教育係の猫又娘
魔界は人間界と同じ時間の流れを進んでいると聞いた。
その法則通りなら、今日は土曜日。学校はお休みだ。
「起きロ、起きロ、朝だぞ、起きロ」
昨晩の空腹に耐えやっと思いで眠りに就いた僕を、訛りの入った女性の声が起こす。
「起きロ、起きロ」
僕は重たい瞼を揺らして開き、朧気な視界でその人を見る。
「起きロ、起きロ、さっさと起きロ、この寝坊助やろウ」
僕のお腹に跨っている女性は…………誰?
茶色の癖のあるショートに、猫の様に目つきの悪い逆三角形な女性。
服装は、フードの付いたパーカーをTシャツに羽織り、ダメージジーンズって言うのかな? 所々に傷の付いたショートパンツを履いている。見た目は僕よりも2つ、3つぐらい年下かな。
ここまで聞けば、この人は普通の人なんだろうと思うけど、それは違う。
ここは魔界だ。普通の人間がいるわけもない。
パッと見ての外見は人間と酷似してるけど、普通の人が持たない物をこの人は持っている。
跳ねる様にピクピクと動かすネコ耳、上下に揺らす二又のネコの尻尾。
あぁ……この人は魔族なんだな……とまだ覚醒しきってない僕の思考でも理解できた。
「あ、あの……貴方は誰ですか?」
「あ、起きたカ? ホント、新人さんは全く起きなくて困ったもんだヨ」
いや……まず僕の質問に答えてくださいよ。
「スミマセン、自分と貴方は初対面ですよね……? お互いに名前を交換しあっても、不利益にはならないと思うんですけど……」
寝起きだからか頭が回っておらず、長ったらしく名前を求める僕に、目の前のネコ耳の女性はキョトンと首を傾げ、そして理解した様にポンと手を叩き。
「キョウの名前はキョウて言うヨ。よろしくナ、新人さン!」
この人は一人称を自分の名前を言うのか、一瞬混乱したけど、名前はキョウさん言っていうらしい。
……ん? キョウ?
「キョウって言えば……確か、真奈ちゃんの……魔王様の側近の一人……」
「そうだヨ! ホラ!」
そう言ってキョウさんは自分のシャツを下から巻くってお腹を見せる。
突然の痴女行動に咄嗟に目を隠す僕だが、恐る恐ると見ると、キョウさんのおへその隣に主従契約の証の紋章が刻まれていた。
真奈ちゃんは側近の人皆、主従契約を結んでいると言い、それ以外の人とはしていないらしい。
その為、この主従契約の紋章が、粉うことなき側近だと表している。
そうか。この人が昨日資料室に言った際に不在だと言われた真奈ちゃんの側近の一人。
確か種族は……猫又だったっけ?
猫又は長生きしたネコが、本来一つの尻尾にもう一つの尻尾を生やして、妖怪に転生したネコ。
そう言えば、昨日訪れた時に明日の朝に戻ると言っていたな……つまりもう朝なのか。
「それはそうと、キョウさんは何しに僕の所に来たんですか?」
僕がキョウさんに訊ねると、キョウさんは口を尖らし、
「…………キョウ」
「…………へ?」
間抜けな声を漏らす僕にキョウさんは顔を詰め寄り、
「キョウって言っテ。さんはいらなイ」
「え、でも……僕達はまだ会って間もない初対面ですし……」
「言っテ。これから一緒に働く側近同士にさん付けされるとナ、なんカ、こう……背筋がぞわっって来るっていうカ……とにかく嫌だかラ、さん付けするナ」
抱き締める様に自分の肩を掴み身を震わすキョウさん……。それ程にさん付けは嫌なのか……。
「分かりました。キョウ、でいいでしょうか?」
「敬語もだメ。理由はさっきと同じナ」
「ホント、色々と注文多すぎないかな!?」
思わずキョウの注文通りにタメ口になってしまった僕。
だけど、当の本人はよろしいと何処か満足気だから、まあいいかと僕は息を吐く。
「それで? キョウはどうして僕の部屋に来たのかな? なにか僕に用事とか?」
「そう言えバ、新人さんの名前を聞いてなかったナ。名前、なんて言うんダ?」
ホント、人の質問はことごとくスルーするな、この人。
けど、僕も自分の紹介をしてなかったことを反省して、あらためて自己紹介する。
「僕は立花颯太。高校二年生。趣味は――――」
「いヤ、そこまで言わなくていいヨ。別に興味ないかラ」
…………泣いていいかな?
親睦を深める為に自分の趣味を言おうとしたのに、ここまでバッサリ切られると胸を抉られた気持ちになるよ……。
露骨に肩を落とす僕を気にせず、ふむふむと僕を見て、
「立花颯太カ……。分かった、なら、キョウはこれから新人さんの事を、ソータって言う。いいカ?」
少しニュアンスが変化しただけで変なあだ名を付けられたわけじゃないから、別にいいよと答える。
満足気に何度か頷くキョウに、再三聞いてスルーされていた質問を投げる。
「それで……キョウは僕に何の用があってここに来たの?」
少し不機嫌な声音で言い放つ僕に、ピクッとネコ耳を反応させたキョウは、部屋の机へと目線をやり、僕も誘導されてそっちに目線を移す。
木の机の上、そこにはお盆に置かれた出来立てなのか湯気の立った朝食があった。
「ソータは昨日晩飯食べてなかったようだかラ、さすがに二食続けて食べないのは体に悪いと|マーちゃん《・ ・ ・ ・ ・》が言ってナ、キョウが挨拶がてら持って来てあげたのダ」
「……それはありがとうございます……なんだけど、一つ気になった部分が……マーちゃんって誰?」
「ん? マーちゃんはマーちゃんだヨ?」
「いや、それだと全然分かん……もしかしてだけど、マーちゃんって、魔王様のこと?」
おそるおそる訊ねる僕にこくんと頷くキョウ。
うわー、キョウは魔王の事をマーちゃんって呼ぶのかー。それは魔王のまなのか、真奈ちゃんのまなのかはいいとして。上司の人をちゃん付けって……。
まあ、僕も真奈ちゃんって呼ぶから大概なんだけどね。
「それはいいとして、ソータ。さっさと朝ごはん食べル。せっかく美味しいのが冷めるゾ」
眉根を寄せて僕の頬にお盆を押し付けるキョウからお盆を受け取り、僕はベットの上に置く。
少し行儀が悪いけど、この際仕方ないが僕は直ぐに料理に手を付けずに一旦見る。
魔界に来て初めての献立は……。
白ご飯に白味噌の味噌汁、目玉焼きに焼いたソーセージ、納豆に海苔、そして緑茶……。
……なにこの日本の朝食の定番メニュー!? ここって魔界だよね!? 日本のどこかの山奥とかじゃないよね!? 世界観ぶち壊しだよ!
昨日の料理テストの時から薄々感づいてたけど、魔界は殆ど人間界と同じ食文化を持っているらしい。
僕の勝手な妄想だったけど、魔界の食文化は、人間の血肉や魔獣の肉。蠢く不気味な植物での料理かと思ってたけど。その妄想は粉々に砕かれた。
いや、本当は嬉しいんだよ? 人間の肉なんて共喰いしたくないし。
けど、ただ、|マンドラゴラ《前科》があったから意外だったってだけで、僕はこっちの方が断然いい。
「ン、どうしタ? 食べないのカ? もしかしテ、お腹減ってないのカ?
キョウの質問に口よりも先にお腹の虫がぐぅーと答える。
昨晩の晩飯を抜いた僕はお腹がペコペコで、本能からか美味しそうな料理を見て唾を呑む。
空腹に急かされた僕は、急いだ手つきで箸を持ち、手を合わせる。
「なんダ、それハ?」
が、キョウの言葉に僕は動きを止める。
「キョウはいただきますを知らないの?」
いただきます? と首を傾げるキョウ。これは完全に知らない人の反応だ。
「いただきますってのは。食事前にする儀式みたいな挨拶で。所謂感謝の念を唱える行為のこと。食材や食材を作ってくれた人、料理を作ってくれた人に、ありがとうございますありがたくいただかせてもらいます、って感謝と礼儀を込めるんだ。魔界ではそういった風習はないの?」
「あー、確か前にホロウが何度も言ってたナ。けド、何度か言ってる間に言わなくなったナ」
諦めたかホロウさん……。確かにキョウはそういった礼儀とかをきっちりするタイプには見えないし。
「あまりホロウさんを困らせない様にね」
僕が言っても意味ないと再び僕は料理へと集中する。
そして、いただきますと小さく頭を下げて挨拶をしてから、箸を目玉焼きへと伸ばす。
「待っタ」
が、またしてもキョウの妨害で動きを止める。
「どうしたのキョウ。今度はなに?」
と、僕が聞き終わる前に、僕の手に握られた箸をキョウに強奪される。
何かまずいことでもやらかしたのかな? と思うと、奪った箸でキョウは目玉焼きを摘まんで、僕に箸で摘まんだ目玉焼きの欠片を差し出す。
……これってまさか
「ほラ、食べナ。あーン」
「……………はあ!?」
予感的中。
これはかの有名なリア充カップルがする、伝説の『あーん♥』ではないか!? ……別に♥はいらないけど。
|真奈ちゃん《彼女》にもされた事がないことをされ、顔を真っ赤にして狼狽する僕とは対照的に、これがなんなのか理解しているか怪しいキョウは、
「どうしタ、食べないのカ? ほラ、あーン」
と、変わらずの口調で言ってくる。
「どうしたもこうしたも、なんでキョウにわざわざあーんされないといけないのかな!?」
「……それはなソータ。これには深い事情って言うのがあるのだヨ」
深い事情……?と真剣な瞳で言うキョウに、思わず僕は固唾を呑み、次の言葉を待つ。
そして、一拍空けた後、目を見開くキョウは高らかに告げた。
「一回こういった事をしたかっタ!」
………………………。
「…………それだけ?」
「それだケ」
…………はいはい。何も事情はないのね。
真剣に聞こうとした僕が馬鹿だったよ……。
「ご飯を食べないといけないんだし、いいから早く箸を返して」
時間も惜しいし、さっさと箸を返してもらおうと、キョウの握る箸へと手を伸ばす。
ヒョイ。
僕の手から逃れる様に、別の方向に手を伸ばして避けるキョウ。
「…………………」
バッ!
ヒョイッ!
バッ!
ヒョイッ!
バッ!
ヒョイッ!
「…………なぁああんで素直に箸を返してくれないのかなぁッ!?」
「さっきから言ってるガ! キョウはマーちゃんにソータの教育係を任されてるから、ソータを鍛えないといけないんだヨ!」
「なにそれ初耳なんだけど!? てか、教育係とご飯を食べさせるがどう関連付けするんだ!」
「マーちゃんから教育係を任させる→キョウがソータを躾ける→ソータ良い子になる……ほラ、全てが直結してるだロ!」
「どこが!? それは教育ってよりもただの躾でしょ!? 完全にペットじゃん! ただの調教師じゃん!」
「うわー、調教とか言ってるヨ、マジ引くワー。ソータ、マジ引くワー」
「露骨に蔑んだ顔をするな! 調教ってそう意味の調教じゃない! なに変な妄想してるんだ発情ネコ娘! キョウはメアさん以上に変態なのかな!?」
「はぁー!? なにふざけた事を言ってのかナ!? あんな万年雄トラブル起こすビッチと一緒にするナ!」
なんでだろう。キョウとは初めて会った間柄なのに、ここまで言い争いが出来るなんて。
一見して僕は罵詈雑言を言い放っている様に見えるけど、心の中では無償に楽しかった。
別にサディストの心が芽生えたとかじゃなくて、なんて言えばいいんだろう? 少し形容が難しい。
波長が合う? って言うのかな、キョウとはこれから仲良くなっていけそう……だと少なくとも僕は思っている。キョウが何を思っているのかはさて置いて。
そんな売り言葉に買い言葉の口喧嘩を終えた僕達は肩で息をして、上がった息を整えて、
「さ、さあ……ソータ。観念してキョウにご飯を食べさせられるんだね」
じりじりと僕に近寄るキョウ。
なんか……ここ最近、本当につい最近にこんな出来事あった様な……とデジャブる。
「キ、キョウ……。本当に色々と間違ってるから、教育係ってそんなんじゃないから!?」
「キョウは何も間違ってない! 新人を躾けるのが教育係の仕事! だから、キョウはソータを躾ける!」
「ホント、なんか完全にペットの躾をするような感じに聞こえるのが不思議だ!」
僕がツッコミ終えた瞬間、最終的に強硬手段に出て、キョウは僕をベットに押し倒す。
「さあ……ソータ。あーんしろ、ナ」
「だーかーら! そんな事をしなくてもご飯ぐらい一人で食べれるから! ホント、キョウは教育係の捉え方を間違ってるからね!」
「あっ、そうカ……分かっタ」
しゅんとネコ耳を垂らすキョウ。
あれ? やっとで僕の言っていることを理解してくれたのかな?
そうだよね。こんだけ言って理解しないなんて、キョウもそこまで馬鹿じゃあ……
「いただきまス。ほラ、やったから再開ナ」
前言撤回。キョウは馬鹿だ。
どんな言葉の受け取り方をすればそれに辿り着くのか、キョウの頭を解剖して確かめたい。
てかなにいただきますって!? なにをいただくつもり!?
もしかして僕の純潔!?
止めて! 僕経験なしの童貞だけど、せめて初体験は真奈ちゃんと……。
はい、ごめんなさい。気持ち悪かったね、マジですみません……。
先ほどと同様、いや、先ほど以上に僕を拘束するキョウ。
僕の胸に片手を置かれているだけなのに、僕の上体はピクリとも動かない。魔族の力は侮れないな。
そして、僕を押さえる手とは逆の手で目玉焼きの欠片を摘まむ箸を僕へと近づける。
「ほーラ、痛くしないかラ。お姉さんに任せなさイ」
「キョウ!? 一旦自分の顔を鏡で見てみ! もの凄く血走った目をしてるからね!?」
この際年上だろうが年下だろうが関係ない。
てか、なんか誤解を招きそうなことを言ってるけど、僕はただ無理やりとご飯を食べさせられそうになっているだけだから! やましい意味じゃないから! それだけは理解して!
僕は必死に抵抗とキョウの肩を押すが、昨日のメアさん同様にピクリとも動かない。
昨日と今日で十分分かった。人間の力では魔族の力に敵わない!
徐々に力負けして押し切られそうになり、万事休すか……と諦めた時、救世主が現れた――――
ドガァアアアアアン!!
『…………………………………』
唖然とする僕とキョウ。
先ほどまで熱い攻防戦が行われていた空気が、今の轟音と地響きで氷点下へと凍り付く。
パラパラと壁から天井まで入ったヒビから舞い散る粉塵。
僕とキョウは額から滝のように冷や汗を流して、それを作った人物へと目を向ける。
さっき僕は、救世主が現れた、と言ったね。あれは嘘だ。
だって、僕達の目の前にいるのは――――
「なーに、薄暗い部屋で男女二人っきりでくんずほぐれつしているのかな~、颯ちゃんにキョウ」
――――文字通り、魔王ですから。
ホント、お約束過ぎないかな!? ベタな展開過ぎてごめんなさい!