ジャニュとオーガスト8
「貴方はどうしたいのですか?」
「ウ”ア”ァ”ァ”」
オーガストの問いに、実験体は苦しそうな声を短く上げた。
「いいんですか? それで」
ジャニュにはオーガストが何と言っているのかは解らないが、実験体の言葉になっていないであろう音を理解しているのだけは解った。
オーガストの呼びかけに、実験体は呼応するように呻き声を上げる。
「そうですか。観察させてもらったお礼に貴方を戻すことぐらい容易かったのですが、貴方が死を望むのでしたらそうしてあげましょう」
その言葉に、実験体はどこか驚いたような呻き声を短く上げると、続いて何かを伝えるように慌てた感じの声を出した。
「・・・そうですか、それは残念」
オーガストが一言そう呟くと、実験体の姿から歪さが無くなる。しかし、その色々なモノが組み合わさった身体はそのままだ。
「あ・・・ぁ・・・」
実験体はその変化を感じて声を出そうとするが、上手く言葉にならないようであった。
「おや、もしかして弱い頃のほうが良かったですか?」
「い、い、や」
喋り辛そうにしながらも、実験体は何とか言葉を紡ぎはじめる。
「そうですか・・・これからエデンの方へ?」
「あ、ああ。よく、知って、いるな」
「転移で飛ばしましょうか? 危険を冒さずに済む直通ですよ」
「な、ぜ・・・?」
「簡単な話です。貴方にここに居られると邪魔なのですよ。それとも、この場で僕に狩られます? さっくと済ませますよ?」
オーガストの言葉に、実験体はビクリと肩を跳ねさせると、誰の目にも明らかなほどガクガクと震え出した。
「転移、頼む。お前には、勝てない」
「・・・そうですか、それは残念。では、いきますよ。忘れ物はないですね?」
「あ、ああ。もし、お前が、エデンに、来ることが、あったなら、何か礼を、させてくれ」
「そうですね・・・機会があればお願いしますよ」
最後にオーガストがそう告げると、実験体は魔力の霧を残して南の方へと転移していった。
「ま、それは僕ではなくジュライに返せばいい・・・何事もなければ」
消えていった実験体へと向けてオーガストはそう呟くと、ジャニュの方に振り返る。
「終わりましたので戻りましょうか」
「この濃い魔力はどうするの?」
「直に霧散していきますよ」
「そう。それならいいのだけれど・・・」
「これぐらいでしたら、霧散するまでそう時間は掛からないでしょう。それでは戻りましょうか・・・ああ、その前に」
周囲に倒れている魔族の方へと目を向けたオーガストは、それらを瞬時に消し去った。
「素材は多い方がいいですからね」
「え?」
オーガストの何やら不穏当な発言に、ジャニュは聞き間違いだろうか、という思いを込めた声を出す。
「さぁ、用も済んだ事ですし、戻りましょうか」
それをさらりと流すと、オーガストはジャニュの屋敷に戻ろうとするが。
「ちょっと待って。オーガスト」
「?」
それをジャニュの声が制止する。
「貴方にその・・・話があるわ」
「なんでしょうか?」
「・・・色々話したい事はあるのだけれど、まずは息子の願いを聞き入れてくれてありがとう」
オーガストに向けてジャニュは深く頭を下げた。
「・・・・・・」
そんなジャニュの姿を、オーガストは何の感情も浮かばない目で眺め続ける。
「そして、助けてあげられなくてごめんなさい」
「助ける? 何の話です?」
「昔の話よ。あの時私は、貴方に手を差し伸べてあげられなかった」
「それで?」
「貴方にとってこの謝罪に意味はないのでしょう。何をしても贖罪にもならないのも分かっています」
「ええ、その通りですね。姉さんのせいではありませんし、別に何とも思っていませんから。しかしその様子から察するに、それで姉さんが抱いているのであろう罪悪感は薄れるのでは? それならばその謝罪にも意味があると思いますが? という訳で、さぁ存分に自分を慰めてください。終わったら戻りますから、教えてくださいね」
「ッ」
オーガストのその反応に、ジャニュは下唇を強く噛む。
それはオーガストにとって皮肉でもなんでもない言葉なのだろう。ただ事実を述べているだけで。しかし、ジャニュにとっては今にも泣きたいぐらいに胸に刺さる言葉であった。
「・・・? どうしました? もう終わりなら戻りますが?」
一貫して表情も声音も何も変わらないオーガストに、ジャニュは大きく息を吸うと、全てを飲み込むような間を空けて息を吐いた。
「・・・そうね。戻りましょうか。今日はもう夜も遅いし、我が家に泊まっていくといいわ」
「・・・ふむ。それはここまで転移してこれる相手に対して適切な発言なのでしょうか?」
「ええ。そんな事は関係ないもの」
「そんなものですか。まぁ、泊まらずに帰りますが」
「そう?」
「ええ。彼も、ジュライも嫌がるでしょうし」
「あら残念。嫌われたものね」
「自覚ぐらいはあるでしょうに」
「そうね。まあこれは性分ですもの。ですから、これを機にオーガストもたまには私のところに顔を出しなさい? 私を満足させてくれる相手は貴方ぐらいですもの。ジュライもとても強かったけれど、オーガストと戦い慣れていたらあの程度では物足りないわ」
「こちらには何の得もない話ですが・・・それに、直に相手は出来ますよ」
「それはどういう意味かしら?」
「さぁ。戻りますよ」
オーガストがそう告げると、二人の姿は北の森から一瞬で消えた。
◆
「お帰りなさい! 母様!」
北の森から帰還したオーガストとジャニュの姿を認めたパトリックが、嬉しそうにジャニュの許へと駆け寄ってくる。
「ジャニュが無事で良かったよ。それでどうなったんだい?」
ウィリアムの安堵する声での問いに、ジャニュは僅かに苦笑する。
「私は何もする事がありませんでした。まぁ、あの状況では何もできなかったのですが」
「それ程の相手だったのか?」
「ええ。魔族や変異した恐ろしく強力な魔物。他にもその魔物には劣るけれど、強い魔物も何体か確認出来ました。私では変異していない普通の魔物だけなら何とかなったかもしれないけれど、他はお手上げね。オーガストが居てくれて本当に助かったわ」
ジャニュの言葉に、オーガストに視線が集中していく。
「大した事はしていませんよ」
それにオーガストは興味なさげに声を返した。
「ふぅ、相変わらずね。それよりも、誰か北門にもう終わった事を報告して来て頂戴」
「畏まりました」
ジャニュの指示に、使用人の一人が部屋を出ていく。
「とりあえずはこれで大丈夫でしょう。言い忘れたけれど、報告のついでに北門の被害状況も訊いてくるでしょうから、帰ってくるのをここで待ちましょうか」
そう言うと、ジャニュはオーガストの方に目を向ける。
「やっぱり今夜は泊まっていきなさいよ」
「・・・いえ、直ぐに戻れますから」
「そう? こちらは歓迎するのに」
オーガストの返答に、ジャニュは肩を竦めて残念そうにする。
「では、そろそろ戻りますね」
「あ、あの!」
そう言って駐屯地へと帰ろうとしたオーガストに、パトリックが恐る恐る声を掛けてきた。
「今度はどうしました?」
それに向けられたオーガストの作り物めいた瞳に、パトリックは一瞬言葉を詰まらせる。
「も、もう一つお願いがあるのですが!」
「何ですか?」
「オーガスト叔父様には身体を治して頂きましたが、あの、出来ましたら、魔法も教えてくださいませんか!?」
「・・・・・・」
「あぁ、それは私も習いたいわね」
「・・・・・・」
パトリックの言葉に反応するジャニュ。それに、オーガストはパトリックとジャニュそれぞれに目を向けた。
「勿論、お断りします」
「少しぐらいいいじゃない」
にべもないオーガストの返答に、ジャニュが冗談まじりに不貞腐れたような声音を出す。
「・・・・・・」
そんなジャニュに、オーガストは極寒の眼差しを向け続ける。
「あん、もぅ。そんな目で見られていたら、興奮してまた相手してほしくなるわよ?」
艶のある声音でのジャニュの言葉を無視して、オーガストはパトリックに目線を動かす。
「魔法は自分で学べばいい。ここにも指導してくれる人間ぐらいは居るでしょう?」
「それはそうですが・・・早く強くなりたいのです!」
「別に僕に教わったからといって、魔法が急に上達する訳ではありませんよ」
「それでもオーガスト叔父様に習いたいのです!」
キラキラとした憧れの眼差しを向けてくるパトリック。オーガストはそれをどこか面倒そうな雰囲気で眺める。
「いいじゃないの。オーガスト叔父様!」
からかうようなジャニュの声を無視して、オーガストはウィリアムへと目を向けた。
「・・・少し息子さんをお借りしますよ、義兄さん」
「あ、ああ。息子をよろしく頼むよオーガスト君」
突然声を掛けられた事に驚きつつも、ウィリアムは頷き応える。
「では、少し移動します。直ぐに戻りますが」
それだけ告げると、オーガストとパトリックは姿を消した。
「あら、私は連れていってくれないのね」
それにジャニュは冗談っぽくそう言って肩を竦めるが、割と本気で残念がっているようにみえた。
「・・・パトリック様は大丈夫でしょうか?」
呟かれた使用人の一人の声に、ジャニュは軽く笑うように言葉を返す。
「問題ないわ。オーガストは敵じゃないわよ」
「そ、それは分かっていますが・・・」
尚も不安そうな使用人に、ジャニュはしょうがないかと息を吐く。今のオーガスト相手に臆することなく対応できそうな人間を、ジャニュは二人しか知らない。それはジャニュとオーガストの双子の妹であるオクトとノヴェルであった。
「まぁ、大丈夫よ」
説明しても直ぐには信用出来ないだろう。そう判断したジャニュは、それだけ言って話を終わらせる。
「それよりも、オーガストとパトリックの二人と、北門からの報告が届くまで休憩しておきましょう」
「は、はい! 今用意致します!」
部屋の隅の方に置かれていた机と椅子を使用人達が急ぎ運んでくると、それにジャニュとウィリアムが腰掛けた。直ぐに机に温かな飲み物と、軽食が運ばれてくる。
「折角だし、北の森での話をもう少し詳しく聞かせてもらってもいいかな?」
「ええ。勿論ですとも」
ジャニュは快諾すると、北の森での戦闘とも呼べない戦闘の話をウィリアムに話していく。
「・・・相変わらずオーガスト君は凄まじいな。昔から凄すぎて得体の知れなさがあったが、それでもまだ理解が出来た。しかし今ではもう、完全に私が理解出来る範疇を超えてしまったようだ」
「ええ本当に。昔以上に異質な雰囲気を強く持つようになっていますね。あの子は一体どこまで高みに昇ろうというのか」
そういうジャニュの表情は浮かないモノであった。
「・・・彼の幼い頃の事でも思い出しているのかい?」
「そうですね。もしかしたら、と、やはり思ってしまうのです」
「・・・・・・」
ウィリアムは前にジャニュにオーガストの幼い頃の話を大まかながら聞いていた。それを酷い話だと思いはしたが、同時に珍しい話でもなかった為に、ジャニュがここまで気に病むほどの話でもないという思いも持っていた。
◆
ウィリアムがジャニュから聞いた話によると、ジャニュの母親は五人兄弟の末娘で、家は代々強力な魔法使いを輩出してきた名門の家系らしい。
しかし、良家の娘だった母親は、ジャニュの父親に当たる男性と恋仲になって駆け落ちしてしまった。その原因は身分の違いではなく、単に父親に魔法使いとしての才能がまるでなかった為に、両親が一緒になるのを絶対に許さなかったのであった。
それから母親達はハンバーグ公国の片隅で慎ましやかに生活してきが、ある時流行り病により、母親の実家の跡取りが次々と死んでしまうという事件が起こる。死んだ跡取りの子が数名無事だったらしいが、その中に頭首であるジャニュの祖父が認めるほどの強者は居なかったという。
その為に祖父は悩んだ挙句、背に腹は代えられないと、今更ながらに父親を結婚相手として認め、母親と和解する事にした。その際、次に産まれてくる男児を跡取りとして引き取るという話が交わされる。それはそれまで二人の間に産まれてきた、ジャニュをはじめとした子達が全て魔法使いとしての適性が高い子ばかりだったが故に交わされた約束であった。
そんな約束が交わされた後に母親が身籠ったのは双子の男の子で、それも産まれる前から強大な魔力を感じさせる才ある子達であったが、問題はその魔力が一人のみからなのか、二人合わせた魔力なのかが分からなかった事であった。
とはいえ、引き取る予定の祖父にとっては魔力が強い者が産まれればそれでいいので、それは些細な問題だったらしく、孫の誕生を、次期頭首の誕生を今か今かと心待ちにしているようであったらしい。
そしてついに出産の段となって、問題が起こってしまう。片方が死産で、無事に産まれたのは一人だけだったのだ。それも強大な魔力を有していた方が死に、魔力が乏しい方が産まれるという望まれない形となって。
それを知った祖父は、産まれてきた子を憎しみの籠った目で睨み、恥さらしだと断じて引き取るのを頑なに拒絶した。
そんな事があって産まれてきたその子の未来はあまり明るいものではなかった。
祖父との復縁が微妙な状態になった事で、その原因となったその子の世話を母親は最低限しか行わなかった。いや、実質その子を育てたのは父親だったのかもしれない。
父親は魔力が乏しい為に、オーガストと名付けられたその子の境遇がよく理解出来た。そして、母親はやはり魔法使いの家系だからか、祖父との件以上に、自分の子が魔法使いの才がない事が許せなかったのかもしれない。今までの子には全て才が在ったのも落胆が大きくなった原因だったのだろう。
ただ残念なことに、ジャニュの家において父親はあまり権力を持たない存在で、オーガストに対する母親の態度を止めることも変えることも出来なかった。
それでもオーガストにとって唯一の味方であったはずの父親は、母親を気にしてか、次第にオーガストから少し距離を置き始める。父方の家族は自分達と同じ魔法使いとしての才がないオーガストを可愛がったものの、離れて暮らしていた為にほとんど会う機会はなかったという。
そんな寂しい幼少期を過ごしたオーガストは、物心ついた時から表情を一切浮かべなくなっていた。それまではよく泣いてよく笑う表情豊かな子だったというのだが、育ったオーガストしか知らないウィリアムにとっては信じられず、その話からはひどく違和感しか感じられなかったほどだ。
無表情なオーガストは、そのうえじっと観察するように、硝子玉のようなその瞳を相手に向ける癖がある為に、家族以外の周囲の大人達も気味悪がり、それが子ども達にも伝播していく。
それ故にオーガストは常に一人で居た。兄や姉達も気味悪がってか、近づこうとしないし会話もほとんど無かった。
ジャニュの場合は、その頃から強者を求めていた為に、そもそもオーガストの存在など眼中に無かった。そんな弟が居ることさえ認識していたのか疑わしく思えるほどに。
そもそも、ジャニュの家では家族で食事を摂る習慣があるが、それにオーガストは含まれていなかった。代わりに保存性の高いパンが一つだけ、別の机に無造作に置かれていたという。
そんなオーガストは、専ら離れたところから他人を観察するか、虫や動植物を観察する日々だった。それも次第に観察から解体・解剖へと移っていく。
しかし、その頃からオーガストには一応の常識があったようで、皆に気味悪がられても、敵は驚くほどに少なかった。それは自分の立ち位置を理解してか、相手を観察こそすれ、他人へと不用意には近付かず、他人の所有物には手を出さないようにしていたからだという。・・・そう、他人の所有物には。そこに自分自身は含まれていなかった。
ただ例外として、オーガストは何処からも文句の出ないモノに関しては、密かに手を出していた可能性があったらしい。
そんなある日、ジャニュは気づけば着々と得体のしれない存在としての下地を築きつつあったオーガストが目に入った。それは本当に偶然の出来事であったという。
たまたま、オーガストが魔法を使っているところを目撃したらしい。それからジャニュは直ぐにオーガストに勝負を挑み、手も足も出ないまでの力量さを見せつけられたという。残念ながら、それでジャニュは目覚めてしまった。
指一本動かせず、呼吸一つさえままならないまでに強く押さえつけられた状態。その生殺与奪の権を相手に握られている状況に、言い知れぬ興奮が内より湧き上がるのを覚えたらしい。
それからジャニュはオーガストに四六時中付きまとい、隙をみてはオーガストの都合や時間さえも気にせず挑み続けた。その途中でジャニュはウィリアムに見初められるのだが、それはまた別の話。
そんな異質な存在であるオーガストに近づき、懐いた存在が一応は居た。それは、オーガストの双子の妹のオクトとノヴェルであった。
しかし、その後の経緯は途中でジャニュがクロック王国に嫁いだために不明。ただ、祖父へは、新しく産まれた一番下の弟であるデサンが引き取られたという。
◆
「それにしても、北門からの報告はまだかしら?」
カップに注がれていたお茶を飲み干したジャニュは、扉の方に目を向ける。
「そろそろ戻ってくる頃だとは思うが・・・」
それにつられて扉に視線を移したウィリアムは、そう言葉を返す。
「もう一杯いかがでしょうか?」
「ありがとう、頂くわ」
使用人の言葉に頷くと、ジャニュのカップに新しいお茶が注がれる。そこで部屋の扉が叩かれた。
それにジャニュが合図すると、丁度扉近くに居たディナが対応する。
「ジャニュ様。北門との連絡に赴いた者が戻って参りましたが、如何致しましょうか?」
「通しなさい」
「畏まりました」
ジャニュの入室許可に、戻ってきた使用人が室内に通される。
「報告ご苦労様。そういえば伝え忘れたのだけれども、北門の被害状況などについては訊いてきてくれた?」
ジャニュは入ってきた使用人の労をねぎらうと、そう尋ねた。
「はい。北門の被害は大結界が破られた以外はほぼ皆無。混乱もみられません。その破られた大結界も、例の黒衣の少女が直していったようです」
「そう・・・。警戒の方はどうなっている?」
「厳重に行っているようですが、現在のところ何も起こってはおりません」
「・・・元凶を絶ったことは伝えたのよね?」
「はい」
「私の部隊はどうなったか分かるかしら?」
「北門に到着し、現在は北門の警備兵と共に警戒に当たっているようです」
「分かったわ。暫く警戒して安全を確認したら戻ってくるでしょう。報告ありがとう。今日はもう何も無いでしょうし、貴方は先に下がっていいわよ」
「畏まりました」
使用人は丁寧に頭を下げると、退出していく。
「とりあえず北門の方は大丈夫なようね。混乱もないようだし、これでこの件は終わりかしら?」
「元凶を取り除いたのなら大丈夫だと思うよ。暫く警戒は続けるだろうし」
「そうですね」
ウィリアムの言葉に微笑むと、ジャニュはカップに口をつける。
「さて、後はパトリックの方だけれども、どのぐらい成長して戻ってきてくれるのかしら? 楽しみだわ」
「そうだね。身体が治っただけでも随分と魔力の方も改善されたが、そこからどう磨いてくれるのか」
二人は息子の成長を期待して微笑み合う。互いにオーガストの実力に関して異論はなかった。
それから他愛のない雑談を交わす事暫し、夜も大分更けてきた頃になって、オーガストとパトリックは戻ってきた。
「! おかえりなさい、パトリック。オーガストもありがとう」
「おかえりパトリック」
戻ってきたパトリックを見たジャニュ達は、一瞬驚いた表情を浮かべた。
「ただいま戻りました! 父様! 母様!」
二人の元に駆け寄っていくパトリック。
「それにしても凄いわね。まるで別人のような成長よ」
「ああ、ジャニュの直属の部下達にも引けを取らないぐらいに強くなったな!」
そんなパトリックを迎えつつ、ジャニュとウィリアムは驚きを口にする。
パトリックはオーガストが訓練をつける前と後では、一目で判るほどに著しい成長を遂げていた。
「うん! えへへ」
二人の賛辞に、パトリックは照れくさそうに笑う。
「流石ね、オーガスト」
視線をオーガストに向けたジャニュは、そう言って笑いかける。
「彼に元々成長する素質があっただけです。僕は大したことはしていませんよ」
それにオーガストは冷淡な口調で言葉を返した。
「そんなことはないと思うけれど・・・」
そのオーガストの言葉に、ジャニュは苦笑する。少しでも人に魔法を教えた事がある身としては、いくら相手が優れた素質を有していようとも、お茶を二三杯飲み終わる程度の短い時間の指導で成せる業ではない。
「先生は凄かったんですよ! 母様!」
「先生? ふふ、何だか新鮮ね」
パトリックの言葉に、ジャニュは可笑しそうに小さく笑う。
「どう凄かったんだい?」
そんなジャニュに代わり、隣のウィリアムがパトリックに問い掛ける。
「あのですね! ぼくのどこが駄目で、どこをどう修正すればいいかを、一回の魔法だけで的確に指導してくださったんですよ! 説明もとても分かりやすかったですし!」
「ほぅ。それは凄いな」
至らぬ点をすぐさま見抜き、適切な改善法を提示するというのは結構難しい。これは優れた眼だけではなく、様々な経験や深い知識が必要になってくる案件だ。
「それに上手く出来たら褒めてくださいました! あと、ぼくが何に適性を持っているのかは、指導を始める前から見抜いておられたのですよ!」
「ほぅ」
それは意外さと感心の混ざったような声であった。それだけオーガストが相手を褒めることが想像し難かったのもあるが、適性を初めから見抜けるその眼の鋭さは驚嘆に値した。しかし直ぐにウィリアムは、オーガストならばそれぐらい出来ても当然か、という妙な納得感を抱く。
「これで父様と母様の顔に泥を塗らずに済みます!」
「パトリック・・・」
「訓練を怠る事の無きように」
「はい、先生!」
パトリックの発言に申し訳なさそうな声を出したウィリアムだったが、そこにオーガストの静かな声音での忠告が横から差し込まれた。
「あ! そうだわ!」
そのオーガストとパトリックのやり取りを聞いたジャニュは、何かを閃いたように手を叩いた。
「ねぇ、オーガスト――」
「お断りします」
「まだ何も言ってはいないわよ?」
「そういう時の姉さんが提案する内容には、ろくなモノがないので」
「あら、そうかしら?」
「そうですよ」
「でも今回は違うわよ!!」
ジャニュは自信たっぷりに胸を張る。
「オーガスト、時々でいいから指導を行いに我が家に来てくれない?」
「・・・やはりろくでもない提案ではありませんか」
「あらそう? パトリックは喜んでくれているわよ?」
そう言われたオーガストが視線を向けた先では、パトリックが目を輝かせていた。
「是非いらしてください先生! また先生のご指導を受けたいです!」
「・・・いえ、ですからお断り致します」
「あら、どうして? パトリックにだけでもいいのよ? 勿論それなりの給金は支給するし、待遇もちゃんとしたものよ? 学生だって続けていいし」
「本来僕は誰かに指導出来るほど強くもなければ、技術も知識も足りていませんので」
「そんな事はないと思うけれど?」
「事実はどうあれ、僕はそう思っている。ただそれだけです」
「ふぅ。難しいのね」
ため息を吐くと、ジャニュは残念そうに肩を竦める。
「でも、気が向いた時でいいから、パトリックの指導は続けてほしいわ。オーガストは指導者としての才能があると思うわよ?」
「・・・それはないでしょう」
オーガストはどこか呆れたように呟く。
「とにかく、貴方の訪問はいつでも歓迎よ!」
「・・・・・・」
「またご指導のほどよろしくお願い致します!」
好意的な二人を、ヒヅキはその感情の窺えない眼差しで見つめた後に、その目をウィリアムへと向ける。
「勿論、私も歓迎だよ。オーガスト君とは話をしてみたいと思っていたからね」
オーガストは、そんな一家から周囲の使用人へと目を向ける。そこには最初の時よりは和らいだとはいえ、目に恐怖が浮かんでいる者がほとんどであった。そして、それは時が経つに連れて、嫌悪に変わりやすい事をオーガストは知っていた。
「大変光栄な申し出ですが、やはり辞退させて頂きます」
オーガストは、それを再度きっぱりと断る。
「それでは、僕は帰らせて頂きますよ」
「あ――」
それにジャニュが何かを言おうとしたが、それが言葉になる前にオーガストはその場から北門の駐屯地へと転移した。
◆
「さて、この辺りでいいか」
朝と夜が混じる時間帯。北門の駐屯地から僅かに離れた場所に転移したオーガストは、周囲を確認してそう呟く。
「しかし、こうも長い時間この身体を動かしたのも久しぶりだな」
オーガストはそんなおかしな感想を抱くと、自分の身体に改めて目を落として、身体の調子を確かめるように手足を動かす。
「ふむ。今日は興味深い無駄も確認出来た事だし、まあよしとするか」
そう言ったオーガストがジュライに身体を貸そうとしたところで、ふと何かを察して顔を北側に向ける。
「おや? これはこれで興味深いな。しかし、まだどうなるかは分からないか」
オーガストはそう呟くと、ジュライと意識を交代して、自分は再び深い暗闇の中に籠るのだった。
◆
北の森の中。変異種が去った森の中は静寂が包んでいた。
森の中には変異種が残していった魔力の霧が未だに立ち込めている。このまま時間が経てば周囲へと溶けてなくなる事だろう。
「――――――――」
その魔力の霧が漂う森の中を、一人の人物が佇んでいた。
光を宿さぬ虚ろな瞳を天上に向けたままボーっとしている、その造り物の様に生気を感じさせない人物は、背が低く、人間の子どもによく似た姿形をしている。
その人物は一糸纏わぬ生まれたての姿をしているものの、その肌の大部分が人目に付く事はない。何故なら、その人物の灰色の髪は量が多く足まで伸びている為に、全身を外界から隠すように覆っているからだ。
「――――――・・・」
暫くそうやって天上を眺めたまま佇んでいたその人物は、ゆっくりと顔を正面に向ける。
その人物の瞳は相変わらず虚ろなものの、その顔は人形のように整っていた。顔の印象だけで性別を判断するならば、女性だろうか。
そんな謎の少女はただ突っ立っているだけではあるが、周囲を漂う魔力の霧が次々とその少女へと吸い込まれるように流れていく。
少女への魔力の流入は、天上の色が明るいモノに変わっても続いていた。その変化を感じてか、周囲には何も近づこうとはしない。
それから更に、空の色が再度暗くなって暫く経つと、北の森を漂っていた濃密な魔力の霧はすっかり晴れていた。
「・・・・・・ア”、・・・・あ”、あ”あ”、ア”」
魔力の霧が晴れ、少女への魔力の流入が止まると、少女は突然声を出し始めた。しかし、それは耳障りな音にしかならない。
その音を暫く出していた少女は、ぎこちない動きで身体を動かし始める。いつの間にか少女は上衣と下衣が一続きになっている、薄手の水色の衣装を身に纏っている。
油をさしていない古びた機械のようにぎこちないその動きは、見ている者がいれば不安にさせるモノで、とても生者のモノとは思えない拙い動きであった。
「・・・・・・」
それでも一生懸命に動き続けるその少女は、動けば動くほどに少しずつ動きが滑らかになっていく。それに合わせるように、周囲に向ける虚ろな瞳にも微かな光が宿っていく。
そんな変化がありながらも数日が経つ頃には、少女は生者のような滑らかな動きをみせていた。瞳も服と同色の透き通るような水色に変化している。それでも、未だに喋れるまでには至れていなかった。