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第4話

岡本栄子(おかもとえいこ)––––三十人もの子どもを成した「牛鍋王」木村荘平(きむらそうへい)の長女で、ここ「いろは第十支店」の若きあるじ。
 
知的な容姿ながら、愛想と愛嬌があるので客受けよく、彼女と話をしたいがためにわざわざ遠くから訪れる者も多く、政府高官にも栄子の贔屓方(ファン)も少なくはない。

店主で看板娘の栄子は、田澤錦(たざわきん)をまじまじと見る。
続いて、
「……へぇ、なるほど」
いままで気がつかなかった、と言わんばかりに彼女が左手に握る朱塗(しゅぬ)りの棒を見上げた。

蘇峰(そほう)先生から話は聞いているよ。あんたがね〜」
店の中に差し込んできた西陽にメガネが反射。白く光って、栄子の表情はわからない。
––––ただ、さきほどまでの闊達(かったつ)な口調、高く明るい声音(こわね)ではなくなっていた。

「あれをこれに!」
いきなり叫ぶ。
「「へいッ!」」
ふたりの男性従業員が同時に声を上げるなり、店の奥へと走る。
栄子はふところから白く長い布––––「たすき」を取り出すや、手早く上衣(ふく)のたもととそでをたくしあげた。

「……え?」
栄子の豹変と動きに唖然(あぜん)とする錦。
ほどなく、奥に消えた店員が何かを持って戻ってきた。二人がかりで抱えてきたのは、二丈(6メートル)ほどもある、笹の葉のような形の穂がついた黒柄(くろえ)の槍であった。

(あね)さん!」
栄子より明らかに年長の男ふたりは叫ぶや、彼女へとその槍を放り投げた。
栄子は槍の柄を掴む––––片手で。
––––そして、その細い右手一本で、頭の上でひと回し。

––––ブォォォォォォン!

旋風(せんぷう)が巻き起こり、店内にいた者の肌を叩く。

さらに勢いを増し、ふた回し、み回し。

––––ブォォォォォォン! ブォォォォォォン!

五、六度まわしてかなり加速した状態で、
「たぁっらぁぁぁぁぁ!」
栄子はいきなり、そのしなり、()える槍の柄を、眼前の(きん)の腹に叩き込んだ。

––––パンッ!

繰り出された柄の速度が速すぎ、肉を打つ音が驚くほど小さく、そして乾いて聞こえた。

「うぐっ!」
が、その威力凄まじく、驚愕(きょうがく)の表情を貼りつけたまま、錦は身体を「く」の字に折り曲げ、宙を飛ぶ。
目を丸くし、あごをはずれんばかりに口を開いている美妙(びみょう)の前をものすごい勢いで通り過ぎ、「いろは」ののれんを巻きこんで、

––––ドォォォォンッ!

仲道通りをはさんだ店の向かいの口紅や白粉(おしろい)、お歯黒を売る露店の棚に弾丸のように突っ込んで爆音をあげた。

店先で客と談笑していた露店のあるじは何があったのかと、のぞき込む。
––––と、そこへ、
「うっしゃぁぁぁ!」
空高くから、槍振りあげた少女が降ってくる。
––––栄子だ。
錦をぶっ叩いた後、すぐに駆け出し、店を出るなり穂先を地面に突き立て、柄を弓なりにしならせるやその反動で天へと舞いあがる。
そして、落下する勢いを乗せ、槍を露店の屋根に叩きつけた。

––––バキバキバキバキッ!

粉塵(ふんじん)と売り物と轟音が吹き上がる。
倒壊したおのれの店を見てあるじが絶叫。
ゆらりと起きあがる栄子。
「な、な、な、何しゃがるっ!」
熊か(いのしし)か、扱う物に似つかわしくない毛むくじゃらでむさい露店のあるじは、頭ひとつ小さい栄子の胸倉をつかむ。

メガネを光らせた栄子は、無言であるじの胸を手のひらで押した。
「えっ!?​」
白く細い腕から放たれた力なのに、受けた衝撃大きく、あるじはよろめき後ずさり、きつねにつままれたような表情のまま尻もちをつく。
––––と、

––––ビュュュンッ!

一瞬前まで彼の頭があった場所の空気を、何が切り裂く。
それは、細い穂先がついた、血で染めあげたような朱色の柄を持つ槍であった。

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