4.近衛軍内の軋轢
レストン国侵攻情報に関する対策会議が、国王と王太子が臨席の下開催されたが、滞りなく議題が進められていく中、従軍する魔術師の名前が魔術師長であるクラウスから告げられた途端、微妙な空気が室内に漂った。
「……今回、経験と実績を鑑みた結果、以上の四名を王宮専属魔術師として派遣する事に致しました」
クラウスがそう締め括って手元の書類から視線を上げると、幾分困惑した表情のランセルと、動揺しているらしいレオンの顔が目に入った。
何か言いたげなレオンを見て、補足説明して下手に口を挟まない様にするべきかと密かに悩んだクラウスだったが、彼が何か言う前に皮肉気な声が響く。
「内務大臣におかれましては、この決定に異を唱える事はなさらないのですか?」
近衛軍からは総司令官であるラスティの他、各軍の司令官四人も顔を揃えていたが、その中の一人が揶揄するようにアルテスに問いかけてきた為、彼は素っ気無く言い返した。
「どうしてその様な事をする必要があるのか、理解に苦しみます」
「先日、ご披露されたばかりのご令嬢が、可愛くは無いと仰る?」
「幾ら親と言えども、娘の仕事上の事に口を出すつもりはありません」
「それとも? 今回派遣されるのが、幸いな事にモンテラード司令官率いる第四軍でありますから、彼の婚約者であるシェリル姫の義姉である彼女を、粗末に扱う筈は無いと安心されているのですか?」
第一軍から三軍までの司令官が順に発言してから、アルテスはこの間無言を貫いていたジェリドに向かって、楽しげに声をかける。
「これは驚きました。近衛軍では戦場において、一個人の扱いに手心を加える様な、繊細なお仕事をされているらしい。初耳です」
「ファルス公爵。つまらない戯れ言を仰らないで頂きたい。皆様も近衛軍の規律を疑われる様な発言は、慎んで頂きましょう」
如何にも心外そうにアルテスに言い返してから、ジェリドは自分よりも上座に座っている面々に、一応礼儀正しく苦言を呈した。と思った瞬間、彼の毒舌が炸裂する。
「これまで散々無駄に年を食ってやがんだから、それ位弁えとけ。足腰立たねえ老害集団が」
「…………」
ジェリドがそう言い捨てて、あからさまに舌打ちまでしてみせた為、室内の空気が氷結した。それを目の当たりにしたラスティが、本気で頭を抱える。
(老害集団なのは本当だがな……。ジェリドを抑える人物が出てくれないと、私は本当に引退できんぞ……)
そんな部下を心底不憫に思っランセルは、実の甥でもあるジェリドに声をかけた。
「モンテラード司令官、その辺にしておくように」
「お騒がせ致しました、陛下」
母方の叔父でもある彼の面子を潰さない様、ジェリドが殊勝に応じたが、そこで新たな議題に移った後も、クラウスは(近衛軍は上層部は勿論、平の兵士もれっきとした貴族出身か、どこかの貴族からの推薦を受けて厳選された集団だからな……。こちらが想像していた以上に、軍内でのエリーとサイラスの心証は悪いと見える)と、密かに考え込んでいた。
その日の夜、後宮に戻ってシェリルと一緒にエリーシアが夕食を食べていた場に、いきなりレオンが乱入してきた。
「エリーシア! 今回の遠征に同行するのは本当か!?」
時に堂々巡りになり、時にいがみ合いになった会議が漸く終了し、その足で駆け付けたレオンだったが、室内の女性達にはあまり歓迎されなかった。
「殿下……、食事中なんですけど」
「レオン? それはもう決まった話だって聞いたけど?」
エリーシアは不愉快そうに顔を歪めたが、シェリルも不思議そうに異母弟を見やる。それにを見たレオンは、逆に驚いた様に問い返した。
「シェリル! そんな物騒な所にエリーが出向いても平気なのか!?」
「それは、確かに心配だけどお仕事だし、レオンも行くんでしょう?」
「それはそうだが……」
思わず口ごもったレオンに、シェリルは晴れ晴れとした笑顔を見せる。
「じゃあ大丈夫じゃないの? 良く分からないけど。それにジェリドも行くみたいだし、余計に安心できるわ」
「……面倒事が増える様な気がする」
「……それに関してはどうかしら?」
「どうして?」
沈鬱な表情になって同時に懸念を述べた二人に、シェリルは目を丸くした。しかしここで気を取り直したレオンが、真剣な顔付きで言い出す。
「とにかく、エリー。今回の話を辞退するとか、他の仕事に振り替えて貰うとかは」
「あのですね……、この前の夜勤の時もそうですけど、今の発言は私の能力が他と比べて劣っていると言っているのも同然なんですよ? 失礼だとは思わないんですか?」
無礼だとは思いつつも、レオンの台詞を遮って反論したエリーシアに、レオンは一瞬怯んだものの更に語気強く訴えた。
「しかし、そうは言ってもだな! 現実に戦場に女性を出すと言うのは」
「これまでの王宮専属魔術師の活動記録を確認しても、女性だからという理由で、特定の仕事を免除されたなんて記録はどこにも無いんですが?」
「当然免除するものと考えて、記録されなかっただけかもしれないだろうが!」
「それはあくまで、推測に過ぎません。職務は遂行してみせます。ご心配には及びません!」
売り言葉に買い言葉で、喧嘩腰のままエリーシアは言い放った。そして、そこで唐突に思い出す。
「……っ! あのな、エリーシア」
「あ、そう言えばソフィアさん。そういうわけで、求婚への返事の代筆は、王宮から出た後は暫く止めて貰うわ。公爵家から直接ソフィアさんに渡して貰えれば手間が省けるんだけど、それをやって貰ったら代筆の事までバレちゃうから」
壁際に控えていたソフィアに向き直って説明したエリーシアの背後で、レオンの顔が僅かに引き攣ったが、ソフィアはそれを見なかったふりで、笑顔で応じた。
「分かっています。それに申し込んできた方々も、エリーシアさんがその時期に王都を出ている事は分かっていますから、返事を催促される事は無いでしょう。お帰りになったら纏めてお返事を書きますから、安心して下さい」
「そう? 宜しくね」
「あの……、エリー?」
「え? 何、シェリル?」
控え目に声をかけられて振り返ったエリーシアは、困った顔のシェリルと、どこか気まずそうに視線を逸らしたレオンを見て、自分の失言を理解した。
「あ、いけない。殿下がいたんだわ。レオン殿下、今のは聞かなかった事にして下さいね? ミレーヌ様にバレると怒られそうなので」
そう言って神妙に頭を下げたエリーシアを見て、レオンが若干動揺しながらも頷く。
「……あ、ああ、分かった。誰にも言わない。食事中に騒いで悪かった。失礼する」
そしてどことなくヨロヨロとした足取りで部屋を出て行ったレオンを、エリーシアは怪訝な顔で評した。
「全く……、年寄り並みに頭が固くて、困るわよね。あれが王太子だなんて、これからのエルマース国は大丈夫なのかしら?」
その遠慮が無さ過ぎる物言いに、さすがに異母弟が不憫になったシェリルが口を挟む。
「あのね、エリー。レオンはエリーが女だから仕事ができないだろうって思ってるわけじゃなくて……」
「それじゃなかったら何なのよ?」
「エリーを心配してるだけだと思うんだけど?」
慎重に言ってみたシェリルだったが、それを聞いたエリーシアは一刀両断した。
「兵士や魔術師の一人一人まで心配していたら、戦場で何もできないと思うんだけど。そういうのが名目上でも総大将ってどうなの?」
「そうじゃないんだけど……」
「は? じゃあ何なの?」
「ええと……、何でもないわ」
「変なの」
そう言って再び食事を再開したエリーシアを見て、シェリルは(やっぱりレオンがエリーの事を好きだと思うと言っても、一笑に付されそう……)と密かに涙した。そしてそんなやり取りを少し離れた場所で聞いていたリリスが、隣に佇む同僚に小声で尋ねる。
「ソフィアさん……。ひょっとして、王太子殿下からエリーさんへのお手紙にも……」
「勿論、非の打ち所が無い位、完璧なお断りの返事を書いたわ」
あまりにも情け容赦無い断言っぷりに、さすがにリリスが顔色を変えた。
「ちょっ……、それ、幾ら何でも拙くありません?」
その指摘に、ソフィアが怪訝な顔で応じる。
「どうして? エリーシアさんからは、全てにお断りの返事を出してくれって頼まれたんだし」
「そうですけど、仮にも王太子からの申し込みがあった事すら知らないって……。それ位、教えて差し上げるべきなんじゃ無いですか? 恐らくエリーシアさんが申し込みの事実すら知らない事が分かって、レオン殿下、ショックを受けて帰りましたよ?」
その指摘にも、ソフィアは怯む事なく言い返した。
「エリーシアさんから手渡しされるんだから、本人に差出人を確認する意志があればやってるでしょう。それに『レオン殿下だけには、ご自分でお返事を書いてはどうですか』なんて言ったら、報酬が一通分、五エルス減るわ」
その堂々とした物言いに、リリスはそれ以上の反論を諦めた。
「……頑張って稼いで下さい」
「勿論よ。最近は近年に無い位、実家に送金できているのよ? このチャンスを逃してなるものですか。その意味でも、エリーシアさんには無事に帰って来て頂かないとね。明日は休日だし、早速神殿に行ってエリーシアさんの道中の無事を祈ってくるわ」
そう言って満足げに微笑んだ、最近益々守銭奴じみてきた同僚を生温かい目で見やったリリスは、これからを思って密かに溜め息を吐いたのだった。