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魔王サタン

 ホロウさんが捲ったページには、王座に座る冠を被った悪魔に大勢の悪魔たちが平伏している絵が描かれていた。
 恐らく、この冠を被っている悪魔こそが魔族を統べる王『魔王』なのだろう。

「魔王というのは、魔界創成期の頃より存在して、膨大な魔力と絶大な力を持つ。魔界の象徴とも呼べる絶対無二の存在です」

「魔界の創成期って事は……ずっと同じ魔王って事はないですよね……? もしそうなら、真奈ちゃんは何歳なんだ……?……千歳とか超えてないですよね……?」

 魔界は人間界と同じ頃に誕生したと説明を受けている。
 人間界が億を超える遥かな歴史を持つから、魔界も出来てから億は超えてるだろう。
 予想して述べる僕に、ホロウさんは左右に首を振り、

「安心してください。魔王は代々その血を引くモノが継いでいて、現在の魔王様は28代目で、年齢は2か月前に17歳になられたばかりです。けど、一つ補足しておきますと。今までは初代魔王様の血を引く子孫達が魔王となってますが。別に、血を引く者のみに継承資格があるってわけではありません。魔界は完全な実力主義な世界ですから。強ければ、魔王の座を奪うことも可能です」

 つまりそれ相応の実力を持つなら下克上をしてもいいという事か……。

「……それってつまり、魔王になるって事は、それだけの力を有してるって事にはなるんですよね?……つまり、真奈ちゃんも相当な力を持っていると……」

「無論です。現魔王様はそれはそれは偉大です! 業火で全てを灰燼に帰し。大波で全てを洗い流し。暴風で全てを吹き飛ばす! 拳で大地を割り! どんな魔族をも屈服させるその様は、まさに、魔族の王たるお姿なのです!」

 惚けて語るホロウさんは相当真奈ちゃんに心酔しているようだ。
 ……まあ、正直ホロウさんの説明だけではよく理解出来なかったけど。
 あの魔界の空を飛んでいた怪物達を統べる王なのだから、無為無能な人材ではないのだろう。
 ……てか。知らなかったとはいえ、僕はそんな人と恋人関係を結んでいた事に、今更ながら身震いしてしまう。

 僕がホロウさんから魔界の事を丁寧に教えてもらっていると、部屋の扉がガチャリと開かれる。

「ふはぁ……疲れた~。ホント、あのクソオヤジは頭の回転が遅い無能だね。理解させるだけで疲れたよ……。ホロウ、マンドラティー頂戴……」

 くたびれた様子で退室していた真奈ちゃんが帰って来た。
 そして、出先での事をグチグチ零しながら、羽織る黒いマントを包んで畳む。
 
 僕が魔界に来てから最初に目撃したのは真奈ちゃんの半裸姿。
 だが、勿論だけど今の真奈ちゃんの恰好は半裸ではなく、魔王らしき黒を強調をした服を着ている。
 角も翼も尻尾も、知られた僕にはもう隠そうとする素振りをみせない。

「ま、真奈ちゃん……なんだよね?」

 再三見てもまだ信じられず、思わず口から零れる、真奈ちゃんはクスリと笑い。

「そうだよ。私は正真正銘、あなたの彼女の三森真奈だよ、颯ちゃん。それで、驚いた? 自分の彼女がまさかまさかの魔王だったことに。目が飛び出しそうになる程に、驚いた? ね?」

 確かに驚いたけどそこまでは驚いてない、と僕は苦笑いで返す。
 一旦僕の方から視線を外した真奈ちゃんは、包んで畳んだマントを片付け、着ている軍服の様な服を脱いでハンガースタンドにかけると、白いシャツと黒のスラックス姿でソファに腰かける。

「魔王様、マンドラティーです」

「ありがとう」

 端的に礼を言う真奈ちゃんの前に置かれたのは、湯気の立った赤い液体の入るティーカップ。
 これは、僕が先程飲んだ物と同じのだ。
 さっきは流したけど、この飲み物の名称は『マンドラティー』と呼ぶらしい。
 なるほど……。
 『マンドラゴラ』の『|お茶《ティー》』だから『マンドラティー』か……捻りのない名前だね。
 真奈ちゃんは出されたマンドラティーを冷めないうちに一口飲む。
 そしてカチャンとソーサーにティーカップを置いてから、両肘を自分の両膝に付いて、合わせた両手に顎を乗せて話を切り出す。

「それで。さっきは色々とドタバタして、その後は仕事に出たから話しは出来なかったけど、まず最初に一つ。……さっきはビンタしてごめんなさい」

「……い、いや。別に大丈夫だからいいよ。あれは僕が悪い事だし」

 頭を下げられた僕は面食らい、一瞬反応を遅れてから申し訳なく頭を下げる。
 それに、良い物を見れたからあれぐらいのビンタなら安いもんだ……ってのは悟られない様にしないとね。

「まあ、颯ちゃんには色々と聞きたい事があるけど……。颯ちゃんはどうやって魔界に来れたの? 『ディストーションゲート』にでも迷い込んだのかな?」

 僕はまた聞き慣れない言葉に首を傾げると、ホロウさんが説明に入る。

「我々の住む魔界を行き来する方法は、大まかに二つあります。『サモンゲート』と『ディストーションゲート』の二つです。名前だけではよく分からないと思いますが、簡単に言えば、『サモンゲート』は人工で、『ディストーションゲート』は自然に発生したものです。『ディストーションゲート』は時折人間界で発生して、そこから人間が魔界に入り込むって事例は極稀にあります。所謂人間界で『神隠し』と呼ばれる現象ですね」

 成程……と僕はホロウさんの説明に相槌を打ち、先ほどの真奈ちゃんの質問に答える。

「その言葉をふまえて言うんだったら、僕が魔界に来れたのは『サモンゲート』を通ったからだね。真奈ちゃんの後を追って入ったんだし」

「むぐぅ!」

 僕の発言に、マンドラティーを飲んでいた真奈ちゃんが噴き出しそうになり、それを必死に押さえても、ゴホッゴホッとむせ返る。
 どこかデジャヴるが、僕はすぐに真奈ちゃんを心配する。

「大丈夫真奈ちゃん!?」

「だ、大丈夫……けど、はぁ……」

 真奈ちゃん、むせが治まると、次は深い嘆息を吐き捨てる。
 額に手を当て、呆れた様な態度を取る真奈ちゃんに、僕はやるせなくなり深く頭を下げる。

「ご、ごめん真奈ちゃん……。ホント気持ち悪いよね……。ストーカーまがいな事をする僕なんて……」

「い、いや、別に私は颯ちゃんを責めてるつもりじゃなくて……。呆れているのは、自分自身だったりするんだ。って、本当は私自身は、薄々分かってたことなんだけど……」

 え? と頭を下げていた僕が振り仰ぐと、真奈ちゃんは話を続ける。

「どうせ颯ちゃんの事だから。一か月の間に進展しない私との関係に不安を感じて、後を追ったとかなにかでしょ?」

 うぐっ! と図星を突かれ僕は目線を逸らす。

「……そんな颯ちゃんに全く気付かない自分が不甲斐なくて、情けないよ……。それに、少しは警戒していたつもりなのに……。もしかして、颯ちゃんって追跡の才能とかあったりする?」

「いや、特に自覚は……」

「もしかすると、ただ単に空気が薄いとかでは?」

 はいそこ! ホロウさん。今の発言は僕の心にクリティカルヒットしました!
 確かに……。昔かくれんぼをして、2時間以上見つけられずに、他の人達が僕を探すのを諦めて帰られそうにはなった事はあるけど。
 そこまで影は薄くない……と思う。自身はないけど。

「まあ、それはどうでもいいんだけど」

 僕的にはよくはなくないけど、話が進展しないので我慢する。
 真奈ちゃんは天井を仰ぎ、片手で自分の顔を覆い口を開く。


「それにしても。折角ここまで正体を隠し続けて来たのに、こんな目も当てられない失態でバレるなんて……。しかも、相手が最愛の彼氏にだよ……」

 最愛の彼氏、って単語に思わず飛び跳ねそうになるのは、僕がチョロイからなのだろうか。
 それは、まあ、今はいいとして。僕は色々と真奈ちゃんに聞かないといけない事がある。

「真奈ちゃんが出て行ってから、少しばかりホロウさんに聞いたよ。魔族の事だったり魔界の事、魔王の事とか。それで一つ質問なのが。魔王の真奈ちゃんは、なんで人間界で僕達の学校に通っているの?」

 真奈ちゃんは一瞬ホロウさんの方をチラッと見た後、僕の質問に答える。

「私が魔王という立場でありながら学校に通っているのは、人間社会の情勢を学ぶため。学校はそれを学ぶには最適な宝庫だからね。それ相応の知識と社会情勢を学ぶに値するから、魔王の仕事と並行して通ってるんだ」

 そう言ってマンドラティーを飲んだ真奈ちゃんは「まあ……」と言葉を続ける。

「そもそも私が人間界に行っているのは、お父さ……先代の魔王の意向でもあるんだよね。箱入り娘が魔王になるのは無理だから、人間社会の荒波に揉まれて来い、てね」

 真奈ちゃんは壁に飾られた、自身と同じ格好をした人物の肖像画に目を向ける。
 顎鬚を生やし、背中に翼と、頭に角を生やし、椅子に座りこちらを見ている男性の絵。
 真奈ちゃんの態度から、この人が真奈ちゃんのお父さんなのだろう。
 真奈ちゃんの先代でもあるこの人は、確かに、絵を見ただけでもヒシヒシと魔王の貫禄が伝わってくる。

「それで、その先代の魔王様はどこにいるのかな? 真奈ちゃんに王位を渡して、どこかに隠居をしているとか」

 僕は何気なく言ったつもりだったのだが、それが地雷を踏んだらしい。
 真奈ちゃんとホロウさんは黙り込み、重苦しい空気が部屋を包んだ。
 真奈ちゃんに言わせるのは酷だと思ったのか、ホロウさんが僕に言おうとする。

「えっとですね、立花様。先代の魔王様は――――」

「いいよ、ホロウ。気を使わないで…………私が話すから」

 真奈ちゃんに遮られたホロウさんは深々と鎧を下げて一歩下がる。
 そして、コホンと咳払いを入れた真奈ちゃんは、壁の先代魔王の肖像画を一瞥した後、両膝に両肘を付けて、合わせた両手の上に顎を乗せると、少し重々しい声で言い放つ。


「先代魔王、つまり、私の父は……二年前に崩御しているんだ」


「ほ、崩御って……つまり」

 一瞬僕は言葉の意味が分からなかったけど、真奈ちゃんの重苦しい声音で察した。
 真奈ちゃんは僕の反応を見据えて頷く。

「……そう。つまりは、先代は二年前に亡くなったってこと。二年前に魔界で流行した流行り病でね」

 何気なく聞いたことに僕は後悔した。
 真奈ちゃんの口から父親の死を語らせたことに、僕は罪悪感で胸が苦しくなった。
 僕の心中を見透かしたのか、真奈ちゃんは笑いながら手を振り。

「ああ、別に颯ちゃんは気に病む必要はないよ。普通気になるもんね、先代魔王のことは。私も、もし逆の立場だったら聞いてたよ、絶対」

 逆に僕の方が真奈ちゃんに気遣われてたが、少し胸が空いた。
 真奈ちゃんは小さく笑みを浮かばすと、ホロウさんが用意してくれた皿に置かれたクッキーを一枚に手に取って口に放り込み。

「それに、元々父はこれまでの魔王としての仕事での過労や心労で体がボロボロだったんだ。そこに病気の追い打ちがあって亡くなってしまった。ホント、情けないよね。人には小さい頃から、体を鍛えろ、魔力を高めろ、強くなれって散々言っておきながら。自分の方は病で人生に幕を閉じるなんて」

 ボリボリとクッキーを口の中で噛みながら、まるで親戚に近状報告するような物言いで、軽薄そうに話す。
 その表情から。お父さんの死に対して何も思ってないかの様にも感じられた。
 ゴクンとクッキーを飲み込み真奈ちゃんは話を続ける。

「まあ……そんなわけで。死んだ父に代わり、私が魔王になって、人間界では三森真奈として、魔界では魔王サタンとして今を過ごしているのでした。めでたしめでたし」

 大団円の様にパチパチと一人小さく手を叩く真奈ちゃん。
 どこがめでたいのか分からないが、少なからず、僕は今真奈ちゃんを失望しかかっている。
 僕が真奈ちゃんを好きになったのは、人の幸せを一緒に笑えて、人の悲しみを一緒に嘆けて、誰にでも隔てなく向けられる心の優しさを知ったからだ。
 なのに、僕の目の前にいる三森真奈ちゃん……いや、魔王サタンは、人の死に対して何も感じてない非情な性格なのだと思い知らされた。
 
 僕が歯を強く噛み絞め腰を浮かして激昂しかけた時、突如頭の中に声が聞こえた。

「(お待ちください、立花様)」

「(!?……この声は……ホロウさん?)」

「(あっ、私の方に目を向けないでください。魔王様に感づかれてしまいます)」

 僕の頭に直接語り掛けて来る声の主。
 それは、真奈ちゃんの隣で礼儀良く立つホロウさんだった。
 僕はホロウさんに指示に従い、目を向けずに、心の中で考える様に言葉を続けた。

「(ホロウさん……これは?)」

「(これは魔法の一種で、選んだ相手と意思疎通が出来る魔法『脳波送受《ブレインリンク》』です)」

 この『脳波送受《ブレインリンク》ってのは僕達の世界ではテレパシーと呼ばれる類のものなのだろう。
 人間界にあるテレパシーはインチキと呼ばれているが、本物のテレパシーを体験出来て、高揚するが我慢する。

「(……それでホロウさん。なぜこれを僕に?)」

「(もしかしたら魔王様の事を、立花様は大きな勘違いをなさっているのではないでしょうか?)」

「(勘違いとは?)」

「(……おそらく立花様はこう思っているはずです。魔王様は、父君の死を悲嘆しない非情な人だと……)」

 ここまで僕の心を見透かされては嘘は吐けない。
 相手が魔王の部下でもあっても、僕は怖気づかず自分の感じた事をハッキリと伝える。

「(はい。正直言って、真奈ちゃんの言い方ではそう感じてもおかしくありません)」

 僕がそう返答すると、ホロウさんは嘆息したような声を頭の中で漏らす。

「(確かに、魔王様の言い方ではその様な誤解をされて仕方ありません。けど、魔王様は決して薄情ではありません。魔王様は誰よりも優しく、誰よりも慈悲深いお方。深い愛情をお持ちになっており、父上の死を、影では悲しんでいるのです)」

「(け、けど、ならなんであそこまで何事もなかった様に平然と話せるんですか!? 自分の親の死ですよ!?)」
 
 僕は思わず立ってしまいそうになるが、なんとか押し止める。
 
「(魔王様は、魔王という重大で責任ある立場にあられるお方です。その重荷は、私達には想像もつかない程に大きいでしょう。|魔王《私達》を統べる|魔王《自分)が弱みを見せてはいけない。だから、自分の心に嘘を吐き、気丈な態度をとっているのです)」

「(そ、それでも、あそこまで――――)」

 ピギイィイイイン!

『うぐっ!』

 突如、僕の脳内に響くハウリング音。
 驚愕と耳鳴りに思わず耳をふさぐ僕。
 今のはなんだったのか。
 おそるおそる僕は閉じた瞼を開けると、湿った目つきで僕を見ている真奈ちゃんの姿が目に入る。

「彼女である私の目の前で……まあ堂々と別の女性と密談が出来るよね。ねえ、いい度胸だと思わない? 颯ちゃん」

「ひぃいッ!」

 僕は微かに残る野生の本能でか、本能は恐怖に屈服して、咄嗟にソファの影に隠れる。
 僕とホロウさんの|脳内送受《ブレインリンク》での会話に真奈ちゃんは感づいていたようだ。
 おそらく、先ほどのハウリング音も真奈ちゃんが起こしたのだろう。仕組みは分からないけど。
 
 そして、今の真奈ちゃんの表情は曇りのない笑顔だった。
 だが、それが喜び、嬉しいなどの感情ならよかったけど、笑顔の中に伝わる怒気。
 笑顔であるが目は笑っていない。口端を吊り上げてるが微かに引きつっている。

 これはよく漫画とかで見る現象。
 笑顔だけど目は笑ってない即ち、めちゃくちゃ怒ってらっしゃるという……。

 うん、感想。めちゃくちゃ怖いです!

 真奈ちゃんの威嚇でソファの影に隠れる僕をよそに、真奈ちゃんは隣に立つホロウさんに横目を向け。

「ホロウも。|脳内送受《ブレインリンク》を使うんだったら、もう少し魔力を抑える練習をしといた方がいいよ。じゃないと、漏れた魔力で察知されて、今みたいに簡単にジャックされるから」

「は、はい……申し訳ございません。魔王様」

 しおらしい態度で深々と鎧を下げるホロウさん。
 ホロウさんに横顔で少し微笑んだ真奈ちゃんは、次に僕の方に目線を向ける。

「まあ、浮気の内容はあえて聞かないとして」

「だから浮気じゃないって!」

 僕は立ち上がり大声で弁明すると、クスクスと真奈ちゃんは笑いながら手を横に振り。

「冗談冗談。颯ちゃんがそんな事をするはずないって分かっているから。それに、もし本当に浮気の内容だったとしても、どうせ―――――――


――――――――ここで颯ちゃんとの関係も無くなるんだから、ね」

「…………………え?」

しおり