バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

6.訓練の行く先

 ロミルダが帝都に来ている可能性がある、とカチヤは言っていたが、それから三日間は何の情報も入らなかった。
「本当にロミルダが帝都に来ているのかしら?」
 息子の守りはどうしたのか。来たならばなぜ自分の所に顔を出さないのか。気になって領地の義両親に手紙を送ったものの、まだ返答は無い。丁度今日あたりに届いているころだろう。

 この世界で、手紙は確実な連絡手段では無い。輸送業者は武装こそしているものの、途中で野盗などに襲われて紛失することは決して珍しくない。
 単身で輸送中、急病で行き倒れてしまう場合もあった。
「誰かを送るのが一番なのだけれど……」
 それこそかなりの金がかかる。今は返済の為に少しでも出費を削りたいところだ。

 出費と言えば、とロミルダの件に思考が戻る。
 彼女は帝都付きの兵士として、女性としては珍しく前線に立つタイプの戦士だった。体格が大きく、パトリツィア旗下の主だった将兵の中ではグストンに次いで膂力があるほどだ。
 パトリツィア引退の際には、あちこちの貴族から夫人や令嬢の護衛にと引く手数多であったが、全て断ったかと思うと、旅に出てしまった。

 彼女とパトリツィアが再会したのは、それから一年半ほどが経ったころだった。
 どこかでパトリツィア懐妊を知ったロミルダは、大量の贈り物を抱えて突然アルブレヒツヴェルガー子爵領を訪れた。
「何を買っていいかわからなかったから、手当たり次第買ってみた」
 豪快に笑った彼女からのプレゼントは、おむつや子供用の肌着など実用品から小さい子供向けのおもちゃ、中には高価な菓子なども含まれていた。

「産まれてすぐの赤ん坊が、クッキーなんて食べられるわけないじゃない」
「ああ、言われてみればそうか」
 失敗した、と言葉では言いながらも、少しも反省した様子も見せずに笑っていた彼女は、しばらく流れの傭兵としてあちこちの戦場を渡り歩いていたらしい。
「とはいえ、ちょっと疲れたんだよね。この町は静かで落ち着くから、しばらくはここに留まるよ」

 パトリツィアの義父が「義理の娘が世話になった相手なら」と平民のロミルダが持てあますような別邸を空けて格安で貸出し、彼女が料理をはじめとした家事が全くと言っていいほど不調法だと知ると、侍女も派遣した。
 そのお礼として、ロミルダは子爵領の兵士達への訓練指導を引き受け、町の警備や巡回方法なども伝えていったのだ。

「どうも親父さんにはうまい具合に使われちゃうね」
 時折、身重のパトリツィアを訪ねてはそう言って、そのまま夕食をごちそうになり、時には領地の子供たちと遊んでいる。
 子爵からしてみれば歴戦の兵士を格安で雇えるうえに、身重の義娘がリラックスできるのだから一石二鳥だっただろう。もちろん、ロミルダ自身の豪放な性格を気に入っていることも大きいとパトリツィアには見えた。

「ロミルダさん。そのまま息子さんが生まれるまで居座っていたんですね」
 カチヤは書類を片付けながら「自分もそうすれば良かったかも」と呟いた。
 そのままパトリツィアの出産にも居合わせたロミルダは、専属護衛として正式に雇い入れられた。
 金騎士時代にパトリツィアが蓄えた分もあり、ロミルダも大金を要求することは無かった。もし彼女が辞めて別のことをする気になったなら、それはそれで別に見つけるから良いとも伝えている。

 信頼できる人間に息子を任せることができて、ベネディクトの件があって帝都に入ることが決まっても、安心して領地を出られた。
 ロミルダに疑いを抱いているわけではない。むしろ彼女の状況も含めて心配している。
「そろそろ訓練のお時間ですよ。ロミルダさんの件は、わたしが調べますから」
「そうね。考え込んでも仕方がないもの」

 カチヤが言う『訓練』は、パトリツィア自身のためでもあるが、概ね新人教育の場と化している。
 初日で彼女の実力を知ることになった彼らは、すっかりと反抗心を失くして素直にパトリツィアのいうことに従うようになっていた。
 午前中は訓練。午後は町の巡回という日々を続けており、その間に幾人かの犯罪者を確保。あるいは処断している。

 しかし、肝心の経験ができていない。
「少し早いけれど、なるべく彼らが使い物になってくれないと困るのよね」
「おっ、いよいよ彼らの“童貞”を捨てさせる時期ですか?」
「どこでそんな隠喩を憶えてくるのよ……」
 彼女たちが行っているのは、『人を殺す経験』のことで、当然、戦場で兵士達の話を耳にしているうちに憶えたものだ。

 騎士訓練校の実習で、生き物を殺すことはある。
 訓練としてグループに分かれて野生の動物と戦い、仕留める。その生き物を解体して食べるのも訓練の一環だった。新人たちもそれは経験しているだろう。
 しかし、人間を相手にして殺し合いの経験は少なく、実際に手を下したことはない。
「相手の武装が精々ナイフ。それも素人相手の戦いを続けていたら、いずれ実戦で失敗するわ」

 いずれ彼らも戦場を経験することになるだろう。
 これが太平の世であればそうはならないかもしれないが、若いうちの、それも下級貴族出身の騎士達となれば、いずれ前線を経験させられる。
 指揮官として有能であるかはさておいて、まずもって人を殺すということがどんなものであるか、経験しておかねばならない。

「普通そこまで気にかけて部下を育てたりしませんけれど、お姉さまはお優しいのですね」
「違うわよ」
 目的は別の所にある、とパトリツィアは騎士の制服を脱いで訓練用の動きやすい服へと着替えながら呟いた。
「騎士を育てる能力が評価されたら、それだけ私を前線で活用しようとする動きが出やすくなるでしょう?」

 皇帝はお膝元である帝都からパトリツィアを動かしたくはないだろうが、軍部が強く意見し、パトリツィア本人が了承すればその限りでは無い。
 正体不明の敵対者は彼女を前線送りにすることを望んでいるかどうかは不明だが、排除を目論むならその動きに乗っかるか、自ら動き出す可能性はあった。
「手っ取り早く、わかりやすい成果をあげるなら前線が一番良いのよ。もしこのまま私を帝都で飼い殺しにしようとするなら、自分で名乗りを上げても良いわけだし」

脱いだ服をカチヤに渡し、コルセットも外して格闘に向いた胸元だけを押さえる物に付け替える。押し上げられた豊かな胸を隠すように、生地の厚いシャツを羽織る。
「もっとも、その場合は私の部隊ごと出動するよう命じられるでしょうね」
 だからこそ、新人をそれなりに“使える”ように鍛えておく必要があるのだ。
「人でなしの考え方だけれど……なりふり構っていられないわ」

 カチヤはパトリツィアの考えを否定せず、ただ黙って頷いていた。英雄と呼ばれる人間が、大量の血と屍で築きあげられた土台に立っていることを知っているから、慰める必要も励ます必要も無いとわかっているのだ。
 その後、午前の訓練でたっぷりと新人たち相手に汗を流したパトリツィアは、カチヤが城内にある浴場の使用許可を取ってくれたことに感謝して汗を流し、ゆっくりと昼休憩の時間を使って風呂を楽しむことにした。

 経産婦とは思えないほど整ったプロポーションは、同時に浴場を使っていた同性の使用人たちの注目を集めた。
 長い髪を洗い流すと、金の織物が水の流れに揺れて天窓からの光をゆらゆらと反射する。
「はあ……」
 騎士となって久しぶりにリラックスできる時間だった。

 城の敷地内にある大きな浴場は、男女がわかれていて使用人たちや騎士、兵士達が限定された数の使用許可を得て使う。帝都のあちこちにも浴場は存在し、そこは市井の人々にとって憩いの場となっているが、この城内浴場も社交の場であることには変わらない。
 使用人たちや兵士達などグループにはわかれているものの、女湯の中はそこかしこで噂話や意中の男性など楽しい話題に花を咲かせていた。

 パトリツィアは一人、湯船の隅でゆっくりと半身浴をしながら、午後の行動について考えていた。
「人殺しのことを考えているのは、この中で私だけかもね」
 職業病かとも思うが、これも家を守る為に必要なことだと頭を切り替える。
 そんなとき、ふと兵士らしき女性たちの言葉が耳に入った。なんでも、帝都内に盗賊と思しき集団のアジトがあるので、夜に襲撃する班があるらしい。

 盗賊が怖いとかいう話では無く、仕事の一部として面倒なことだと話しているあたり、彼女たちも肝が据わっているというか、慣れている様子がうかがえる。
「夜番の人たちも大変よねぇ」
「ごめんなさい。ちょっといいかしら」
「はい。……えっ?」

 突然話しかけてきた相手が何者か知っているらしく、女性たちは一気に湯船から立ち上がり、敬礼する。
「落ち着いて。ここはお風呂だから、立ったままだと冷えちゃうわよ」
 ほら、とパトリツィアが湯の中に座ると、彼女たちもお互いに顔を見合わせながら湯船に浸かる。

「さっきの話、詳しく聞かせてくれる? 襲撃場所と、指揮官の名前を」
 パトリツィアは、新人たちに一皮剥けて貰う丁度良い機会だと思いながら、そんなことは少しも顔に出さず、リラックスさせるようにニッコリと笑った。

しおり