淡く生まれた感情
「ま、魔王様……? どうかなされたのですか? すごく落ち込んだご様子ですが……」
魔王城にある一室の会議室で、円卓の上座に座る私は机に両肘を付き、両手を合わせて頭を乗せていた。
露骨に落ち込む私に、おそるおそると小太りしたドワーフの領主が訊ねてくる。
「ん、あぁ……。別になんでもないよ。けど、今少しだけ話しかけないでくれるかな……」
一瞥せずにひらひらと手を振ってあしらう私に、これ以上訊ねてはこなかった。
円卓には小太りしたドワーフの領主だけではなく、各地の領地を治める領主が席についている。
が、先の領主が代表しての質問が適当に受け流されてか、他の者達も押し黙る様に静かだ。
静かになったところで私は今の状況を整理する。
現状は最悪の事態だ。
まさか颯ちゃんが魔界に来てしまうなんて……。
しかもホロウが余計な事を言ってくれたおかげで、もしかしたら演劇団の衣装として誤魔化せたと思うのに、あっさり私が魔王だってバラされたし。
……颯ちゃんはどうやって魔界に来れたのかな?
魔界に行き来する方法は、ゲートを開き魔界を繋ぐ『サモンゲート』と次元に歪みが生じて発生する『ディストーションゲート』。
颯ちゃんがサモンゲートを使えるって考えは論外だ。
あれは魔界の特定の種族にしか扱えない魔法で。
私でさえも魔界へのゲートは開けるとしても、正確な位置にゲートを開くのは困難だ。
それをただの人間の颯ちゃんが使えるはずがない。
そもそも人間は魔力を体内に貯めれる力を持っていない。
ならもう一つのディストーションゲートか?
けどあれは、人間界の適当な場所に発生して、その場にいる物をゲートに吸い込んで、魔界の適当な場所に放り出す自然災害だ。昔の人はこれを神隠しとか言っていたけど。
仮に颯ちゃんがディストーションゲートに吸い込まれたとしても、出口が私の部屋ってのは話が出来すぎている。
……って、薄々なんでかは感づいているのだけど。
あまりの不祥事から私は現実逃避をしているに過ぎない。
「あ、あの……魔王様……」
「…………なに?」
ひぃ! と怯える小太り領主。
なんでそんなに怯えているのだろう?
この領主以外の他の領主たちも、私が目線を向けると怯えた様に目線を逸らす。
……そんなに私、怖い顔しているのかな? 少しショックなんだけど……。
と私が落ち込む中、小太り領主は震えた口で話を切り出す。
「そ、それでは魔王様……。そろそろ領地問題の会合をお始めになられた方がよろしいかと……。今日の魔王様はどこか体調が優れてないご様子ですし、手早く話し合いを終えて。ご休息なされてはいかがですか?」
深く考え事をしていた私は、この場にいる意味をすっかり忘れていた。
今は魔王としての責務に集中しないと。
颯ちゃんの件は、あらためて颯ちゃんと対面してから決めよう。
「私なら大丈夫。心配してくれてありがとう。それじゃあ、そろそろ領地問題の件の会合を始めようか」
私の言葉に円卓の席に座る領主たちに緊張が奔り、全員が居住まいを正す。
領地問題の会合を終えた私は、若干不機嫌に廊下を闊歩する。
不機嫌な理由は先の会合で、領主の一人が首を縦に振らず長引いてしまった。
その領主はあまり良い噂を聞かないから、今度抜き打ちで屋敷内を調べないといけないかな。
そんな訳で、少し精神的に疲れ気味の私は自室の扉を開けると。
「ふはぁ……疲れた~。ほんと、あのクソオヤジは頭の回転が遅い無能だね。理解させるだけで疲れたよ……。ホロウ、マンドラティー頂戴」
仕事先の愚痴を零しながら自室に戻った私は、ソファに座るホロウに茶を出す様に指示する。
はいただいまと返事を聞く中。私は羽織るマントを外して折り畳むと。
「ま、真奈ちゃん……なんだよね?」
未だ信じられないとばかりな表情でそんな事を聞いて来る。
まあ、魔界や魔族は人間界では空想上の存在と認識されてるから、直ぐに信じられないのも無理はないよね。
「そうだよ。私は正真正銘、あなたの彼女の三森真奈だよ、颯ちゃん。それで、驚いた? 自分の彼女がまさかまさかの魔王だったことに。目が飛び出しそうになる程に、驚いた? ね?」
飄々しく私が言うと、なにか言いただけな微妙な表情で返す颯ちゃん。
なんだか、私がスベッたみたいで嫌な空気……。
そんな視線を受けながら、私はもう一枚の厚い魔王の服を脱ぎ捨ててハンガースタンドに駆ける。
この服って厚いから着苦しくて嫌になるな。今度手直ししてもらった方がいいね。
上は白のシャツに下は黒のスラックスの少し涼しく感じる服で私はテーブルを挟んで颯ちゃんと対面のソファに座る。
その後、私は颯ちゃんと語った。
まずはビンタをした事を謝罪したけど、あれは元々私の裸を見た颯ちゃんが悪いから上辺だけの謝罪だけどね。まあ、お約束ってことだね。
後は、私がどんな存在なのか。何故私が魔王をしているのか。先代である父がどうしているのか。
語る必要のない事を私はペラペラと喋る。
ホロウが事前に色々と言っていたのもあるけど。
何故だろう……。例えるなら、隠し事を赤裸々に晒してスッキリするような……。
私は今まで人間に魔界の存在を露見しない様にしていたから、逆に隠していた事がバレて少し晴れやかになっているのかもしれない。
その最中に。
私の隣に立つホロウから若干の魔力放射を察知して、颯ちゃんも少し挙動不審になっていた。
恐らく、ホロウが颯ちゃんと|脳波送受《ブレインリンク》をしているのだろう。
私は内心嘆息して自分の魔力を二人の脳を繋げる見えない魔力糸にぶつけた。
すると二人の脳には大ボリュームの騒音が流れたのか、苦痛の表情を浮かばす。
ホロウはこれからは魔法を使う時、余分な魔力を押さえる練習をしないといけないね。
内容までは聞かないけど。浮気な内容ではないと思う。
そもそも、私は颯ちゃんに男性としての好意を持ってないから、別に浮気をしてもいいの、だけど……。
ホロウって鎧に魂を憑依させた付喪神みたいなもので、無機質な存在だよ? けど、ホロウも一応女性だから……。
颯ちゃんってそんな趣味が……って、だから颯ちゃんが別に他の女性に尻尾を振ろうが私に関係ないって!
なのになんで……こう、胸がモヤモヤするのだろう……!
例えるなら、飼っているペットが別の人に懐いているのを見る感じかな?
――――私は胸に潜める何かに気づこうとはしなかった。なぜなら、それを知った所で颯ちゃんとの関係は終わるのだから。
「どうせ、ここで颯ちゃんとの関係は無くなるんだから、ね」
私が躊躇いもなく言うと、まるでこの世の終わりかの様な顔をする颯ちゃん。
驚くのも当たり前か。
だってこの言葉が意味するのは。
「別に驚くことはないと思うよ。颯ちゃんは色々と知り過ぎた。魔族の事、魔界の事、|魔王《私》の事……色々とね。そこまで知られた以上、颯ちゃんをそのまま帰すわけにはいかないよ」
そう。私は颯ちゃんをこのまま帰すわけにはいかない。
自分の胸の内を吐き出しスッキリした心に、ズキリと痛みが来るが、私は颯ちゃんに歩み寄る。
颯ちゃんは私の言葉を殺害宣言でも思ったのか、殺されると怯えていたが。
そうではないと言っても、颯ちゃんの表情は晴れない。
私は懸念していた事態に陥った時の処置を決めていた。
記憶の消去、そして改竄。
魔界関連を全て知った颯ちゃんには、全ての記憶を消させてもらう。
消去範囲は、颯ちゃんと私が付き合い出す前。颯ちゃんが私に告白する前までだ。
颯ちゃんの記憶を消去した後は、学校の生徒全員の記憶の改竄。
颯ちゃんの記憶だけを操ってたら、他の者達との記憶の差が生じて混乱を起こす。
私は自分に擦り寄る男子達を遠ざける為に、敢えて学校全体に噂をバラ撒いたのが仇になった。
記憶の改竄は一人ずつしか行えないから、後々面倒だけど。
なんなら、颯ちゃんの記憶から私の存在自体を消しておこう。
そうすれば、この悲劇は今後起きない。
颯ちゃんを殺さなくて済むのなら、私は迷わずその選択を選ぶ。
なんで私の胸が苦しくなるのか、今は気にしないでおくとして。
私のその判断に、|颯ちゃん《当人》は不服だったようで。
「―――――そんなんで安心できるわけないよ!」
怒号と共に私は颯ちゃんに突き飛ばされた。
予想外の颯ちゃんの行動に一瞬驚きよろめくも転ばずに済んだ。
のに、突き飛ばした本人が尻餅つくってどうなのかな?
後、キッと睨んで威嚇する颯ちゃんの表情から気づいてないと思うけど。
突き飛ばした際、颯ちゃん、私の胸触ったよね?
私、殿方に胸触られたのは初めてなんだけど!?
と、シリアスな雰囲気を壊すから言わないけど。
「これは言い訳になるかもしれないけど! 僕が魔界に来たことは僕の責任でもある。……けど、色々と魔界の情勢を教えてくれたのはそっちなんだよ!? 僕に何の罪があるって言うのさ!」
痛い所を突いてくれたね……。
確かにこっちの内情を話したのは私達で、そもそも颯ちゃんが魔界に来れたのも元々は私の不注意でもある。
けど……それは何の言い訳にもならないよ。
「そもそも、颯ちゃんが|魔界《こっち》に来た時点でこの処遇は決まっているんだ。だから、それは釈明にもならないよ」
厳しく言い放つ私に颯ちゃんは少し後退る。
無意識に殺気を放っていたようだ。私は少し感情的になるといつもこうだ。
魔王として少し気を付けないといけない。
けど、さっきも言った通り。
今回の件は元を辿れば私がもう少し颯ちゃんの追跡を予見しておけば済んだ話でもある。
だからかな……私は胸を押さえつけたくなる程に心が圧迫している。
だからお願い。
これ以上私を苦しめないで……。
お願いだから。
素直に記憶を消させて。私をこの苦しみから解放して!
「私だって、できることなら記憶を残してあげたい。けどね、颯ちゃん。これでも寛大な処遇なんだよ? 私は相手が颯ちゃんだから温情で生きて帰すことにしてるけど。もし相手が颯ちゃんじゃなかったら……殺してるよ?」
「……確かに、こんな重大な事を知った僕が、記憶を消されるとはいえ生きて帰れることは不幸中の幸いなんだろうけど。……けどやっぱり、僕は絶対に忘れたくない! 忘れたいとさえも思いたくないよ!」
やめて……。
お願いだから頷いてよ……。
「確かに颯ちゃんの気持ちは十分に伝わった。けどね。さっきも言った通り、魔族の事や魔界の事を知った颯ちゃんを、このまま帰すわけにはいかないの。お願いだから分かってよ」
「そうだとしても……。僕は絶対にこの事を他言しない。誰にも話さず、ずっと胸の内に隠し続けるから……だから」
無理だよと私はキッパリと告げた。
私が颯ちゃんを突き放そうと言葉を発する度に、胸を締め付けられる様に痛い。
なんだんだ、この感情は……。
誰か、私にこの苦しい感情を教えてほしい。
「私は魔王。魔族の王であり、全ての魔族を守る責務がある。だから、人間である颯ちゃんに魔族の存在を覚えててほしくない。これは、魔族を守るためなんだから」
……そうか。少しずつ分かってきた。
言葉とは裏腹に、私がなぜ苦悩な痛みを感じるのか。
「だ、だから絶対に隠し通すって言っているじゃないか! 僕は絶対に秘密を――――!」
「その言葉が信じられると思っているの? これはただの口約束じゃすまない。魔族の存亡をかけた事なんだよ?」
確かに、魔族の為に私は人間の颯ちゃんに覚えててほしくないってのは嘘ではない。
けど、それ以上に私は、颯ちゃんを巻き込みたくないって思ってたんだ。
普通なら人外の私達を見れば、恐怖して泣き叫ぶはずなのに。
颯ちゃんは、それは関係ないとばかりに私との関係を続けたいと言ってきた。
颯ちゃんの目に映っているのは、魔王サタンとして私ではなく、三森真奈としての姿だったんだ。
どんな姿形をしていても、颯ちゃんにとっての私は、掛け替えのない大事な存在だったんだ。
これは私の妄想かもしれない。ただの気のせいなのかもしれない。
けど、それを考えただけで、私の胸がポカポカと暖かくなっていく。
それがとてつもなく嬉しいと思ってしまった。
だからこそ、私は颯ちゃんに、魔界の事を巻き込みたくないのだ。
「じゃあ……どうすれば……。僕は、真奈ちゃんの事、忘れてたくないよ……」
「ごめんね、颯ちゃん。私だって、本当はこんな事をしたくない。けどこれは全ての魔族の為なんだ。だからわか――――」
颯ちゃんを血生臭い魔界事情に巻き込みたくない。
颯ちゃんの為と嘯いて、私は彼を突き放そうとした。
だけど、言葉と心とは逆に、私の手は颯ちゃんに触れる寸での所で止まった。
いや、私は分かっていたんだ。
私の心変わりを。私が本当はどうしたいかを。
私は颯ちゃんだけではなく自分自身にも嘘を吐いていた。
そして少しずつ心に形作く感情に気づき始めていた。
私は欲しかったのだ。どんな私でも受け入れてくれる人を。
生まれた時から私の事を知っている魔族ではなく。脆弱ながらも、私の傍に居てくれる|人間《存在》を。
そして見つけた。どんな私でも受け入れてくれる|立花颯太《存在》を・
それを離したくない。それが私の本心だと。今、やっと気づいた。
ホロウに魔界規定の事を確認した私は、颯ちゃんに記憶を消さずに済む事があると言った。
藁にも縋る気持ちなのか、少し食い気味に聞き返す颯ちゃんに。私は少し綻んだ。
そして、私は喜々とした表情で言った、
「それはね――――颯ちゃんが魔王の側近になるってことだよ」
初めて感じる感情。言葉に表す事が難しいけど。不思議と嫌ではない。
もしかしたら、これが……恋、なのかな。