9.城館の地下通路
魔女が<転移>した先は、まっ暗闇に包まれた場所であった。
足下が見えないせいか、ふわふわとした浮遊感すら感じられる。
――もし、死後の世界があるとすれば
ねっとりとした闇の中で、セラフィーナはそう思ってしまった。
それに“恐怖”を覚えた彼女は、大急ぎで<マジックスフィア>に光を灯し始めた。
ポウッ……と、白い光がまとわりつく闇が祓われると同時、身体に重力を感じ始める。
「ここ、もしかしてカタコンベ……?」
「そのようですね。城館の地下より更に深い――地上から隔絶された地、でしょう」
ミラリアはじっと遠く、光が届かぬ冷たい闇の向こうを見据えながら呟いた。
光に浮かび上がったそこは、幅員四メートルほどの地下迷宮のような通路である。
大小様々な岩石を積み上げた壁が、真っ直ぐ奥に向かって伸びていた。
セラフィーナは近くの石を確かめるように触れると、パラり……と粉末化した物が落ちた。空気の流れは感じられないが、どこから入り込んでいるのは確かなようだ。
「空気はあるのに、カビや苔がないってどう言うことなの」
「恐らく、“生命”の定着を許さないのだと思います。空気すら
「私たちも、ここの住人にならないようにしなきゃね……」
セラフィーナは、壁に埋め込まれている黄ばんだ頭蓋骨を見ながら言った。
光に暴かれたのはそれだけではない。まるで燭台と言わんばかりに、等間隔でそれが並べられているのである。
ミラリアが『死んだ空気』と表現した通り、そこの空気は“生命の温もり”を奪うほど冷たく、半裸のセラフィーナは胃がキリキリと痛むのをぐっと我慢していた。
「……だから、お腹を出すような恰好はダメって言っているでしょう」
「こ、こんな所に来るって分かってたら、ちゃんと着こんでたわよっ!」
セラフィーナは『せめてもの暖を』と、もう一つの<マジックスフィア>には火を灯し、ヘソの前にそれを持ってゆく。
右手の白い明かりを宙に掲げ、左手の赤い灯りは腹部近くに――傍から見れば何とも滑稽な姿であるが、背に腹はかえられぬと言った様子であった。
その姿のまま、一歩……また一歩……と歩を進めてゆくと、ふいに後ろからガチャッ――と音と、悲鳴に近い呻きが起こった。
セラフィーナは咄嗟に光を向けると、そこには真っ赤な目をした黒犬と――
「あ、アンタ何やってんのっ!?」
光がギリギリ届いたそこには、ピンクのドレスアーマーを着た女が立っていた。
距離が遠く、顔までは分からないものの、横から飛び出ている金髪の縦巻髪が何者であるかかを証明している。
「い、一向に戻ってくる気配がないので……わ、わたくしが増援に来てあげたのですわっ!」
「馬鹿っ! この先は何があるのか分からない……出口すらなのに、アンタが来てどうするのよ!
もし行方不明のまま――なんてことになったら、アンタ一人だけでなく、国中が大騒ぎじゃ済まなくなるのよ!」
「わ、分かっていますわ!
ですが、その……貴女方が帰って来ないかもと思うと、居ても立ってもいられなくなりましたの……」
言いにくそうに『初めての友達ですので……』と、口をモゴモゴ動かすテロールに、セラフィーナはそれ以上何も言えなかった。
恐らく大急ぎで鎧を取りに戻ったのだろう。ここに来てからまだ長くは経っていないが、
姉妹は諦めたように小さく息を吐いたが、その顔はどこか嬉しそうだ。
「――ま、来ちゃったものはしょうがないわ。
でも決して、私たちより前に出たり、無理はしないようにしてね」
「わ、分かりましたわ……」
セラフィーナはいつになく真剣な表情で、テロールは顔を引き締めながら小さく頷いた。
その横に控えていた黒犬ブラードは、ハッハッ……と息を吐きながら期待に満ちた表情で尻尾を振っている。
「ああ、アンタも来てたんだ?」
期待していた言葉はなく、ブラードは『ウォン……』と寂し気に鳴いた。
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カタコンベの通路は一本道で、道に迷う事はまずなかった。
奥に進むほど頭蓋骨の数は増え、その度にテロールは顔を引きつらせている。
カツ……カツ……と音を立てながら進んでゆくと、突然これまでの乱雑に積み上げられた石垣の壁とは打って変わり、平石積みのだだっ広い“間”が広がっていた。
例えるならば――これまで歩いて来た道は、“ネズミの進入路”であり、眼前に広がる“間”はチーズのある部屋である。
「うう……さ、寒いですわ。セラフィーナさんは、さ、寒くありませんの?」
「……寒くて堪らないわよ。心配するならそのドレス貸して頂戴……」
はぁ……と、ため息を吐くと、白い光の中で吐息の跡が浮かび上がった。
炎を宿した<マジックスフィア>を抱え込みながら、セラフィーナはカタカタと小さく歯を鳴らす。
彼女傍らでは、ミラリアが“魔法”でこの“間”を見渡していた。妹がこの様子では、やみくもに動き回るのは危険だと判断したのだろう。その顔には、どこか焦りも浮かんでいるようにも見受けられる。
「――あら?」
「ど、どうしたの?」
「この広間の各所に何か――彫像のような物が多数ありますね。
その他には……石盤のような何かが置かれてあるようです。見に行ってみましょう」
ミラリアはそう言うと、セラフィーナたちの返事を待たずに進み始めた。
その“間”は、想像していたよりも広い。十五メートルほどの横幅に対し、奥行きはその倍以上――ミラリアの言葉通り、各所に鼠や牛などの十二体の彫像が設置されている。
“間”を支える二本の柱に設けられた台座には、それぞれ“お人形遊び”用のセットがり、そこから更に奥に進むと――セラフィーナの持つ明りが、ようやく突き当りの壁を照らし出した所にも、二つの女の彫像が鎮座しているのが見える。
「この壁……文字が刻まれておりますわ!」
「ホントね、何々――【姉妹の問題を解決せよ。さすれば道は開かれん】?」
「“姉妹の問題”って……貴女方は何か悩みでも抱えておりますの?」
「ない……と言えば嘘になるけど、まぁ深いものではないわね。
ってか、私たちをピンポイントにしてるわけないじゃない……ここの“
「それもそうですわね、では“問題”は一体どこにありますの?」
セラフィーナとテロールは顔を向け合い、小首を傾げた。
それを見ていたミラリアは、手を顎にやりながらじっと女の石像を見つめ――なるほど、と呟いた。
「フィーちゃん、この女性の像に光を当ててみてください」
「え、こう?」
ミラリアの言葉に従い、そこに光をやると――その台座に、文字が刻まれている事に気が付いた。
「何これ、台座の紋様かと思ったら……全部文字なのこれ?」
セラフィーナは怪訝な目でそれを見ていた。
風化すらしていないため、一文字も欠ける事無く読み進められそうだ。光に浮かぶその綴られた文字を、彼女はじっと追ってゆく。
【 ある所に、仲の良い双子のお姫様がいました。
彼女たちは楽しい時も、悲しい時も、常に一緒です。
そんなある日、彼女たちの下に隣のお城からの使いがやって来ます。
『我が国の王子様が、妹君を見初められました』
姉妹は大喜びでしたが、一つ気がかりな事がありました。
それは――妹は、“清純”ではなかったのです。】
じっとそれを見ていたセラフィーナは、『そういうことね』と頷いた。
テロールはよく分かっておらず、眉間に皺を寄せて唸っている。
「ど、どう言う事ですの?」
「つまり、この姉妹は王子サマに見初められたけど、“清純”な女ではない……バレたら御破談になりそうってことよ。なら、次は多分――」
【 妹は頭を悩ませました。
初夜だけ乗り切ればよいのですが、気がかりな事があります。
それは数日前、町の片隅の裏酒場にて、不特定多数の男を遊んでいたのです。
『もし、これが失敗したら』妹は突然、不安になりました。
『――大丈夫よ。私に考えがあるわ』姉は全てを任せるように言いました。】
セラフィーナはそれを読み上げると、納得したように頷いた。
それを聞いていたミラリアも頷くが、テロールだけが全く分かっていない。
「ま、全く分かりませんわ……」
「まぁ、フィーちゃんが王子様に求婚されましたが、王族ならではの問題に頭を悩ませた――と言った所です」
「何で私なのよ!? 私がそんなことで、頭を悩ませる必要なんてないんだからねっ!」
「王族ならでは……求婚――あっ、そう言うことですの!!」
テロールにもピンと来たようだ。同じ王族であるため、それはもっとも気を付けねばならぬ問題――嫁いだ女が『処女であるかどうか』である。
気にしない家も増えてはいるものの、それでも“交わり”は月の物が来てからでなければならなかった。
彼女自身は問題ないものの、“その後”の行事を考えると、非常に憂鬱な気分となってしまうものだ。この城館が建造された当時では、親族の前で“その時”の様子を見せねばならないはずだ、と彼女は思った。
「あの当時であれば、即座に悪魔の嫁――“魔女”扱いですわね」
「でしょ? だから姉は何か策を講じたのよ」
しかし、それは一体何か――と、セラフィーナは
「ふふ、こう言う“なぞなぞ”は、一度童心に返ると良いのですよ――」
姉・ミラリアは真っ直ぐに柱の方に向かって歩を進め始めていた。
その柱の台座には、小さな子供が遊ぶような“お人形遊び”の道具が置かれている。