保健室
一年生の時は、千珈と天晴とバラバラだったが、二年生になって天晴と同じクラスになった。
給食の時間以外で、天晴の身体が空いている時は、本を読んでいる愛結の机まできて干渉をしてくる。
何度か、放っておいてくれても大丈夫だと言ったのに、馬の耳に念仏。愛結が本を読んでいても、ずっと喋り続ける。
天晴は廊下側から三列目の真ん中辺りの席で、愛結は窓側から二列目の一番後ろ。
教室に入った天晴に、性別に関係なく挨拶が飛んでくるが、愛結に挨拶をしてくるクラスメイトはいない。それが二年三組での愛結の位置だ。
お互いに自分席に着くと天晴にはクラスメイトが寄ってきて、笑いが起こる。愛結は担任が来るまで、文庫本を出して読み始めた。
本を読んでいる時が一番落ち着ける時間だった。周りの喧騒も聞こえなくなって、本の中を歩いて物語に参加ができる。
いつの間にか本鈴が鳴っていて、担任が号令を掛ける声に驚いた愛結は、急いで本朝のホームルーム終わって担任が退室すると、まだ本鈴が鳴っていないのに、入れ替わるみたいに一限目の国語の教師が入ってきた。
背が高くて、色の付いた眼鏡を掛けた男の教師だ。教材を教卓に置いて、ボウっと教室の宙を見ている。
本鈴が鳴ると、日直が号令を掛けて、意識を取り戻したかのように教師は動き始める。
しかし国語の授業ほど退屈なものはない。愛結は教師が黒板を書いている隙に、カバンの中にしまった文庫本を取り出して、広げている教科書の上に重ねて続きを読み始めた。
教師が動き始めたら、そっと文庫本を机の中に入れて窓の外を見やった。
体育の授業があるのかホイッスルが、餌をねだる雛鳥みたいに鳴っている。空は青くて、外は気持ちはが良さそうだ。
今日は伊久子の予定を聞かずに出てきたから、早退はできない。
愛結は伊久子の予定を朝聞いておいて、いない時間見計らってたまに早退をする。早退する時は、必ず家に連絡が入るけど、居なければ仕方がないで済まされる。
その代わり、家に着いたら学校に連絡をしなくてはいけないけど、隠し持っている携帯で静かな場所からすればバレない。
愛結は肘を突いて教科書を見る振りをして、教室の窓に切り取られた空を眺めた。
一限目、二限目が終わった後の休み時間は、天晴がクラスメイトに捕まっていたから平和だった。でも三時限目が終わると直ぐに、天晴が愛結の席にやってきた。
「愛結、長文の宿題、やってきてるよな?」
「また?」
「頼む、見せてくだい!」
愛結は英語のノートを天晴に渡した。
「いつもサンキュー!」
「H高が、志望校でしょ?」
近くにいた、クラスメイトが天晴に振り返って「アッパレ、お前の志望校Hなのか? 無理だろ」と二人でふざけ始める。
次第に天晴の周りに二人から三人、四人と増え始める。愛結は堪らなくなって、席を立って保健室に向かった。
「先生、頭が痛くて……」
「大丈夫? ベット空いているから寝ててもいいけど、先生には言ってある?」
「言ってません」
「そう。なら私から連絡しておくわ。ゆっくり休みなさい」
保健の御橋綾子《みはしあやこ》先生はショートカットで、身長は一七三センチ。身長は、以前に本人が言っていた。
愛結は保健室の常連だが、いつも何も言わずに御橋は受け入れてくれるから助かっている。
ただ一度だけ、イジメの有無と家族のことを聞かれたが、問題ないと答えた。綾子は、しばらく真意を探るみたいに、ジッと愛結の目を真っ直ぐに見つめてきたけど「そっか。でも何かあったら相談にのるからね」と言って、それ以降ならは何も聞いてはこない。
それなのに、どうして何も聞いてきてくれないの? 思ったり、自分は人に気にも掛けてもらえないのとか、訳も分からなく悲しくなってくる。
聞かれれば聞かれたで、面倒で何も答えないくせに……
愛結は、眉間を指でキツく摘んで、保健室特有の匂いがするベッドに潜り込んだ。
愛結は、四限目のチャイムが鳴ると同時に教室に戻った。給食の時間になって天晴が何か言いたげだったが、クラスメイトに捕まって教室を出て行った。
愛結は昼休みと放課後は、解放されている図書室に自分の本を持って向かう。
愛結たちが入る前の年から学校司書が置かれるようになったけど、利用者数はあまり変わらないらしい。
図書室は、公立の中学にしては広くて、ちょっとした書店並みに本棚が並んでいる。六人掛けの机と椅子が縦に五列、横に二列並んでいる。入って右手には、カウンターがあって、司書の女性が座って何か作業をしていた。
愛結は、影になっている窓側のいつもの席に座って持って来た本開いた。
「アーちゃん」
千珈は天晴に何かを聞いたのか、それとも愛結が教室にいないから図書室に来たのかのどちらかだ。
千珈が愛結の正面に座って、上半身を机に伸ばしている。愛結は一瞬だけ千珈に視線を向けて、直ぐに本に戻した。
「体調、大丈夫?」
愛結は小さく頭を縦に振る。
「そっか。よかった。今は何読んでるの?」
千珈の質問に、愛結はブックカバーを剥がして題名を見せた。千珈もクラスが違うのに時間があれば、愛結の所に来る。
「チーちゃん、別に放っておいてくれても大丈夫だから。チーちゃんも忙しいんだし」
「違うよ。私がアーちゃんいると落ち着くんだよ」
千珈は、腕を枕代わりにして、ボーっとしていた。
「昨日の塾の帰りに、アーちゃんのお父さんと会ったよ」
千珈の言葉で、読んでいた本の文字が読めなくなったみたいに、目で追っても愛結の頭に入ってこなくなった。鼓動が意味なく早くなる。
千珈の視線を一瞬だけ感じたが、愛結は気付かない振りをして本から目を離さなかった。