Part2『食えない男』
教卓に立つスーツ姿の男性へ向け、番号が一番だった一人の生徒が挨拶をし、それに僕を含めあ40人の少年少女が揃って続く。
その一連の動作を横目に真似、僕はなるべく自然に振る舞う。
そこまで気にする必要なんてなくとも、気になってしまうのだから仕方が無い。
「着席」
礼の終了に合わせ、短く号令がかかる。それに従い僕は窓際の最後尾、学生にとってはかなり嬉しい至高の席に腰を下ろす。
ただ、そんな幸運も、今見に降りかかる災難に比べて仕舞えば霞むというものだ。
「それに……これもある意味不運の一環だな」
忌々しげに呟く僕の視線は目の前――僕の座る席の1つ前の空席に向いていた。更にそこから視線をずらせば斜め前にも空席。
そして、更に視線をずらせばそこには気だるそうな顔でホームルームを見守る黒髪の少女が映り込む。
ちなみに、この少女はここ数分の観察結果からするに無愛想、無口、無表情、無頓着の無い無い4拍子揃っている、どうやらかなりとっつきにくい女子らしい。
彼女はホームルーム前も、1人ぽつんと本を読みふけっていた。それを眺める、同じく1人の僕に一瞥をくれると一瞬哀れむような目を向けてきたのは気のせいではあるまい。
――と、さらりと言ってみたわけだが、悲しい事に僕も友達は少ない。というかいない。付け加えれば知り合いや話しかけてくる人もいない。
「友達くらいそれなりに作っとけよ……未来の僕。」
あまりの惨状に思わず毒づくが、しかし、そんな独り言を言っていても仕方が無い。
それどころか逆に危ないやつだと思われて友達を作る機会を完全に無くしてはぞっとしない。
――それに、情報を集める為に学校へ来たはいいが、情報源たる友人知人がいないので話にならないではないか。
まずは誰かに話しかけ、その人の友人を紹介してもらい、友達の友達として関係を深めていけばいいのだ。
それに幸いにも今日は2年生で初めの始業式らしい。ならばこの友人が皆無な状況もそれこそ不運の一環かもしれない。
「まあ、こうして考えてても仕方ないか。でも、高校生怖いな……」
そう、今僕は『僕が通っている高校』にいる。いや、正確には『僕が通っていたらしい高校』か――、
「はあ……」
どうやら未来の僕は受験戦争に敗北したらしく、目指していた霧ヶ峰学園ではなくその反対方向に位置する公立進学校――
高校自体は最近出来たばかりで(詳しい日数はまだ分かっていない)歴史気は浅いが、急速なスピードで多くの人材を取り込んだ異例の経歴を立てている新設校だとか。
噂に聞けば、最近廃校になった学校や、行き場のない少年少女をこぞって取り入れている曰く付きの学校らしい。
そんな神城高校へ、気丈に送り出してくれた母に勇気をもらいながら、学生服の胸ポケットに入っていた学生証の高校名だけを頼りに辿り着いたというわけだ。
つまり、今現在僕の外見と所属はその神城高校の第2学年にあたり、それでいて中身はまだ中学三年の受験生なのだ。
「はあ……」
僕はもう一度大きくため息をつくと頬杖をつき、疲れ切った目で窓に映る自分を眺める。
とまあ長々と語って結局何が言いたいのかというと、一介の男子中学生が見知らぬ高校の見知らぬ教室にいたところで、さらりと友達なんて作れるわけが無いということだ。
いや、その条件ならばもしかすると優しいお兄さんお姉さん達の有難い好意によって会話くらいはできようものだが――まあ、今の僕にはそのアドバンテージすらないのだが。
「――ら……」
だが、やはりこうしてうだうだ考えていてもなにも進展なんてしないだろう。
進むのは時間だけで何1つ好転なんてしない。どころか時間が経てば経つほどに機会というものは遠ざかっていってしまうものだ。
「――ばら……」
ならば一か八か、当たって砕け散ってみるか。やらずに終わるかやって終わるか。それなら後者を取るべきではないか?
「――んばら……」
そうだ。男は度胸、女は愛嬌というではないか。
僕は愛嬌は無いが度胸と明るさが取り柄だったはずだ。だったらいっその事ここで――、
「神原くん!!」
「うわあぁあッ!? おはようございます!!」
「え……? お、おはよう神原くん……」
教室に響いた大声に反応し、びっくり箱のバネ人形みたいに直立で飛び上がった僕は、そのまま直角に折れ曲がって大音量の挨拶をした。
――なぜかと聞かれれば、正直僕にだって分からない。すごく驚いたんだ、多分。
「ぐっ……」
そんな奇行をやってのけた僕へ向く高校生の視線が痛い。
――憐れみの目で見みるな。クスクス笑うな。指をさすな。
内心でそう絶叫するが、冷や汗の吹き出す体温感覚の狂った体は、痺れたように動かず、言葉を発する事もままならない。
「うーん……ごめんな神原くん。僕は別に君をそこまで辱めようと思っていたわけじゃないんだ。ただ、君が名前を呼んでも返事をしないから少しおっきな声を出したら……び、びっくり箱みたいに……フッ……ッ――」
最初の申し訳なさを引いてもお釣りのくるような腹の立つ顔でこらえきれずに噴き出した黒メガネの男――もとい、
「いつまで、笑ってるんですか……はい、なんです? ――手短に、簡潔に、かつ丁寧でわかりやすく用件のみをさっさと伝えて下さい」
「わ、悪かったよ……でも、元はと言えば話を聞いてなかった君が――あー! なんでもない! ごめんって! 怒らないで、ね? あー、そうそう用件ね。用件、用件」
「……で、なんなんですか?」
「ん、声色が優しくなったね。よかったよかった。じゃあ、早速話すよ。君には今から転校生を連れてきて欲しいんだ」
「――転校生?」
飛び出した予想外の単語に、僕は静かに反応した。
この時期の転入生というのは気になるし、それにもしかしたらこの状況の打破、または解明の糸口になるんじゃないかと考えたからだ。
よくあるタイムリープものでの、これまたよくある理由としては、その瞬間に何か悔いがあってそれをやり直すために奔走するというものがやはり主流だろう。
――まあ、僕の場合はその主流から大きく外れた見知らぬ未来へのタイムトラベルなわけだけど。
だが、それも何か理由があるのかもしれない。
「ああ、転校生だ。しっかりした子なんだけど凄まじい方向音痴でね。この大して広くもなく、入り組んでもいないこの校舎で迷子になったらしいんだよ」
「それを僕に連れて来いと?」
「まさか、そんなそんな! 連れて来いなんて僕は言わないよ!」
「……じゃあ、なんて言うんですか?」
「そりゃあ、転校生を見つけて、ついでに校舎案内をしながら連れてきてください。お願いします。って言うよ」
「――じゃあ、僕はこう言いましょう。あんたが行けよ」
出来得る限り勤めて隠した険悪な顔つきで言い放った僕を見て、近藤先生は心底楽しそうに笑う。
そうして無邪気とも言える笑みを浮かべる目の前の男性に『この人嫌いだな』なんて益体もないことを思う。
「悪いけど僕はこれから会議でね。でも彼女、一人じゃ心配なんだよ。君達はもうホームルームも終わったし、やる事もないだろう? だからお願いします! 神原くん! 頼むよ!! 今度何か奢るからさ!!」
そんな僕の複雑な心中などつゆ知らず、近藤先生は声高らかにそう言って拝むように手をあわせる。
先程の恨みとして無下にしたいところだが、僕はこうして真剣にものを頼まれると断れないのだ。
まあ、その理由も良心だとか親切心とかではなく、そのあとの後味の悪さがいやだからなのだが。
「…………」
『タチの悪い自己満足』なんて評価を受けた時にはさすがに変えようと思ったけど、人というのはそう簡単には変われないのだ。ただ、誰に言われたのか、それがどうしても思い出せない。
「はあ……わかりましたよ」
「ありがとう! 君ならそう言ってくれると思っていたよ!」
「でも、僕あんまり案内とか得意じゃないですよ? むしろ僕も方向音痴だし」
とは言ってみはするものの、案内が得意というわけではないが、実は方向感覚や記憶力には自信がある。だからこれは嘘だ。
まあ、これも仕方のない嘘という事になるだろう。まさか、『もう2年生になりますけど、この学校に来るの初めてなので知りません』とは言えまい。
「うーん……それは弱ったな――あ!」
近藤先生は思案顔でいつの間にかホームルームの終わっていた教室を見回す。
そうして様々な生徒たちが談笑や帰宅の準備をする中、ただひとりぽつんと席に着き本を読みふける物静かな少女を目に止めると、彼は口を開いた。
「小鳥遊さん。ちょっと頼めるかな?」
小鳥遊、そう呼ばれた少女は本への興味をその瞬間に一切無くしてしまったみたいに読みかけだった分厚い本をパタリと閉じ、反して緩やかな動作で顔を上げた。
「なんですか?」
「単刀直入に言おう。実は転校生について、君にお願いがあるんだよ」
怪訝さを露わにして、名を呼ばれた理由を問いただす少女に近藤先生は神妙な表情を作った。
「ある娘を連れて校内の案内をしてもらいたいんだ」
「はあ……」
頼み事の内容を知るなりため息をつくその開けっぴろな態度には驚いたが、まあ妥当なものだろう。
図らずも身代わりの形になってしまった少女に罪悪感を抱きつつも、僕はこの現象の解明につながる手がかりを探すため――、
「隣の神原くんと一緒に」
「はあ!?」
実を言えば物思いにふけって話を聞いていなかったのだが、こっちに視線を向ける教師と少女の視線に気がつき、僕は彼らが言わんとすることを察した。
「な、なんで僕まで!?」
「彼女、荷物があるんだよ。結構重たいやつね。そんな重いものをか弱い少女2人に持たせるのもいただけないだろう?」
「そんな重いものをうわら若き少年1人に持たせるのはいただけるんですか」
「まあ、そういう事になるね。図らずも」
「………」
――なにが図らずもだ。図っただろ、絶対。
しかし、大方一人でいる僕が友達を作れるように取り計らってくれたのだろう。
澄ました顔で隣に座る少女も一人本を読んでいたところをだ。まず間違いない。正直困るが、それを余計なお世話とは口が裂けても言えない。
気分的には四面楚歌の八方ふさがりだった。だから、このチャンスはありがたい。その上、転校生というこの事態のキーパーソンである可能性が高い人物との接触も出来るというおまけ付きだ。
ただ、外面は嫌がっておく。こんなことを突然頼まれた友達のいない奴は、大抵拒否反応を示すはずだ。それこそ小鳥遊なる少女が示したような怪訝さを。
だから僕はそう振る舞う。2年後の自分――神原慶を自然に装うのだ。
「でも、心配し過ぎもよくないのは、まあ、わかってるけどな……」
「何か言いました?」
「いや……? そろそろ行こうかなって」
いつの間にか目の前に立っていた少女に呼ばれ、僕は伏せていた顔を上げた。
「そうですか。ならもう行きましょう」
促されるまま椅子から立ち上がり、彼女の後について教室を出ようとしたその時、後ろから声がかかった。
「神原くん」
「……どうしました? まだ何か?」
「――もっと自分に優しくしてあげてもいいと、僕は思うけどね」
「え……?」
何の話だろう。誰の話だろう。
彼は一体何を言っているんだろう。いや、彼は何を知っている?
「神原さん、行きますよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。近藤先生……今、なんて言ったんですか?」
「いや……なんでもないよ。ほら、ダメじゃないか。女の子を待たせちゃ」
「なっ……! はぐらかさないで教えて――」
「神原さん? どうしたんです?」
煙に巻く様な彼の態度に対して、焦りが怒りに切り替わる。
その怒りに任せて大声を出そうとした僕を、戻ってきた少女の声が冷静にさせた。
「……くそ」
それによって今、この場所――つまりホームルーム直後の人の多いこの教室で、その話題が出しにくいことに気がつく。そして彼は知っているのだろう。わかってやっている。
僕がそれを隠していることも、あるいは僕の隠している事そのものについてもだ。
「ほら、呼んでるよ? 僕は女の子を待たせるのは感心しないって思うけどなぁ……」
「あー! どうせ話してくれなさそうですね! いいですよ、わかりました。今は、そういうことにしておきます」
「お、ありがとね」
短く感謝を述べ、軽薄な笑みを浮かべて近藤先生はひらひらと手を振った。
光に反射して根元がキラキラ光る薬指に目をひそめ、細めた目を最大限に誇張した侮蔑の眼差しに変えるが、全く効果のない様子にため息をつく。
だめだ。この人は多分僕なんかとは至極相性の悪い部類の人種だ。どこか父さんに通じるところがある。
言いくるめたり、言い負かしたりできる気が全くしない。
「その時が来たら、必ず話してくださいよ」
「うん、分かってるよ、話す。君が知りたいことを、僕が知っていたらだけどね」
「あ、それとですね」
「ん?」
――だが、僕だってやられっぱなしで終わる気はない。
「友達のいないやっと友達のいないやつを一緒に行動させて仲良くさせようとか、保育士かなんかですか」
「は……?」
「本当に高校の教師なんですか、貴方は」
「はは、……相変わらず厳しいな君は」
何がおかしいのかヘラヘラと笑みを零す彼にしかめっ面で応じ、一人だった僕への気遣いの件についてのお返しと、今回の件の意趣返しを同時にこなし、僕は教室を出た。
「あ、まてよ小鳥遊!」
やけに積極的な彼女の足取りは素早く、気を抜くとすぐに置いていかれてしまう。
ただでさえそうなのに、足を止めた僕と彼女の間にはかなりの距離が開いてしまっていた。勢いを緩めることなく遠ざかっていく彼女の背中に急かされ、僕は駆け足に彼女を追う。
「……ん?」
そんな中、ふと名を呼ばれた気がして後ろを向けば、近藤先生が教室から身を乗り出していた。
どうやら彼が僕の名を呼んだようだ。いそぎ足に歩を進めながらも何事かと目を細め、彼の動きを見守る。
口を動かし、読唇術の要領でなにかを伝えようとしているようだ。遠ざかる彼の口元は徐々に見えにくくなるため、僕は焦って解読にかかる。
「……ない、よ?」
どうやら何度も短い言葉を繰り返しているらしい。おそらく今わかったのは最後の部分だ。なら、次に続く言葉と今の言葉を合わせればいい。
――だだ少し気になるのは、何がおかしいのか、彼は癪にさわる笑みを浮かべているのだ。
もとより高い難易度がそのせいで更に上がっている。
そんな小さなところにも彼の性格がにじみ出ている気がして、僕の胃はキリキリと締め付けられる。
「えっと……? あ、ぶ、なーー」
「あっ、神原さんあぶなーー」
だが、彼の作戦は僕をやきもきさせるだけなんて小さなことではなかった。それよりも想像以上に僕は甘くて、彼は上手だったということだろう。やはり全くもって敵う気がしない。
――いや、これは単に僕が悪いのだろう。と言うか僕の頭が悪いのだろう。
とまあ、何が起こったのかを簡潔に述べるとすれば、口パクで何やら伝えようとした近藤先生に気を取られていた僕は、そのままの勢いで曲がり角を曲がらず壁に激突したというわけだ。
それはもう、凄まじく鮮やかで不恰好な激突だった。目の前にそびえる固い壁への衝突の危険を伝える警告が自分の口と前を歩いていたはずの少女の口から聞こえた時には、僕は全身に固く冷たいコンクリートの感触を味わっていた。
「覚えてろ……あの野郎」
痛みに強張る体から力を抜き、張り付いた壁からずるずると滑り落ちる。そのまま大の字に転がると天井を見つめ、伝う鼻血を拭いながら僕は近藤藤久への報復を誓った。
「――少なくとも、貴方の醜態はここにいるみんながしっかりと覚えましたよ」
しかし、怒りと復讐に燃えるその誓いは、そんな非情な少女の言葉でばっさりと切り捨てられた。