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第7話

お互い裂帛(れっぱく)の気合いを込めて鋭鋒(えいほう)突き込むが、そのつど防がれ、服を割いてすり傷すら負わせることができないでいた。

やがてふたりの周囲には、野次馬たちの壁が形成されはじめていた。さもあらん、十代のうら若い洋装とお召し(はかま)の少女が、喝声(かっせい)罵声(ばせい)をあげながら、長大な槍を振るっているのである。目立たないわけがない。

(きん)は叫ぶ。
「ち、ちょと、あぶない!」
なんだ、なんだと浅草寺(せんそうじ)に参拝する者、済ませた者、それらの人たちが足を止め、人だかりがふくらみ、少女ふたりを取り囲む輪は縮まって、いまや見物人に槍の先がふれてしまいそうであった。

「お嬢、場所を移すよ!」
栄子(えいこ)蜻蛉切(とんぼぎ)りを大地に突き立てると、まるでリスのようにするすると柄を登り、石突きの上で––––なんとぴょんと逆立ちになる。
柄の先をつかみ、頭を下に両足をピーンと天に向かって伸ばす。出初(でぞめ)の火消しか、見世物屋の曲芸師か、栄子のみごとな軽業に地上から拍手が沸く。

––––と、ぐらりと栄子の身体が右に大きく(かたむ)く。蜻蛉切りの柄がしなり、ミシリミシリと音をたてる。
––––すわ、倒れるか⁉
見物人たちは悲鳴をあげる。
「ほいさ!」
短い言葉を発して、栄子は両足振る。すると柄は戻り、ふたたび垂直に––––は、ならず今度は勢いあまって身体は左へ。

––––次こそ倒れて、地面にぶつかる!
また観衆がどよめく。
が、倒れない。
また右へと戻る。
振り子のごとく揺れる栄子。
速度も振り幅も、野次馬たちの心臓の音も最高潮になったところで––––
「とぉうっ!」
栄子は飛んだ。

宙を舞う彼女の手にはしっかり蜻蛉切りが握られている。
「はい、っと!」
反動を使って、飛び上がった栄子は露店の屋根へと着地した。
息を飲んで見守っていた地上の人々が、爆発したように拍手と歓声をあげる。
栄子は芝居小屋の役者のように大仰(おおぎょう)に身を折り、頭を下げて一礼。
そして、顔をあげると今度はくるりみなに背を向け––––その小さなおしりを突き出し、みずからペンペンと平手で叩いた。

「うっきっきぃ!」
くるり振り向いた栄子は右手で頭を、槍を脇にはさんだ左手で胸をかいて、猿のまねをした。
眼下の観衆はどっと沸く。人の身さばきとは思えぬ動きのあとに、猿まねである。ウケないはずはない。
「……むぐぐぐ」
錦は満面(あけ)に染めた。馬鹿にされているからである。
ただからかわれているわけではない。
錦の先祖、前田慶次郎(まえだけいじろう)にはこんな逸話がある。

小田原の陣、大阪城、伏見御殿、諸説あるが、太閤秀吉が諸国の大名を招いて(うたげ)(もよお)した際のこと、末席にいた慶次郎は、芸を披露せよと秀吉に言われた。
––––もののふをつかまえて、芸をせよとは!
ここは武士の一分(いちぶん)、慶次郎はこともあろうに猿のお面をつけ、扇ふりふり猿舞を披露した。
猿面冠者(さるめんかんじゃ)」と嘲笑される秀吉へ、堂々真っ向からの挑発であった。
––––が、そこは天下人秀吉。慶次郎のイタズラをにこにこ笑って受け流し、賞賛して褒美を与えたという。
それを知っていて、慶次郎の子孫である自分を小馬鹿にした、と錦は思った。

「くっそぉ……」
錦は屈辱に下唇を噛む。
と、栄子は猿真似をやめ、
「ついてこいよ!」
露店の屋根を走りだす。
「チッ! 」
錦は舌を打ち鳴らすと、
「どいてどいて!」
人壁を突き破り、栄子と並行して浅草寺へとのびる道を疾駆した。
「せいゃぁ!」
充分な助走をつけた錦は、皆朱槍(かいしゅのやり)の石突を地面に突き立て、大きく弓なる柄の、その反発力で宙空へと飛翔する。

浅草寺本殿から、のちに「雷門(かみなりもん)」と呼ばれる外門までまっすぐ伸びた表参道の両脇には、レンガ造りの商店が軒を連ね、「仲見世(なかみせ)」と呼ばれていた。
その仲見世の屋根の上を栄子が疾走し、参道をはさんだ反対の店の上に錦は舞い降り、そして駆け出す。

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