進級と訓練5
外を眺めながら四年生に進級した時の事を考えていると、夜中になっていた。気がつけば周囲には誰も居ない。
とはいえ、別に何かやる事もないので、そのまま思案に耽ることにする。
四年生では東門で警固任務に就く事になるが、平原での相手は主に魔物。それも下級やそれに近い魔物だ。ここの平原での様子を見るに、パーティーを組んでもきつい相手だろう。
北門の魔法使いの兵士でも、パーティーを組んで下級の上辺りは難しいぐらいだろうか? 最強位でも、単独では中級の下辺りが精々かもしれない。単騎でそこまで倒せるのであれば、十分だろうが。
今まで見てきた魔族でも、単独では上級の下は厳しいのではないだろうか。大人数でパーティーを組めば弱いドラゴンは倒せるらしいから、十分すぎるが。
つまりは、人間界全体の平均が今の最強位ぐらいの強さになって、何とか森の外に勢力を維持可能な目が出るぐらいか。人間は魔法使いの数が少ないので、もし魔族と同等程度の強さになったとしても、争えば勝てないだろうし、気が遠くなる差だな。
それでもこの周辺では何とかなっている。人間の魔法使いが目安として、単独で最下級の上ぐらいだが、東側のエルフは平原での単独で、目安難度が大体下級の下ぐらいなので、圧倒的に負けている訳ではない。それでも、少人数のパーティーでやっと対等ぐらいだが、そもそもエルフは平原に出てこないからな。人口も人間よりも少ないし。
南のエルフは森に引き籠ってるので論外として、平原に居る北の森の敵性生物の難度は、人間の魔法使いよりも下か同程度だ。なので、やはり平原に於いては、東側の魔物が圧倒的に強い。目安難度が東の森のエルフと同程度なのだから。
ただ、東側の平原に出ている魔物は基本的に少数で行動しているので、対処は可能だ。それに、平原では遠くから魔法を当てられるので、索敵をしっかりと行い、先制攻撃さえ出来れば、近づかれる前に倒せなくもない。下級の魔物は魔法が使える程強くはないし、使えてもちょっとした身体強化程度だろう。下級前後の魔物では、知能もそこまで高くはないはずだろう。
そもそも、目安難度はそういった環境や状況を想定していない、内包魔力を主体とした単純な個の強さの目安なので、参考程度にしかならない。なので、未熟な学生でも、パーティーを組んで戦い方を工夫すれば、下級の魔物とも十分戦えるという訳だ。
だいたい強さなんて、個体によってだけではなく、状況よっても容易に変化するものなので、その辺も考えて戦わないといけないだろう。まぁ、大した障害物さえ無い平原では、そこまで選択肢がある訳ではないのだが。
そういう訳で、場所を平原から森の中に移した場合、敵の攻略難度は跳ね上がる。平原で戦えないような者はあっさりやられる事だろう。
ボクも東側の森に入った時は、四六時中周囲を警戒しっぱなしであった。プラタやフェンにも助けられたが、悠長に休んでいる時間はあまり取れなかったもんな。とはいえ、あの二人が警戒していた時点で、ボクが気を張る意味はなかったと思うけれど。
しかし、今は東側の魔物は動きが活発らしいから、現在東門で魔物討伐の任に就いている者達は大変だな。先日警邏した時は六体もの魔物の襲撃を受けたが、あれは少し数が多かったな。どこかで二つ以上の集団が合流したのだろうか? それとも、今の東側の平原では、あのぐらいが普通なのだろうか?
とはいえ、下級程度であれば何の問題もない。不意打ちでもされれば焦るだろうが、流石にそこまで索敵を怠りはしないし、常に防壁は張っているので、下級ぐらいの攻撃であれば防ぐことは出来る。
それでも、感知外から見つかり襲撃されたのは悔しかったので、索敵範囲の拡大を頑張っている最中だが。
一時的に索敵範囲を拡張させることは可能ではあるが、それを常時行うには、精神的な疲労をどうにか減らさなければならない。一番簡単な方法は慣れなので、出来るだけ維持するように努めていれば、遠くないうちに何とかなるだろう。
そうやって思案に耽っていると、もう朝になっていた。
起きてきた部隊長や部隊員達と挨拶を交わして朝食を済ませると、見回りの二日目が始まる。
賑やかではあるが、平和な平原を眺めながら防壁上を進む。
相変わらず視界の端では、ちょくちょく東側の魔物の姿を捉えるが、それでも慌てるほどではない。大結界からは離れているし、警邏している魔法使いの兵士の姿も確認出来るのだから。
そんな穏やかな平原の見回りを昼まで行い、境付近の詰め所で休憩する。
前ほどピリピリした感じは無くなったが、それでも緊張感は適度にある。そんな中で食事を済ませたボク達は、少し休憩して、見回りを再開させた。
帰りは防壁の内側の見回りだが、こちらは外側以上に何も無い。
相変わらず人の数が少なく、ユラン帝国の時のように魔物が居る訳でもない。畑に生っている作物が小さく確認出来るが、食事に興味が無いからか、食材にもあまり興味が沸かない。
離れたところにある町村の形は判るが、直接視ている訳ではないので、何となくしか判らないんだよな。望遠視で見るには、山などの障害物が視界を邪魔している。
そんな見回りも、夕暮れには終えて詰め所に入る。
詰め所で夕食を終えると自由時間になるが、歓談する相手も居ないので、窓の外に眼を向けて過ごす。
考えることは色々あるので、夜はあっという間に過ぎていく。そして朝になり、朝食を済ませて見回りが始まる。
変化のない防壁内を見回りつつ、途中の詰め所で昼休憩を挿んで、夕暮れ前には何事もなく北門に到着した。
◆
東側の見回りを終えた翌日。前回までは、見回りの後は敵性生物討伐任務に就いていたのだが、それは終わったので、今日は休日だ。
しかし、無趣味故と言えばいいのか、相変わらず何もやることがない。クリスタロスさんのところへ行こうかな? と思ったが、たまには散歩でもしようと思い立つ。最近クリスタロスさんのところで訓練ばかりだったからな。
そうと決まれば早速宿舎を出て、駐屯地の外に出る。朝食は不要なので、薄暗い内から散歩を始める。
最近朝晩は少し冷えるようになってきたが、それでもまだ快適な範囲だろう。
駐屯地から十分に離れ、人の目が無いのを確認してからフェンを呼び出そうとして。
『ちょっといいかい?』
兄さんに声を掛けられた。
『ど、どうしたの!?』
突然の事に驚きつつも、返事をする。
『訊きたいのだが、君は自分の肉体が欲しいかい?』
『え!?』
『人の身体では何かと不便だろう?』
『そんなことは・・・』
『それで、どうだい?』
『それは・・・まぁ、あった方がいいのだろうけれどもさ』
『何か問題が?』
『その場合・・・ボクは誰になるの?』
『ジュライだろ? 別人がいいならそれでも構わないが』
『そういうことではなくて!』
『冗談さ。その時は君が僕の位置に立てばいい』
『・・・どういう事?』
『オーガストという存在が居た立ち位置に、君を差し替えるのさ。要は、オーガストという存在をジュライという存在に置き替えるだけさ』
『・・・そんな事が出来るの?』
『僕が産まれてからの、二十年にも満たない僅かな時間の認識を君に変えるだけだろ? 難しい事ではない』
『・・・・・・』
言葉が無かった。そんな事、出来る出来ない以前の問題だ。
『それで? どうするんだい?』
『・・・少し・・・考えさせてくれない?』
『お好きにどうぞ』
突然のとんでもない話に、ボクの頭は混乱していた。
『なら、その間意識を交代してくれるかい?』
『え! う、うん。分かった』
静かに考える時間が欲しかったので丁度良かったが、もしかしたら気を遣われたのかな?
『では、交代しようか』
そんな言葉を耳にしながら、ボクは意識を内側に集中すると、兄さんと入れ替わった。
◆
「ふむ。問題は無いな」
ジュライと意識を交代したオーガストは、身体の調子を確かめると、一つ頷いた。
「さて、と。そろそろ色々干渉しているところに挨拶にでも行ってみるかな」
そう呟いたオーガストの姿は、その場からかき消える。
「ふむ。確かこの辺りだったはずだが・・・」
転移したオーガストが到着したのは、下には真っ白で柔らかな絨毯が広がり、上には吸い込まれそうな青が広がっていて、眩いまでの明るさに満たされている世界であった。
そこに到着したオーガストは、何かを探すように周囲を見渡す。
ゆっくり周囲を見渡していたオーガストは、何かを発見して顔の動きをぴたりと止めると、顔を向けた方へと歩き出した。
暫く迷わず進んでいたオーガストは立ち止まると、顔を持ち上げ、更に視線を上げてから口を開く。
「こんにちは」
オーガストの視線の先には光があった。しかし、ただの光ではなく、その光の中に何かが居る気配がする。それに、直視しても全く眩しくない光であった。
「ほぅ。ここに自力で侵入できる者が居るとは思わなんだな」
オーガストの挨拶に反応を返したその声は、年齢や性別を感じさせない、脳に直接響く様な不思議な声であった。
「それで? わざわざここまでやってきたのだ、何か用あっての事であろ?」
「いえ、ただご挨拶に伺っただけですよ」
「ほぅ?」
オーガストの感情を感じさせない平坦な声での言葉に、光の主は、探る様な楽しむ様な声音を出す。
「それでも何か用が必要なのであれば、そうですね・・・あまりこちらに干渉しないでいただけますか?」
「ハハ。それは無理な話だな」
「何故です? あれらは理を外れた者達。そして貴方は、前任が去ったのをいい事にこれ幸いとやって来た、新参の余所者ではありませんか」
「余所者だからであろ?」
「無責任ですね」
「ハハ。好きに言えばいい」
「ええ、言ってみただけですが」
「ん?」
「正直、貴方やあの者達も、排そうと思えば簡単に出来るのですよ」
「ほぅ」
光の主は危険な鋭さが宿る声を出した。
「ですので、ただ言ってみただけで、僕には興味のない話ですね」
「また大きく出たものだ。その蛮勇、嫌いではないぞ」
光の主の声には、愉快さと呆れが混ざっている様に思えた。
「・・・ま、それでもいいですが。とにかく、今回はただご挨拶に伺っただけですよ。貴方の敵は僕ではありませんし」
「フン! あんな奴ら敵ではないわ!」
「そうですか。それでは僕はこの辺で」
「ん? 帰るのか?」
「ええ」
「帰れると思うのか?」
「ええ、勿論」
「ほぅ」
場に緊迫した空気が満ちるが、それは光の主からの一方的なモノで、オーガストからは凪の雰囲気しか感じられない。
「ハハ。愉快な者だな」
そんなオーガストに、光の主は直ぐに雰囲気を和らげる。
「では、また機会があれば会おうではないか」
「そうですね。では、またその時まで」
そう言うと、オーガストの姿はかき消える。
「本当に愉快な者だ。さて、どう世界は動くのやら」
オーガストが消えた空間に、光の主の楽しそうな声音だけが響くのだった。
◆
「ふぅ。とりあえず情報の取得及び解析は完了したが・・・この程度か」
北門駐屯地から少し離れた場所に戻ってきたオーガストは、拍子抜けしたようにそう呟いた。
「さて、そろそろ決まっただろうか?」
そう思い、オーガストは空に目を向ける。太陽は中天を過ぎた辺りで輝いている。
「少し早かったか?」
思ったよりも早く挨拶が終わってしまった為に、オーガストはどうしようかと逡巡するも、とりあえ一度確認だけしてみるかと、内側に居るジュライへと語り掛ける。
『聞こえるかい?』
『あ、うん。聞こえてるよ』
『それならばよかった。それで、決まったかい?』
『う、ううん。まだ、かな。なんていうか、自分の身体が貰えるのは嬉しいんだけれど、それでいいのかとも思ってしまって』
『そうか・・・まぁ、置き換わって得るモノは、何もいい事ばかりではないからな。だから、決断を急かさないので安心してほしい。別に今日明日でなければ身体を用意できない訳ではないのだから』
『う、うん。ありがとう』
『それで、どうする?』
『え? 何が?』
『このまま交代するかい? まだ昼過ぎの様だが』
『そうだね、兄さんはもういいの?』
『うん? 僕は別にどちらでも。今は特段すべき事もないからね』
『そ、そう』
『まだ時間が欲しいのであれば、このままでもいいけれど?』
『なら、もう少しこのままでお願い』
『分かった。日暮れまでにはまた声を掛けるよ』
『うん。分かったよ』
ジュライとの会話を終えたオーガストは、困ったように周囲をぐるりと見回した。
「さて、何をしようか・・・」
地平を眺めながら、オーガストは少し思案する。
(遠出は止めておいた方がいいだろう。となると、たまに様子を見に行くとは言ったが、彼に会いに行くのは・・・あまり気が進まないな。出来れば関わり合いたくない相手な訳だし)
オーガストは「ふむ」 と小さく漏らすと、頭を大きく傾ける。
(久しぶりに散歩でもしてみるか)
オーガストはふらりと歩き出すと、近くに在った山間の道を進む。
周囲を見渡すように歩くその姿は、まるで観光にでも来たかのように見えなくもないが、そこに浮かれた様子は微塵もなく、どこまでも無感情で冷淡なその雰囲気は、それがただ目を向けているにすぎない事が窺い知れた。
(・・・得るモノが何も無いな)
興味をそそられるようなモノが無いことに、オーガストは困ったように思案する。
(・・・戻るかな)
そう思いオーガストが踵を返そうかとした時、何処からか子どもの泣き叫ぶような声が聞こえた気がして、そちらの方に顔を向けた。
「・・・・・・ふむ」
オーガストはその声が聞こえた方向へと転移すると、声の主から少し離れた木の影に移動する。
そこには、まだ齢一桁ぐらいの少年が腰を抜かしたようにへたりこみ、恐怖に顔を歪め、目に涙を一杯に溜めて前方へと顔を向けている。その少年の視線を辿った先、少し離れた場所には、一匹の大きな犬が牙を剥き出しにして、少年へと威嚇の唸りをあげている。
その犬は少年よりも身体が大きく、体毛は暗褐色をしていたが、それは魔物ではなく、ただの犬であった。
今にも少年へと跳び掛からんばかりに前脚を折り、身体を沈めてけたたましく吠える犬に、少年は顔面を青白くして、死にそうなほどに怯えて動けないように見える。
「・・・・・・」
そんな光景を目撃したオーガストは、ふと昔のことを思い出す。それは今から十年程前の出来事であった。
◆
当時七歳ぐらいであったオーガストは、ほとんど家には寄り付かず、ずっと独りっきりで外で過ごす日々を送っていた。
己を寝食不要で疲れも感じない身体に歪めていたオーガストは、世界の様々な地を巡っては、色々なモノを観察していた。
そんなある日、オーガストはハンバーグ公国の生家の在る町近くにまで戻って来ていた。
その時に、生家の在る町から少し離れた場所に存在する、防壁近くの森の中で強い反応を感じたオーガストは、それが気になりそちらへと足を向けた。
強い反応を捉えた森の中は、広くはあるが深いということはなく、適度に伐採された管理されている森であった。しかし、植樹された訳ではなく、森自体は昔からその場に存在しているものであった。
そんな森の奥、防壁側に移動したオーガストは、そこで一人の少女に出会う。
その少女は、良質な生地を使って仕立てられた薄桃色の服を着ていて、服と同色の髪を胸元まで伸ばしていた。肌は透き通りそうなまでに白い。
オーガストが少女を目撃した時には、少女は一体の雪のように白い魔物と対峙していた。
その二人には明らかな実力差があり、少女では確実に魔物に勝てないどころか、相手にもならないことが直ぐに分かるほど。
少女はその実力差に恐れ戦きながらも、勇敢に立ち向かおうと対峙しているが、膝ががくがくと震えている為に、そこに勇壮さは微塵も無く、憐憫さしか感じない。
少女はオーガストに背を向けているので表情までは確認出来ないが、よく見ると、服が土で汚れていた。
魔物はそんな少女をつまらなそうに眺めているも、見逃す気は全くないようで、身体に魔力を溜めている。
少女は次々と魔法を発現させては攻撃していくも、魔物には一切攻撃が通っていない。
そして、魔力をみなぎらせて身体を硬化させた魔物は、少女に向けて風のような速度で突進する。しかし、突撃した魔物は、不可視の壁へと派手に衝突した。
「!!?!?!?」
「え!?」
同時に驚く魔物と少女。特に魔物の狼狽が大きい。
「ふむ」
少女を無視して横を通ったオーガストは、魔物に近づくと、観察するように見上げる。
「う、ごか」
魔物は動こうと、魔力で強化されている身体に力を込めてもがくも、激突した姿勢のまま身体が動かせずに、魔物はオーガストを睨み付ける。
「何をした!?」
憤怒に塗られたその声に、オーガストの後ろで少女がびくりと身を震わせた。
「ただ拘束しただけですよ?」
しかし、その魔物の激情を向けられた当人であるオーガストは、何を当たり前の事をと首を傾げるだけであった。
「拘束だと!? この私を拘束したというのですか!! 人間風情が!!?」
そんなオーガストの言葉に、魔物は衝撃を受けたように目を揺らす。
「ふむ。確かに貴方は強いですね。でも、ドラゴンの方が強かったですよ?」
「何を言って・・・」
「?」
「まるでドラゴンを見た事があるような物言いですね」
「? あるからそう言っているのですが、僕の言葉が理解出来ませんか? ああ! ここの人間の言葉には慣れていないのですね?」
「こんな辺鄙な場所に居る存在が、ドラゴンを見れる訳が無いではありませんか!」
「まぁ・・・そうですね? ふむ・・・では、これは証拠になりますでしょうか?」
そう言うと、オーガストは何処からともなく一つの綺麗な玉を取り出した。
「なッ!! それをどこで!!?」
その玉は竜玉と呼ばれており、高濃度の魔力を結晶化させた、一部の高位のドラゴンだけが持つ事を許された玉であった。また、別名霊玉とも呼ばれるそれには、ドラゴンの記憶と命の一部が混ぜられており、もしもドラゴンの身に何かが起こり転生が困難になった場合に、その玉を使って蘇らせることが出来ると言われている。その為、その竜玉をドラゴンは最も大切にしており、文字通り命懸けで守護している。
それ故に、盗む事は不可能だと言われているそれを持っているという事は、誰かから盗んだりしたのでなければ、その者がドラゴンを倒した証しになるものであった。ただし、ドラゴンを倒せる者から盗むのは非常に難しいので、素直にドラゴンを倒した証しと捉えるのが一般的であった。
「ああ、先日ドラゴンと遊んでいたら見つけたので、拾ったんですよ」
「何を言って・・・」
魔物は訳が分からないという口調で呟くと、目の前に居る存在が急に未知の存在に思えてきて、怖じ恐れて逃れようとする。しかし、拘束は一向に解けそうにはない。
「信じてもらえたようですね」
そう言うと、オーガストが手に持っていた竜玉は一瞬で消える。
「さぁ折角です。貴方も僕と遊びましょう?」
オーガストは魔物へと異質な眼を向けると、観察するように魔物の周囲をゆっくりと歩き出した。
「や、やめ!」
それを魔物は泣きそうな声音で止めようとするも、しかし掠れて思うように声が出ない。
「ふむ。なるほど」
魔物の周囲を一周し終えると、オーガストは魔物の正面から不可視の壁越しに顔を向ける。
「いい勉強になりました。ありがとうございました」
その過去形の言葉に、魔物はこれから自分がどうなるのかと恐れ、歯を食い縛る。
「得るべきものは得たので、もう貴方に用はありません。楽しかったです。では、さようなら」
「待っ」
魔物が何かを口にする前に、魔物は消滅した。
「ふむ。ま、得るモノはありましたね」
満足そうに頷くと、オーガストは来た道を戻ろうと振り返る。そこには、唖然とした表情のまま立ってる少女の姿があった。
魔物の観察に夢中で、その少女の存在を半ば忘れていたオーガストは、一瞬どうしようかと考えるも、まあいいかと捨て置くことにする。
歩き出したオーガストに、我に返った少女は慌てて声を掛ける。オーガストの瞳に自分が映っていない事に気がつき、そうしなければ立ち去ってしまうと理解しての行動だった。
「あ、あの!!」
その少女の声に、オーガストは足を止めて目だけを向ける。
少女の年齢は、オーガストとさほど変わらないだろう。とても華やかな顔立ちをしていて、将来美人になるだろうことが容易に想像できた。それに、所作の端々に育ちの良さが窺える。
「助けていただきありがとうございました!」
少女は感謝の言葉と共に、オーガストに深々と頭を下げた。
「助けた? ・・・ああ、お気になさらずに」
最初、この人は何の事を言っているのだろうか? という表情を見せたオーガストであったが、直ぐに魔物を倒した事だと思い至り、そう返した。
「す、凄かったですね! どうすればそんなに強くなれるのですか!?」
少女の言葉に、オーガストは不思議そうに首を傾げる。
「努力すればいいのでは?」
「それは、そうなのですが・・・」
少女は困ったような表情を浮かべるも、オーガストは何故少女がそんな表情を浮かべているのかよく分からないと、僅かに眉を動かす。
「ふむ・・・」
何故だろうかと思案したオーガストは、質問の内容を思い出し、早く上達出来る訓練法でも知りたいのだろうと結論付ける。
「なら、魔力制御に重点を置いて訓練すればいいと思いますよ」
「魔力制御ですか?」
「ええ。魔力をしっかりと制御することが出来るのであれば、大抵のものはそんなに難しいものではありません」
「そうなのですか?」
「魔法の創造は、魔力を通して想いを込める方法なのですから」
「思いを込める・・・ですか?」
「魔法は小規模な事象改変ですので」
「どういう?」
「それが理解出来れば、貴方は強くなれますよ」
少女の着用している服の生地が上質なものだからか、そんな話をしている最中でもオーガストは少女の服の汚れが目についてしまい、どうしても気になってしまったので、それを取り除くことにした。
「それでは」
話し終えたオーガストは、最後にそれを済ませると、もう用は無いと少女の横を通り抜ける。
「あ! お、お名前をお教え願えませんか!?」
横を通り過ぎたオーガストへと手を伸ばした少女は、反射的にオーガストの服を掴む。
「・・・・・・」
少女が服を掴んだ瞬間に足を止めたオーガストは、その手に目を向けた後、感情の籠っていない目を少女へと動かした。
「あ! すみません!!」
期せずしてオーガストの服を掴んでしまった少女は、慌てて手を離して謝罪する。
「別に名乗るほどの事をした覚えもありませんが」
「命を助けていただきました!」
「結果論に過ぎません。単に僕はあの魔物に興味をそそられただけですので、お気になさらずに」
そこで身体に違和感を覚えたオーガストは、「それでは」 と軽くお辞儀をすると、背を向けて森の中に入っていく。
「あ! お待ちください!」
少女は慌ててその背に声を掛けるも、オーガストは立ち止まる事なく進んでいき、途中でその姿をかき消した。
◆
昔のことを思い出したオーガストは、その時の事を振り返る。
(今思えば彼女は――)
「く、来るな!!」
そこで少年の悲鳴のような叫び声が響いた為に、オーガストは意識を少年の方へと向ける。
視線の先では、先程まで威嚇していただけの犬が、急に勢いよく少年へと駆けだしていた。
オーガストはその犬へと、加減した空気の塊をぶつけて横へと飛ばす。
飛ばされた犬はキャンキャンと甲高い声をあげると、何処かへと逃げるように駆けていった。
それを見届けたオーガストは、少年に背を向け、森の奥へと歩いていく。
あの時の少女は、先程の少年と違い魔物に立ち向かったものの、それは少女があの年にしてしっかりと魔法が扱えていたからだろう。先程の少年は魔法使いですらなかった。
勿論少女が十分な胆力を備えていたのもあるのだろうが、それだけ魔法というモノは強力な武器となるのであった。
ただ、あの少女はちゃんとした魔法の教育を受けていたのだろう。あの年で魔法をしっかり扱えるというのは非常に珍しい。
(何よりあの少女は、おそらく超越者だったな)
資質という部分を問うのであれば、落とし子とも呼ばれる超越者は、その他大勢の魔法使いと比べるまでもなく、かなり保有している。なので、あの時の少女があのまま成長していたとしたら、かなり強くなっていることだろう。
(ま、あちらは僕には関係ないか)
時間を確認したオーガストは、そろそろ駐屯地近くまで戻るかと思い、森の中から出る。
オーガストは視線を上げて、遠くに流れる雲を目にしながら歩いていく。
足下を一切見ないその姿は、見ている者が居れば少々不安になったかもしれない。しかし、どうやって確認しているのか、器用に障害物を避けながら、踏み固めただけの山間の道に沿って進んでいく。
暫くそうやって歩いていたオーガストは突然足を止めると、頭上の空を仰ぎ見た。
「・・・・・・」
視線の先に広がっている日が暮れ始めたばかりの空には、雲以外には何も無い。しかし、オーガストの視界には、そこを飛ぶ小さな影を複数捉えていた。
「ふむ。あれはなんと呼べばいいんだろうな」
その影を作っている存在に、オーガストは首を捻る。
「不死鳥? いや、死んでいる鳥をそう呼ぶのはどうなんだろうか? 死んでいるからこそ不死とも言えるのか? ふむ、難しいな。既に名前が在ればいいのだが」
そう考えつつ、オーガストは視線を前に戻し、歩みを再開させる。
先程目にした鳥の名前をあれこれと考えつつ道を進み、朝にジュライと交代した場所まで到着したオーガストは、一度現在の時刻を確認してから、内側に語り掛けた。
『聞こえているかな?』
『うん。問題ないよ』
『そう。なら一応訊いておくが、答えは出たかい?』
『答えは最初から出てはいるんだけれども・・・』
『それは?』
『自分の肉体は欲しい』
『ではそうするが、何を迷う?』
『うーん・・・多分時期、なのかも?』
『時期?』
『心の準備というか』
『ふむ? ・・・おそらく理解した』
『そっか・・・ごめんね』
『? 何についての謝罪か解らないから、気にする必要はない』
『はは。兄さんは相変わらずだね』
『・・・そうか・・・それを君が言うとはね』
『どういう事?』
『何でもないさ。それで、もうすぐ日も暮れそうだが、交代するかい?』
『うん。交代しようか』
『それじゃあ代わるよ』
会話を終えたオーガストは、少し意識を内に集中させていくと、ジュライと意識を交代する。
◆
兄さんと意識を交代すると、周囲を確認するために首を巡らす。
もう周囲は薄暗く、駐屯地に帰り着いた頃には完全に日が暮れている頃だろう。
「それにしても・・・」
急に肉体をくれると言われても、戸惑ってしまう。確かに嬉しいし、欲しいとは思っていたが、だからって急にどうするかと言われてもな。
「うーん」
思案しながら駐屯地へ向けて移動する。
結局、借り物ではない肉体が欲しいという、この渇望にも似た気持ちだけは偽りではないのだから。ならば、後は時期だ。兄さんは自分の立ち位置をボクに明け渡してくれるというが、それでも、出来ればジーニアス魔法学園を卒業するまでは待ってもらいたい。それはボクの我が儘だが、もしかしたら、そこには何かを成し遂げたいという思いがあるのかもしれない。
しかし、ボクは与えられる側なので、そうも言ってはいられないだろう。
ではどうするかだが、兄さんは急がないと言っていたものの、どこかで区切りを付けなければならないと思う。まだ明確な考えはないが。
どうしたものかと考えながら移動していると、気がつけば宿舎前に到着していた。半年以上ここに滞在しているので、身体が覚えていたようだ。
自室へと移動して、自分のベッドに横になる。アガットは居なかったので、部屋には一人だ。
もしも自分の肉体を得て、更に自分の足場まで得られたとしても、おそらく周囲の環境はそこまで大きくは変わらないのだろう。しかし、何かを見落としている気がする。それが何かまでは分からないが。
そのまま暫く思案するも、答えは出ないので一度頭を切り換えることにする。多分このまま考えていたところで、今日は何も答えは出てこないと思えたから。
しかし、頭を切り換えるのはいいが、何について考えようかと思うも、進級が近いので、そちらに意識を向けることにした。
おそらく東西の見回りをあと一回ずつ行えば、無事に進級出来るはずだ。
討伐数は既に規定数に達しているし、任務期間の六ヵ月もそれで到達するのだから問題ない。学園での授業は一応希望者という事になっているし、バンガローズ教諭からは三年生の範囲は修了した旨を伝えられている。
それにしても、もうすぐやっと四年生か。長かったようで、物凄く長かったな。振り返ってみても疲れるだけだ。
四年生からはハンバーグ公国にある東門に場所を移すが、ここでの注意事項は、平原に居る魔物の強さぐらいだ。他の敵性生物も、北側に比べれば軒並み強いらしいが、ほとんど見かけないらしいので、やはり魔物が一番厄介という事になる。というのも、東門からの討伐任務は外で夜を過ごすようになるので、夜も関係なく襲撃してくる魔物は、強いだけではなく厄介という訳だ。
他は、増える討伐規定数だろうか。流石に一気に三倍以上に増えるのはどうなのだろうかと思う。その分学園に行く回数が激減し、見回り任務の時間も少し減らされ、それに伴い討伐任務の時間が増やされてはいるが、そういう事ではない。今回の北門のようになっては達成は難しいだろうし、何より急な感じがする。確かに訓練としては、ギリギリ対処できそうな相手というのはもってこいだが。
そんな訳で、四年生も面倒そうだな。
そう思いつつ、生徒手帳を取り出して色々と確認していく。特に、存在が確認されている敵性生物全般の情報は念入りに確認しておいた方がいいだろう。前のような失態には気を付けなければならないのだから。
生徒手帳に書かれている文字を丁寧に目で追い、今までの経験を活かしてしっかりと情報を咀嚼して読み取っていく。大部分が魔物の情報だけだったが、それでも粗方読み終わった時には真夜中になっていたので、生徒手帳を仕舞ってそのまま就寝した。
◆
まだ薄暗い中で目を覚ますと、ボクは朝の支度を済ませる。
食堂に寄って朝ごはんを食べると、宿舎を出て北門前に移動する。今回西側への見回りを一緒に行う部隊長や部隊員の兵士達が早々と集合していたので、挨拶を交わす。
残るは他の生徒達であったが、こちらも直ぐに集合したので、いつもより少し早く見回りが開始された。
ボクは後方の部隊に編制され、生徒の中では一番後ろであったので、平原に目を向けながらも少し視線を動かして、前を歩く生徒達に目を向ける。
合流した際の挨拶で聞いた話では、長く北門に滞在している生徒達で、全員王国の学園生らしい。
滞在期間はボクより長いらしいが、ジーニアス魔法学園のように短期間で次々と場所を移していく方が珍しい部類なので、驚く事ではない。
視た感じ、彼らは中々の使い手のようなので、多分一般的なジーニアス魔法学園の三年生よりも上だろう。年齢はボクより一つ上らしいが、そこは関係ないか。
他は何というか・・・刺繍が施してある背嚢を背負っている生徒が居たのだが、それがどう見てもジャニュ姉さんっぽいのは気のせいだろうか? 気のせいだろう。ただの名も知らぬ女性の立ち姿に違いない。
そんな生徒達だが、それ以外には気になるところはない。平原の方も大きな変化は見られない。
退屈だなと思いつつも、しっかりと平原の方に顔を向けながら眼を向けていると、平原を警邏している部隊を発見する。
「・・・・・・」
そちらを観察してみると、どうやら生徒二人が組み込まれているようだ。兵士の代わりというよりも、元々の部隊に従軍するような形のようだが。
西側でも普通の警邏は見掛けていたが、生徒を組み込んだ警邏をこちら側でもやっているんだな。
生徒達は、大結界に沿うように横に移動している部隊の、大結界側側面後方に配置されているので、警戒と攻撃の補助が役目なのだろう。
移動している場所が比較的大結界に近いので、そこまで強い敵性生物とは遭遇しない。これなら十分に運用可能だろうし、大結界近くの警邏という意味でも意義はある。後は、試験段階であろう現在の結果次第か。これで実用化され、警邏に回す兵士の人員や負担が減れば、もっと余裕が生まれるのだろう。
そんなボクにはどうでもいい事を考えつつ、午前中の見回りを済ませる。昼食もぼんやり過ごして、午後の見回りが開始された。
開始されたといっても、何か変わった事がそうそう起きるものでもないので、何事もなく初日の見回りを終える。
夜になり、部隊員のほとんどが就寝した頃、少し珍しく次の部隊が入ってきた。
軽く挨拶だけ済ませただけで特に何かある訳ではないが、多分夜警の部隊だろう。ちょっとした刺激にはなった。
その部隊も、休憩を済ませると出ていく。それから程なくして、独りの静かな夜になる。
闇夜の世界ではあるが、そこで動く存在は幾つも確認出来る。夜警する兵士達であったり、夜でも動く敵性生物であったり。
後者は主に魔物ではあるが、大結界からは離れたところに居る。それにしても、魔物は一体何をしているのだろうか? 魔力さえあれば食事も睡眠も不要なので、何をしているのか気になった。
しかし、平原の魔物はたまに動物とかも襲っているよな? 低位の魔物だと狩猟本能が強いのかな? それとも平原の魔力だけでは少ないとか。観察する限り、魔力を取り込みつつ走り回っているだけなんだよな。
それからも魔物を観察して時を過ごし、朝になって朝食を終えると、二日目の見回りが始まった。
二日目は境界近くの詰め所に一度寄ってから、来た道を戻っていく。帰りは防壁の内側の見回りだが、いつものように閑散としている。
夕方に途中の詰め所に入って夜を過ごすと、三日目の昼過ぎには北門に到着した。今回も防壁の内側と外側は平和なものであった。
自室には夕方前に到着したので、お風呂場へ行って湯に浸かると、自室に戻って直ぐに就寝する。
翌日からは東側の見回りの為に、朝も早くから北門前に移動する。
既に集合していた者達と挨拶を済ませて軽く言葉を交わした後、残りの者がやってきて見回りが始まった。これが北門最後の任務になると思う。
防壁上を東側へと進む。
東側はハンバーグ公国側から魔物が流れてきているので、西側よりは賑やかだ。それでも、対処できない程ではないので、平和といえば平和か。
途中で詰め所に寄って休憩を挿んでから、更に東へと進む。その途中で生徒を交えて警邏している部隊を発見したが、少々数が多かった。見回りの時と同じく、二部隊で編制している。生徒もいるので、安全の為だろう。
日暮れ前には途中の詰め所に泊まり、翌朝に見回りを再開する。
境界近くの詰め所で休んでから折り返し、防壁の内側を見回りながら北門を目指す。
何も無い防壁の内側を夕方まで眺めながら進み、詰め所で一泊してから、北門までの残りの道を進む。
最後の見回りも何事もなく無事に終わり、宿舎に戻る前に、北門の責任者のところに顔を出す。そこで任務が全て終わった事を確認してもらい、ボクは宿舎に戻った。明日には列車に乗り、一度学園に戻ってからちょっとした手続きを終えたら、進級だ。
つまり、明日には列車に乗るとして、明後日ぐらいには無事に四年生への進級が認められている事だろう。
四年生から赴く東門はハンバーグ公国にあり、ユラン帝国にあるジーニアス魔法学園とは対極の位置関係なので、一番遠い門という事になる。
そういう訳で、もうすぐ四年生かと思うのだが、ジーニアス魔法学園の最高学年は十年生なので、半分もいってないんだよな。そう思うと、心が折れそうになるが、そうも言ってはいられないか。
赤い世界の中で戻った自室にはアガットが居なかったので、多分夜警なのだろう。なので、別れの挨拶は言えそうにないが、こればかりはしょうがない。
さっさとお風呂に入って身体を洗うと、自室に戻ってベッドで横になる。
三年生でも色々あったが、これでクロック王国から離れられるのが一番うれしいかもしれない。やっぱりジャニュ姉さんは苦手だ。
というところで、もう早く寝るとしよう。明日は朝から駅舎に行かなければならないのだから。
◆
「フふフ、オどれおどれまいおどレ! イだいなるめいさまをたたえながラ!」
炎に巻かれ、踊り狂う異種族達を祝福するかのように、ナイトメアは両手を広げて天を仰ぎ見る。
しかし、直ぐに顔を前に戻すと、砂漠を逃げていく生き残りの異形種の方へ目を向けた。
「フふフ。アなたたちにもきゅうさいヲ!」
ナイトメアは歌うようにそう口にすると、逃げる異形種達を丸ごと毒の霧で包み込む。
直ぐに毒が回り、苦しみのたうち回る異形種達に、ナイトメアは満足そうに頷く。
「サァ、タたえヨ! モうじきあらたなじだいがまくをあけるのだかラ! ソしてよろこベ! アなたたちはそのぶたいのやくしゃにえらばれたのだかラ! フふフ。アア、ソのときがくるのがいまからたのしみダ!」
ナイトメアは陶酔した目でその光景を眺めながら、蠱惑的な笑みを浮かべた。