15.非常時訓練
翌日は国境付近に展開している友軍と合流する日。日がだいぶ傾いた為進軍を止め、各自野営の準備を始めたタイミングで、ガルスト達の元にジェリド以下、数名の近衛軍兵士を連れたレオンがやって来た。
「殿下? 司令官までご一緒にいらっしゃるとは。どうかなさいましたか?」
何か打ち合わせる事でも有ったかと、ガルストが荷物を整理する手を止めて彼らの前にやって来ると、レオンは慌てて手を振りながら口ごもった。
「いや、単なる通りすがりと言うか、見回りと言うか、視察と言うか……」
「は?」
当惑したガルストだったが、シュレスタが如何にも慣れた年長者らしく、事情を推察する。
「ああ、なるほど。角が立たない様に、これまで三日は近衛軍の部隊毎に顔を出して懇談しつつ、観察をされておられたんですね? それで今日は魔術師や医師のグループにやって来られたと」
「お察しの通りです。出発早々仕掛ける馬鹿は居ないかとは思いましたが、念の為一通り近衛軍内を回って、状況を把握しておりました。その上で、国境付近に明日到着する今夜辺りが、一番可能性としては考えられるかと思いまして」
「なるほど、道理ですな」
真顔で頷いたジェリドに、シュレスタがうんざりした顔付きで応じる。すると周囲を見回したレオンが、控え目に問いを発した。
「それで……、彼女はどこだろうか?」
「エリーならあそこです」
会話を聞きつけて作業を中断して寄って来たサイラスが、自分達より森の奥で天幕を設置している彼女を指差した。しかしその姿を認めたレオンは、瞬時に表情を険しくする。
「……どうしてあんな他の天幕から離れた所で、一人で張っているんだ?」
「エリーは出発以来、一人で天幕を使っているので、一人で設営も撤去もしているんです」
「どうしてだ!?」
魔術を使って支柱を立てたり、布地を広げたりするのは支障が無い筈と分かっていても、本来困難な作業を一人で行っていた為レオンは確認を入れた。それにサイラスが当然の如く答えた内容に、思わず声を荒げて詰め寄る。しかしここでジェリドが、淡々と指摘した。
「軍での各天幕の設営は、基本的に使用者が行う事になっています。例外は認められません」
「それはそうだが! どうして女性騎士と一緒にしない! あんな離れた所で一人だなんて、危険だろうが!?」
レオンとしては真っ当な主張をしたつもりだったのだが、ジェリドは嘆息して小さく肩を竦めた。
「今回は、他人と一緒の方が危険なんです。女の身でありながら騎士になった者は、後宮警護の面で重宝されていますが、身元が確かなのに普通の貴族令嬢の枠に入らない、色々複雑な事情を持つ者ばかりです。実家が没落したとか、認知だけされている庶子だとか、容姿のせいで縁談が無くて早々に武術で身を立てる事にしたとか」
「そんな連中にしたら、『馬の骨が上手い事やってる』って、エリーを逆恨みしかねませんね」
微妙な顔付きになって黙り込んだレオンの横で、うんざりした様にサイラスが感想を述べる。それに頷きつつ、ジェリドもエリーシアの方に視線を向けつつ質問を繰り出した。
「そういう事だ。それに天幕をわざわざあれ一つだけかなり離しているのは、理由があるんだろう?」
それにガルストが、ニヤリとどこか人の悪い笑みを浮かべながら告げた。
「相当な魔力をお持ちで、魔術にそれなりの造詣をお持ちのモンテラード司令官には、お視えになるかと思いますが」
「……バル・レス・タム・ルティ」
そこでジェリドが小さく口の中で呪文を唱えると、その顔に徐々に笑みが浮かんできた。
「なるほど。随分あからさまな結界術式だ。そうなると、中の方が相当怖そうだな。そちらの正体は分からないが」
「そうなのか?」
驚いてレオンが尋ねると、ジェリドは冷静に分析してみせる。
「ええ。これは敢えて外側を突破させて、安心させた所で絡め取る感じですね。……えげつない感じが、実にいい」
後半はボソッと呟き、不気味な含み笑いを浮かべた上官の姿に、連れてきた兵士は全員ドン引きして何歩か後ずさった。ガルスト達も盛大に顔を引き攣らせたが、この場で唯一耐性があったレオンが溜め息を吐いて窘める。
「……ジェリド。誰もお前の感想を求めていない」
「失礼致しました。それでは、彼女にも声をかけに行きますか?」
「勿論だ」
恭しくお伺いを立ててきた食えない従兄、その他大勢を引き連れて、レオンは疲労感を漂わせながらエリーシアの元へと向かった。
「……エスタ・アム・テル・ラージェ・リド」
天幕を張りつつ、様々な小技をその周りに張り巡らせてエリーは、背後から聞こえた上司の声に、何気なく振り返った。
「エリー。終わったか?」
「はい。設営は終わりました……、って、何でそんな大勢で?」
ガルスト達三人に加えて、王太子に司令官にその他大勢という組み合わせに、彼女は軽く目を見張ったが、シュレスタの説明を聞いてすぐに納得した。
「総指揮官と司令官殿の見回りだよ。今日はこちらの野営状況を見ておられるそうだ」
「そうですか。ご苦労様です」
そこでエリーシアが頭を下げた後、その場に沈黙が満ちた。その為、彼女は不思議そうにレオンを見やり、他の者達は生温かい視線を王太子に向ける。しかし少ししてから、それをレオンが打ち破った。
「ええと……、エリー。何か不自由な事はないか? 何と言っても、野営なんかは初めてだろうし」
「いえ、二ヶ月に一回位はやってましたから平気ですよ?」
「はぁ?」
「何でそんな事を?」
あっけらかんと答えたエリーシアに、レオンは勿論同僚達も戸惑った声を上げた。
「あれ? 言ってませんでしたっけ?」
「何を?」
「父さんが『人生何が起こるか分からないから、突発事項に冷静に対応できる判断力と行動力を身に付ける訓練をする』と言って、突発的に嵐の夜とかに森で野営させられました」
「……因みにそれ、何歳の時の話なんだ? 確かアーデン殿は、エリーが十代半ばで亡くなってるよな?」
恐る恐るガルストが尋ねると、エリーシアは事も無げに告げた。
「最初は、確か八歳の時ですね。その頃はまだそれほど魔術を上手く行使できなくて、天幕を飛ばされまくりで大変でした。十歳の頃は小川の側で野営していたら、有り得ない氾濫が起きた挙げ句、雷撃の集中攻撃を食らいましたし」
「…………」
その場に居合わせた全員が唖然として黙り込んでから、ガルストとシュレスタが、年長者らしく気合いを振り絞って会話を続行させた。
「……は、はは。アーデン殿は、なかなか厳しい方だったみたいだな」
「そういえば、彼は何度も戦役に赴いていましたし、非常事態への備えに関しては慎重だったのでしょう。北のクレメンス国との小競り合いでは、寒い時期に吹雪に遭遇して、回避するのに随分苦労しましたし」
「そんな事があったんですか? だから“あれ”だったんだ……」
シュレスタの話を聞いて、エリーシアが何やら納得した様に頷いた為、サイラスが何気なく尋ねた。
「“あれ”って何だ? エリー」
すると彼女は、憤然たる顔付きで訴え始める。
「それが……、森の中でも住んでいた家の周囲はかなり開けているんだけど、 そこで野営したら何をどうやったのか未だに分からないんだけど、いきなり豪雪地帯に変貌したの」
「はぁ?」
思わず間抜けな声を上げたサイラスだったが、エリーシアの忌々しげな声での訴えは続いた。
「天幕ごと雪に埋もれて、あの時は本気で圧死するかと思ったわ。窒息しそうになりながら、呪文を唱えて雪を吹き飛ばして上に這い出たら、もの凄い吹雪のど真ん中で周囲が全く見えないし。本来家が見える距離で遭難しかけたって、洒落にならないわよね」
しみじみと告げたエリーシアから、サイラスは黙って視線を逸らした。そして彼の代わりに、ガルストが問いかける。
「因みに、それはいつの話だ?」
「確か……、十二か十三だったと思います」
すると当時王都在住だった者達は、小声で囁き合った。
「そうすると、八年前か九年前……。同じ頃、王都の端で異常気象が起こったと、当時随分騒いでいた記憶がうっすらと……」
「確か、王都では滅多に雪など降らないのに、いきなり雪が積もったと調査依頼が……」
「アーデンは『新しい術式構築を模索しているうちに、規模を間違えた』とか言っていたが……」
「どう考えても故意に、それだけの術式を展開させたな」
心底呆れた口調でジェリドが口にすると、サイラスがエリーシアの肩に手を置きながら、感慨深く告げる。
「良く生き延びたな、エリー」
「殆ど野生の本能よね。それとはっきり言っちゃって良いのよ? 父さんの事『魔術馬鹿の変人』って」
「いや……、さすがに故人に対してどうこう言うのは」
「じゃあやっぱり思ってるんだ。別に良いのよ? 気にしないで」
「…………」
ケロッとしてエリーシアが断言した為、その場全員が何とも言えずに押し黙った。しかし時間を無駄にはできず、互いに顔を見合わせながら動き出す。
「エリー、じゃあそろそろ食事の時間だから、向こうに行こうか」
「殿下達も、そろそろお戻りになる時間では?」
そう言いながら別れた者達全員、(彼女にちょっかいを出してくる人間の方を、心配した方が良いかもしれない)と考え込んだのだった。