(7)長居は無用
「姉さん、何だか天気が急変……って、まさかさっきの雷はここに落ちたのか!?」
庭園の出入り口にある、少し高めの植え込みの陰からルセリアと共に出て来たイーダリスは、ソフィアに声をかけながら歩み寄ろうとしたが、何段か高くなったテラスに倒れている焼け焦げた木を見て、瞬時に顔色を変えた。それをソフィアが、冷静に宥める。
「そうなの、本当に驚いたわ。私は大丈夫だったけど、ロイ様が偶々、雷が直撃して倒れた木の下敷きになられたの。たった今皆さんに助け出されて、お部屋に運ばれた所よ」
殊勝にそんな事を口にしたものの、自分にだけ見える様にニヤリと人の悪い笑みを浮かべた姉を見て、イーダリスもその意図する所を悟って話を続けた。
「それは大変だ。そんな大事になっているなら、この屋敷の方達は、私達などに関わっている暇など無いね」
「ええ、本当に」
(それなら長居は無用だな)
(この隙にさっさと帰るわよ。ホスト役が不在なんだから、ここで帰っても失礼にはならないわ)
姉と素早く目配せを交わしたイーダリスは、早速行動に移った。
「君。公爵家のお邪魔になってはいけないから、私達はこれで失礼する。後ほどロイ殿と執事長殿に、そう伝えてくれたまえ」
テラスの後片付けをしていた侍女の一人にイーダリスが声をかけると、相手は仕事の手を止めて狼狽した。
「え? あの、でもお客様……、それは……」
「君は我が家の馬車を玄関前に回す様に、侍従に申し伝えてくれ。大至急だ」
「ですが……」
先程とは別の侍女にイーダリスが有無を言わさぬ口調で言いつけたが、ここで黙って帰して良いものかどうかの判断力も権限も持たない彼女達は、互いの顔を見合わせて途方に暮れた。それを見たイーダリスが、わざと不快そうに眉を寄せながら、若干横柄に言い放つ。
「君達は、仮にも公爵家の使用人では無いのかな? そんな人間が、客人に何度も同じ指示を受けないと行動できないなんて信じられないが。公爵家の質にも係わるな」
「……畏まりました。直ちに手配いたします」
さすがにそこまで言われて腹を立てたらしい彼女達は、憤然として頭を下げて部屋の中に入って行った。
その間、イーダリスの側でおろおろとしていたルセリアに、姉弟で気にしない様にと言い聞かせながら、彼女の案内で玄関へと向かう。そして広い玄関ホールで言葉少なに会話しながらソフィア達が待っていると、玄関の扉を開けて中に入ってきた侍従が、馬車の用意ができた事を知らせてきた。
「イーダリス殿、エルセフィーナ嬢。馬車の支度が整いました」
「ありがとう。お世話になりました」
そしてイーダリスはルセリアに向き直り、名残惜しそうに別れの挨拶を口にした。
「それではルセリア嬢。体調が優れないところを、庭を連れ回してしまって申し訳ありませんでした。ゆっくりお休み下さい」
その気遣いに満ちた言葉に、彼女は却って恐縮して頭を下げる。
「いえ、大したおもてなしもできず、申し訳ありませんでした。エルセフィーナ様にも、兄からきちんとご挨拶するべきですのに……」
そんな事を言われても、ソフィアにしてみれば顔を見なくて清々した位の気持ちしか無かった為、それを隠しつつ穏やかに笑ってみせた。
「気にしないで下さい、ルセリア嬢。今日は楽しく過ごさせて頂きましたわ」
「それでは失礼します。ご当主夫妻とロイ殿に宜しく」
「はい、お伝えします。本日はご足労頂き、ありがとうございました」
そうしてステイド子爵家の馬車に乗り込んだイーダリスとソフィアは、馬車が走り出して門を抜けた所で、殆ど同時に溜め息を吐いた。
「お疲れ様」
「そっちこそ」
「しかし急に変な雨風が出てきて、どさくさに紛れて帰る事ができて助かったよ。最悪、変に引き止められて、帰して貰えなくなる可能性も考えていたから」
真顔でそんな言葉を零した弟をソフィアは(心配性ね)と若干呆れつつ、尋ねてみた。
「因みに、その場合はどうするつもりだったの?」
「背に腹は代えられないから、ジーレスさんにフォローをお願いした。緊急連絡用のこれも持たせて貰ったし」
そう言って胸元からペンダントを引っ張り出した弟に、ソフィアはがっくりと肩を落とした。
「私が居ればどうとでもなるのに、頭領に話を持って行かないでよ……」
とんだ所で迷惑をかけたと頭を抱えるソフィアに、そこで何気なく窓から外を見たイーダリスが、天気について口にする。
「しかし、もうすっかり晴れているし、さっき天気の急変は何だったんだろう?」
そこでソフィアは、改めて弟の衣装を眺めてから確認を入れた。
「そういえば、イーダは雨に濡れて無いわね。私は少し濡れたけど、2人が行ってた方は降らなかったの?」
「ああ。屋敷の方で雨が降っているのが見えたから、自分達が居る方に雲が流れて雨が降り出す前に、中に入ろうと思って慌てて戻ったから。だけどあれ以上雨は強くならなかったし、局地的な雷雨だったのかな?」
「そう、なんでしょうね……」
(あの不自然な降り方……。なんとなく魔術っぽいけど、仮にも公爵家の敷地内だからお抱え魔術師の一人や二人いる筈だし、外部の人間が変な真似はできない筈よね? それにしても……)
納得しかねる顔付きで相槌を打ったソフィアに、イーダリスもそれ以上話を蒸し返す事は無く、それについての話を終わらせた。
一方で、行きと同様、誰にも気付かれる事無く、ちゃっかりと馬車の屋根に落ち着いていたサイラスは、先程の自分の行為について考えを巡らせていた。
(さすがにあれは拙かったか? だが、一応魔術探査の網に引っ掛からない様に、やってみたつもりだが……。まあ、済んだ事は仕方が無い。これから気を付けよう)
一応反省はしたものの、ここで止める気など皆無のサイラスは、そのまま屋根にへばりついていた。そして少し前から騎乗しながら公爵邸の様子を魔術で探知していたジーレスは、屋根にサイラスを乗せたまま走り去って行くステイド子爵家の馬車を見送って、苦々しげな呟きを漏らす。
「全く……、何かやらかすんじゃないかとは思ったが、あんなに大っぴらに使ってどうする」
そんな苦言を口にしたジーレスは、次の瞬間小さく笑った。
「だが……、確かに良い腕だ」
そして笑顔のまま馬を操り、当面の滞在先となっているステイド子爵邸に戻って行った。