(8)些細な疑念
「戻りました、師匠、先生」
ソフィアとイーダリスがステイド子爵邸に戻り、揃って居間に入って帰宅の挨拶をすると、ソファーにふんぞり返っていたオイゲンとファルドが、苦笑いの表情で出迎えた。
「おう、二人とも。無事で何より」
「まあ、ソフィアに限って、苦労知らずのボンボンに遅れを取る事は無いと思っていたがね」
「ジーレス殿はまだお戻りでは無いんですか?」
辺りを見回したイーダリスが尋ねると、ファルドが何でもない様に答える。
「そうだね。ルーバンス公爵邸の他にも、ちょっと回って来る所があると言っていたから。そのうち帰って来るだろう」
「そうですか」
「ところで、嬢。サイラスを見なかったか?」
唐突なオイゲンの問いに、ソフィアは面食らってイーダリスと顔を見合わせた。
「サイラス? 庭で散歩でもしてるんですか?」
「そうじゃないんだが、見なかったか?」
「ええ」
「馬車を降りて、ここに来るまでには見かけませんでしたね」
イーダリスも不思議そうな顔で頷くと、居間のドアを軽く叩く音と共に、「にゃお~ん!」と言う甲高い声が聞こえて来た為、ソフィアはすぐに戻ってドアを開けた。そして屈んでサイラスの頭を撫でながら、笑顔で声をかける。
「ただいま、サイラス。良い子にしてた?」
「う~ん、あまり良い子じゃ無かったかな?」
ソフィアの声にすかさずファルドが苦笑気味に応じると、イーダリスが若干不安そうに尋ねる。
「え? まさか、何か物を壊したりとかしたんですか?」
それにオイゲンが、笑って手を振りながら否定した。
「いや、物理的損害は無いんだが、そいつはちょっと好奇心旺盛らしくてな」
「思いもかけない所から、覗き見とかしていたりしてね」
先程サイラスが、ソフィア達が乗った馬車にちゃっかり同乗していたのを目撃していた二人だったが、はっきりとそう言わずに思わせぶりな笑みを浮かべると、ソフィアは半ば呆れて言い返した。
「先生。サイラスは猫なんですから、人が立ち入らない場所に入ったりしますよ。ですが、覗き見ってなんですか?」
「何か壊したりしていないのなら良いんです。安心しました。でも見つけたら、すぐに叱って下さい」
「分かった。そうするから」
姉弟に苦笑いしながらチラッと自分の方に視線を投げてくる二人を、サイラスは目を細めて不快そうに睨み返した。
(こいつら何だか、さっきから含みのある笑い方をして……。なんとなく嫌な感じだな)
そんな事を考えていると、サイラスの背後のドアが開いてジーレスが姿を見せた。
「あ、頭領。お帰りなさい!」
「ジーレス殿、今回は個人的な事で、お手数おかけしました」
姿を見せるなり律儀に挨拶してきたソフィア達に、彼は鷹揚に微笑んでから提案してくる。
「いや、私も気になっていた事だから。それより早速だが、今後の方針の確認の為に、二人に今日のルーバンス邸での流れを、簡単に聞かせて貰いたいのだが……」
「分かりました」
「俺達にも聞かせて貰えるよな?」
「勿論ですよ。色々突っ込みどころ満載の話を、聞かせて差し上げますから」
生真面目に応じたイーダリスに、鼻息荒く訴えるソフィア。
「それでは談話室に移動しましょう」
そんな面々にファルドが移動する様に声をかけ、一同はぞろぞろと談話室へと向かった。
「さて、それではどんな話の流れだったのかな? 私は塀の外で、敷地内に施されている術式の解析をしつつ様子を窺っていたので、さすがに中の話までは聞き取れなくてね」
「ええとですね……」
いつもの様に円形に椅子を配置して座ると、ジーレスに促されて、まずソフィアが順を追って経過を話し出した。
時折イーダリスが補足しながら話は進み、二組に分かれてからの事も詳細を一通り語ってから、ロイを偶然を装って突き飛ばした事まで告げる。
「……そんな風に、二人きりになってから、露骨にイーダを排除して自分に実権を握らせた方が良いと言わんばかりの口振りで。どこまで自己評価が高い勘違い野郎だと、呆れ果てました。あまり腹が立ったので、落雷で裂けた木が倒れて来た所目掛けて、あいつを突き飛ばしてやりましたが」
それを聞いたオイゲンとファルドは、思わず額を押さえて呻いた。
「……早速やりやがったか」
「ルーバンス公爵家側に、怪しまれ無かったでしょうね?」
「動転した令嬢が偶々突き飛ばした先に、偶々木が倒れて来ただけですから」
平然と言い放ったソフィアだったが、ここでジーレスが静かに釘を刺してくる。
「気持ちは分かるが、以後は慎むように」
「……はい」
そんな風に、ジーレスに対してはソフィアが借りて来た猫の様にしおらしい態度を取り続けている事に対して、サイラスは改めて不思議に思った。
(どうしてここまで従順なんだ? 魔術師としての弟子とかなら分かるが。ソフィアがジーレスさんの事を『頭領』って呼んでいる事と、何か関係があるんだろうか?)
この前から感じていた違和感が再びサイラスの脳裏を占めたが、ここでソフィアが納得しかねる顔つきで、疑問を呈した。
「だけど会話の中で、妙に気になった点があって。一体どうしてあいつは、私がいつ王都に入ったかを、あんなに気にしていたんでしょう? 最初は出入りした様子が無い事から、偽名で侍女をしている事を掴んでそれをネタに脅してくるかと思いきや、そういう訳でも無いみたいですし……」
「そうだな……。あの時、咄嗟に姉さんが乗り合い馬車で来たなんて誤魔化したけど、それで良かったんだろうか?」
すっきりしない顔付きでソフィアとイーダリスが考え込むと、ジーレスが懐から書類の束を取り出し、それに目を落としながら告げた。
「それについて、ちょっと面白い報告が集まったんだ。この報告書によると、ルーバンス公爵家は前例で味をしめたのではないかと思う」
「はい? 前例?」
「何の事ですか?」
途端にこれまで以上に戸惑った顔になった姉弟に、ジーレスは淡々と説明を始めた。