(とくとみ)先生に持っていくよう言われた時は、なんでこんなものが必要なのかと思ってたけど……なるほど」
林太郎は細長いケースを取り出し、開ける。そこには薬液が詰まった注射器が納められていた。それを手にして、砂山となったバシリスクを飛び越える。

バシリスクが討たれ、それにともない石化の呪いが解かれて生身へと戻った金之助(きんのすけ)(のぼる)が、気を失って床に倒れている。
土気色の彼らの腕に針を刺し、投薬する。
「血流をよくする薬だけど、一度石化した––––つまりしばらく死んでいた人間に効くかどうか……」
林太郎は大きく息を吐いた。目を覚ますのは……本人たちの生きる意志、その強さだけだ。
 
金之助、続いて升に薬を打った林太郎は、さらに奥にひとり横たわっているのを見て近寄る。
この家の主、幸田成行(こうだしげゆき)であることは、上役の土御門(つちみかど)からその風体を聞かされていたのですぐにわかった。
「……ッツ」
大蛇に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられ昏倒(こんとう)していた成行は小さく(うめ)く。
「大丈夫?」
林太郎は意識をとり戻した成行の、素っ裸の上半身をかかえ起こした。
「あたたっ!」
苦痛に顔をしかめる成行。頭が、首が、背中が、腰がひどく痛んだ。
それに耐えるよう眉根を寄せ、目をきつく閉じる。ただでさえいかつい顔が、阿修羅像がごとく(けわ)しく(ゆが)む。

「おい、しっかりしたまえ」
林太郎は成行の筋肉が(いわお)のように隆起した両腕をゆすった。医師の目で、傷がないか素早く調べる。
「うむ、石化していたわけではないね。打撲痕はあるが、特にいそぎ治療を要する外傷はなさそうだ」
まじまじと筋肉の塊のような成行の裸を見る。
「鍛えれば、日本人でもこれほどまで屈強な肉体を持つことができるのか……ふむふむ」

見知らぬ男が自分の体に顔を近づけている––––食い入るようなその視線に、気恥ずかしいような、嬉しいような気分になり、成行は獣のような顔を朱に染め、たずねる。
「……あ、あなたは?」
「おっと失礼、わたしは森林太郎」
「……森……林太郎? あのドイツ帰りの森鴎外(もりおうがい) ⁉︎」
林太郎は、
幸田露伴(こうだろはん)ほどの文筆家が、わたしのことを知っていたとは嬉しいね」
声と笑みを弾けさせた。

––––幸田露伴と森鴎外。

明治を代表する文豪ふたりの、これが邂逅(かいこう)である。
成行––––幸田露伴が「露団々(つゆだんだん)」で、林太郎––––森鴎外が「於母影(おもかげ)」で、ともに日本の文壇に颯爽と登場するまであと数ヶ月の時を要するのだが、同人誌等で活躍してきたふたり、この時すでに多くの小説好きの若者たちから絶大な支持を得ていた。
––––露伴と鴎外。はやい時期から、ともに互いの文才に惹かれていたのだった。

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