5.一進一退
玄関ホールにやって来たセラフィーナは、立ちすくんでしまっていた。
目の前に居るのは盗賊団の頭……かつて甘い言葉で誘い、はした金を盗んだ男。
しかし、その“頭”はもはや原形を留めていない。屈強な肉体の上に載っているのは、カエルの頭……まさに“異形の存在”となっている。
「ふ、ふふ、<フロッギー>なの――ッ!?」
魔女とカエルは関係が深い。魔女の手下でもあり、彼女たちは気に入らない人間を……時には王子ですらカエルに変えてしまう。
大昔はそれが出来る魔女が多くいたが、今では出来る者が存在しない。“黒の魔女”が編み出した“禁忌”――人体錬成の秘法によって、人間とカエルの融合体・<
今、セラフィーナの目の前にいるのは、まさにその<フロッギー>なのだ。
初めて目の当たりにした彼女は、まさかの存在に言葉を失ってしまっている。
――
口は裂け、目はギョロりと外に飛び出している。茶色の肌はイボガエルのようにブツブツとしており、人と言うよりは、鋼鉄の鎧を着た二足歩行のカエルであった。
想像していたモノとは全く違い、『一度見てみたい』と思っていた自分を叱りたくなるほど、嫌悪感を抱く存在である。
一方で、カエルの目は褐色肌の女を凝視し、その胸は歓喜に満ちていた。
「ゲッ……ゲゲッ!!」
下あごに手をやり、カエルの口が醜い笑みを浮かべた。
人間時代の癖・仕草はそのまま残るようだ。
「好みの男じゃなかったけど……こうなると、より不快になる男ね」
セラフィーナは忌々し気にそう呟いた。
ざあざあと雨の音が城館内に響いている。雨漏りがするじとっと湿気に満ちた城館は、
驚きの目を向けるセラフィーナを見て、<フロッギー>は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「それだけで勝ったと思わないでくれる――ッ!」
セラフィーナは一気に階段を駆け上がった。ここに来る前、“操作盤”で城館の罠を全て起動させている。落ちる階段の罠は六段目に設定してあるため、そこを飛ばしバルコニーの上まで駆けあがったが――
「なッ……!?」
<
どう言うわけか、城館内の罠まで把握している――セラフィーナの頭に、“ある仮説”が浮かんだ。
(まさか……姉さんの“
ミラリアの“魔法”を吸い、それが“虫の報せ”と合わさっているのではないか……彼女はそう考えた。
あり得ないと思いたいが、今はそれを……最悪の条件を前提にして動かねばならない。幸いにも罠を避けた所から、罠そのものは防ぐ事はできないようだ。
“魔女”には発動しない――ホームグラウンドでの優位性を活かしながら戦えば、彼女にも勝機はあった。
「ゲゲッ! ゲッ、ゲゲッ!!」
カエルは笑う。既に“虜”となっているようだ。
シャラッ……と腰からブロードソードを引抜くと、音も無く近くの柱に張り付いた。
「笑ってられるのも今の内よッ!!」
「ゲゲゲゲェ――ッ!!」
セラフィーナは、腰に下げたメイスを握り締め身構えると同時に、カエルが跳びかかってきた。
彼女は“魔法”の腕はそれなりにしかないが、“武器”の腕には覚えがある。悍ましいカエルの鳴き声と共に、振り上げられた<フロッギー>の剣をメイスの柄で受け、勢いに逆らわず下にいなした。
前のめりになった<フロッギー>を見るや、セラフィーナは即座に身体を一回転させると、その鋼鉄の鎧で覆われた腹部に蹴りを加えた。
「ゲッ……!?」
長い銀糸の髪が円を描く。思わぬ一撃に、<フロッギー>は二、三歩後ろへよろめいたが、それ以上は下がらぬよう踏み留まった。すぐ後ろには何かの罠があると分かって居たからだ。
薄暗い城館の中で、長い銀色の髪をなびかせる女――『やはりこの女だ』と頭の中で感じている。
「ゲゲゲッ!」
「何度来ても無駄よ――ッ!」
何度も剣を振り上げ、女に向かって振り下ろす。
時にはメイスで受け、ギンッ――と金属同士がぶつかり合う甲高い音が城館に響き渡る。
<フロッギー>はセラフィーナを殺さないようにしているが、手は抜いていない。手ごわい相手であった。……が、打ちあっている内にそのパターンが見えて来ていた。
隙ができれば蹴りを加え、罠に押し込めようとしてくる――ただそれだけだ。
「ゲッ、ゲゲーッ!」
「なっ……きゃあッ!?」
わざとよろめいたフリをし、蹴りを繰り出した所で足を掴んだ。
<フロッギー>は腕を真後ろに引くと、その勢いのままセラフィーナは転がった。
床に転がった彼女も罠の場所を咄嗟に避けたが、全ては避けきれず、飛び出してきた槍が左の二の腕を掠めた。
「くッ――!!」
すぐに赤い筋が浮かび、つっ……と褐色肌の腕をつたってゆく。
傷は深くはない。しかし、セラフィーナにはその攻撃パターンが限られているのが厄介であった。
メイスで攻撃を加えるにも、鋼鉄の鎧や強靭な男の筋肉に阻まれてしまう。なので、どうにかして罠に押し込めなければならないのだが……女の腕力ではダメージを与えるのは難しく、その手段は回転を利用した蹴りを入れるしか出来ないでいる。
(せめて……何か、籠手のような物でもあれば――ん?)
セラフィーナは腰に手をやった時、腰の後ろに布のような物が入っていることに気付いた。
(これってまさか……姉さん……)
取り出してみると、それは黒い手袋であった。どうしてこんな物がここにあるのか? 思い当たるのは、部屋を飛び出す前、姉に腕を掴まれた時しかない。
あの剣幕ではすぐに後を追ってもおかしくないのに、追って来ない――怒っているのかと思っていたが、これで全て察しがついたようだ。
――そこまで言うのなら、やってみなさい
姉の気持ちに、妹はこみ上げて来る物をぐっと堪えながら、姉の――<パワーグラブ>をはめ、ぐっと手を握りしめた。
そんな事は知らず、<フロッギー>はトドメを刺さんと再び飛びかかって来る。
(やはり――姉さんには適わないわね)
セラフィーナはそれを躱す事もせず、尻を床につけたまま、大の男の剣を片腕でいなした。
ギインッ――と一際大きな音と共に、<フロッギー>弾かれた方向によろめく。
彼女は後ろに後転するかのように、床に転がると同時に一気に跳ね起きた。
「
「ゲッ!?」
ギョロっとしたカエルの目が驚きに満ちていた。
これまでとは比べ物にならない力が、己を圧倒的に上回る腕力を発揮しているのだ。
防御一辺倒だったそれが攻撃的な物に切り替わる――弱い人間が力を得、調子に乗るほど面倒な物はない。
強引さの中には隙も生まれるが、そこを突いても女の
打撃も加わり、<フロッギー>の胴体を覆っている鋼鉄の鎧から、重い拳の衝撃が伝わって来る。
「ゲァァ――ッ……」
防御に回るしかない<フロッギー>は悶絶するが、致命的なダメージを負っていない。
セラフィーナは決め手に欠けていた。急所への攻撃は全て防がれているため、ただ殴って痛めつけるしか手がなかったのでだ。
強靭な肉体を持つ男が相手には、女の体力では到底太刀打ちができない。
どうにかして罠にかけなければならないが、戦いの最中では考えあぐねるばかりだ。
その時ふと、聞き覚えのある声が頭に響いた。
――フィーちゃんは自分自身が何者であるか、時々忘れていませんか?
それは、彼女の姉・ミラリアの声であった。
いざと言う時のため、いつでも動けるように監視していたのだろう。
その声には、どこか呆れが混じっている。
(自分自身が何者? そんなの決まってるじゃない。私は――)
セラフィーナはハッとした表情を浮かべた。
視線の先にある数々の罠、手には姉の“