手をつなぐ
「あっ……」
しまった、そう思ったけどもう遅い。
目の前には驚いた様子の彼。その向こうには、こちらを急かすように点滅する信号機。なにがおきたのか、なにを自分がしてしまったのか自分でも一瞬わからなかった。
けれど、右手にわずかにのこる彼の体温が、自分のしたことを思い出させる。
私はこともあろうに、手をつなごうとのばされた彼の手を、反射的に拒否してしまったしい。
信号が赤に変わる。
彼の表情もまた、驚きから悲しそうな微笑みへと色を変えていた。
「ご、ごめんなさい……!私その、違くて、いやとかじゃなくて」
焦りで言葉がうまくでてこない。
「昔のことを思い出しちゃって、それで」
口からは無意味な言い訳ばかりがこぼれる。
なんでこうなってしまったのだろうか。
彼とネットで知り合ってから一年、付き合いはじめてから半年。
今日は、彼と初めて実際に会って遊びにきた日だというのに。
「みんな私なんかにさわられたら嫌みたいで、それで人に触れないようにしないとと思っててっ」
仲がよかったはずの、昔は当たり前のように手をつないでいたはずの子達から浴びせられた、冷たい視線や言葉がよみがえる。
それとともに、そのことをブログに綴った私の言葉も。
「だって、つないだ手も、いつかは離さなきゃいけないんでしょう?」
あのときに打ち込んだ言葉が、自分の口からこぼれてやっと気づく。
みんなが自分に触られたくないだろうから、なんていうのはほんとにただの口実で、言い訳で。
ほんとうは、ただ私自身が、握った手がするりとほどけてしまうことが恐くて仕方なっただけなんだ。
ずっと一緒にいられると、そう思って手をつないでいても、いつかは離れるときがくると知っているから。
「ごめんね。分かってたはずなのに。僕の配慮が足りなかった」
違うのに、彼が悪いんじゃないのに、申し訳なさそうな顔をして謝ってくる。
彼が初めて私のブログにコメントを書き込んだのは、確かその記事だった。分かっているのにというのはそのことだろう。
蘇ってきた過去の痛みと苦しみと、彼に対する申し訳なさと焦りが、頭の中でぐるぐるとしていた。
そしてそのぐるぐるが、次第に目元に溜まってくる。
駄目なのに、ここで泣いたりなんてしたら余計に彼を困らせるだけなのに。
困らせて、嫌われてしまうかもしれないのに……
と、そのとき、
「手だして」
彼はそう言って、手のひらをこちらにむけて手をのばした。
その手のひらにぴたりと合わせるように手を重ねる。
ゆるくひらいた状態で重ねられた二つの手。
彼はなにをしたいのだろうか、先ほどまでのいろんな感情よりも、いまはその疑問の方がまさっていた。
と、その疑問に答えるかのように彼の手が動いた。
重なり合っていた彼の手がずれ、私の指と指の間に指を絡める。
「ひっぱってごらん?」
少しいたずらっぽく微笑む彼。
驚きと、彼と手をつないでいるという緊張と、うれしさと。
そんなものが胸の中で渦巻いている私は、言われるがまま彼の言葉に従ってみた。
最初はこわごわと、けれど彼に「もっとつよく」と言われて、最後にはたがいの指の根元が白くなるくらいの強さでひっぱる。
けれど、絡まり合った互いの指がほどけそうな様子は少しもない。
「これなら大丈夫でしょ?それにね、もしもほどけちゃったとしても、何度でも僕は手をのばして君をつかまえるから」
信号がやっと青にかわり、彼に手を引かれて歩き出す。
信号とは対照的に、そのときの私の頬は彼の言葉に真っ赤になっていたのだった。