8.次への扉
女三人に囲まれた犬は、がっくりとうなだれていた。
可愛がってくれるのなら最高のハーレムであるが、この場合では別の意味で“可愛がられ”てしまう――ブラードは、観念したように小さく『ぎゅうぅ……』と唸った。
「ふぁ、あぁ……まさか、城館に“催眠ガス”が発生する仕掛けがあるなんてね……」
「ん……ミラリアさんは、よく気づきましたわね」
まだ眠そうな顔をしているセラフィーナとテロール横で、ミラリアはニコりと微笑んでいた。その手には、セラフィーナが作ったマスクが握られている。
「私はともかく、夜の虫であるフィーちゃんが、張り込み中に眠るのはおかしいですからね。
目的があれば、三日三晩眠らなくても平気な子ですし、それが眠ってしまうとなると“魔法”か薬しか考えられません」
「ああそれで、<ガスマスク>なんて引っ張り出してたんだ」
「ええ。黙っていて申し訳ないと思うのですが、
敵を欺くためには味方から、とミラリアは続けた。
敵がどうか定かではないが、それに関係しているであろうブラードを、テロールはしげしげと興味深そうに眺めている。
「この黒犬がここの番犬、と言う事ですの……?
確かに目が真っ赤なのは恐ろしいですが、とてもそうには見えませんわ」
「ブラックドッグは狂暴でもありますが、実は迷子の子供を送ったりするイイ子なのですよ」
「不吉な妖精とも言われているけど、非常に温厚な忠犬なの。
私とした事がうっかりしてたわ……ブラックドッグは、墓を守り、死者の魂を導く役目も担うんだから……」
「と、と言う事は、もしかしてここのどこかに墓場があると言う事ですの!?」
「そうかもしれないわね。
地下か、はたまた別の場所か――さて、ブラード、そろそろ覚悟はできたかしら?」
もう逃げられぬと悟ったのか、ブラードは耳を垂らしながら、渋々と言った様子で玄関ホールに向けて歩み始めた。
時おり振り返り、ついて来ているか確認する。大理石の階段を下り、開け放たれたままの扉の前に立ったかと思うと、突然『ウォンッ!』と一つ大きく吠えた。
その先には蹲ったままの死体――それが何と犬の吠え声に、反応しムクリと身体を起こし始めたのである。
「ひっ……!?」
その異様な光景に、テロールは小さな悲鳴をあげた。
後ろ手のまま、転がっている己の首を器用に拾い上げると、ゆっくりと黒犬と女が立つ玄関扉の方に向かってくる――筋肉が硬直しているせいか、歩きにくそうだ。
ゆっくりと、ガクガクと身体を揺れ動かしながら玄関ホールに近寄ってくると、ブラードは先導するように絵のある場所まで歩いてゆく。
テロールは距離を取っていたものの、“死者”から放たれる悪臭に嘔吐しそうであった。
鼻をつまみ、極力息を吸い込まないようにしている。そのせいか、酸欠で頭が眩み、目の前で起っていることが夢か幻覚を見ているかのようであった。
「こ、これは夢ではありませんわよね……え、絵の中に“死者”が入りましたわよね?」
「ええ、れっきとした現実よ……死者しか招き入れぬ絵、もとい……家ね」
「わ、わたくし……この先、絵画をまともに見られないかもしれませんわ……」
瞬きをするたび、
家の中に入ると扉が閉じられた時だ。重苦しい静けさに包まれたかと思うと、どこか遠くで、チャリン……と音が響いた。
それにも小さな悲鳴をあげたテロールであったが、“魔女”には音の正体を知っている。
顔を見合わせた姉妹は、小さく頷き合う。セラフィーナは<マジックスフィア>に白い光を灯し、音のした場所へ足を向け始めた。
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「これで、五十枚ね……果たして、何が開かれるか」
「ここまで来れば、もうやりきるしかないですわね」
「わ、わたくし、怖くなってきましたわ」
セラフィーナは、音のした場所から――浴室の中の排水口に転がり落ちた“メダル”を手に、その投入口の前に立った。
しかし、その“メダル”も今までのそれとは違い、くすんだ赤色をしていた。
城で手に入れたのと似ているが、どちらかと言うと赤茶色に近く……テロールは『大丈夫なのか?』との目を向ける。
「城で手に入れたのと同じく、色が違いますが――よろしいんですの?」
「ん? ああ、赤色は『これで最後』って意味だから大丈夫よ」
「え、そ、そうなのですの?」
「ふふ、赤いのが出たら終わりなのですよ」
「んんっ……?」
理由を知らないテロールは、ただ首を傾げるしかなかった。
そんな彼女を余所に、セラフィーナはミラリアから受け取った“メダル”を合わせ、一枚ずつ投入してゆく――。ここを守って来たブラードも、“メダル”を投入口した結果については知らないようだ。居住まいを正し、じっとその様子を見守っていた。
チャリン……チャリン……と、手にした“メダル”が減ってゆくにつれ、誰の目にも緊張が浮かび、指先が冷たくなるのを感じている。
どれくらいの時間が経っただろうか――。セラフィーナの手には、最後のそれを残すところとなった。
「……いくわよ」
セラフィーナの声にも緊張が含まれている。テロールの顔は強張り、ミラリアはいつでも“魔法”を唱えられるよう身構えた。小さな音と共に、ごくっ……と固唾を呑む音が起るが、特に何が起る気配はしない。
誰もが小さな息を吐く中、テロールはふと妙な気配を感じ振り返ると――
「え、絵が、絵が変わっておりますわ!? な、ななな、何ですのこれ!?」
誰もがその言葉に耳を疑い、その目を疑った。
皆の視線の先には、先ほどまで掲げられていた、温かみが感じられる家の絵とはうって変わり――奇妙な扉の絵へと姿を変えていたのである。
あまりの衝撃に、テロールは言葉を失い、ふるふると震えてしまっているが、魔女姉妹は冷静にその絵を見つめていた。
「姉さん、あれって――」
「ええ……<転移>の印が刻まれていますね」
「現物見るのは初めてだけど、触れたら飛ぶんだよね。……大丈夫かな?」
「どこに飛ぶか分かりませんが、ここまで来て『いしのなか』は無いでしょう。
しかし、このような大仰な仕掛けに――我々は“王の財産”とは全く別物を掘り起こしてしまうかもしれません」
「“魔女団”は恐らく中身を知っている……だからこそ、この地と城館を手に入れたかったのね。
ただ、中身を得るための鍵が解けなかった――」
「もし、この中身を見つければ……我々をそっとしておいてくれる者はいないかもしれません。
実家に帰り、仲間の保護を受ければ、“箱庭の幸せ”が与えられるでしょうが――」
「冗談。望むままの生活なんて名ばかりの、監獄暮らしはまっぴら御免よ」
「ふふ。フィーちゃんとの旅はまだまだ続きそうですね」
一体何の話をしているのか、と呆然と立ち尽くすテロールを他所に、魔女姉妹はそこに歩み寄った。
そして、扉を押し開くようにそっと手をかざすと――
「ちょ、ちょっと何をするんですの!?」
「ここから先は私たちが行くから、ブラードと一緒にここで待ってなさいな」
「ええ。万が一、がありますから」
「お、お待ちにっ――」
テロールの言葉は届かなかった。
姉妹が手に力をこめた瞬間……その身体がフッと掻き消えたのである。