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5.懐かしい顔

「いやあ、懐かしいですなぁ。考えてみれば、ひと昔というほどには昔の話でもありませんが、いや、懐かしい! 帝都で奉仕しておりますが、あまり世情には触れる機会がありませんで」
 楽しそうに語るグストンだが、その手は捕まえた男たちを手早く縛り上げている。
「ご主人の件は伺っております。残念ではありますし、あれだけ腕の立つ銀騎士が帝都を離れているのは些か不安ではありますが、なに、吾輩が言うのもなんですが、優秀な方ですからね」

 ほどなく戻ってくることでしょう、と縛り上げた男たちを兵士に引き渡し、グストンはニカッと笑う。
「ありがとう。それより、どうしてあなたがここに?」
「おっと、そうでした」
 兜を脱ぎ、短く刈り込んだ頭を乱暴に拭って、グストンは先ほどパトリツィアたちが立ち寄った兵士たちの詰所へとパトリツィアたちを誘導する。

「ここは吾輩がよく利用させてもらっている場所で、色々と勝手もわかりますのでね」
 いきなりの実戦で精神的に疲労したらしい新人たちを休ませ、パトリツィアはグストンと向かい合ってテーブルについた。
「あなたほどの騎士が、街なかで、それも単身で警備についているとは思わなかったわ」
「いやはや、吾輩はあまり政治的なことがわかりませんで、上に疎まれておるのですよ。騎士の部下はおらずとも、兵士たちはよく動いてくれますから」

 グストンはそう話したが、彼に向けられる兵士たちの視線はあまり好意的ではないことにパトリツィアは気付いていた。
 先ほども一人で行動していたあたり、心配させまいとして言っているのだろう。
「逆に動きやすいとも言えますな。ここ最近、他国からの間者らしき者たちが裏町に増えてきております。そういう連中を追うのに、一人だと出仕の時間を自由に動かせるので」

 パトリツィアが金騎士になる直前の頃から彼女の部下として共に戦っていたグストンだが、正直、多くの部下の中で然程目立つ存在では無かった。
 愚直で信頼がおける人物であると考えていたので、中級指揮官として重用こそしていたが、その分交流は少なかった。
 旧交を深めようにも、元々あまり親密では無いのが、どうも申し訳なく感じる。

「しかし、その……隊長は金騎士であらせられるのに、帝都とはいえ町の警備とは……」
「まだ正式な着任命令は来ていないから、新人たちの力を見るのと訓練がてら、という感じね。それと、今の階級は銀騎士よ。あなたと同じ」
「なんと!」
 細い目を見開いて、グストンは額をぴしゃりと叩いた。

 彼がパトリツィアを隊長と呼ぶのは、以前からのことだ。今は立場が違い、同格の騎士なので敬語を使う必要すらないのだが、それを知ってもグストンの態度は変わらない。
「上層部は何を考えておられるのか。復帰されたばかりとはいえ、隊長ほどの人物が銀騎士からとは!」
「これでも皇帝陛下の御恩情あってのことよ。下手したら銅騎士か鉄騎士あたりからやり直しを命じられていたわ」

「なんともはや……」
 嘆かわしい、と小さく息を吐いたグストンは、目の前の木製カップを掴み、中に入っていたぬるい水を呷った。
「隊長が引退されてから、しばらくの間は問題がありませんでした。御主人のベネディクト殿が目を光らせておられましたから……」

 ところが、城内での力関係が変動したのか、詳しいことは不明ながら、一年ほど前から帝都内の、特に騎士たちに関する人事が酷く変わったという。
「吾輩が地方から呼び戻されたのもその頃で、ベネディクト殿とは二度ほど顔を合わせましたが、かの御仁も突然の命令が続いて、四ヶ月の間に三度も任地が変更されていたそうです」
「……異常ね」

 帝国内に置いて、貴族階級である騎士たちは国家公務員のような扱いであり、国内どころか国外へも転勤や出向の可能性はある。
 だが、急な空席でも出ない限りは年単位で同じ部署に留まるのが通例だった。特に出身地から離れた、土地勘のない場所であれば猶更だ。
 対して、兵士たちは地元で採用される平民たちで、基本的に異動は無い。そして、兵士たちのための恩給はその土地の領主が負担する法になっているのだ。

「吾輩は独り者ですし、異動があるのは問題無いのですが、ベネディクト殿のことは、本当に不可解ですな」
 異動を繰り返された挙句、最終的に国境での迎撃命令を受け、失敗の責任を取って危険な辺境にいる。誰かの差し金ではないか、とはグストンも考えたらしい。
「……その“原因”を調べているのよ。城内に出入りしている誰か。それも人事に口出しできるような人物が必ず関わっているはず」

「なるほど。そのために復帰なされたわけですか」
 お金が必要だというのも事実だったが、そこは野暮になるのでパトリツィアは何も言わなかった。
「吾輩もそれとなく探ってみるとしましょう。諜報の類はやり慣れませんが、この町のことも随分とわかってきました。噂なりなんなり、役に立ちそうな情報は積極的に集めておきます」

「ありがとう。助かるわ」
 飲み水を用意してくれた兵士たちにも礼を言い、馬を受け取った彼女は部下たちを引き連れて城へと戻った。
 城門の前で解散を告げられた部下たちは、ホッとしたような、ひどく疲れたような顔をしている。翌日もまた朝から出仕となる。しばらくは新人に休みは無いのだ。

 帝都内に実家が無い者たちは独身寮へと戻り、食事をしたら早々に眠ってしまうだろうことをパトリツィアは知っている。誰もが通った道なのだ。
「お姉さま、お帰りなさい」
 部隊の責任者であるパトリツィアはまだ帰るわけにはいかない。カチヤが待ち構えていた執務室へとたどり着き、鎧を外した彼女は、じっとりと蒸れた服が張り付く感触を不快に感じて座る気にはなれず、机に腰を押し付けるように寄りかかる。

「それで、何かわかったかしら?」
「まだ一日目ですから、大したことはわかりませんでした」
 しょんぼり、といった感じで口をへの字に曲げるカチヤ。自分の成果に対してというより、難しい調査対象に苛立っているらしい。
「とにかく、侯爵の周囲では目立った動きはありませんでした。それよりも、例のレオンハルトさんたちが問題ですよ、お姉さま」

 メイドたちの耳目は城内のあちこちにある。
 どうやらパトリツィアに完敗したレオンハルトら第一騎士隊の者たちは復讐の機会を窺っているらしい。
「皇帝陛下まで巻き込んで御前試合を進言したそうですよ。なんでもお姉さまの復帰記念を理由に」

「あっそう」
 さらりと流したパトリツィアは、本気で「どうでもいい」と思っていた。組織や国よりも自分の虚栄心やスコアを優先させる人物はどこにでもいる。
そういう手合いを真面目に相手しても損をするだけで、適当にあしらって奥に限る。
「もう一つ、情報があります」

 まだ何かあるのか、と疲れた視線を向けると、カチヤはにっこりと笑っていた。
「三日前に現地を発った伝令からの報告ですが、ベネディクト・アルブレヒツヴェルガー様は、お怪我も無くご無事とのこと。二度ほど戦闘があったようですが、鬼気迫るご活躍をなさったということです」
 それは、知りたいと思っていても言い出せなかった内容だった。

「……そう。良かった」
 視線を落としたパトリツィアは、口元に笑みを浮かべながら呟いた。
「私も、頑張らないとね」
 金髪を手早くまとめ上げた彼女は、椅子に座って羊皮紙とペンを引き寄せると、インクが付かないように袖を軽く引いてほっそりとした白い手首を露わにする。

「カチヤ。今から騎士のリストを作るから、彼らが今、どこで何をしているか調べてくれる? それと連絡を付ける方法も調べておいてほしいの」
 パトリツィアは、本格的に自分の手勢を集めるつもりだ。
 信頼できる仲間が、力のある友人が欲しかった。
 手早く書きつけたリストを見て、カチヤは首をかしげる。

「一人抜けていませんか?」
「ロミルダ? 彼女は良いのよ」
 彼女たちが話しているのは、現役時代にパトリツィアの戦闘面における片腕と呼ばれた、とある女性兵士のことだった。
「あの子には、私の留守を任せているから。彼女なら、息子の守りにぴったりだし」
 
 万が一、留守中のアルブレヒツヴェルガー領に曲者が入っても安心だという返答に、カチヤは首をかしげる。
「ロミルダさんが?」
 変ですねぇ、とカチヤは口をとがらせていた。
「今日、ロミルダさんと似た人を見たんですよ」

「……は?」
 パトリツィアの言葉には苛立ちと焦りが含まれていた。「き、気になるんで、ちょっと確認して来ますね。なぁに、きっと大丈夫! 他人の空似ですよ。彼女が任務を放棄するなんてあり得ませんし!」
 部屋の温度が上がったような、寒気がするような肌の粟立ちを覚えて、カチヤは苦笑いと共にそそくさと部屋を逃げ出していく。

「大丈夫かしら」
 とにかくはカチヤに任せるしかないのだが、夫のことで少し安心したかと思うと今度は息子の心配と、胃が痛くなりそうなパトリツィアだった。

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