偽りの関係
――――立花君との恋人関係は、思っていた以上に楽しかった。
いや、もしかしたら違うかもしれない。
楽しいって言うよりも、どこか懐かしさを感じていた。
昨日の出来事やニュースで観た事、友達関係や家族関係などを身振り手振りに仰々しく語る立花君。
その姿にまたしても、なっちゃんの影が重なる。
そう言えばなっちゃんも、こんな感じで意気揚々と話していたな……。
私にとっては偽りの恋人関係を結んだ相手だけど、思わずクスッと笑ってしまった。
彼と付き合い始めて2週間が経っていた。
その間に私と彼が恋人関係を結んでも、それ以上に進展はなかった。
一つ変わったと言えば。
「それでね三森さん。今度の休みなんだけど」
「ねえ立花君。ちょっといいかな」
私は彼の話を遮り、彼は首を傾げてこっちを見ている。
分かっている。
普通の存在でない私と一緒にいては、いつか彼に災いが訪れる。
だから彼との親交をこれ以上深く踏み込まない方がいい。
なのだけど……。
「三森さんってのは少し恋人としてよそよそしいから。これからは真奈って呼んで。私は……立花君の事を、颯ちゃんって呼ぶから」
この関係が少し心地良いとさえ思い始めてしまった。
その後、立花君、いや、颯ちゃんは私を呼び捨てでは呼べないと言って『真奈さん』でいいかと言われ。
けど、さん付けをされたくなかった私はそれを却下すると、妥協して『真奈ちゃん』になったのだった。
真奈ちゃんか……そう言えば、なっちゃんにも同じ呼び名で呼ばれてたな。
まるで元カレの事を思い出すみたいに昔に耽る私は最低だと心の中で自嘲した。
――――私は彼にいつまで嘘を吐き続けないといけないのだろう……。
颯ちゃんと付き合い始めて、それが効果を成してか、擦り寄る男性は減少した
あくまで減っただけで。中には颯ちゃんと別れて自分と付き合った方が楽しいぜとか言う人もいたけど、そんな人程私は虫唾が走る程に嫌いだった。
……私も、好きでもない癖に付き合うあたり、人のことは言えないけどね。
まあ、そんな輩には立ち直れないくらいの制裁を与えたけど、それで私の株が下がろうと気にしない。
私に対しての好意がそれだけなのだから。
私は颯ちゃんとの関係を周知の事実にするために翻弄した。
魔王城で総料理長を務めるクラークに人間界での定番なおかずで弁当を作って貰い、それを私が作った体で颯ちゃんに食べさせた。周りに見せつける為に敢えて颯ちゃんの教室で。
勉強も、颯ちゃんから教えてほしいと頼まれた際は、敢えて人目の付く図書室で教えたりしたりした。その時颯ちゃんって良くも悪くも平均的な頭だなと思った。
メアドも交換して、魔王の仕事の最中にも颯ちゃんにキッチリメールを返信した。たまに疲れてうたた寝をしてしまい遅れかけた時もあるけど、一度も無視をせずに返信した。
甲斐甲斐しい彼女を、私は演じ続けた。
私と颯ちゃんが付き合いだしてから一ヵ月が経つ頃には、私に擦り寄る人はいなくなった。
それでも相も変わらず、私は学園のアイドルだとか奉られているけど、正直どうでもいい。
私の目的は達成したのだから、そろそろ本当の事を言って別れようかとも思っていた頃。
「ねえねえ三森さん。三森さんってなんで隣のクラスの立花君と付き合ってるの?」
「なんでって。なんでそんなことを聞くのかな?」
ある日、教室で同じクラスの女子にそんな事を尋ねられ、私は質問を質問で返した。
「えっと……。彼ってあんまり目立たない地味な男子じゃん? 特に目立たず、いつも教室の隅で本とかを読んでいる立花君が三森さんと釣り合うのかな-って思ってさ。三森さんなら他にも良い男性をえり好みできるんじゃないかな?」
それはつまり。私と颯ちゃんが付き合っているのがおかしいって遠回しに馬鹿にしているのかな?
颯ちゃんの為だとか嘯いて別れようかと考えた私が言える立場ではないけど。
その言葉を聞いて、私は本気で苛立ちを覚えた。
「それはあなたが決めることじゃなくて私が決めることだよ。あまり、人の彼氏を馬鹿にしないでくれるかな? 彼は確かに地味だけど、優しくて誠実な良い人だよ。だから、自分の勝手な見解を人に押し付けないで」
少し威圧して言ってしまい彼女は怯えて謝罪してから逃げる様に去って行った。
あーあっ、やってしまったか……と思ったけど、不思議と後悔はなかった。
私が何故こんな事を言ったのか。なんで颯ちゃんの事を悪く言われて頭に来たのか分からない。
それは彼に対しての罪悪感や負い目なのか……。
この時の私には、心で小さく揺らぐ謎の灯に気づかなかった。
よく自分にも分からないモヤモヤとした気持ちを押さえながら、今日も昼休みに颯ちゃんと昼食を食べた。
颯ちゃんには何でも完璧にこなせる彼女を装っている手前、渡す弁当は私が作っている事になっている。
本当はクラークが作ってくれたのだが、知らずは仏なのか、笑顔で上手いと褒める颯ちゃんに目を逸らしたい。けど逸らしたら怪しまれると思ってぐっと我慢する。
クラークの料理は絶品なのは私も十分知っている。
美味しいのは分かるけど、一気に掻き込むとあっ、ほら言わんことない。
弁当を口に流して気管を刺激して咽せ返る颯ちゃんに、私のお茶のペットのキャップを開けて渡す。
治まった颯ちゃんから今日の放課後に私の近くのショッピングモールに行こうと誘われた。
なんでもテレビで飲み物が絶品らしくて、それを一緒に飲みに行こうっていうらしい。
私は甘い物が大好きで、その『トロピカルシェイク』なる物を想像して思わず涎が出そうになる。
我に返り、私は思考する。
確かにその飲み物に惹かれて飲みたい欲求に駆られるけど。
今日は放課後直ぐに魔界の|中央地区《セントラルエリア》の領主たちによる会合が行われる。
会合は今後の領地問題を決定する大事な会議で、必ず出席しなければいけない。
……うぅ、物凄く飲みたいけど残念だ……それに颯ちゃんともまだ一度も……。
――――って、なに私は残念がってるの!?
無意識に浮かぶ不可解な感情に困惑する。
百歩譲ってトロピカルシェイクが飲めないのを残念がるのは分かる。
それが生物の欲求の一つだからだ。
けど、なんで私は颯ちゃんと一緒に行けない事を残念があるのか……。
彼とはただの偽りの関係で、私の中で利害が一致したから付き合ってるに過ぎない関係だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
偽りとはいえ、一か月間付き合った事で彼に対しての情が生まれた?
これはヤバいかも……。本気で彼に情が移る前に、彼とは決別をしなくてはいけない。
だが、今日それを実行すれば、放課後まで時間をもつれ込んで会合に遅れる危険性がある。
今日の所は見送って、いつも通りの対応で返そう。
「ごめんね、颯ちゃん。今日は放課後用事があって無理なんだ。今度の機会に一緒に行こう」
私の返答に彼は、無理やり作った笑みを浮かばして儚げに笑い。
「うん、分かった。今度一緒に行こう」
……そんな顔をしないでほしい。
彼も年頃な男子高校生だ。
彼女と付き合い始めたのに、適当にあしらわれ続ければ何か思う所があると思う。
不安、恐怖、疑心、怒り、彼の心には多くの感情が渦巻いているのだろう。
だが、それを表に出さない様に、私のことを気遣って自分の心を押し殺している表情だ。
颯ちゃん……バレバレだよ……。
颯ちゃんの悲しげな表情がこべり付いて、チクチクと私の胸を刺す。
「今後の颯ちゃんとの関係……本気で考えなくちゃいけないね……」
学校を終えて、私は一人帰路に就き、部下にゲートを開いてもらって魔界に戻り。自室で着替えをしていた。
今後の颯ちゃんとの関係を考えると陰鬱に溜息が出る。
私の使用できる魔法の中には、相手の記憶を消去、改竄できる物もある。
それを使えば、簡単に事を済ませることは容易いのだけど。
私は出来る限りこれを使用したくない。
人の記憶を操るのは倫理として犯してはならず……って。
ほんと、魔族なのに倫理とか並べるなんて笑えるよ。
もしこれを使うとなれば、別れる為の最終手段か、万が一に私の正体がバレたと――――
「ふぐっ!」
そんな起こりうることのない事に半笑いを浮かばせ、最近また育ったのかキツイ下着を脱ぎ捨てた時、そんな声が耳に入った。
私は笑いを浮かばす表情のまま固まり、おそるおそると後ろを振り返る。
今の声……もしかして……。
今の落下音と共に発せられた苦痛の声。
その声に私は聞き覚えがあった。
いや……まさか――――!?
「あ、え、えーっと……ですね」
彼と目が合った。
彼も唖然と固まり、私を直視している立花颯太の姿がそこにあった。
いつも人間の姿をしている私だけど、魔界に戻った私は、本来の魔族の姿をしている。
元来の人型ベースは変わらないけど、私の背中や尻や頭には、悪魔を象徴するモノが生えている。
彼の瞳には私のあられもない姿が反射映し出されていた。
次第に状況を把握しはじめた私は、顔を真っ赤に熱くして――――。
「き――――きゃああああああ!」
絶叫と共に颯ちゃんの頬に甲高い音を鳴らすビンタを放った。
今朝の魔界占いでは、私、運勢1位だったはずなんだけどな……。
……ほんと、最近はずっと厄災日だよ。占いは当てにならないよ。