行方[番外編]
その日も家族は平和だった。
テーブルを囲うのは私と両親。
両親は笑顔で会話を繰り広げ、一方私はただ俯いて静かに咀嚼する。
でも、それを両親は気にもせず、楽しそうに会話をしている。
今思えば、それがどれだけ異常なことだったのかが分かる。
あの日はいつも以上にいつも通りで、いつも以上に異常だったのだ。
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朝食は無事に終わった。
両親はまだテーブルで談笑している。
静かに離席した私は、バレないように部屋へと向かった。
廊下には、私の部屋の扉と、もう一つ別の部屋の扉があった。
そのもう一つの扉をゆっくりと開け、朝だというのに真っ暗な部屋の中へ入り、すぐ扉を閉めた。
熱気がこもった部屋は、すぐにクラクラしてしまうほど暑かった。
汗を流しながら、私は部屋に置かれたベッドの近くまで寄った。
壁にもたれ掛かって、ベッドの上で足を抱え座っている1人の少女は、光の無い目で天井をジッと見つめていた。
「……出たいよね」
返事はないが、僅かに首が縦に動いた。
「あと1刻だけ待ってね。……この部屋から連れ出すから」
少女の口角が若干上がった気がした。
気のせいだと思ったが、その目には涙が溜まっていた。
それを確認した私は、また部屋を出て、今度は自分の部屋へと入っていった。
半刻後、私の部屋にカギが掛けられた。
私が掛けたのではなく、両親が掛けたのだ。
予想よりも早かった。
そして、両親は廊下でヒソヒソと会話を始めた。先ほどのような楽しそうな声ではなく、どこか含みのある声だ。
「……あいつを捨てるぞ」
「やっとね……」
ガチャリと音が鳴り、少女の部屋が開いた音がした。そして、ガサガサと物色する音の後、両親の怒号が響いた。
私は即座に扉が開けられないように、扉に向けて棚を倒した。そして、窓を開けて地面へと飛び降りた。
必死に逃げた。
逃げながら、私は少女を探した。
通行証も何もない私は、ただ走ることしか出来なかった。
「……ッ!私は……早く……!!」
その時の私の顔は酷かったかもしれない。
泣きながら、必死の形相だったのかもしれない。
しかし、そんな事はどうでも良かった。
あの時はただ、1人の少女を思って、走り続けた。
結局、少女は見つからず、街に辿り着いた私は不法入門で街に拘留されることになった。
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鉄格子の世界はあの家よりも優しかった。
食事はちゃんとあり、毒はなく、気にせず食べられた。
私の精神は誰よりも衰弱していたようだった。
毎晩泣きじゃくった。他の囚人からクレームを言われるほど、泣いた。
いつからか涙が出なくなった。
泣いて泣いて泣きまくった。
嗚咽だけの泣きを繰り返した。
そうして1年が過ぎ、私は街へ出た。
通行証も発行してもらい、私は正式に街の人になった。
いや、その街だけの人になった。
街に出た私はすぐに仕事を探した。
関門の衛兵の仕事を見つけ、次の日から関門勤めになった。
そうやって、私は街に馴染み、出世をするようになった。
でも私は忘れなかった。
引き離された、あの少女のことを。
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ある時、私は1ヶ月の休みを貰った。
理由は「働き過ぎ」だ。
ただ、がむしゃらに働いてきた私は規定の休日さえも返上して働いていた。
そんな私に管理人が焦って、強制的に休みを取らせた。
だから、旅をすることにした。
街の中で完結する旅だ。
街の端から端まで、1ヶ月かけて、全ての店を回った。
一つ一つの店で店長や店員と会話を交わし、私のちっぽけな旅を話した。
ライバル店の話や、経済動向の話。時には恋の話もされた。
知らないうちに私には、大規模な人脈と信頼が出来上がっていた。
そうして1ヶ月の休みの最後の日。
私は静かに、盛大にやらかした。
飛び降り自殺で有名な関門の屋上に登ったのだ。
旅の中で聞いた、カギが掛けられていない日を頼りに、屋上へと上がった。
もちろん、すぐに衛兵にバレて追われる形になったが。
だが、衛兵は私を確保しようとしなかった。
手を伸ばした私は、向こうに見える街をしっかりと見据えていた。
何を考えていたのかは分からない。
確実に言えるのは、私があの少女の安全を願っていたことだろう。
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街の名はロヴェルと言った。
あれから数ヶ月、私はこのロヴェルを治めていた。
仕事はとんでもなく忙しかったが、充実した毎日を過ごせていた。
ただ、私には泣きグセがあった。
仕事が終わり、ベッドに倒れこむと1人、盛大に泣くのだ。
涙は相変わらず出ないから、嗚咽だけの泣きだ。
そして、いつも最後に決まって呟く。
「妹はどこだ……返してよ……!私の……ナギを」
深い眠りにつけたことなんて、一度も無かった。