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Part3『和気藹々』

「えっと、僕の名前は神原 慶(かんばら けい)。神様の神に原っぱの原で神原。名前は慶雲の慶だ。呼び方は……好きに呼んでくれていいよ。あと、好きな食べ物はハニートースト。嫌いな食べ物はサルミアッキ。部活は無所属で、趣味は音楽鑑賞とかゲームとかテレビとか本かな」

「無駄に細かい上に、なんというか、ほとんど無難ですね」

「…………」

 互いに名も知らぬ相手と行動するのはいかがなものかという僕の提案により始まった自己紹介は、早くも苦痛をもたらしていた。

 先の一件から距離を置かれている気がする少女は、抑揚のない澄ました声色で痛いところを突いてくる。確かに先の醜態はその反応に値するものだとしても、ほぼ初対面の相手の自己紹介にそこまで言うのはどうかと思う――が、それは個性と好意的に受け取っておく事にする。

「じゃあ、えっと……」

「真琴です」

「……は?」

「――小鳥遊真琴(たかなし まこと)。私の名前です」

 歩くペースを落とす事なく、それどころかこちらに一瞥もくれずに少女は素っ気なく名乗った。

 何というか、彼女は会話という行為そのものを面倒くさがってる気がする。あくまで『気がする』なので何とも言えないが。

「あ、ああ。真琴か、すごい似合ってるな。で、でもいきなり名前はハードル高いし、苗字でもいいかな?」

「ハードル……? ――まあ、いいですけど。」

 不思議そうに小首を傾げる少女に本当なら『ハードルというか年齢が高いんだ!』と言ってしまいたいが、それを言ったところでというものだろう。

 でもまあ、自分の目線が高くて忘れがちだが、彼女は僕より2つも年上なのだ。タメ口はギリギリいいとしても、名前をいきなり呼び捨てするのはやはり抵抗があった。

「まあ、これも判断基準不明な上疑惑の判定だけどな……」

「ブツブツ言ってないで前見てください。また壁に張り付く事になりますよ」

「うわっ――!?」

 顎に手を当て、熟考する探偵みたく歩いていた僕は、物理的な壁にぶち当たって捜査ではなく呼吸の方の息を詰まらせる――事なく、すんでのところでで止まることができた。

「あ、ありがとう……た、小鳥遊」

「どういたしまして、神原さん」

 そんな短いやりとりをして、僕たちは再び歩き出す。

 とは言え明確な場所がわかっているわけではない。目的はしっかりと決まっているが、目的地は決まっていないのだ。

 ――何せ目的の人物は今も動き続けているのだから。

 常に動き回っている見た事も聞いた事もない女子高生を、学生の巣窟である学校から見つけ出せなど、まったく、近藤先生も無茶を言う。

 そんな思考を巡らせながら、僕は隣を歩く少女を見やる。名前は――小鳥遊真琴か。

 しかし、随分と珍しい苗字だ。

 いや、それを言ってしまえば僕の苗字である神原もなかなか聞かないけどな。

「――って、自己紹介名前だけかよ!」

「え……? 何か他にあるんですか?」

 突然大声を出した僕に向き直った小鳥遊は、信じられないとばかりに目を見開き、その上で小首を傾げてそんなことを言ってくる。

 そのあまりにも自然な驚愕に、まるで僕の方が間違っているかのような錯覚を覚える。

「僕がしてたみたいな……ほら、好きなものとか趣味とか!」

「好きなものは、本ですかね」

「おお! そういう感じ! じゃあ趣味は?」

「趣味は……本ですかね」

「――ん? ま、まあいいか。じゃあ休日の過ごし方とかは?」

「うーん……勉強ですかね」

「あ、あれ? じゃあ、今長い休みがあったら何がしたい!?」

「最近疎かになっていますし、睡眠をとりたいですね」

 質疑応答のたび、徐々に自分の笑顔が引きつっていくのがわかる。
 しかし、目の前の少女はそれを意に介さず、投げかけられる質問に機械的に淡々と答えていく。

「好きな食べ物は」

「特にないです」

「嫌いな食べ物は」

「特にないです」

「好きな季節は」

「特にないです」

「嫌いな季節は」

「特にないです」

「好きなテレビは」

「特にないです」

「好きな歌手は」

「いないです」

「または曲は」

「ないです」

「じゃあ音楽は」

「ないです」

「嫌いな教科は」

「ないです」

「好きな教科は」

「ないです」

「嫌いな飲み物は」

「ないです」

「好きな飲み物は」

「あ、水です」

「そっか……えっと、うん――」

 質疑応答を終え、得られた情報を整理し終えた僕は、二の句が継げず黙り込んだ。というか絶句した。

 だが、仕方がないと言わせてもらいたい。趣味なし、好き嫌いなし、共通点なしの無い無い尽くしに加え、無慈悲に無愛想に無表情の無い無い尽くしだ。

 至極失礼ながら、彼女に友達がいない理由がなんとなくわかった気がした。

 ――いや、趣味はあるんだったか。

「――本……そう言えば本だけは好きだってはっきり言ってたな」

「はい、本は好きですよ」

「なんで好きなんだ?」

 純粋に気になった。ほとんどのものに興味を示さないこの少女が一体なぜそれには執着するのか、それが気になったのだ。

「質問に質問で答える形になってしまって申し訳ないんですが、あなたも趣味の中に本を入れてしましたよね」

「ああ、入れてた入れてた。うん、僕も本は好きだよ」

「では、それはなぜですか?」

「なぜ……か」

 そう言われるとパッと浮かばない。なぜか。それを明確に答える事はなかなかに難しいものだ。

 しかし、熟考しても浮かばないほどの質問でもないのも事実だ。僕は時折『うーん』とか『あー』とか言って間を保ちつつ、数十秒かけて出来上がった理由を口にした。

「多分、本を読んでると自分はその場で読んでるだけなのにその登場人物たちと同じ風景を見てるみたいに思えてくるから……かな。
 それに本の世界なら普通じゃ行けないどこだって行けるしな。図書館で借りちゃえば無料だし。映画とか劇場とかよりも財布に優い」

「やっぱり無難ですね」

「うっ……」

 途中、そのなんとも言えない視線に必ず何か言われると悟った僕は自らの話を茶化す事で予防線を張ったのだが、それすらもぶち抜いて小鳥遊の言葉の暴力が僕の心に突き刺さった。

 しかし、苦しげに胸を押さえ、よろめく僕を見る少女の瞳に悪意が浮かんでいないのがなんとも言えない。悪意もなく、もちろん善意もない。すべて素でやっているのだ。

「じゃあ、お前の理由はなんだよ。そこまで言うからにはよっぽどな理由があるんだろうな!」

「何を貴方がムキになっているのかわかりませんが……そうですね。私にも理由はあります」

「へえ、どんな?」

「というか先に貴方の理由を聞いておいて『私もそれと同じです。』という予定だったんですが、あまりにも稚拙だったのでやめました」

「うるさいな! 早く話せよ!」

 おそらく稚拙とは、僕の最後の照れ隠しの事を言っているのだろう。

 やはりお気に召さなかったらしい。

 肩をすくめ、ため息をつく僕を横目に、少女は歩く速度を落とすことなく再び淡々と語りだす。

「よっぽどな理由、というほどでもありませんが……本は――」

「あの、君たち。ちょっといいかな?」

 だが、それを聞き切るより先に肝心な部分を遮ってそんな声が割り込んだ。
 いいところで邪魔をするなこのやろう、なんて口が裂けても言えないけれど、それに準ずるような表情を浮かべ、僕は振り向いた。

「道を聞きたいんだけど……あ、邪魔をしたな。これは申し訳ない。どうぞ続けてくれ、私は別の人をあたってみるよ」

 だが、振り向いた僕の表情というよりその奥の微妙な顔で固まる小鳥遊を見て、勘付いた様子の少女は、早口に謝罪と別れを口にする。

 やけに気の利く立ち振る舞いに険悪な表情で振り向いてしまったことに凄まじ幕罪悪感を覚えるが、今更という話なのできっぱりといこう。

「ああ、悪いけど今僕たち人を探――ぐふぅ!?」

 そうして別れ文句を口にするぼくの横腹を、小鳥遊の肘がえぐった。

「あ、あんまり痛くないけど……え、な、なに? 僕なんかやった?」

「違います。よく見てください。彼女の見た目で大体判断はつくでしょう」

「見た目……?」

 どこか堅苦しいような、軽いような、なんとも言えない話し方の少女はその特徴的な話し方よりも確かにその出で立ちの方が目を引いた。

 女性にしてはかなり高めの身長や後ろで結わえられた長髪もそうだが、それよりも――

「僕たちと違う制服……あ! そういうことか!」

 相変わらずの鈍さを発揮し、一番大切な部分を見落としていた僕は、遅まきにそれに気づく。
 というか遅すぎだ。馬鹿なのか僕は。いや、馬鹿なんだろうな僕は――、

「ちょ、ちょっとまってくれ! いい! 大丈夫だ、話はあとで聞ける。それよりも君は……?」

「ん? 私か? 私は鍵峰嗣嵩(かきみね つかさ)だ」

「あ、名前のことじゃなかったんだけど……鍵峰か、確かに僕の前の席っぽいな。」

 教室内で席が空いていたのは僕の前と小鳥遊の前の席だけ、そのうえ鍵峰(かぎみね)なら神原(かんばら)よりも前に来る。

 これだけでは確証は得られないが可能性は大だろう。後は本人に聞くまでだ。
 それにずっと気になっていたのだが、彼女が背負っている長細い袋。実は形状や質感に似たようなものを知っている。これは多分あれだろう。

「――竹刀袋……」

「……ん、よくわかったな。ぱっと見だけではただの長細い袋にしか見えないと思っていたが、存外そうでもないらしい」

「あ……い、いや、僕小さい時から習ってるから――それでわかったんだよ」

 ちなみに言えば、僕は小さい時から教育熱心な両親によって武術に学業から芸術に手芸まで様々な習い事を広く浅くさせて貰っているのだ。

 だが、この場でそんなことを言ってもややこしくなるので割愛。まあ、1つまともに極められていないというのも理由としてあるが。

「ほほう、薄弱な見た目にそぐわず中々たくましいようだな」

「一言余計だ」

「ほほう、薄弱な見た目だな」

「そっちじゃない! なんで賛美の方を抜くんだよ!」

 だが、あの部屋の荒れようからして空白の2年間に自分が剣道なんてやっていたとは思えない。ならばその“見た目”からの推測は正しいのだろう。中々に鋭い洞察力だ。

 ただ、こうして知らない事まで誤魔化さなくてはいけないとは、なかなかに気が滅入るものだ。

「……って、君も剣道をやるのか?」

 だから僕は内心でそうため息をつきながら、ふと浮かんだ疑問をそのまま口にする。

「いいや、私は剣道はやらない。これは近藤先生への届け物なんだ。ちなみに中に入ってるのは竹刀じゃなく木刀だ」

「え……じゃあやっぱり――」

「貴方が転校生みたいですね」

 予想をあっさりと裏切られ、その代わりとばかりに彼女の口から出てきた言葉に得心がいった。
 機を得たと言わんばかりに手を打ち合わせ、導き出した答えを口にしようとするが、しかし隣の少女がそれを奪う。

 その釈然としない行いを咎めるべく、素知らぬ顔で佇む文学少女の背中を睨らんでいると、そんな僕を置き去りに話は進みだす。

「む、そうだが。何故わかったんだ?」

「その見た事のない制服に道を聞くという行為、その上近藤先生の名前を出されてはわからない方がおかしいという話です。荷物も、持っているようですしね」

「明らかに軽いけどな」

 負けじと口を挟む僕。

 しかし、そんな虚しい抵抗をよそに話は進む。

「近藤先生を知っているのか!!」

「それはそうでしょう。私たちはここの学生ですから」

「それは有難い! もしよければ私を近藤先生のいる教室にまで連れて行ってくれないか?」

「大丈夫ですよ。私たちはその為に来たので」

「おお!」

 どこか硬い言葉の割に陽気に話す海崎と抑揚のない敬語で受け答える小鳥遊。その和気藹々とした二人を後ろから眺めながら、密かに僕は1つの答えを導き出した。

「やっぱ僕いらないよな……」

 そんな恨みと悲しみと自嘲を含んだ複雑な呟きは、前を楽しげに歩く二人の少女には届かなかった。

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