レッドバック卒業?
天頂に輝く太陽を睨みつけ、空の背負子を背中に背負い、キャンセル料金ご馳走様ですと歩き出した途端。山肌にいくつか見える獣道がドヤドヤと騒がしくなる。
「どこかで見てやがったな?」
思わず小さく呟いてしまう程の良いタイミングで依頼主の冒険者達が待ち合わせ場所に現れる。
「おう! 待たせたな!」
五人組の冒険者パーティーがこちらに近付いて来るが、パーティーのうちの一人が足を引きずっているようだ。
「悪いなあ、一人しくじって怪我人を連れて山道を降りて来たから少し遅くなった。今回は足下の良い登山道を真っ直ぐ帰るからよう。これ頼まあ」
ドスンと地面に放り投げられたのは少し小ぶりの鹿二頭。小ぶりとは言え手足のついた大人の鹿だと百キロを超えるのでかなりの大仕事だ。
「ワタと手足は落とさないんですか?」
「怪我人がいるからな、急ぎ仕事なんだ」
急ぎ仕事だと冷やしてすらいないし、血も抜いてないな? そんな鹿の買取金額なんてものは二束三文にしかならない筈だ。荷物持ちのキャンセル料金を大人しく支払った方がよっぽど安く済む筈だがケチでバカな冒険者はその辺の計算に疎い。
目の前を空荷で歩くレッドバック達にキャンセル料金を支払う事の方が我慢ならないのだろう。
地面に横たわる鹿の死骸の下に背負子を差し込んで、途中で落とさない様にロープで縛着する。アケミの方も同じ様に縛着するが背丈が足りない分獲物を引き摺らない様に手足を折りたたんで固定する。
「よお、レッドバックの兄ちゃんよう。そっちの細っこくてちっこい姉ちゃんはその荷物持てるのかあ?」
ああ、逆にこちらから依頼キャンセル料金をふんだくろうと画策しているのか? 確かにアケミの背丈や肉付きからは百キロを超える鹿を背負って登山道を降りるのは無理そうに見える。ケチでクズな冒険者が考えそうなことだ。
あらかじめ背負子の目立たない場所に貼り付けてある魔法陣を小声で起動させてアケミに背負子を背負わせると、まるで物理法則を無視したかの様なおかしな動作で軽々と背負ってしまう。
やりすぎだ。
事前に打ち合わせていた通りに重そうな演技をしろと言い含めておいたのにアケミはすっかり忘れている様だ。
「重いだろうけど頑張れよ!」
俺はアケミの正面に回り込み殺し屋もビックリな目つきで睨みつけてやると、漸くアケミも思い出した様だ。
「お、おもいわー」
お前はもう口を開くな……
こちらは荷物の軽減をしているが、冒険者達に速度で嫌がらせをされたらどうしようもない。下手すれば難癖をつけられた挙句依頼料を値切り出す。
俺も小声で魔法陣を起動させると重そうな演技で鹿を背中に担いだ。
「いやあ、結構な重さがありますねえ、あまり揺らすと背負子の方が壊れっちまうんでお手柔らかにお願いしますね」
一応予防線を張っておこう。
「ああ、こっちも怪我人がいるから走ったりはしねえが、途中の休憩は期待しないでくれよ」
いくら空荷の身であっても獣道を休憩無しで下山するなら無理な話だが、整備された登山道を休憩無しで降りるのなら話は別だ。アケミの方に視線を送ると親指を立てているのであっちも大丈夫だろう。
「じゃあ、経路は登山道を寄り道せずに街までだ。休憩は怪我人しだいで取るが出来るだけ明るいうちに治療院に辿り着きたいからそのペースで頼むぞ」
冒険者達は疑わしげな視線でこちらを見ながらも登山道へと歩き出す。
肩に食い込むはずの荷物は羽の様に軽く思わず鼻歌がこぼれそうになるのをぐっと我慢するが、隣でアケミが呑気に鼻歌を歌っていたので取り敢えず後頭部にパンチを食らわせておいた。
先を進む冒険者達がチラチラとこちらを見ているが無理もないだろう。はらわたを抜いていなくて足も切断されていない、おまけにゴミにしかならないツノまでまでついた野生の鹿は百キロ近くあるはずなのに歩調も乱さずに後ろをついて来る荷物持ちは貴重である。
「レッドバックの兄ちゃんよ、張り切ってるのは良いがばてるなよ?」
冒険者の一人がこちらに振り向き声をかけて来るが、こっちは後ろをついて行く身分である。お前らがペースを落とせバカと心の中で呟きながら愛想笑いを返す。
当初の予測通り冒険者達は登山道で一切の休憩を取らずに進み、街道に辿り着いたところで怪我をした冒険者の申告により休憩がとられた。
「背負子の点検をしたいんで一旦荷物を地面に下ろしてもいいですか?」
荷物を背負う下ろすで難癖をつけて来るクズも過去にはいたので一応の許可をとっておく。
「あ、ああ構わない。それにしてもそれだけの体力を持っているのになんでレッドバックなんかやってるんだ? 鹿を丸ごと抱えて登山道をこのペースで降りて来られるなら初級依頼くらいだったらなんなくこなせるだろうよ」
「ええ、基礎体力作りでレッドバックをやっていた様なもので、そろそろ荷物持ち以外の依頼も受けようとは思っているんですよね」
背負子の点検をしながら振り向きもせずに適当に流しておくが、おそらくは安く使える奴隷の様な従業員が欲しいのだろう。スカウトをしたそうに親しみを込めた声色で話しかけて来た。
「そっちの姉ちゃんはどうなんだ? どこかのパーティーに雇われる予定とかあるのか?」
「へ? あたし? あ、あたしはその旦那様がいるので……」
いや、それは言い方がおかしい
「ああ、新婚か? なら野暮な事は言えねえな」
街道まで出てしまえば難癖をつける事も諦めたのだろう。休憩場所では終始和やかな雰囲気で時間が進む。
まだ明るい時間帯に街中に到着すると治療院付き添い組と依頼完了組に分かれて事務手続きを終わらせる事になり、ギルド事務所まで荷物を運べば今回の依頼は完了した。
「いやあ、今回は当たりのレッドバックだったな、怪我人が居なければ山の中をたっぷり歩いてもらえたんだがこれも時の運だからな」
意外とあっさり引いた依頼主は俺達に手を振って治療院へと足早に向かって行った。
底辺で荷物持ちをする連中と俺達は違うと認識された様で、迂闊にもめない様に配慮しているのだろうか。
依頼料金は満額手に入れたので懐は暖かい。
しかし俺の頼みの綱は金だけなので派手に飲みに行くなどの気分には到底なれない。
大人しく家に帰るか……
ギルド事務所の近所で営業している飯屋からは、肉を焼いた香ばしい香りが風に乗って鼻腔をくすぐる。
ぐううううう
腹の虫が騒いでいる。
いや、俺の腹の音じゃない。
驚いて辺りを見回すと俺の真後ろにアケミが居て、飯屋から漂う香りにヨダレを垂らしていた。
「まだ居たのか?」
「ちょ! まだ居たのかって、あたしは旦那様に隷属中の身なんだからついて行くに決まっているでしょ!」
「じゃあとりあえず家に帰れ、また明日な」
アケミに手を振って踵を返すと襟首を結構な強さで引っ張られた。
「依頼料金は今もらっただろ? 飯屋に行って飯でも酒でも好きにしろよ」
「家が……」
「ああん?」
「家が無いのよ! 売っちゃったのよ!」
全財産って持ち家も含めて溶かしたのか、この女。