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第四章

 アラタ達が学校に着いた時、先生達はまだ到着していなかった。
 背中の大きく開いた純白のドレスを纏ったセーラは、天より舞い降りた女神のようだった。その美しさは比類なく、日々身近にいるアラタでさえ感嘆の声を上げたほどだ。
 非常用の螺旋階段を使い、二人は屋上へと上った。そこには魔法少女達が待っていた。
 嬉々としてマナが駆け寄ってくる。
「シスター! お久しぶりです!」
「うん、お久しぶり。いっぱい働いてもらっちゃってごめんね?」
「いいんです、不死身ですから! ……この人が悪魔ですか?」
「そうだよ。たまごどりアイランドで会ったよね」
 アラタに笑顔を向け、マナは低い声で告げる。
「マスター倒したあとはお前だ。覚えてろよ」
「こらこら。ふざけないの」
「……冗談なのか?」
 セーラがいさめるも、アラタは納得できない様子だ。
 鎌を振り回しながら近寄れる距離まで近付いてきた。
「シスター、ごめんなさい、ごめんなさい」
「えーっと、今日は何を謝ってるの?」
「遊園地で簡単にやられちゃったから……。ごめんなさい、ごめんなさい」
「いいんだよ、気にしないで。それよりテディスペシャルの破壊、ありがとう」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 謝りながらシヴァは遠ざかっていく。
「リリは来ていないのか」
「大丈夫。きっと来てくれる」
 アラタの問いにセーラは答え、ポーチから冗談のように大きな銃を取り出した。
「セーラ、本当に大丈夫なのか。マスターはもう一人のポストヒューマンを連れてくるはずだ」
「大丈夫。だってアラタくんを信じてるもの」
 セーラは優しく微笑み、屈んでマナの頭を撫でた。
「妹達にはテディロイドの相手をしてもらうわ。私は妹達を守る。だから申し訳ないけど、あとはアラタくんに頑張ってもらうしかない」
「大丈夫。セーラは必ず俺が守る」
 アラタは校門を見つめ、目を細めた。
 その先にあるのは、列をなして坂を上ってくる数台の大型トラック。
「来るぞッ!」
 声を上げた瞬間、シヴァが鎌を振り下ろした。
 十分な回転数を伴った一撃はグラウンドに巨大なクレーターを生み出した。爆音が響き渡り校舎が大きく揺れ窓ガラスが割れ、四散する土は弾丸の速度をもって屋上を超え舞い上がり、土煙が一切の視界をゼロにした。
「行くぞーっ!」
 セーラを庇ったアラタのすぐそばでマナが叫び、屋上から飛び降りた。穿たれたクレーターへ大槌を叩き込むと、土煙に巨人のシルエットが浮かび上がった。
 巨大、あまりにも巨大な大槌を振り上げた巨人の正体はマナ。彼女は無限に増殖するだけの魔法少女ではなかった。
 巨大な槌が振り下ろされ、先頭のトラックが地中深くへとめり込んだ。ガソリン火災すら許さない一撃だった。
 次なる一撃へと備えシヴァは再び鎌を回し、巨人マナは大槌を振り上げる。

 一方、大音高校への坂道を徒歩で上っていた先生は呟く。
「待ち合わせ場所まで待たないとは。裏の裏をかいて僕が乗っていたらどうするつもりだったんだ」
「呑気な事言ってる場合ですか!? 私あんなの防げませんよ!」
 大盾を構え、ともに歩むさくらが叫んだ。
「さくらはシヴァを止めなさい。あとは僕が何とかする」
「大丈夫なんですか?」
「問題ない。僕を誰だと思ってるんだ」
「……分かりました。先生、死なないでくださいね!」
 先行して突撃していったさくらを見送りながら、先生は一人呟く。
「殺しに来られたらまずいな」

「シールドバーッシュ!」
 巨人マナの脇をすり抜け屋上まで一気に跳躍したさくらは、まずシヴァを盾で弾いた。ハニカム構造の光をぶつけられ、シヴァは屋上から落ちていった。
 アラタとセーラは声を揃えて叫ぶ。
「さくら!」
「さくらちゃん!」
「もうやめてください! 先生を殺す気ですか!?」
 ズシンと揺れる屋上に立ち、さくらは二人を睨み付けた。
 対し、セーラは悲しげな面持ちで返す。
「殺さないわ。それじゃあマスターと一緒になっちゃうもの。でも、本気でやらないと私達がやられちゃうの」
「先生はそんな事しません!」
「いいえ、やるわ。あの人は邪魔者をみんなそうしてきた。私達だって例外じゃない」
「……お願いです、降参してください! 私も先生も戦いたくなんかないんです!」
「できないわ。あの人の野望はここで食い止めなきゃいけない。さくらちゃんだって分かってるんでしょう?」
 さくらは目に涙を浮かべた。
「セーラちゃんは何にも分かってない!」
 叫び、盾を突き出し突進してきたさくらをアラタが片手で止める。その目は赤い光を放っていた。
「さくら、やめるんだ! お前じゃ勝ち目のない事ぐらい分かってるだろう!」
「アラタさん、どうして先生を裏切ったんですか!? 裏切られ続けた先生の気持ちが分からないんですか!?」
 盾を引き、打ち出してきた拳をアラタは片手で受け止める。
「俺はセーラが幸福に暮らせる世界を望んできた、ただそれだけを願ってきた! 誰にも邪魔はさせない、たとえ先生でも、さくら、お前でも!」
 アラタが放った掌底をさくらは盾で受け止めた。ハニカム構造の光が眩く輝く。
「……アラタさんッ!」
「さくら、お前には無理だ! 下がれッ!」
 直後アラタの足元にヒビが走り、さくらは大きく弾き飛ばされた。
 それでもさくらは踏み止まり、再び突撃する。
「無理とか無駄とか――そんな問題じゃない! 私はみんなに仲直りしてほしいだけなんです!」
「……さくら」
 腰を落とし両手を広げ、アラタはさくらの突撃をその身で受け止めた。渾身の突撃をもってしてもアラタは微動だにせず、さくらは大きく目を見開いた。
「俺も同じ思いだ。だから今は、おとなしくしていてくれ」
 アラタは盾ごとさくらを抱きしめた。盾が破砕し、構えていたさくらの腕が不自然な方向に曲がり亀裂が入る。破壊された腕から青白い電光が走った。
 アラタを見つめ、さくらは涙を流した。
「……アラタさん」
「すまない」
寸瞬、アラタは目を閉じ、さくらの膝を蹴り砕いた。ハニカム構造の光が割れ、鈍い鈍い音がした。
「あああああああッ!」
 月下に悲鳴が響き渡る。
 抱擁から崩れ落ち、精密過ぎる機械の少女は折れた膝を抱える事すら許されず、その場をのたうち回った。

 さくらの悲鳴は先生のもとへも届いていた。
「やられたか」
 巨人マナを通して向こう、校舎の屋上を見上げて先生は呟いた。
「大丈夫、問題ない。致命的な破壊には至っていない。直せばいいだけだ」
 冷静に平坦に言い、首を傾げる。
「……そうだろう? 直せば元通り、何の支障もない」
 不思議そうにスマホを見つめ、先生はとある操作を開始する。
 しかしうまくいかない。
「おかしい、手が震えている。こんなタイミングで風邪かな。人間は面倒だ」
 何度か同じ操作をし直すと、まだ破壊されていないトラックのウィングサイドパネルが一斉に開いていく。

「これでよし……っと」
 セーラはさくらの痛覚回路を切断した。痛みは取り除かれたが、さくらは右腕と右脚を破損している。立ち上がる事すらできない。
「私に触らないでください」
 目に大粒の涙を浮かべたさくらはすねた顔をしてうずくまった。
「安心して。もう触らないわ。じっとしていてね」
 再び校舎が揺れた。巨人マナがもぐら叩きのように大型トラックを破壊している。
「さくら、あのトラックには何が積んである」
「知りません。知ってても教えません」
 すねるさくらの白い首に後ろから鎌が当てられた。戻ってきたシヴァの鎌だ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……喋らないと破壊しなくちゃいけなくなります」
「やれるものならやってみなさいよっ!」
「シヴァちゃん、やめてあげて? 次に備えて回転数を稼いでおいてくれないかな」
「うう、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 ふわりふわりと距離を取ったシヴァは鎌を振り回し始めた。
「トラックに載せてあるのはテディロイドだろう。通常のものなら脅威にはならないが」
「でもマスターは無意味な事をしない」
「同感だ。あれだけの物量には何か意味がある」
 アラタとセーラが話し合っていたその時、月明かりに陰りが生じた。二人は同時に空を見上げた。風のない夜だ、雲は動いていない。煙に似た何かが低い空を覆っている。
『煙』が一斉に降下し始めた。
「攻撃だッ!」
 アラタが叫んだ直後、シヴァは月に向けて鎌を投げた。
 その楕円軌道に沿って爆発が巻き起こる。爆発は誘爆を引き起こし、空が燃えていく。アラタは十指を銀色の糸に変え、空一面を薙ぎ払う。視界をゼロにする白い爆発が空を覆い尽くす。
「うおぉりゃあーっ!」
 巨人マナが大槌を振るい、白い爆発から繋がった爆発音が響き渡る。
 他の指で空を薙ぎつつ、アラタは一本の指、針のような形状の指を一つ手元に戻した。
 そこに刺さっていたのは一匹の虫だった。
「イナゴ型のテディロイド、それも爆弾か。厄介だな、撃ち漏らしたらシヴァが危ない」
「マナも危ないわ。一つ残らず撃ち落としましょう」
 そう言ってセーラは巨大な銃を空に向けた。銃身がカチカチと音を立て変形していく。初めより明らかに大きくなった銃口から、白い柱のような光が撃ち出された。
 天を貫く槍にも似た光の銃撃が虫型のテディロイドを消滅させていく。横目にセーラを見たアラタが尋ねる。
「それはレーザーなのか?」
「私も分からないの。銃から撃てそうなものを何でも撃てる銃だから」
「……まったく理解できないな」
「銃に対する無知を逆手に取ってるの」
 理屈では説明できない銃。セーラもやはり先生と並ぶ異常なサイエンティストだった。
 光で埋め尽くされた夜空に落書きをするように、セーラは虫型のテディロイドを消滅させていく。
 回転を止めないシヴァはその威力を増していき、楕円形に破壊していく。
 十指の糸は途中で何本にも分岐し、見えない細さでありながら精密に他の撃ち漏らしを片付けていく。
 虫型テディロイドの掃討は順調に進んでいるかに見えた。
 だが。
「うはぁっ!」
 巨体をくの字に逸らし、巨人マナが叫んだ。その腹部を黒い炎が貫いていた。
 ほどなくして巨人マナが煙のように消えた。
「黒い火焔の路……ポストヒューマンか!」
 アラタが叫び、全員の顔に緊張が走った。
「空からの物量攻撃は陽動だったのね……!」
「セーラ、逃げろッ! やつの相手は俺がするッ!」
 僅かに間を置き、セーラは応える。
「……分かった! みんな、一旦撤収! 逃げるよっ!」
 そう言ってセーラはさくらの肩を支えた。駆け付けたシヴァがもう片方の肩を支え、二人して持ち上げた。
「どうして私まで連れていくんですかっ!」
「さくらちゃん、マスターと連絡取れるんでしょう? 邪魔されたら困るからよ!」
 喚くさくらを運び、セーラとシヴァは屋上から去っていった。

 虫型テディロイドへの攻撃をやめてしばらく、学校は炎に包まれた瓦礫の山と化した。それほどの飽和攻撃だった。
 未だ燃え残る炎の中、アラタは生きていた。眼力鋭く瓦礫の上に立つ人物を見つめていた。
「そう怖い顔をしないでください、アラタさん」
 瓦礫の山は灼熱を放っている。どす黒い煙がところどころから空へと伸びている。人が平然としていられる環境ではない。
「あれ、ひょっとして気付いてなかったんですか? 意外ですね。もしかして僕の言葉を信じてたんですか」
 瓦礫の上の人物はジーンズのポケットに手を突っ込み、空気の足りない中で平然と話す。
「あり得ない話でもないですね。アラタさんは人間を信じやすい。信じられないほどに信じやすいですから」
 緑色のジャージの襟を上まで上げた人物は付け加えるように言う。
「だからこそ、こんな結果になってしまった」
 アラタの額から流れる汗は熱のせいか、あるいはそれ以外か。
「……さくらは知っているのか」
「当然です。観覧車から飛び出したところも見てますしね」
 人が生きられない環境の中、アラタの目線の先にいるのは、先生だった。
「考案者たる僕が自分を進化させていないとでも思いましたか? 他の誰かに任せきりにすると思いましたか? 支配されるべき旧人類に留まったままでいると思いましたか?」
 質問を重ねる先生に顔を向けたまま、アラタは目を閉じた。閉じた目の中で何を考えているかはアラタにしか分からない。
「アラタさん、今からでも遅くはありません。僕と一緒に新たな世界を創りませんか。この薄汚い世界を正しい秩序で律しましょう。僕達ならきっとうまくやっていけます」
 ポケットから手を出し、先生は握手を求めた。
 しばし先生の目を見つめ、アラタは言う。
「……セーラ達と一緒に事を運べないだろうか。先生の理想が間違っているとは思わないが、俺にはセーラを守る義務がある」
「本気で言ってるんですか」
 先生は手を差し出したまま尋ね、付け加える。
「僕とシスターの思想は相容れません。何よりまず彼女達が僕を認めません。アラタさん、ひょっとしてまだ迷ってるんですか? よくもそんな態度でさくらを破壊できましたね」
 アラタは押し黙った。返す言葉が見当たらないようだった。
「もういいです。アラタさん、あなたを殺します」
 差し出された手が剣に変わるのを見、アラタは慌てた様子で取り繕う。
「待て、待ってくれ。俺は先生と戦いたくない。少し時間をくれないか、セーラを説得したい」
 次の瞬間、先生の目が赤く染まった。
 アラタに切っ先を向け、怒りの滲んだ声で告げる。
「いい加減にしてください。アラタさんにとって一〇〇パーセント都合のいい結果などありはしないのです。僕もシスターも、さくらも腹を括った。それなのにあなたは何ですか。まるで自分の事しか考えていない」
「違う、そうじゃない。俺はただ、平和的な解決を――」
「つべこべうるさいッ!」
 怒鳴ると同時、先生の足元から黒い炎が燃え上がった。炎は瓦礫を伝い、円状に広がっていく。
「……才能と思想の適合だけでは足りなかった。これもまたいい教訓としよう。アラタ、お前はもう用済みだッ!」
 ヴァンパイアの俊足で瓦礫を踏み砕き、先生はアラタに斬りかかった。瞬時に手を銀の槍に変えたアラタは斬撃を防いだが、それでも後方へと吹き飛ばされた。
「戦うしかないのか……!」
「当たり前だッ!」
 両手、二刀による先生の連撃が続く。アラタも両手を槍へと変えたが防戦一方、硬質な金属音が絶え間なく響き続ける。
「どうした、その程度かアラタッ!」
「戦いたくない、先生とは戦いたくないんだッ!」
「さくらを潰しておいてどの口がほざくッ!」
 黒い炎の円の中、先生の連撃が加速していく。
 先生は怒りに燃えていて――だからこそ気付けなかった。あるいはこのタイミングを見計らっていたのかもしれない。
 燃え盛る火焔の路を駆けてきたリリが、真後ろから先生の右腕を斬り落としていた。
 失われた右腕に目を遣って初めて、失われている事に気付いたようだった。
「リリッ!」
 アラタの叫びに先生も振り返り、しばし呆けた顔でリリを見つめた。
「……ああ、いたな、お前。忘れてたよ」
「私のとっておきを勝手に使ってんじゃねえぞ、盗人が」
 そう言ったリリの足元から赤い炎が円状に広がり、黒い炎を打ち消していく。だが先生は気にする様子もなく、右腕を再生、再び剣のかたちに変えた。
「傷付ける程度には克服したのか。お前、見どころあるよ」
 言うが早いか、先生はアラタに背を向けリリに斬りかかった。だが遅い。いや、リリが速い。
 火焔の路と同じ効果を持つ円、火焔の庭の中ではリリの方が速い。
「何度だって斬り落としてやるよ。さあ、お前はあと何回再生できる?」
 直後、先生の左脚を斬り落とした。

「シスター! リリが来ましたっ!」
 学校の裏に広がる森の中、あちこちに散らばったマナの一人が嬉しそうに声を上げた。
「そう。じゃあ私達もそろそろ行かなくちゃね。アラタくんの様子はどう?」
「あいつまだ迷ってるみたいです! 一回殴ってもいいですか!?」
「……そう。残念ね。でも殴るのはだーめ」
 怒り顔のマナの頭を撫で、セーラは頼む。
「マナちゃん、さくらちゃんを連れて来てくれない?」
「いいですけど、邪魔になりませんか? あいつがまた迷いださないか心配です」
「アラタくんなら大丈夫。じゃあお願いね」
「分かりました! お気をつけて!」
 セーラに手を振ってすぐ、マナは森の奥深くへと駆けていった。

 火焔の庭の中でリリの速度は右肩上がりに跳ね上がっていく。ポイントは回転だった。回転しながら斬り続ける限り、彼女の速度は制限なく上がっていく。
 両脚を斬り落とした先生に回し蹴りを放ち、遥か彼方へと吹き飛ばしてリリは言う。
「アラタ、何を呆けている。お前には戦う気がないのか」
「……先生と戦いたくない。彼は今、圧倒的に不利だ。それでもなお戦おうとしている。戦わずに済む方法はないだろうか」
 傍観していたのみならず、アラタは槍から人の手のかたちに戻してさえいた。
 リリは大きく舌打ちをし、吐き捨てるように言う。
「お前はどうしようもないクズだな」
「……なぜだ、誰もこんな戦いを望んでなどいないはずだ!」
「お前が戦わなければシスターが殺されるッ!」
 彼方にいる先生の動向を窺いながら、リリは一喝した。
「望んで命を賭し戦う者などいるものか! 私にマスターは殺せない、四肢を幾度斬ったところで止められる気もしない! 口先だけの理想をほざいてシスターが殺されるのを待っているつもりか!」
 アラタは絶句した。
「戦う気がないのならば去れ。目障りだ」
 リリに向かって黒い火焔の路が伸びた。先生の突撃までもう間もない。
「……やるしかないのか」
 ぽつりと呟き、固く握り締めた拳を銀の槍に変えた。
「すまない、先生」
 そう言い、アラタは火焔の路へと飛び込んだ。
「アラタッ!」
 リリの声が一瞬で遠ざかる。
 アラタの槍、先生の剣。
 交差するまで、あと一瞬。
「うおおおおおおおおッ!」
「アラタアアアアアアッ!」
 鋭い金属音と共にハニカム構造の光が衝突した。双方防御を固めての攻撃だった。ならば加速して突撃する先生の方に分がある。アラタは大きく後方へ吹き飛ばされ、いくつもの瓦礫の山を崩して転がり続け、学校裏の森へと突っ込んだ。
「アラタめ、さくらの魔法を盗みやがって!」
「どの口が叩いてるんだ。さあ来い、もう一度斬り刻んでやる」
 先生はアラタに追い打ちをかけようとしたが、リリの剣がそれを許さなかった。

「――タさん、アラタさん!」
 暗い森の中、アラタは目を覚ました。開いた目に雫が落ち、潤んだ瞳のまま名を呼ぶ相手を見つめた。
「……さくら、どうして泣いているんだ」
「アラタさんっ!」
 アラタはさくらの膝を枕に眠っていた。さくらは動く左腕でアラタを抱き寄せた。
「泣いてなんかいません、泣いてるのはアラタさんの方です!」
「そうか」
 夜風が吹いてきたのか、木々がさらさらと音を立てている。今この時だけは戦いとは無関係に見えた。
「セーラはどうした、一人なのか」
「私がいるけど?」
 マナの声だった。木の上から声が聞こえた。
「それなら安心だ」
 そう言ってアラタはさくらの涙を手で拭い、頬に手を当てた。
「さくら、すまない」
「いいんです。アラタさんの方こそ大丈夫ですか」
「問題ない。……だが、未だにどうしたらいいのか分からない。情けないな、俺は」
「私もどうしたらいいのか分かりません。先生とセーラちゃんに争ってほしくないだけなのに、どうしたらいいのか分かりません」
「そうか」
 囁くようにそう言って、アラタはしばし黙した。
 セーラの味方にも、先生の味方にもなってやれない。どちらかに肩入れすればどちらかを敵に回す事になる。
「さくら、お前もセーラに死んでほしくないよな」
「当たり前じゃないですか、私はただみんなに仲良くしてほしいだけです」
 悲しげに涙を溢れさせるさくらに、アラタは優しく微笑む。
「そうだよな、俺も同じだ」
 起き上がり、アラタは両手でさくらを抱き上げた。
「アラタさん……?」
「ここ数日で、守るべき人が増えてしまった。そこに優劣など付けられるはずもなかったのに、誰かを犠牲にしようとしていた」
 困ったように笑い、アラタは再び歩き始める。
「ちょっと、どこ行くのよ! そいつは大事な人質なのよっ!?」
「そうか、人質か」
 アラタは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「だったら救い出さないとな?」
 アラタは桁違いの膂力でもって大きく跳躍した。既に向かうべき場所は分かっているようだった。
「こらーっ! 勝手な事するなーっ!」
 後方からマナの叫びが聞こえ、アラタは吹っ切れたように笑って言う。
「すまない! 今度会ったら思いっきりぶん殴ってくれ!」
「アラタさん……?」
 月明かりの下、アラタの腕の中、さくらは不思議そうに呟いた。
「一緒にみんなを救おう。こんな悲しい戦いはもう終わりにするんだ」
「アラタさん……ッ!」
 さくらは動く左腕でアラタをぎゅっと抱きしめた。
 跳躍――といってもそれは飛翔の領域に達しているが――空を走るアラタは向かう先に一人の人物を捉えた。
「空を飛ぶ魔法少女――いや、セーラか。あんなところで何をしているんだ」

「ありがとう、アラタくん」
 月を背にセーラは空で静止していた。手には巨大な銃を携え、背には白い翼が生えていた。
 眼下、火焔の庭でリリに斬り続けられている先生に銃口を向けた。
「みんなありがとう。みんなのお陰でここまで来れた。生きていられた」
 スコープを覗き込み、先生の頭に照準を定める。
「だから、罪を背負うのは私だけでいい」
 何もかもを諦めたような寂しい笑みを浮かべ、セーラは引き金に指を掛ける。
 その指は小刻みに震えていた。

「まずいな」
 四肢を斬られては再生しながら、しかし何事もないように先生は空を見上げ呟いた。
「あの女、信念を曲げてまで僕を殺す気か」
「そうだよ。だからお前に動いてもらう訳にはいかない!」
 そう言ってリリは先生の両脚を切断した。
「殺す事はできないのに幇助はできるのか。よく分からないな」
 体勢が崩れる間もなく両脚が再生する。リリの速度が上がる以上に再生速度が上がっている。
「お前、もういいよ。飽きた」
 斬られた肩口から何かが生え、直後――リリの剣が止められた。鞭、あるいは触手のようなものがリリの腕に巻き付いていた。
「お前……ッ!」
「火焔の範囲内だったら加速し続けるんだったな」
 そう言ってリリを頭上高くへと投げ飛ばした。先生の剛腕、火焔の庭の効果により爆発的な速度でリリは吹き飛んでいく。

 スコープから目を離し、セーラは声を上げる。
「リリちゃんっ!」
 急激な速度で向かってくるリリを受け止めたが、それでも勢いを殺し切れず、二人は月夜の高くまで吹き飛ばされた。
「リリちゃん、大丈夫!? リリちゃん!」
「あ、頭が回る……」
 苦痛に顔を歪めながら、それでもリリは言う。
「でも距離は取れたから、もう一回突っ込む……」
「だめよ。次行ったら今度は殺されるかもしれない。だからお願い、あとは私に任せて」
「……ごめん、やっぱり私は役立たずだ」
「そんな事ない、そんな事ないよ」
 微笑み、セーラはリリをぎゅっと抱きしめた。
「いつだって命懸けで戦ってくれたじゃない。他の子が戦わなくて済むように、真っ先に手を挙げてくれたじゃない。私はリリちゃんがすっごく優しい子だって分かってる。だからもういいの。もう休んでもいいんだよ」
 溢れた涙が頬を伝った。
 誰よりも瀬戸際で戦ってきた。いつ殺されるかも分からない中、敵の拠点に居座り続けてきた。誰よりも仲間思いで、誰よりも優しい彼女こそ、本物の魔法少女だった。
「ありがとう、シスター、ありがとう――」
 甘えるのが下手な彼女にしては珍しく、少しでも優しいぬくもりを求めるかのように、セーラをぎゅっと抱きしめた。
「……私、もっと強くなるから。それまでちょっとだけ、待ってて」
 セーラを離し剣を振るう。そこから伸びる火焔の路。遁走の道ではない。決して約束を違えないための道だ。
 先生から離れるように火焔の路を駆けていくリリを見送り、セーラは再びスコープを覗き込んだ。
「アラタくんと……さくらちゃん? どうして?」

 さくらを支えるアラタと先生は向かい合っていた。互いに無言、まるで荒野のガンマンのようだった。
「さくら」
 沈黙を嫌った訳ではないだろう。思わず零れ落ちたような声だった。
「状況は分かっていたが、よくもここまで壊せたものだな」
「……すまない」
「アラタ、今だけ信じろ。僕は決してここから動かない。だからさくらをそこに置け」
 決して目線を切らず、アラタは尋ねる。
「さくら、構わないか」
 何も言わず、さくらはこくんと頷いた。
 さくらを座らせ、アラタはじりじりと後ろへ退いていく。それに合わせるように先生はあえてポケットに手を入れたまま、さくらへと歩み寄っていく。
 さくらの傍まで来た時、先生は初めてアラタとの目線を切り、さくらと目の高さを合わせるように屈みこんだ。
「まさかあいつがお前にここまでするとは思わなかった」
「……仕方なかったんです。アラタさんを責めないでください」
「シヴァを止めてこいとしか命令しなかったはずだ」
 先生は破損したさくらの右腕を見つめていた。関節は砕け、数本のケーブルと人工皮膚だけで繋がっている状態だった。
「拠点に戻らないと直せない。まったく、余計な手間を掛けさせる」
「すみません、先生」
「痛みはないか」
「はい」
「そうか」
「……先生も、頭から血が」
「何だって」 
 乱れた髪に赤い点が浮かんでいた。それは血のように赤く――しかし血ではなかった。
 頭に当てた手に赤い点がそのまま浮かび上がった。
「先生、危ないッ!」
 自由に動かせないはずの脚で。
 バランスを取るのもままならないはずの身体で。
 さくらは先生に覆い被さった。身を挺して守る盾のように。
 あるいは暖かく包む毛布のように。
 直後。
 銃声が、響いた。

 空の上ではセーラが真っ青な顔をしていた。全身が小刻みに震えていた。
「さくらちゃん……ッ!」
 自らの思想に反してまで放った一撃がさくらを傷付けてしまった。
 空にいるセーラの存在を先生は気付いていた。気付いている事をセーラも知っていた。覗いたスコープ越しに目が合ったのだから間違いない。
 目先のアラタとさくらに気を取られていたからこそ、チャンスは今しかなかった。
 普段は冷静沈着なセーラが最大にして最悪のミスを犯した。その心の裡はいかほどか、それは当人にしか分からない。

「さくら」
 先生が声を掛けるも、さくらは動かない。目を見開いたまま固まっている。
「さくら」
 セーラの銃弾はさくらの左胸を打ち抜いていた。揺すっても反応がない。
「さくら」
 ぴくりとも動かない。人で例えるならば、屍のように。
「さくら」
 起き上がり、先生はさくらを仰向けに寝かせた。
「さくら」
 開いたままの両目を閉ざしてやる。
「さくら」
 重たい沈黙が続く事、数秒。
「さくらああああああああああああああッ!」
 夜空を仰ぎ、先生は慟哭した。
 その背に黒い翼が生え、セーラへと一直線に飛んでいく。
「先生ッ!」
 アラタも大きく跳躍するが、追い付けない。
「セーラ、逃げろッ! 逃げるんだっ!」
 アラタの声が届いたのか、直後に煙幕が先生を覆った。だが煙幕を突き抜け先生はセーラへと接近していく。再び銃声が響き、今度こそ先生の体勢が崩れた。散弾だった。
「殺してやる、殺してやるッ!」
 しかし怯む事なく、先生は憤怒の形相でセーラに掴みかかった。
「さくらを、さくらをッ!」
 蒼褪めたセーラは何も言えなかった。
「さくらを返せえええええええええええッ!」
 激昂した先生は手を武器に変える事なく人の手のままセーラを掴み、思い切り地面へと投げつけた。
「きゃああああッ!」
「セーラッ!」
 間一髪、セーラの下に潜り込んだアラタがさくらのシールドを展開した。
 それでも轟音が響き、地面には大穴が空いた。それほどの衝撃だった。
 急速に降下してくる先生、セーラを寝かせ立ち上がるアラタ。
「ああああああああッ!」
「目を覚ませ、先生ッ!」
 二人の拳が交差する。互いにポストヒューマン唯一の弱点、頭部へと狙いを定めて。
 アラタの拳が先生のこめかみにクリーンヒットし、一瞬より僅かな間を置き、先生の拳がアラタの頬に直撃した。
 脳を揺さぶられふらつくアラタ、きりもみに回転して地に伏せた先生。
 しかしアラタは持ち直し、先生もまた起き上がる。
「邪魔をするなッ!」
「もうやめろ、やめるんだッ!」
 再び拳が交差する。互いに身体を武器化できる身でありながら殴り合う事を選ぶのは、固めた拳に決意を宿しているからか。
「ぐあッ!」
「がッ!」
 互いの信念を懸け、殴り合いは続く。
「頼む、もうやめてくれッ!」
「うるさい黙れッ! お前に何が分かるッ!」
「分かるさ! つらいんだろう、悲しいんだろう! 先生だって普通の人間なんだッ!」
「黙れ黙れ黙れッ! 僕はこの世界を変える存在だッ! お前らと一緒にするなッ!」
「だったらどうして泣いているッ! その涙は誰のために流しているんだッ!」
「……うるさいッ!」
 殴り合うのをやめず、殴り合いながら二人は想いをぶつけ合う。
「どうしてシスターに付いたッ! あの女がそんなに大切かッ!」
「みんな大切なんだっ! セーラも先生も、さくらもッ!」
「そんな都合のいい話があるかッ!」
「それでも俺は望んでいる、そんな世界を望んでいるッ!」
 叫び、アラタは大きく拳を振るう。
「それが俺の正義だッ!」
 渾身の一撃に先生は大きくのけ反った。
「僕は、僕は世界を、変えるんだ……ッ!」
 固く拳を握り締めたまま、先生は倒れた。
 倒れた先生を見下ろすアラタは肩で息をしていた。
 二人の目指す世界はそう変わらなかったはずだ。それでも二人は争い、雌雄を決した。
 どちらが先に倒れてもおかしくない闘いだった。それでもアラタが長く立っていられたのは、拳に乗せた信念の重さの差だったのかもしれない。

「さくら、さくらぁ……」
 倒れた先生は幼い子供のように泣いていた。
 おぼつかない足取りでアラタは先生のもとへと向かい、告げる。
「……先生、もう終わりにしよう。争っている場合じゃない。先生にはやるべき事があるはずだ――」
 目から赤い光が消えたと同時、アラタは先生の隣に倒れた。
 ぎゅっと拳を握り締めた先生は身体を起こし、這いずりながらさくらのもとへと向かう。
「さくら……」
 幼な子が母を求めるように手を伸ばして倒れ――そのまま意識を失った。

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