そんな気分③
「……だ。よろしくな、坊ちゃん」
「……ナギ」
目の前の女の人が注文したツマミをテーブルの真ん中に置き、それを挟むように向かい合って座っていた。
「で、いつ?」
「さ、いや店に入った時だぜ?男になろうとしても、内股になる女特有の仕草は抜けないようだな、アハハ!」
「大声はやめて欲しいな。それと、男になろうとしているわけじゃない」
笑っていながらも、女の人の目は何故か真剣だ。真っ直ぐ、僕の心を射抜くかのような目だ。
一種の懐かしさのようなものを感じたが、それはほんの一瞬だった。
すぐにその目は笑いに変わり、表情は和らいでいる。
「……聞かないことにしてやろう。で、何をお探しなのかな?坊ちゃんは」
「ちょっとした由縁だ」
「あぁ、それ以上は言わなくてもいいぜ。私にはよぉ〜く分かったから、アハハ!」
「……やっぱり面倒くさい人だ」
確実にその声は聞こえていたのだろうけど、気に入った坊ちゃんだから気にしていないのだろう。
そんな建前の後ろには何が隠れているのか。残念だが、僕にはまだ理解出来ない。
「連れてってやろうか?」
「どこ?」
「坊ちゃんが探してるところだ」
「……」
号令があったわけでもないが、僕と面倒くさい女の人は同時に立ち上がり、店を出た。
あとに残ったテーブルには、お代と綺麗に食べ尽くされたツマミの皿が真ん中に置かれていた。
□■□■□■□
メインストリートは盛況だ。
昨日と変わらず、様々な声が飛び交っている。もちろん喧嘩も変わらず起きている。
相棒の馬の手綱をしっかり握り締めながら、面倒くさい女の人の隣を僕は歩いていた。名前は言っていた気がするが、覚えていない。
まぁ、名前とは便宜的なものだ。キャラクターに依存しないし、共存もしない。
それは大量に生産される作品に対する、表面的な識別名だ。
そんなものに執着するほど、僕は世界に溺れていない。
「坊ちゃんはどこから来たんだ?」
「イーアン」
「あぁ、あの街か。犯罪率も低くて、私も一度住みたいとは思ったがな……、生憎そんな立場じゃなかったからな。叶わんかった、アハハ」
「……あの街は綺麗じゃない」
「そうか?私はいいと思うぞ」
この面倒くさい奴は知らないのだろう。
一度住めば分かる。
あの街の綺麗さは、綺麗さで賄われていないことを。
「坊ちゃんは、ロヴェルの本当の名前を知っているか?」
「生憎、イーアンで生まれ育って、他の街に来たのはここが初めてだ」
「教えてやろうか?」
そう言いながら、面倒くさい奴は手を差し出して来た。
「……結構」
「冗談だ、アハハ!クソジジイ以外から、金なんか分捕るわけがないだろうが」
この面倒くさい奴は、時々怖いことを言う。
爺さんに対しての態度が異常に厳しい。
老舗のような、もう何十年、何百年も昔からあるような、そんな古びた店の前で面倒くさい奴は足を止めた。
目の向ける先には、店の名前とその下に街の名が書かれた看板が建てつけられている。
多少、掠れてはいるが読めないことはない。
「ロベル……」
「この街が成り立った時の名前だ。ちょうど50年前か、当時の管理人が変えたんだぜ?」
「大した差はないだろう」
チラッと顔を見ると、その面倒くさい奴は思い出し笑いなのか、今にも吹き出しそうになっていた。
「当時の管理人はな、フフッ……滑舌が悪くてな、アハハ」
「笑う時間が無駄だよ」
「だから、滑舌が……フハッ、ハ行が言えなかったんだぜ?アハハ!」
「……」
「そうなるだろうな、アハハ!つまりだ、あん時の管理人はハ行を嫌ったんだよ。バ行もパ行も例外じゃない」
「だから、べをヴェに?」
「バッカな話だよな、アハハ!
笑いが絶えない、この面倒くさく煩い奴は腹を抱えて笑っている。
メインストリートを行き交う人々が、こっちをチラチラと見ているから、すぐにでも逃げたい。
もう既に、5歩ほど退いてはいるが。
「……目的地に行こうか」
笑い終わったところで、とにかく面倒くさい奴はそう言って、またメインストリートへと戻っていく。
その隣を同じように僕も歩いていく。